性別と思想



   【このページの目次】

 

性別と思想


「内心の自由」の性質


「内心の自由」を動機とする行為の限界

〇 「内心の自由」を動機とした行為の限界

〇 「多様な性」という思想を動機とした行為の自由の限界


「内心の自由」に関わる類似した例

〇 分類方法

〇 分類方法に従った行為の限界


「内心の自由」を尊重する方法

〇 判例

〇 私企業での扱い方


「内心の自由」と「政教分離」

〇 憲法19条「思想良心の自由」、20条1項前段「信教の自由」との関係

〇 憲法14条「平等原則」との関係

〇 憲法20条1項後段・3項、89条の「政教分離原則」との関係


心理特性の分類法

〇 「LGBT」分類法

〇 「ますらお・たおやめ型」分類法

〇 「SRGM」分類法


注意するべき用語

〇 「生物学的な性別」と「ジェンダー」の混乱

〇 二つの定義による混乱


訴訟の論点

〇 トイレ使用の訴訟

〇 性別変更の要件の訴訟

〇 性別変更と親子関係の訴訟





性別と思想

 生物学的な性別の分類は「男性・女性」の二分論に限られる。


 これに対して、近年、「多様な性」という言葉を聞くようになった。

 これは、生物学的な性別の概念に加えて、「性自認」や「性的指向」という観点を取り入れ、新たな「性」の概念を提唱しようとするものである。


 ここで注意したいのは、この議論において日本語で「性」と表現しているものは、英語では「セックス」と「ジェンダー」に分かれることである。


【参考】「生物学的性別とジェンダーとをごっちゃにしてる人は多い」 Twitter

【参考】「sexもgenderも日本語では『性別』と訳してしまうので、この手の法律で、単に『性別』という言葉を使うのはとても危険」 Twitter


 この「性自認」や「性的指向」という概念は、「ジェンダー」に属する事柄である。

 

ジェンダー Wikipedia (gender)

性同一性 Wikipedia  (gender identity)


 これらは、個々人の内心に属する問題である。

 このことから、憲法上でこれらの概念を扱う際には、「内心の自由」として扱われる一つの価値観ということになる。





「内心の自由」の性質

 「内心の自由」の内容を詳しく明らかにすると、下記のような自由がある。


思想・良心の自由 Wikipedia

信教の自由 Wikipedia

学問の自由 Wikipedia

表現の自由 Wikipedia



 「内心の自由」は、絶対的に保障される。


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○横畠政府特別補佐人 まさに憲法は、国家と、国家の機関、あるいはそれと国民との間の権利関係というものを規律するわけでございますけれども、御指摘の憲法第十九条の保障する思想及び良心の自由については、国対個人という関係におきまして、国の側が個人の内心の自由というものをいわば絶対的に保障する、そういう趣旨を述べたものと一般に解されております。

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第190回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号 平成28年5月27日



 国家が、個々人の内心に介入することは許されていない。

 

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思想・良心の自由の保障

特定の思想の強制の禁止

国が特定の思想を強制し勧奨することは憲法19条によって禁じられる[8]。

 

思想を理由とする不利益取扱いの禁止

国が特定の思想を有することまたは有しないことを理由に刑罰その他の不利益を加えることは憲法19条によって禁じられる[9]。また、思想を理由とする差別は憲法14条にも違反する[9]。

 

沈黙の自由

国が内心の思想を強制的に告白させたり何らかの手段によって推知することは憲法19条によって禁じられる[10]。

……(略)……

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思想・良心の自由 Wikipedia (下線は筆者)



 これら「内心の自由」を具体的にどのように扱えばよいのかは、「信教の自由」に関する問題で先例がある。


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政府委員(大出峻郎君) 信教の自由と申しました場合に、その中心的なものが信仰の自由、それぞれの人の内心の自由ということであろうかと思います。その信仰の自由の内容につきましては、ある宗教を信仰する自由、そしてまた別にその宗教を信仰しない自由ということも当然その内容になっておるわけであります。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

政府委員(大出峻郎君) 憲法二十条に言いますところの信教の自由というのはいかなるものかという御質問かと思いますが、憲法二十条は、信教の自由について、第一項前段で「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定し、さらに信教の自由の中でも宗教上の行為の自由について、第二項におきまして「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」旨を規定いたしておるわけであります。

 憲法の保障するこういう信教の自由の内容としては、一般に信仰の自由、これは内心において宗教を信ずるとかあるいは信じない自由、そういうものがまず挙げられると思います。さらに、宗教上の行為の自由あるいは宗教上の結社の自由などが信教の自由の中には含まれているというふうに考えられているところであります。

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第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第7号 平成7年12月1日




「内心の自由」を動機とする行為の限界

 「内心の自由」は、内心に留まる限り、絶対的に保障される。

 しかし、その内心が外部に表現されたり、行動に現れた場合、それらの行為は無制約に許されるわけではなく、「公共の福祉」による制約の対象となる。


 「思想・良心が外部に表明される場合には他者の権利や利益との関係から一定の法規制を受けざるを得ず内心領域にとどまる場合とは性質を異にする」(思想・良心の自由 Wikipedia 『表現の自由との関係』の項目より)


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○津野政府特別補佐人 

(略)

 そこで、先ほどおっしゃられました、国民の権利、自由が絶対に制限され得ないようなものがあるではないかということでございますが、例えばそれは憲法十九条の規定する思想、良心の自由、あるいは二十条の信教の自由のうち信仰の自由の保障については、それが内心の自由という場面にとどまる限りにおきましては、これは絶対的な保障であると考えていいと考えられるわけであります。しかし、思想、信仰等に基づきまして、またはこれらに伴いまして外部的な行為がなされた場合には、これらの行為も、それ自体としては原則として自由であるものの、絶対的なものとは言えず、公共の福祉による制約を受けることはあり得るということでございます。

(略)

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第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第12号 平成14年5月29日

 

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○大出政府委員 現行の憲法と、それから旧憲法の信教の自由に関する規定の、いわば違いということでありますが、先ほども申し上げましたように、旧憲法におきましては、信教の自由を保障する規定、先ほどの二十八条でありますけれども、を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という限定がついておるというところが非常に特徴的なところであろうかと思います。二十八条の中にそれ自体制限を伴っていたという、そういう規定理念であったと思います。

 これに対しまして現行の憲法は、旧憲法のようなそういう条件というものを付することなく信教の自由を保障することとし、さらにその保障を一層確実なものとするために政教分離規定というようなものも設けており、そうすることによって狭い意味での信教の自由というものを一層保障を充実させることにしておるというところに旧憲法との大きな違いがあるかと思います。

 そこで、それでは信教の自由というものは制約があり得るのかどうかということに触れられた御質問であったかと思いますけれども、これは信教の自由のうち、信仰の自由の保障といいますのは、先ほど三つ挙げましたうちの一番最初の方ですが、信仰の自由の保障といいますのは、その内心の自由の性質上、思想、良心の自由と同様に、いわば絶対的な保障であるというふうに考えていいものではないかと思います。いわゆる内心の問題に立ち入り得ないということであろうかと思います。したがいまして、信仰のゆえのみを理由としていかなる制約も受けない、こういうふうに解されているところであろうかと思います。

 しかし、信仰に基づきまして、あるいは信仰に伴って、何らかの外部的な宗教上の行為がなされるような場合、いろいろな行為が外部にあらわれてくるような形の場合におきましては、その行為もそれ自体、原則としてはもちろん自由であるわけでありますが、その行為があるいは他人の権利、自由などに対して何らかの害悪を及ぼすというようなことなどがあった場合には、公共の福祉によるところの制限をおのずから受けることはあり得るということであろうかと思います。

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第134回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成7年10月12日

 

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大出政府委員 信教の自由というふうに一口に言いましても、この前にも御答弁申し上げましたように、内心におけるところの信仰の自由というようなものと、それから宗教的行為宗教上の行為を行うというようなものといろいろあるわけであります。

 この前も私は申し上げましたが、いわゆる内心におけるところの信仰の自由というものは、これは絶対的なものであろう、法によって規制をするということはできないであろうということであろうかと思います。外部にあらわれました宗教的活動といいますかあるいは宗教上の行為というようなものについて、これももちろん保障されなければならないわけでありますけれども、何かの公共の福祉の要請といいますか、そういうものがありまして、それが場合によっては規制をされるということはあり得るということだと思います。

 ただ、もちろんそう申し上げましても、その点については慎重であり、合理的なものでなければならないことは当然のことであろうかと思います。

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大出政府委員 ただいまいろいろ御紹介されました制憲議会におけるところのやりとりの考え方、その考え方と私は基本的に少しも変わらないと思います。

 先ほど申し上げましたように、内心の自由としてのいわば信仰の自由というものは絶対的なものであろう。しかし、宗教上の行為とか宗教活動とかいうような形で外部にあらわれた行為、そういうものにつきましては、もちろん相当その必要性の高いものでなければいけないわけですけれども、制約される場合があり得る。しかも、その制約につきましては、慎重の上にも慎重であるべきであるという考え方を基本にしながら申し上げたつもりでございます。

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第134回国会 衆議院 宗教法人に関する特別委員会 第5号 平成7年11月7日


 そこで、「性自認」や「性的指向」という思想や感情に裏付けられた形で個々人が社会生活を営むことは、憲法上どのように保障されるのか、また、その保障の限界はいかなる基準によって決せられるのかを検討する。


 参考として、ある生物学的な「男性」が、「気持ちは女性である」と称して女子トイレに入り、「建造物侵入」で逮捕された事例を取り上げる。


「気持ちが女性だから…お腹下して3回」書店の女子トイレに侵入 従業員目撃し56歳"自称教員"の男逮捕 2021年5月30日


 まず、本人の抱く「性自認」という思想や感情は、それが内心に留まる限り、憲法19条の「思想良心の自由」や憲法20条の「信教の自由」によって完全に保障される。


 次に、本人の抱く「性自認」という思想や感情から来る行動によって、本人の生物学的な性別とは異なる形でトイレや浴場などの「男性専用スペース」あるいは「女性専用スペース」に立ち入る行為を人権として保障することができるか否かを検討する。

 この問題は、「宗教的行為」の限界に関する事例を参考とすることができる。


 「宗教的行為」の限界を示す事例として「加持祈祷事件」がある。

 この判決では、「信教の自由の保障」についても「絶対無制約のものではない」とし、「宗教的行為」は違法性のあるものや著しく反社会的なものについては保障が及ばない旨を示している。


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 所論中憲法違反の主張につき考えるに、憲法二〇条一項は信教の自由を何人に対してもこれを保障することを、同二項は何人も宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されないことを規定しており、信教の自由が基本的人権の一として極めて重要なものであることはいうまでもない。しかし、およそ基本的人権は、国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うべきことは憲法一二条の定めるところであり、また同一三条は、基本的人権は、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする旨を定めており、これら憲法の規定は、決して所論のような教訓的規定というべきものではなく、従つて、信教の自由の保障も絶対無制限のものではない

 これを本件についてみるに、第一審判決およびこれを是認した原判決の認定したところによれば、被告人の本件行為は、被害者Aの精神異常平癒を祈願するため、線香護摩による加持祈祷の行としてなされたものであるが、被告人の右加持祈祷行為の動機、手段、方法およびそれによつて右被害者の生命を奪うに至つた暴行の程度等は、医療上一般に承認された精神異常者に対する治療行為とは到底認め得ないというのである。しからば、被告人の本件行為は、所論のように一種の宗教行為としてなされたものであつたとしても、それが前記各判決の認定したような他人の生命、身体等に危害を及ぼす違法な有形力の行使に当るものであり、これにより被害者を死に致したものである以上、被告人の右行為が著しく反社会的なものであることは否定し得ないところであつて、憲法二〇条一項の信教の自由の保障の限界を逸脱したものというほかはなく、これを刑法二〇五条に該当するものとして処罰したことは、何ら憲法の右条項に反するものではない。これと同趣旨に出た原判決の判断は正当であつて、所論違憲の主張は採るを得ない。

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傷害致死 最高裁判所大法廷 昭和38年5月15日 (PDF) (加持祈祷事件)



 「性自認」や「性的指向」という思想を動機とする個々人の行動の自由がどこまで許されるかは、この「信教の自由」における「宗教的行為」の限界の事例を参考として導き出すことが可能である。

 

信教の自由(日本国憲法) Wikipedia



 下記の事例についても、同様の形で整理することができると考えられる。


手術せずに性別変更を 浜松の鈴木さんが家裁申し立て準備 2020年12月31日

手術せず「俺」になりたい 男性への性別変更申し立てへ 2021年8月3日

戸籍上の性別変更を申し立て 手術せず、静岡家裁支部に 2021年10月4日

戸籍を「男性」に変更、手術なしで認めて 家裁支部に審判申し立て 2021年10月5日

 

オペなしで!戸籍上も「俺」になりたい裁判 (訴訟資料)


 本人の「内心の自由」については絶対保障である。しかし、法律上の区分を確定する際や、「内心の自由」を動機とした本人の行為・行動・活動については制約を受けることとなる。




「内心の自由」に関わる類似した例

 「性自認」や「性的指向」という思想や感情に類似するものとして下記を挙げることができる。


分類方法


◇ 年齢自認


 「永遠の18歳」

【参考】
「自認すれば14歳でも20歳」 Twitter (婚姻適齢の要件を通過できてしまう)

【参考】「トランスエイジして『トランス20才』」 Twitter

【参考】「生物学的に10歳の子供も心が20歳であればオリンピックに出場できなければおかしい」 Twitter

【参考】「自分は本当は9歳で、」 Twitter

【参考】「この犯行が「トランスエイジ」自認の二十歳以上の人によるものだったら「未成年」と認められて罪状軽くして貰えるの?」 Twitter

【動画】【トランスエイジ】なぜ年齢ありき社会に?自認する心の年齢って何だ?非公表の若新雄純と考える|アベプラ 2023/05/04

 


◇ 精神年齢


「心は少年」

「思考がおじいさん」
「見た目は子供、頭脳は大人。」

「一生青春」

 


◇ 肌年齢

 
「肌年齢は実年齢よりも20歳若い」


【参考】肌年齢を若くする方法とは?測定方法やチェックの仕方についてもご紹介! 2020.07.06



◇ 内臓年齢

 
【参考】検診数値で「内臓年齢」をチェック!



◇ 国籍自認

 
「日本人だが、心はアメリカ人」 

【参考】「アメリカ国籍の真鍋教授。 こういった時だけ『日本人』とする日本社会。」 Twitter



◇ 貴族自認


憲法14条2項「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」



◇ 臣民自認


【動画】講師:作家 竹田恒泰 氏/テーマ:「日本を楽しく学ぼう」(公家の政権700年)【第2期まなびと夜間塾開講講座】 2021.2.19



◇ 心の人種


「アフリカの音楽に反応する」



◇ 宇宙人自認

 

【参考】自身をエイリアンと見なす地球人、増加中 2023/03/16



◇ 神自認

 
【参考】「神自認も性自認もその内容は変わらない」 Twitter 

 



 

【参考】「LGBTは自己申告なので第三者からの否定は難しい」 Twitter



◇ 人のタイプ

 

【参考】個性心理學

【参考】人の性格は4タイプ!相手がどれかを見抜けば商談はうまく行く 2019.7.23

【参考】「9つの性格タイプ」あなたに当てはまるのはどれ? 仕事や人生が不調な原因もこれでわかる 2020-08-18



◇ 〇〇系

 

【参考】あなたは何系女子…?性格傾向がわかる【性格診断チャート】

【参考】あなたは何系女子診断!心の中の〇〇系女子がまるわかり!

【参考】あなたは何系女子? 〇〇系女子診断! 2017/05/01

【参考】肉食系草食系 Wikipedia

【参考】文系と理系 Wikipedia



分類方法に従った行為の限界

 

 自身の信じる「年齢自認」や「精神年齢」を基にして生活する自由は、内心に留まる限り絶対的に保障される。

 しかし、生物学的な年齢が20歳を超えていないのであれば、たとえ「年齢自認」や「精神年齢」が20歳を超えているとしても、飲酒、喫煙は禁じられる。


【参考】未成年者飲酒禁止法

【参考】未成年者喫煙禁止法


 選挙権、被選挙権の有無も、生物学的な年齢に基づいて判断される。



 誰でも「身長自認」を基にして生活する自由は、内心に留まる限りは絶対に保障される。

 しかし、生物学的な身長が一定を超えていないのであれば、たとえ「身長自認」がそれを超えているとしても、アトラクションの利用は制限される。

 

【参考】アトラクション利用について

【参考】アトラクション一覧

【参考】身長制限や年齢制限のあるアトラクションはありますか?

【参考】アトラクションになぜ身長制限が必要なのか 2020-02-06



 誰でも「東大卒」を自認しながら生活する自由は、内心に留まる限りは絶対に保障される。

 しかし、「東大卒」を自認する者も、正式な形で東大を卒業した経験がないのであれば、社会生活において企業等に履歴書を提出する際には、学歴詐称とならないようにする必要がある。


 同様に、「ジェンダー」は多様であるとしても、「生物学的な性別」は男女に限られる。
 

【参考】「私も男が女になれるという宗教を信じていないから、そう信じたい人は信じてればいいけど、」 Twitter

【参考】「個人が信じるのは宗教の自由ですが、まわりに強制することはできません。」 Twitter

 

【動画】性自認の法制化等についての4団体の共同声明【討論学習会編】 2021/11/29

 


 「内心の自由」を動機とする行為の限界は、「表現の自由」と刑法130条の「住居侵入等」に関する判例の基準も参考になりそうである。


【動画】九大法学部・憲法2(人権論)第10回〜「公務員の政治的行為の自由」・2021年度後期 2021/11/13

住居侵入被告事件 最高裁判所第二小法廷 平成20年4月11日 (PDF





「内心の自由」を尊重する方法


 「多様な性」という本人の価値観をどのように尊重するべきかについては、下記の事例が参考になる。



判例


◇ 神戸高専剣道実技拒否事件


神戸高専剣道実技拒否事件 Wikipedia

進級拒否処分取消、退学命令処分等取消  最高裁判所第二小法廷  平成8年3月8日 (PDF



◇ エホバの証人輸血拒否事件


エホバの証人輸血拒否事件 Wikipedia

損害賠償請求上告,同附帯上告事件 最高裁判所第三小法廷  平成12年2月29日 (PDF) 



私企業での扱い方

 私企業が思想によって異なる取扱いをすることが許される場合があることについて、下記の判例がある。

 

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思想・良心の自由の保障

 

……(略) ……


沈黙の自由

……(略)……

私企業が従業員の採用にあたって志願者の思想やそれに関連する行動を調査することについては、私人相互間での憲法第19条の適用も含めて論争がある[13]。三菱樹脂事件で最高裁は憲法第19条の規定等について「私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」とし「企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであって、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない」と判示した(最判昭和48・12・12民集第27巻11号1536頁)。

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思想・良心の自由 Wikipedia (下線は筆者)


労働契約関係存在確認請求  最高裁判所大法廷  昭和48年12月12日

 

三菱樹脂本採用拒否 昭和48年12月12日

【動画】九大法学部・憲法2(人権論)第7回〜「権利の妥当範囲」・2021年度後期 2021/10/25 ➀

【動画】九大法学部・憲法2(人権論)第7回〜「権利の妥当範囲」・2021年度後期 2021/10/25 ②

【動画】【司法試験】2022年開講!塾長クラス体験講義 体系マスター憲法4-6~伊藤塾長の最新講義をリアルタイムで体験しよう~ 2022/2/8

 





「内心の自由」と「政教分離」

 「『キリスト教』『イスラム教』『仏教』『神道』などを信じなければならない」とする法律を立法することは、憲法19条の「思想良心の自由」、20条1項の「信教の自由」、20条1項・3項、89条の「政教分離原則」に抵触して違憲となる。


 また、法律によって「ハラール食品推進法」や「ハラール食品理解促進法」を制定した場合に、それは「イスラム教」という特定の価値観を国家が援助、助長、促進していることになる。

 これについても、憲法20条1項後段・3項、89条の「政教分離」に違反して違憲となる。

 

【参考】外務省員の声 第四話 ハラール食品 平成30年10月1日

外務省員の声 第四話 ハラール食品 平成30年10月1日)




憲法19条「思想良心の自由」、20条1項前段「信教の自由」との関係

 これと同様に、「性自認」や「性的指向」という観念を信じなければならないとする法律を立法することは、憲法19条の「思想良心の自由」、20条1項前段の「信教の自由」に抵触して違憲となる。

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思想・良心の自由の保障

特定の思想の強制の禁止

国が特定の思想を強制し勧奨することは憲法19条によって禁じられる[8]。

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思想・良心の自由 Wikipedia (下線は筆者)

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○大出政府委員 最初に、憲法の定める信教の自由の内容についてということに関連した御質問であったわけでありますが、憲法二十条で保障する信教の自由の内容としては、一般に、信仰の自由宗教上の行為の自由、そして宗教上の結社の自由というようなものが含まれているというふうに理解をいたしておるところであります。

 まず、そのうちの信仰の自由ということでありますが、一般的に申し上げますというと、信仰の自由とは、何らかの宗教を信仰しまたは信仰しない自由を意味しておるということだろうと思います。したがいまして、信仰を有する者に対して、その信仰の告白を強制することその信仰に反する行為を強制すること信仰を有しない者に対して何らかの宗教を信仰するように強制することなどは許されないというふうに解されるところであります。

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第134回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成7年10月12日


「裁判官田中耕太郎の補足意見」

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……(略)……憲法の規定する思想、良心、信教および学問の自由は大体において重複し合つている

 要するに国家としては宗教や上述のこれと同じように取り扱うべきものについて禁止、処罰、不利益取扱等による強制特権、庇護を与えることによる偏頗な所遇というようなことは、各人が良心に従つて自由に、ある信仰、思想等をもつことに支障を招来するから、憲法一九条に違反するし、ある場合には憲法一四条一項の平等の原則にも違反することとなる。憲法一九条がかような趣旨に出たものであることは、これに該当する諸外国憲法の条文を見れば明瞭である。

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謝罪広告請求  最高裁判所大法廷 昭和31年7月4日 (PDF


 このように、国家として「多様な性」という価値観に対して関与することは、「各人が良心に従つて自由に、ある信仰、思想等をもつことに支障を招来するから、憲法一九条に違反する」ことになる。

 また、このような措置は他の価値観を抱く者との間で「憲法一四条一項の平等の原則にも違反する」ことになる。

 

【参考】「性自認が性別を決定するという思想」 Twitter 

【参考】「性自認によって性別が決まるというイデオロギー」 Twitter

【参考】「性自認で性別を決められるという思想自体を受け入れない自由もある」 Twitter

【参考】「性自認は認めない自由もある」 Twitter

【参考】「心理上の問題を性別に転嫁するのは如何なものでしょう」 Twitter

【参考】「思想のひとつとしては面白いかもしれないが、トンデモ似非科学を社会システムとして法制化することが間違っている。」 Twitter

【参考】「ジェンダーは生物学的性別でなく、文化的に作られた性別ステレオタイプ」……「ステレオタイプに依存する性別意識を法の基準にするのは如何なものでしょうか?」 Twitter


【動画】第19回〜「思想・良心の自由」 2022/01/24




憲法14条「平等原則」との関係

 憲法14条の「平等原則」は、「
法的な差別取扱いを禁止する趣旨のもの」である。

 

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 1 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)

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損害賠償請求事件  最高裁判所大法廷 平成27年12月16日 (PDF) (再婚禁止期間違憲訴訟)


 よって、「法的」でないものについては14条の「平等原則」の対象外の事柄である。

 そのため、「法的」でないものについては、14条の「平等原則」を根拠として差別取扱いを禁止するように求めることはできない。


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 だって日本は多様性のある社会ですから、様々な思想、宗教、信条を持つ人、また性的指向も持つ人がいます。

 そしてそういう思想・宗教・信条は、最初から他者への差別を内包しています。


 だって「自分の思想は正しい」「自分の神が正しい」と信じる人からすれば、自分の神以外の神を信じる人や、自分の思想に同調しない人は、必然的に差別せざるを得ないからです。


 そしてその「差別」を禁じるとなると、今度は思想・宗教・信条の自由は勿論、言論・出版の自由など、基本的人権が全面的に蹂躙される事なるからです。

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 しかしこれは特定の集団の主観により、他の人々を内面の自由を侵害するという事です。

 それで法を作って差別禁止をしようとすれば、前記のように非常にアンフェアな形で宗教弾圧を行う事になるし、なにより国家権力で内面の自由を侵す事になります。

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差別と感じるから差別? 野田聖子・LGBT 2021-05-25

 

【参考】「社会が内心に干渉したら、魔女狩りが起こります。」 Twitter 


 「法」と「道徳」の違いについて、下記を挙げる。

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 その第一の差異 まず道徳との区別のある第一の点は、道徳は人間の心までをも支配する、単に外部に現れた行為のみならず、少しも外部に現れない心の働きについても支配するところの法則でありますが、法律はこれに反して単に心の働きにのみ止まって少しも外に現れない心理作用については、更に関係する所がない。法律はただ外に現れた行為をのみ支配するもので、心の働きが外部に対する行為として現るるに至って、初めて法律の支配する所と為るということが道徳との違う一つの点であります。

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憲法講話 (岩波文庫) 美濃部達吉 2018/11/17 amazon (P411~412) (太字は筆者)


【参考】憲法講話 美濃部達吉 国立国会図書館デジタルコレクション (P481)


【動画】
LGBTの「理解増進」強要は憲法違反でしょ!尊重されるべきだが、理解を強いるのはダメ!その理由をお話しします。|竹田恒泰チャンネル2 2023/05/29

【動画】【スペシャルゲスト登場】異色の弁護士・星野峻三先生と徹底議論!ここまで喋って大丈夫?LGBT理解増進法、最高裁の判例が今後の社会に及ぼす影響は? 2023/08/12

 
 このように、法は個々人の「内心の自由」を侵害することはできない。
 個々人の「内心の自由」を侵害するような立法については、憲法14条の「平等原則」を根拠として正当性を主張することはできない。




憲法20条1項後段・3項、89条の「政教分離原則」との関係


 また、国家が生物学的な性別の概念を離れた「多様な性」という特定の価値観を保護しようとしたり、「性自認」や「性的指向」という思想、信条、信仰、感情を取り上げた法律を制定することは、「多様な性」という特定の価値観を信じる者を援助、助長、促進することになる。

 これは、憲法20条1項後段、3項、89条の「政教分離原則」に違反する。


憲法

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〔信教の自由〕

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

〔公の財産の用途制限〕

第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対しこれを支出し、又はその利用に供してはならない。

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○阪田政府参考人 まず第一点でありますけれども、政府として今御指摘のようなことを考えているというわけではございませんので、具体的には大変お答えがしにくいわけでありますけれども、したがいまして、あくまでも一般論として申し上げるということになろうかと思いますが、宗教上の儀式、行事あるいはその他の宗教的な活動を行うことを本来の業務とするような法人、こういったものを国が設立するということは、そのこと自体が憲法二十条三項で禁止されております国が行う宗教的活動に該当する、したがって到底許されないというふうに考えております。

(略)

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第146回国会 衆議院 厚生委員会 第4号 平成11年11月16日

 

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心に性別など無いとする人間がいる中で心に性別があるとする人間に対して国が何かをするのは、無い派からすればふざけるなって話。

それこそ一部のカルトを優遇するのと一緒。

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Yahooコメント

 

【参考】「ジェンダーアイデンティティは「内心の自由」の範囲で――ちょうど他者の信仰のように――相互に尊重すべき信念ですが、社会のルールの基盤とすべき客観的事実ではありません。」修正済み)  Twitter

【参考】「ジェンダー・アイデンティティを「反証可能性のない」(cf.ポッパー)――したがって非科学的な――概念だと喝破。」 Twitter

【参考】「「心の性」としても語られるジェンダー・アイデンティティは、宗教の教義(ドグマ)のようなもの。」……「それに基づいて公共社会のルールを作ろうとすることは論外。」 Twitter

 

 (法規範と、道徳規範、宗教規範、社会規範とを区別するべきことについて)

 

【動画】2023年度前期・九大法学部「法学入門」第2回〜法とは何か 2023/04/25 



<理解の補強>


「心の性別」の神話ーー性別、ジェンダー、GID 2022年10月14日

トランス問題をどのように考えるべきか ――最初の一歩―― 2022年11月28日

すべての国会議員のみなさまへの緊急の訴え LGBT法案の今国会での制定を急がず、国民的な議論を喚起してください  2023年5月30日

「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」の成立にあたって 2023年6月18日

「性同一性障害特例法を守る会」設立趣意 2023年7月11日

性同一性障害ってなに?

性同一性障害ってなに? 2023年8月2日)

フェミニズムからトランスジェンダリズムへ――キャサリン・マッキノンとその政治的移行 2023年10月14日

 

 


「多様性」というコトバで混乱しないために 2018/08/16

「多様性の尊重」というスローガンは捨てた方が良い件 2020年9月20日

【動画】【多重人格】記憶の共有は?自在に交代も?周囲どう理解?解離性同一性障害とは?70~80人の人格がある当事者に聞く|アベプラ 2023/09/22





心理特性の分類法

 心理特性を分類する方法には、いくつかの方法がある。ただ、これらは法律上の区分ではなく、内心の問題である。



「LGBT」分類法


セクシュアリティーマップ

「バリエーションが多い」 Twitter


 「性自認」と称しているもの   ⇒ 「内心の自由(19条等)」に属する問題である。

 「性的指向」と称しているもの  ⇒ 「内心の自由(19条等)」に属する問題である。

 「性表現」と称しているもの   ⇒ 「表現の自由(21条1項)」に属する問題である



 「LGBT」分類法における「性自認」を理解するために、注意するべき点がある。


 そもそも「性自認」が「男性である」あるいは「女性である」という基準そのものが、生物学的な「男性」の多数派が有する内心(心理)に近い方を「性自認における男性」と分類し、生物学的な「女性」の多数派が有する内心(心理)に近い方を「性自認における女性」と分類しているだけのものでしかないことである。


 「性自認」という概念は、もともと生物学的な「男性」と「女性」の区分が存在することを前提とし、その「生物学的な性別」の分類に従って区分けされた「男性」や「女性」の多数派の有している内心(心理)を基準(スタンダード)とした場合に、その基準に依存した形で、具体的な個々人の内心(心理)の特性を分かりやすく示すために「性自認」としては「男性」や「女性」のどちらの傾向があるかという視点から便宜的に設定された分類ということである。

 

 この議論は、特定の「ホルモン」について「男性ホルモン」や「女性ホルモン」という名前で呼ばれている経緯にも近いものがある。

 「男性ホルモン」と呼んでいるものも、生物学的な「男性」の体内に多く存在し、身体に男性的な特徴を発現させる機能を持つホルモンに対して名前を付ける際に、「男性ホルモン」と呼んでいるだけのものである。

 突き詰めれば、「ホルモン」そのものは単なる化学物質でしかないのであり、「男性」でも「女性」でもないものである。

 生物学的な「女性」であっても、体内には「男性ホルモン」と呼ばれている化学物質を一定量は有している。

 そのため、「ホルモン」そのものを突き詰めても、そこから「男性」や「女性」という基準となるものを導き出すことはできないのである。


 また、「女性活躍政策」において「職場にも女性の視点が求められる」という場合には、生物学的な「女性」そのものが求められているわけではなく、「女性」の多数派が有する感覚や価値観が求められていることを意味していることが多い。

 しかし、突き詰めれば、その感覚や価値観を生み出すその人の頭の中の脳そのものに「男性」も「女性」もないのである。


 同様に、もともと「男性」や「女性」という区分は、人間の生物学的な分類のことを示す基準であり、この分類に従って区分けされた「男性」や「女性」の多数派の有している内心(心理)を基準(スタンダード)とした場合に、その基準に依存した形で、具体的な個々人の内心(心理)の特性を分かりやすく示すために「性自認」における「男性」や「女性」などと便宜的に分類しているだけである。

 「社会生活を送る中で個々人の心理特性を『性自認』が『男性』あるいは『女性』という形に整理して表現することが有用ではないか」という一つの価値観に基づいて分類しているに過ぎないものである。


 このような経緯から、「性自認」とは、「生物学的な性別」における多数派の有している内心(心理)を基準となる指標(始点)として分類している時点で、もともと極めて相対的な概念として形成されているものにすぎない。
 生物学的な「男性」や「女性」の多数派の有する内心を基準として考えることを離れて、「性自認」そのものに独立した絶対的な基準となるような判断要素となるものは存在しない。


 そのため、「性自認」をいくら突き詰めても、そこから「男性」や「女性」という絶対的な基準を見出すことはできないのであり、「性自認」そのものは突き詰めれば「男性」でも「女性」でもないのである。

 厳密には、個々人の内心(心理)そのものに「男性」や「女性」という区別はないということである。

 このことから、「LGBT」分類法における「性自認」が「男性である」あるいは「女性である」という分類を用いた時点で、多数派の内心(心理)を基準となる指標(始点)として事象を捉えようとしている点で、既に多数派を基準として考え、少数派をそれ以外のものとして扱おうとする優劣関係が含まれていることになるのである。

 




 上記のように、「LGBT」分類法は、「生物学的な性別」である「男性/女性」の区分を「ジェンダー」に属する個々人の内心に持ち込んで論じようとする点で議論を混乱させる原因となるし、分類方法そのものに優劣関係が含まれていることによる弊害が存在する点で、適切な方法であるとは言えない。


 この問題を解消するためには、下記のような分類を用いることが有用である。



「ますらお・たおやめ型」分類法


 合唱を歌う際に分類される音域がある。


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 (高音) ← ソプラノ  アルト  テノール  バス → (低音)

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 一般に「ソプラノ」と「アルト」は女性が歌い、「テノール」と「バス」は男性が歌うことが多い。

 しかし、声変わりしていない男性が「アルト」を歌うことはよくあることであるし、中には「ソプラノ」を歌える男性もいる。

 また、女性でも「テノール」や「バス」を歌える人もいるであろう。

 このように、多数派の男性が「テノール」と「バス」を歌うとしても、「アルト」や「ソプラノ」を歌う男性もいるのである。


 これと同様に、生物学的な「男性」や「女性」の多数派が有している心理特性と、個々人の心理特性が異なるタイプであることは普通のことである。

 ただ、その心理特性を「男性」や「女性」と表現することは妥当でない。音域の「ソプラノ」や「バス」などと同様に、別の表現に置き換えて考えるべきである。

 「ジェンダー」を表現する際に、生物学的な性別を意味する「男性」や「女性」という表現を用いると、混乱を招くことになるため注意する必要がある。

 

 心理特性を表現するために、「ますらおぶり」や「たおやめぶり」の表現を参考として独自に新しく分類すると下記のようになる。


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 ← たおやめ型  ますらお型 →

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 「ますらお型」であるか「たおやめ型」であるか、また、「好む相手のタイプ」の分類は便宜的に用いられているものに過ぎない。自らをこの分類に当てはめなければならないわけではない。

 これらはすべて「思想良心の自由(19条)」の範囲内の問題であり、この分類を信じないことも自由である。


 ・「ますらお・たおやめ型」     ⇒ 「内心の自由(19条等)」に属する問題である。

 ・「ますらおぶり・たおやめぶり」  ⇒ 「表現の自由(21条1項)」に属する問題である。



【参考】
「メイクやスカートは女性である根拠にならないし、バイクに乗ったり筋トレをすることは男性である根拠にはならない。」 Twitter

【参考】「性別は身体のみであり、不要な性規範・性偏見は解体を目指すべし」 Twitter

【参考】「性別という身体の科学的区分に、百人百様自由な主観や服装などの趣味嗜好、おしとやかさなどのふるまいを結びつける科学的根拠はありますか?」 Twitter

 

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根源的な疑問なんだけどさ。

 

仮に無人島で一人で暮らしていて、誰とも会ったり比較し合ったりしない場合、その人が自分の心と体の性が一致しないと悩むことはあるんだろうか?

 

自分一人だけで比較対象が他になかったら、自分の身体が男なのに心は女、みたいなことに悩んだりしないのでは?

 

自分にイチモツがあったとして、そのイチモツに違和感を覚えたりするのって単に「後天的に他の人たちから影響を受けたから」ではないのか?

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Yahooコメント



◇ 「男性・たおやめ型」について

 

【参考】「『かわいいものやスカートが好きな男』なんだけど」 Twitter

【参考】「ただの髪が長い男で、化粧をしている男で、スカートやワンピースを着ている男なんだよ」 Twitter 

【参考】「多様性ある男性の一類型」 Twitter

【参考】「男性のまま化粧もスカートも楽しめる社会になるべき」 Twitter 

【参考】「多様な女性を認めましょう、ではなく、多様な男性を認めるべきなんだよね。」 Twitter

【参考】「そも、トランス女性とは、性別男の中の多様性だから。」 Twitter



◇ 「女性・ますらお型」について

 

【参考】「生物学上女だってバリカンで剃ったっていい」 Twitter



 このように、「ジェンダー」については、「性別」の概念を用いて類型化を試みることは適切ではなく、「型」や「系」などを用いて一つの個性の形として捉えることが適切である。(ジェンダー・タイプ論)

 

 表現の一つとして、下記の表現も考えられる。


・ATジェンダー (アンドロゲン・テストステロン ジェンダー)

・EPジェンダー (エストロゲン・プロゲステロン ジェンダー)



 人類は必ず「二人一組」の関係を形成するという性質のものではないが、「ますらお・たおやめ型」分類法に従って「二人一組」の形で組み合わせた場合は、下記のようになる。

 




 この分類に当てはまる事例を下記で取り上げる。

□ ➀の「異性別/異型」の事例


 最も多数派とされている組み合わせである。


□ ②の「異性別/異型」の事例と思われる。


「25歳くらいの時にフィリピン人のトランス女性と交際をして、」

陳述書 2021年10月4日



□ ③の「異性別/同ますらお型」の事例と思われる。

 

「2人とも自認する性は男性で、性的指向も男性に向いている。」

「レイさんは女性の体で生まれて今は男性として生きる「トランスジェンダー」だ。」

僕たち、ゲイだけど結婚しました…あるカップルが問う「男女」「夫婦」【WEB限定】 2021年5月29日

 

戸籍上は男女…心は「同性カップル」の2人 家族の反対や世間の目を乗り越え結婚 北海道札幌市 2021/9/22

 この記事には、「ある『同性カップル』を取材しました。」との記載があるが、ジェンダー(gender)は同じであると述べるものであるが、性別(sex)は異なっていることに注意が必要である。「ますらお・たおやめ型分類法」によれば、「異性別/同ますらお型」である。



□ ④の「異性別/同たおやめ型」


□ ➄の「同男性別/異型」の事例


□ ⑥の「同男性別/同ますらお型」の事例


□ ⑦の「同男性別/同たおやめ型」の事例


□ ⑧の「同女性別/異型」の事例と思われる。

 

「何も間違っていない」2人が選んだ道 戸籍上は他人…でも“新婚”カップル 2019/1/20

「戸籍上は女性のトランスジェンダー男性とパートナーの女性」

「異性愛カップルなのに結婚できない」トランスジェンダー男性らのカップルが同性婚訴訟で提訴へ 2020年2月13日

 

「女性として生まれているが心は男性として、男性として今は、パートナーと一緒に生活している」

石川県金沢市パートナーシップ宣誓制度開始 "第1号"のカップルが会見で思い語る 2021.7.1

 

「自分を女の子と思ったことはない」…戸籍上は「女性」のカップルに密着 浜松市のパートナーシップ宣誓制度第1号 2020-10-25



□ ⑨の「同女性別/同ますらお型」の事例


□ ⑩の「同女性別/同たおやめ型」の事例




■ 個別の事例

 

同性婚は同性カップルだけの問題じゃない。トランスジェンダーの人にとっても重要な理由 2021年07月07日

一例目は、⑧の事例と思われる。

二例目は、③の事例と思われる。

三例目は、④→⑩の事例と思われる。


「家族であり続けたい」結婚20周年の2人が、国を提訴すると決めた理由 2020年5月8日

④→⑩の事例と思われる。
 ただ、性別変更していない側の女性は、下記の可能性がある。

・「異性別同型愛者」から「同性別同型愛者」に変わった

・心理的個性を重視し、性別を問わない者である

・性別も心理的個性も問わない者である

 

20211004 申立書 / 家事審判申立書 (性別の取扱いの変更) 2021年10月4日 PDF (P41)

オペなしで!戸籍上も「俺」になりたい裁判

【ⅰ】の事例は、③と④に該当する。

【ⅱ】の事例は、②に該当する。

 


 「ますらお・たおやめ型」分類法に従って「三人一組」の形で組み合わせた場合は、下記のようになる。
 



 

【参考】タイ、男3人で同性婚ならぬ『3人婚』挙式が話題に 2015/02/19

【参考】ゲイ男性が「3人」で同性婚!南米コロンビアにて 2017/06/14

【参考】コロンビアで男性3人が「結婚」、初めて法的に認められる 2017年6月16日



 ただ、いくら「ますらお・たおやめ型」分類法を用いたとしても、これらはすべて「思想良心の自由(19条)」などの「内心の自由」に属する問題である。

 これはまとまった形で提示される一つの思想の形に過ぎず、分類横断的な価値観も存在するだろうし、この分類方法とそれ以外の思想との間で明確な区別ができるという性質のものではない。

 そのため、これらの「内心の自由」に属する問題は法律論として扱うことはできない。




「SRGM」分類法


 「SRGM」という分類を使う者もいるようである。


SRGMとは?





注意するべき用語


「生物学的な性別」と「ジェンダー」の混乱

 「性的マイノリティ(性的少数者)」という言葉が使われることがある。

 しかし、これは「ジェンダー・マイノリティ(ジェンダーの少数者)」と言うことはできるとしても、個々人はすべて「生物学的な性別」そのものは「男性」か「女性」かのいずれかに該当するため、「生物学的な性別」の区分においてはマイノリティ(少数派)とは言えない。

 この点に注意が必要である。


 下記の資料も「性的マイノリティ」という言葉を用いているが、「ジェンダー・マイノリティ」のことである。

 

性的マイノリティの権利保障をめざして ―婚姻・教育・労働を中心に― 日本学術会議 2017年9月29日 PDF


 下記の記事は、「ジェンダー・マイノリティー」という言葉を用いており、「生物学的な性別」と区別して認識しやすい点で正確である。 

 

男女格差、差別解消に注目 「ジェンダー・マイノリティー」分野で若者世代 2021/10/25

 


二つの定義による混乱

 「性的指向」と呼んでいるものには、定義が二種類ある。


◇ 定義 A

 身体的性別が異なる者を愛する場合を「異性愛」、身体的性別が同じ者を愛する場合を「同性愛」と考える。


【参考】LGBTの現状と課題 ― 性的指向又は性自認に関する差別とその解消への動き ― 中西絵里 PDF


◇ 定義 B

 「性的指向」は「性自認」との関係で定義され、身体的性別が男性で性自認が女性の者が男性を愛する場合には「異性愛」と考える。

 

【参考】性的マイノリティの権利保障をめざして―婚姻・教育・労働を中心に― 日本学術会議 2017年9月29日 PDF

 



 

【参考】「性自認主義は同性愛の定義とも反発するものであり併記困難」 Twitter 


 このような複数の定義による混乱を回避するために、「ますらお・たおやめ型」で表現すると分かりやすい。



〇 個別の事例


 以下、「同性パートナーにも犯罪被害の遺族給付金を」訴訟における双方の主張から、「定義 A」と「定義 B」の混同を確認する。

 

控訴理由書 (P16~18)

【事例1】

 「男性・たおやめ型」(A)と「女性・たおやめ型」(B)に該当し、上図の④にあたる。

 この資料では、(A)を「同性愛者」としているため、「定義 B」を用いていることになる。

 しかし、「定義 A」を用いた場合には、「異性愛者」となる。


【事例2】

 「男性・たおやめ型」(C)と「男性・ますらお型」(D)に該当し、上図の⑤にあたる。

 この資料では、(C)を「異性愛者」としているため、「定義 B」を用いていることになる。

 しかし、「定義 A」を用いた場合には、「同性愛者」となる。



◇ この資料の内容は、「性愛」に基づいて形成された人的結合関係を法的に保護すべきであるとの主張であるが、「性愛」という思想や感情は法の関知していない部分であることに注意が必要である。また、人類は必ず「二人一組」を形成するとの前提も存在しないにもかかわらず、それを前提とする主張となっていることにも注意する必要がある。

 

◇ この資料では、【事例1】と【事例2】について、「犯罪被害者給付金の対象」となるか否かの差異が取り上げられている。

 しかし、三人以上で共同生活を営む男女についても、そのうちの「男女二人一組」が「婚姻」をした場合には、その他の者との間で「犯罪被害者給付金の対象」となるか否かの差異が生じることとなる。

 論者は「カップル」という法律上存在しない言葉を用いることによって、「二人一組」に限定した形で比較対象として取り上げているが、法律上で想定し得る人的結合関係はそれ以外の組み合わせも様々に存在する点を考慮していない点で適切でない。(『カップル信仰論』となっている。)

 また、法律上の制度は、立法目的を達成するためのに予め枠組みが定められているのであり、それに当てはまる者は対象者となり、それに当てはまらない者は対象者とならないという差異が生じることは当然に予定されている。

 その点、要件に含まれている婚姻制度が構築された立法目的との整合性を検討しないままに、論者の論じたい比較対象のみを取り上げて不合理な差異が生じていると説明しようとしているが、比較対象の選択が恣意的なものと言わざるを得ない。



第8準備書面 PDF (P3)

 「同性愛は、性愛の意識が同性に向かうものであり、異性愛は性愛の意識が異性に、両性愛は双方に向かいうるものである。」との記載がある。

 これは、「定義 A」を用いる主張である。



被控訴人第6準備書面 PDF (P5)

  「この点、本件別異取扱いにより同性愛者と異性愛者との間で性的指向による差異が生じる点で、」との記載がある。

 これは、「定義 A」を前提とする記述であるように思われる。



 このように、原告は「定義 B」と「定義 A」の両方を用いており、「国(行政府)」は「定義 A」を用いている点で、混乱が生じている。

 ただ、これらはいずれも「内心の自由」に属する問題であり、法律の関知していない部分であることに注意が必要である。





訴訟の論点

トイレ使用の訴訟


【判決】行政措置要求判定取消、国家賠償請求事件  最高裁判所第三小法廷 令和5年7月11日 (PDF


【動画】経産省トランスジェンダー職員のトイレ使用制限、最高裁が違法判決を出した件 最高裁判決文を読みます 2023/07/12


 この判決では「女性として」という文言が出てくるが、この文脈においてこの意味は身体的な基準を意味する「性別」について述べるものではなく、「ジェンダー」について述べるものである。

 これは、当サイトでいう「たおやめ型」、あるいは、「たおやめぶり」にあたるものである。

 よって、これについて「女性」という身体的な基準を意味する「性別」の概念を用いて説明しようとしていることは妥当でない。


 この判決のように「ジェンダー」の傾向について「男性」や「女性」という言葉を用いて説明することは、根本的に「短髪は男性でしかあり得ない」や「スカートは女性しか履かない」というような特定のジェンダー観による決めつけを基にして説明を試みるものである。

 これは、その決めつけによるジェンダー観(ジェンダー・ステレオタイプ)を助長し、それに適合しない者をすぐさまに通常とは異なった「トランスの人」というレッテルを貼ることに繋がるものであり、「トランスの人」と「それ以外の人」というような境界線を設ける意識を前提とするものであるから、不適切である。

 単に、「男性」であっても「ますらお型」や「たおやめ型」の傾向、あるいは、「ますらおぶり」や「たおやめぶり」な傾向の個性を持った人がいるというだけのことであり、それ以外の者ではないのである。


 これを超えて、自己の身体の性器を変更することを望む強い意思を有する者については、外科的な手術を経るなどの一定の要件を満たした上で性別変更の手続きを行うことを可能とし、別の性別(身体的な性別)へと変わったものとみなすことを可能としているだけである。

 それにもかかわらず、身体的な事実に基づく「性別」の概念を、自己の感覚という内心に関することや身なりなどの表現に関することを説明するための基準として用いることができるかのような前提の下に「女性として」という文言を使っていることは、「性別」という概念について正確に理解するものではなく適切であるとはいえない。


 そして、「男性トイレ」「女性トイレ」という区別は、身体的な性別の基準における区別を前提とするものであり、「ジェンダー」の区別に基づいて設けられている設備ではない。

 そのため、如何なる「男性」(身体的な意味)でも「男性トイレ」を利用することができるのであり、当然、本人が「ますらお型・たおやめ型」や「ますらおぶり・たおやめぶり」のどの傾向であるかは関係がない。

 また、如何なる「女性」(身体的な意味)でも「女性トイレ」を利用することができるのであり、当然、本人が「ますらお型・たおやめ型」や「ますらおぶり・たおやめぶり」のどの傾向であるかは関係がない。


 それを超えて、新たに「ジェンダー」の区別に基づくトイレ(ますらおトイレ・たおやめトイレ)を設けるという方法そのものは考えられるとしても、身体的な区別に基づくトイレ(男性トイレ・女性トイレ)として設けられている以上は、その区別に従ったトイレ利用を行うことが必要である。

 

「医者の集まりに来たら瞬殺される。」…「トランス女性の定義、女性としての生活の定義を聞かれ・・どれも明確な定義がないことがわかり、定義のない言葉使ってでは議論ができないという結論にいたった」 Twitter



 この判決には「女性ホルモンの投与」との記載もあるが、科学的に見ればホルモンという化学物質そのものに「女性」という何らかの基準やラベルが存在するわけではないため、単に「エストロゲン」や「プロゲステロン」を投与しているだけのことである。

 そのホルモンを体内に得たからといって「女性」になるというわけではないし、「男性」であっても一定量はもともと体内に有している。

 

 このような科学的な事実の次元にある問題と、それに対してどのようなラベルを貼って説明するかという問題を丁寧に切り分けることをせずに、「女性ホルモン」というような「女性」という便宜的に用いられているラベルを貼ったままの言葉を使って説明を試みることは、適切であるとはいえない。


 このような説明は、書き手と読み手の間や、医学的な知識を持つ者と持たない者との間で同一の認識を共有することを困難とし、議論を混乱させる原因となりやすい。

 つまり、このような言葉を用いると、議論に参加しているそれぞれの者が有している医学的な知識のレベルによって、それぞれの者がその言葉に込められている前提となっている事柄に対する意味づけを読み誤って理解してしまい、それによってそれぞれの者の中で認識に齟齬が生じることになる。

 そして、それが表に出ないままに曖昧な状態で議論が進められ、判断の過程において論理的な筋道が十分に整理されないままとなり、その影響で誤った結論を導くことに繋がりやすい。

 そのため、主な論点として「性別」について取り上げられているこの判決の中で、このような科学的な事実の次元にある事柄に対してどのようなラベルを貼って説明するかという問題に関わって便宜的に「女性」という「性別」を示す言葉が使われているだけであることを踏まえずに、その「女性」という言葉を何らの疑問を持つこともなくそのまま用いて説明していることは、適切であるとはいえない。
 深く考えていない人であれば、「女性ホルモン」を投与していれば「女性」なのだろうと考える者もいるかもしれないが、医学的に見れば単に「男性」に対して「エストロゲン」や「プロゲステロン」を投与しているだけのことであり、その化学物質を投与したとしても「男性」であるという事実は変わらないのである。


 この言葉のトリックについてさらに検討する。

 「女性ホルモンを投与している男性です」と言われた場合に「女性ホルモンを投与しているならば女性トイレに入ってもいいのではないか」と感じる者もいるのかもしれないが、「エストロゲンやプロゲステロンを投与している男性です」と言われた場合には「ちょっと待てよ」と感じる者が増えることは容易に予想することができる。

 このように、同一の事柄を説明しているとしても、それに対して異なる感覚を抱き、異なる結論が導かれる理由は、科学的な事実に対してどのようなラベルを貼って説明するかによって、印象が操作されているからである。

 そのため、この訴訟についての最終判断として示されている判決の文面において、その訴訟に利害関係のある当事者が用いているこのような言葉のトリックがそのまま残った形で説明されていることは、この判決の内容が正しい結論を導き出しているはずであるとの確信を揺らがせ、その結論に対しても疑問や不信感を抱かせる原因となっている。


 上記の「女性ホルモン」の例は、「エストロゲン」や「プロゲステロン」という化学物質について「女性ホルモン」という言葉を使って説明することによって、「女性」という性別の者への親和性を高めようとする意図が含まれたものとなっている。

 この説明の仕方に含まれている言葉のトリックの種を解き明かすと、「女性」という言葉は身体の性器によって区別された概念であるにもかかわらず、これをあたかも体内における化学物質の量によって区別された概念であるかのように意味をすり替え、その体内における化学物質の量の共通性を基にした基準によって同一の取り扱いをするように求める主張となっているということである。

 分かりやすく言えば、「性別」に基づいて区別された「女性トイレ」という設備を、実質的には「ホルモン量」に基づく「エストロゲン・プロゲステロン トイレ」へと変更しようとしているのである。


 しかし、「男性トイレ」「女性トイレ」とは、身体の性器を基準として区別された設備であり、体内のホルモン量を基準として区別された設備ではない。

 「テストステロン トイレ」や「エストロゲン・プロゲステロン トイレ」という設備を新たに設けるという方法それ自体は考えられるとしても、「男性トイレ」「女性トイレ」として設けられている設備について、その基準を言葉のトリックによって変更することはできない。

 裁判所は「男性トイレ」「女性トイレ」という設備を、勝手に「テストステロン トイレ」「エストロゲン・プロゲステロン トイレ」へと変更する権限を有してはいない。

 これを押さえる必要がある。

 

ホルモン Wikipedia

ステロイドホルモン Wikipedia



 この判決は、女性に対して、女性トイレに「たおやめ型・たおやめぶりな男性」が入ることについて、研修を行うなど理解を求めるものとなっている。

 しかし、研修や理解を求めることの対象と方向性を間違えている。

 この問題は、男性に対して、男性トイレに「たおやめ型・たおやめぶりな男性」が入ることについて、研修を行うなど理解を求めることによって解決するものである。

 もともと男性トイレは、「たおやめ型・たおやめぶりな男性」を一切排除しておらず、完全に受け入れている。

 そのため、もし男性の中に「たおやめ型・たおやめぶりな男性」が男性トイレを利用することについて違和感を抱く者がいるとすれば、そのトイレはジェンダーに基づく「ますらおトイレ」ではなく、また、ホルモン量に基づく「テストステロン トイレ」でもなく、身体的な区別に基づく「男性トイレ」であることを確認し、その違和感を払しょくすることによって解決することが可能である。

 


【動画】LGBT法で身体上男性が女性スペースに入って来る!最高裁判決 2023/07/12

【動画】【LGBT法の影響か?】衝撃の最高裁判決。判決文を読み込んで見えた裁判官の進歩主義的な意識【経産省トランス女性トイレ利用裁判】  2023/07/12

 (この動画で『罪』という言葉が出てくるが、特定の宗教団体の用いる宗教的な意味であり、日本法における刑事法上の『有罪』の意味とは異なる点に注意が必要である。また、宗教的な価値観について触れているところは法的には関係がない。)

理解増進法が通ったら女装男が女子トイレにはいってくるというのはデマじゃなかったね 2023/7/12

 (この記事のTwitterの話は法律論ではないためここでは関知しない。判決が女性に対して研修を促している部分については、下記も参考になる。)

【動画】消され続ける女性たちの"NO"「差別」とされた声を聞く 2023/04/29

「"「再教育」として、考えに慣れるため(「生物学的男性」である )Lia Thomasの前で服を脱ぐことをコーチによって強制されていた" 「研修」。」 Twitter

解説漫画 Twitter

経産省トイレ裁判、裁判官は女性たちに何を求めるのか? 2023/7/12

2023/7/11 経産省トイレ利用制限訴訟判決について

 (2023/7/11 経産省トイレ利用制限訴訟判決について 2023年7月13日)

最高裁判決に対する疑問 2023-07-13

【動画】経産相トイレ判決 最高裁は女性と子供を守らない / 個別の判断と言うが 他の省庁のトイレも同様に扱われ 挙句の果てには… 2023/07/18

経産省トイレ判決 オウム事件の滝本太郎弁護士は「本音を隠しているかもしれない職員を無視」「日本は一周遅れの議論を必死で追いかけている」 2023年07月20日

 (経産省トイレ判決 オウム事件の滝本太郎弁護士は「本音を隠しているかもしれない職員を無視」「日本は一周遅れの議論を必死で追いかけている」 2023/7/20)

経済産業省におけるトランスジェンダーのトイレ使用問題をめぐる7.11の最高裁判決に抗議します 2023年7月27日

《声明文 経産省トイレ訴訟判決について》 2023年8月10日 Twitter

最高裁はいつから左翼教師になったのか 2023/08/10

【動画】「女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会」記者会見 2023/08/21

 (記者会見―声明の説明と署名を―女性スペースを守る7団体と有志の連絡会― 2023.8.10)

 (記者会見一声明 女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会 2023年8月10日 〔この動画は最後の発言者の所で途中で切れている〕)

【動画】【スペシャルゲスト登場】異色の弁護士・星野峻三先生と徹底議論!ここまで喋って大丈夫?LGBT理解増進法、最高裁の判例が今後の社会に及ぼす影響は? 2023/08/12

ジェンダーレストイレ、海外で社会問題化も 2023/9/3

周回遅れで悲劇と混乱 滝本太郎弁護士 2023/9/3

【動画】LGBE問題「性同一性障害特例法を守る会」美山みどりさんをゲストにお迎えします。 2023/09/01

「産経新聞様、10月1日の3人の記事」 Tiwtter

「「産経新聞」10月1日号」 Tiwtter

女性差別の観点から見た理解増進法(LGBT law in the context of sex discrimination) 2023年10月3日

【動画】【斎藤貴男シリーズ】リベラル批判① なぜ今、リベラルを批判するのか――LGBT言説を巡って 2023/10/10

 



「自認」を基準とする法的性別の変更に反対し、女性の人権と安全を求める緊急共同声明 2021年5月13日

性同一性障害特例法をめぐる会見ーさまざまな「当事者」のありかた 2023/8/13

国(法務省)は最高裁に参加申出を 2023年9月2日

最高裁弁論 傍聴記録-滝本太郎 2023.9.27

性同一性障害特例法の違憲性の大法廷がもたらすもの―さまざまなひとたちの合意はどう見つけられるのか 2023/9/28

特例法の大法廷、違憲でも合憲でも、手術なしに「女」になれる? 滝本太郎弁護士に聞く 2023/10/5





性別変更の要件の訴訟

 下記の訴訟の法的な論点を解説する。

20211004 申立書 / 家事審判申立書 (性別の取扱いの変更) 2021年10月4日 PDF

オペなしで!戸籍上も「俺」になりたい裁判


(P35)
 □「性自認と法的性別の一致は自己決定、自己実現を十全に実現するための前提となる。したがって、法的性別と性自認の一致こそが原則なのであって、性自認とは異なる法的性別にしたがって社会生活を送るよう強制すること、あるいは性自認にしたがって法的性別を変更することに高すぎる要求を設けることは憲法上の権利への制約である。」との記載がある。

 「法的性別と性自認の一致こそが原則」との部分であるが、妥当でない。

 例えば、下記のような事例を参考とすれば理解しやすい。


◇ 法的に「公務員」と認められていない者が、「公務員」であると自認したところで、法的に「公務員」になれるわけではない。

◇ 法的に「嫡出子」である者が、「非嫡出子」を自認したとしても、「非嫡出子」になれるわけではない。

◇ 法的に「自然人」である者が、「チンパンジー」を自認したところで、法的に「自然人」の地位を失って「権利能力」を有しない「物」になれるわけではない。

◇ 法的に「生存」している者が、「死亡」を自認したところで、法的に「死亡」したことにはならない。 

◇ 犯罪を犯した者は、自分が「犯罪者」であることを自認していなくても、法的には処罰される。


 これと同様に、「法的性別と性自認の一致こそが原則」との理解は法学的にはあり得ない。

(P36)
 □「性別についての認識は、人の人格の核心に関わるものであり、その性自認のとおりの性別を尊重される権利は、憲法13条の幸福追求権の保障する人格権の一内容として保障されるものである。」との記載がある。

 しかし、「性別についての認識」が「人格権の一内容として保障される」としている部分は、適当でない。

 「性別についての認識」は、19条の「思想良心の自由」によって保障される。

 □「かかる権利に対する制約が許されるか否かについては、厳格な審査基準によって判断すべきである。」との記載がある。

 しかし、「性別についての認識」は、19条の「思想良心の自由」によって保障され、その性質は絶対保障である。このことから、「厳格な審査基準」などと侵される部分があるかのような前提で論じている点で妥当でない。

 □「権利の制約について、やむにやまれぬ立法目的があり、かつ、その手段が立法目的達成に必要不可欠な場合でない限り、許されないというべきである。」との記載もある。

 しかし、「性別についての認識」は、19条の「思想良心の自由」によって絶対保障であることから、どのような立法目的が存在するとしても、その法律が「内心の自由」を侵すような内容であれば、正当化される余地はない。


(P36~37)
 □「本件規定は性自認を尊重される権利を不当に侵害し憲法13条に違反する。」との記載があるが、「性別についての認識」は、19条の「思想良心の自由」によって保障されるが、その者の行為・行動・活動が「公共の福祉」に反する場合には、その行為・行動・活動が制約されることはあり得る。




 □(P45)には、下記のような記載がある。


 ◇ 「(イ)そして、性自認を理由とする別異取扱いは、憲法14条1項後段に列挙されている「性別」に基づくものである。」
 ◇ 「他方、性自認におけるトランスジェンダー(ないし性的指向におけるレズビアン、ゲイ等)も「性」に関するマイノリティ(セクシュアル・マイノリティ)であり、長きにわたって偏見・差別の対象とされてきたのであるから、セクシュアル・マイノリティに対する差別も「性」属性に基づく差別に他ならない。」


 しかし、この理解は妥当でない。
 まず、「性自認」は「ジェンダー」に属する問題であり、憲法14条でいえば「信条」に該当し、「性別」ではない。「性的指向」についても、同様である。

 ここで「マイノリティ(セクシュアル・マイノリティ)」と述べられているものについても、正確には「ジェンダー・マイノリティ」である。そのような思想を持つ者の存在がマイノリティ(少数派)であるとしても、法的な「性別」においては「男性」か「女性」のいずれかに分類されていることから、法的な「性別」においてはマイノリティ(少数派)とは言えないのである。

 また、法的に何らかの差別的な取り扱いが存在するわけではない。

 「信条」の扱いについては、下記の判例が参考になる。


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この点について判決は「婚姻後も夫婦別氏を希望することは『信条』に当たる」と認めたが、「夫婦別氏を希望する者と夫婦同氏を希望する者とに二分し、夫婦別氏の希望を指標として不利益的な取扱いを定めたものではない」「信条の違いに着目した法的な差別的取扱いを定めているものではない」と判断。……(略)……

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第2次別姓訴訟・東京判決 「信条による差別」認めず 宮本有紀 2019年10月15日


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(P1)

 「憲法14条1項後段の『信条』とは、宗教上の信仰のほか、政治や人生に関する信念・主義・主張を含むものであるから、婚姻に際して婚姻後も夫婦別氏を希望することは『信条』に当たると考えられる。」


(P2)

 「同規定は、……法律婚に関し、同規定の法内容として、夫婦同氏を希望する者と夫婦別氏を希望する者との間でその信条の違いに着目した法的な差別的取扱いを定めているものではないから、同規定の定める夫婦同氏制それ自体に夫婦同氏を希望する者と夫婦別氏を希望する者との間の形式的な不平等が存在するわけではない。」

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第2次夫婦別姓訴訟━━民法750条夫婦同氏の合憲性 近畿大学准教授 池田晴奈 2020年2月14日


(P50)

 □「そして、第7、5で後述のとおり、特例法の制定を機にトランスジェンダーに対して「手術しているか/いないか」「戸籍を変えているか/いないか」を問うような視線が向けられるようになり、手術の有無や戸籍変更の有無があたかも「正しいトランスジェンダー」のあり方を規定する判断基準であるかのような誤解を生じさせた。その結果として、生殖腺除去手術をしていないトランスジェンダーはいわばトランスジェンダーの中の二流市民であるかのように扱うスティグマを招きうる。」との記載があるが、妥当でない。

 まず、「トランスジェンダー」は法律用語ではない。これは、自らの思想・信条を述べるに過ぎないものである。

 法律上は「男性」か「女性」のいずれに該当するかによって評価されているため、「トランスジェンダー」を名乗る者も、そうでない者も、法的な取り扱いにまったく差異はない。

 そのことから、「スティグマ」の有無についても、法的に審査することはできない。


(P66)

 □「本件規定の立法目的は、上述の各権利を制約することを正当化するものではなく、本件規定は、性自認のとおりの性別を尊重される権利を不当に制約するもので違憲である。」との記載がある。

 「性自認」との認識は、19条の「思想良心の自由」によって完全に保障される。しかし、法的な男女という分類そのものは、法的な要件に従って定められる。


P68

 □「この指摘のとおり、性別は個人の人格的存在と密接不可分であり、トランスジェンダーにとって戸籍を始めとする各種の公的書類において自認と異なる性別が表記され続けるのは、アイデンティティや人格の重要な一側面を否定されるに等しい。」との記載がある。

 しかし、「性別」は身体を観察することによって「男性型」あるいは「女性型」の生殖器官を有するか否かによって確定される事柄であり、「戸籍を始めとする各種の公的書類」はその事実を記載したものに過ぎない。これは、身体測定の結果として、本人の身長が記録されることと性質は同じである。

 本人がその記録を否定する感情を抱くことは「思想良心の自由(19条)」として保障されるとしても、「戸籍を始めとする各種の公的書類」において事実の存否そのものを改変することはできない。

 また、「戸籍を始めとする各種の公的書類」における「性別」とは、生物学的な性別概念に基づくものであり、論者の使用する分類方法としての「性自認」と呼んでいるものを記載したものではない。この点を混同したことによって、「戸籍を始めとする各種の公的書類」における「性別」概念の理解に齟齬が生まれたことによる主張と思われる。

 

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……(略)……能く國家は萬能で、如何なる法律でも自由に作ることか出來ると申すものが有りますが、其れは甚だ間違った考で、國家と雖も固より女を男とすることは出來ないし、死んだものを生かすことは出來ない。……(略)……

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憲法講話 美濃部達吉 国立国会図書館デジタルコレクション (P485)


P75

 □「近年の裁判例では戸籍上の性自認も同性のカップルで」との記載があるが、「戸籍」には「性自認」という項目はないため誤りである。




戸籍を「男性」に変更、手術なしで認めて 家裁支部に審判申し立て 2021年10月5日


 「生殖腺を除去する手術を事実上強制している」との記載がある。

 しかし、「生殖腺を除去する手術」を望まないのであれば、「性別変更をしない」という選択をすることができる以上は、違憲とはならないと考えられる。

 これは、夫婦別氏訴訟と同様である。


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 本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり,婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。仮に,婚姻及び家族に関する法制度の内容に意に沿わないところがあることを理由として婚姻をしないことを選択した者がいるとしても,これをもって,直ちに上記法制度を定めた法律が婚姻をすることについて憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。ある法制度の内容により婚姻をすることが事実上制約されることになっていることについては,婚姻及び家族に関する法制度の内容を定めるに当たっての国会の立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。

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損害賠償請求事件 最高裁判所大法廷 平成27年12月16日 (PDF


「裁判官深山卓也,同岡村和美,同長嶺安政の補足意見」

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1 まず,所論は,本件各規定が,夫婦となろうとする者の一方が従前の氏を改めて夫婦同氏とすることを婚姻の要件としており,婚姻に対する法律上の直接的な制約となっているという。

 確かに,民法750条を受けて,戸籍法74条1号は,夫婦が称する氏を婚姻届の必要的記載事項としており,これを記載しなければ,婚姻届は受理されず,婚姻は効力を生じないのであるから(民法739条1項,740条),その点を捉えれば,本件各規定は,夫婦同氏とすることを婚姻の要件としており,婚姻に制約を加えるものということもできる。

 しかしながら,ここでいう婚姻は法律婚であって,その内容は,憲法24条2項により婚姻及び家族に関する事項として法律で定められることが予定されているものであるところ,民法750条は,婚姻の効力すなわち法律婚の制度内容の一つとして,夫婦が夫又は妻の氏のいずれかを称するという夫婦同氏制を採っており,その称する氏を婚姻の際に定めるものとしている。他方で,我が国においては,氏名を含む身分事項を戸籍に記載して公証する法制度が採られており,民法739条1項において,婚姻は,そのような戸籍への記載のための届出によって効力を生ずるという届出婚主義が採られている。そして,これらの規律を受けて,戸籍法74条1号は,婚姻後に夫婦が称する氏を婚姻届の必要的記載事項としているのである。民法及び戸籍法が法律婚の内容及びその成立の仕組みをこのようなものとした結果,婚姻の成立段階で夫婦同氏とするという要件を課すこととなったものであり,上記の制約は,婚姻の効力から導かれた間接的な制約と評すべきものであって,婚姻をすること自体に直接向けられた制約ではない

 また,憲法24条1項は,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものであるところ,ここでいう婚姻も法律婚であって,これは,法制度のパッケージとして構築されるものにほかならない。そうすると,仮に,当事者の双方が共に氏を改めたくないと考え,そのような法律婚制度の内容の一部である夫婦同氏制が意に沿わないことを理由として婚姻をしないことを選択することがあるとしても,これをもって,直ちに憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。

 したがって,夫婦同氏とすることを婚姻の要件と捉えたとしても,本件各規定が憲法24条1項に違反すると直ちにいうことはできず,平成27年大法廷判決もこの趣旨を包含していたものと理解することができる。

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市町村長処分不服申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件 最高裁判所大法廷 令和3年6月23日 (PDF


 これと同様に考えると、下記のようになる。

 ここでいう「性別」は法律上の性別であり、それは法律で定められることが予定されているものであり、法律上の性別変更の内容及びその成立の仕組みをこのようなものとした結果、性別変更の成立の段階で「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。」(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項4号)という要件を課すこととなったものであり、その制約は、間接的な制約と評すべきものであって、性別変更をすること自体に直接向けられた制約ではない。

 性別変更も、法制度のパッケージとして構築されるものにほかならない。

 性別変更についての直接の制約であるとしても、合理的な理由があれば制約は許されるとも考えられる。



 規定の合理性を検討する際に、参考となる事例がある。

【動画】SDGs北海道から未来へWEEK③「LGBTカップル出産へ 支える人たち」 HBCニュース 北海道放送 2021年12月1日

体は女性だが心は男性…初めての出産へ LGBTのカップルを支える医療現場 北海道 2021/12/1)

(【動画】SDGs北海道から未来へWEEK③「LGBTカップル出産へ 支える人たち」2021年12月1日放送 2021/12/22)

トランスジェンダー男性(身体は女性)とゲイ(男性)の同性カップル、初めての出産へ 北海道 2021/12/06


 これは、③の「異性別/同ますらお型」の事例と思われる。
 こちらの動画の中で、医師は「心が男性の方であれば、そもそも妊娠自体希望されないはずですから、身構える感じはありました。」と述べ、「トランスジェンダーの妊婦の出産は道内では報告が見当たらない」としている。

 しかし、トランスジェンダーは「内心の自由」に属するものであることを理解すれば、単に生物学的な「女性」が妊娠を希望しているだけである。

 

 この動画では、相手方の生物学的な「男性」について、「男性として生まれ男性を好きになるゲイ」と説明している。

 しかし、この者は、この二人の組み合わせの中では、「定義 A」によれば「異性愛者」に該当し、「定義 B」においても「異性愛者」に該当する。

 そのことから、この生物学的な「男性」の者は、自分の好きでない相手と生活をしているか、「定義 A」にも「定義 B」にも当てはまらない新たな分類を提唱しているかのどちらかである。

 

【動画】#13 佐波優子の保守から見えるLGBTの風景 2021/12/10

 

妊娠=女性らしさ?トランスジェンダー男性が出産して感じたこと 2021/12/27

ママと呼ばないで! 元女性が妊娠出産、性別を決めつける病院スタッフに不満訴え 2021年12月29日

 

 

戸籍上性別変更に手術必要の規定「憲法違反で無効」静岡家裁 2023年10月12日

戸籍上性別変更に必要な手術は「憲法違反で無効」 初の司法判断=静岡家庭裁判所浜松支部【速報】 2023年10月12日

手術要件「違憲・無効」=性別変更巡る法規定―静岡家裁支部 2023-10-12

性別変更の「手術要件」は憲法違反、家裁支部が初判断 トランスジェンダー当事者は「率直にうれしい」 2023年10月12日

性別変更の「生殖不能」手術要件は違憲 静岡家裁支部「必要性欠く」 2023年10月12日

「性別変更条件に生殖不能手術」初の違憲判断 静岡家裁浜松支部 2023/10/12

手術要件は「違憲、無効」=性別変更巡る規定で初判断―静岡家裁支部 2023-10-12

戸籍上の性別変更に「手術必要」の規定は「違憲」、静岡家裁浜松支部…全国初判断か 2023/10/12

「多くの人の当たり前が僕にも」 性別変更の手術要件「違憲」で会見 2023年10月13日

「手術せずに戸籍上の性別変更はできない」は違憲 全国初の司法判断 静岡家裁浜松支部 2023年10月13日

「手術せず性別変更」認める、全国初の違憲判断 浜松の鈴木さん申し立て 静岡家裁浜松支部 2023年10月13日

「手術せず性別変更」認めた家裁判断 浜松の鈴木さん笑顔「みんなで勝ち取った」 2023年10月13日

「法律変わって」申立人喜び 性別変更規定の違憲判断に―静岡 2023年10月13日

性別変更の手術規定 は「違憲で無効」初の司法判断に申立人が会見「当事者たちに選択肢ができた」(静岡・浜松市) 2023.10.13

「法律変わって」申立人喜び=性別変更規定の違憲判断に―静岡 2023-10-13

性別変更の手術要件「違憲」、静岡家裁支部決定「合理性欠き無効」 最高裁、規定巡る憲法判断を年内にも 2023年10月13日

 




 身体的な事実を基にしている「性別」ではなく、自分自身について「ますらお・たおやめ型」の自覚を持つか否かについての「ますらお・たおやめ型判定」を導入する方法や、身なりや服装を基にした「ますらおぶり・たおやめぶり判定」を導入するという方法は考えられる(特定のジェンダー観を助長することになるため、公的な制度とすることが望ましいかどうかも検討の余地があるが)。

 しかし、「性別」の判定を行う以上は、身体的な事実に基づく必要があり、これを無視して戸籍上の性別を変更できるようにすることは、実質的に戸籍上の「性別」の記載を、身体的な事実から乖離させるものとなり、これを自分の思想・信条、主義主張やライフスタイルについての意思を表明した記号へと変えることを意味する。

 これは、戸籍上の「性別」という制度そのものの意味を失わせることになるため、「性別」について定めたすべての制度に対する国民の信頼を損なわせるものとなる。


 このようにして国家の制度として「性別」に関する問題を処理するための概念を管理しなくなった場合には、私人は独自にそれまで「性別」と呼んでいた概念を管理し、それに関して生じる問題を処理するための基準を打ち立てて対応することが必要となる。

 それまでは、「男性トイレ」「女性トイレ」のように「性別」という生殖器官を基にした区別を設けることでトラブルを回避し、もしトラブルが発生したとしても戸籍上の「性別」を確認することによってその紛争を処理し、関係者の納得感を得るという方法を採っていた。

 しかし、既に「性別」は生殖器官によって判定された概念を指すものではなくなっていることから、その「性別」という概念を用いることによってトラブルを回避するという方法が通用しない状態となっている。

 そのため、「男性トイレ」「女性トイレ」という名称を用いる意味は既に失われており、「陰茎トイレ」「膣トイレ」あるいは「凸トイレ」「凹トイレ」などの別の名称に変更することによって対応することが必要となる。

 このように、「性別」という言葉の機能を一時的に失わせたとしても、結局は「陰茎タイプの人間」と「膣タイプの人間」の間で生じる問題の発生を防ぐために新たな言葉が生まれることになり、それまでと同様の区別が設けられて交通整理が行われることになるのである。

 しかし、それは結局、国家権力が私人一般に対して言葉の置き換えを強要しているだけであり、区別が行われるという現実そのものを変えることはできないのである。

 そもそも「陰茎タイプの人間」に対して「男性」という言葉を用い、「膣タイプの人間」を「女性」という言葉を用いて公共的な合意としていたにもかかわらず、その意味でその言葉を使うことを禁じたからといって、区別する必要性によって区別されるという現実の方を変えることはできないのである。

 このような言葉の置き換えを繰り返す愚を防ぐためには、「性別」という概念を身体的な事実から切り離して用いることができるかのような言説に乗ることは適切ではなく、その主張を退けることが必要である。

 身体的な事実を基にしない何らかの傾向(自覚・好み・体格・髪型・服装・身なりなど)について述べる主張についても、それぞれ「ますらお・たおやめ型」や「ますらおぶり・たおやめぶり」などの「性別」という身体的な事実とは異なる言葉を使って類型化するべきものであって、「性別」という言葉を充てて論じることは適切ではない。

 そのため、この判決でその主張を退けることなく、身体的な事実に基づいていた「性別」という概念について、その言葉の意味の方を変える判断を試みたことは、誤った判断であるといえる。


 憲法学者「美濃部達吉」の「憲法講話」に「法の本質」について述べられているので紹介する。

 

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 第八講(下) 法


  一 法の本質


 是迄は國家の各種の作用即ち立法、行政及び司法の各々について、説明致したのでありますが、今度は一般の法の性質及び法が如何にして發生するかといふことに付いて大略の説明を致します。法と言つても法律と言つても同じことでありますが、唯法律と言ふと形式的の法律即ち議會の協賛を以て發布せらるるものと混同する虞が有りますから、混同を避ける爲に法と申して置きます。


社會に於ける法の必要

 凡そ人類が相集まつて共同生活を爲して居る以上は、其の共同生活に於いて必ず各人の爲すべきこと、爲すべからざること、及び爲し得べきことに付いて一定の法則がなければならぬことは當然であります。若し此の如き法則がなく、各人自分の欲する儘に振舞つたならば、社會は唯強い者勝となり、弱肉強食の状態となつて、社會生活は全く成立することが出來ないのは言ふまでもないことであります。僅に四五人寄つて一家族を爲して居つても、家族の間に居は必ず一定の法則が有る。例へば子は親の命令を守らなければならぬとか、親は子の相當の年齢に達する迄は養育しなければならぬとか、妻は夫に従順でなければならぬとかいふようないろいろの法則が有る。若し此の如き法則が無かつたならば家族生活すらも平和に維持して行くことは到底出來ない譯であります。況んや國家の如き大いなる共同團體を爲して居る場合には、必ず其の共同生活に付いての法則が無ければならぬことは勿論であります。法は即ち凡て此等の共同生活に於ける人類行爲の法則を謂ふのであります。共同生活に於て各人の爲すべきこと、爲べからざることと、爲し得べきことを定めて居る法則であります。爲すべきこと及び爲すべからざることの範圍は即ち各人の義務で、其の爲し得べきことの範圍は即ち各人の權利であります。此の權利及び義務に付いての法則が即ち所謂法に他ならぬのであります。


法と道徳の區別

 是だけの事は別段異論の有るべきことではありませぬが、併しながら是だけではまだ法の本質を明にするには十分ではない。共同生活に於ける各人の行爲の法則の中には道徳上の法則もあれば法律上の法則もあるので、法の本質を明にするには法と道徳とを區別しなければならぬのであります。家族生活の法則に付いて申しても、親が子を養育する義務が有るとか、子が親の命令に従わねばならぬとかいふことは法律上の法則で、其の義務は單に道徳上の義務たるばかりでなく法律上の義務たるものでありますが、更に進んで、親は子に慈愛でなければならぬとか、子は親に孝行でなければならぬとかいふやうな法則に至つては、道徳上の法則、道徳上の義務たるにとどまるものであります。然るに法と道徳との間に截然たる區別を認めることは頗る困難であます。勿論明瞭なる法律上の法則と明瞭なる道徳上の法則とを比較すれば、其の區別は判然たるものでありますが、兩方相接近して居る所に至りますると、其の限界を判然定むることは極めて困難なのであります。

 先づ法と道徳の區別ある第一の點は道徳は人間の心迄をも支配する、單にに外部に表はれた行爲のみならず、少しも外部に表はない心の働に付いても支配する所の法則でありますが、法律は之に反して單に心の働きのみ止まつて少しも外に表はれない心理作用に付いては更に關係する所がない法律は唯外に表はれた行爲のみを支配するもので、心の働きが外部に對する行爲として現はるるに至つて、初めて法律の支配する所と爲るといふことが法と道徳との違ふ一の點であります。


其の第二の差異

 それから又道徳は人間の一身上の行爲に付いても支配する、他の人に影響を及ぼすべき行爲ではなく單に自分の一身上の事に止まるものであつても尚道徳の埒外に出づるものではありませぬが、法律は人と人との關係を支配するに止まるもので、他の人に影響を與へない自分の一身上の行爲に付いては法律は關係しないのであります。これが法と道徳との第二の差異であります。此の二の點に於いては其の相違は明瞭でありますが、併しながら是だけでは法道徳とを區別する標準を成すことは出來ませぬ。道徳も單に心だけを支配するものではなく法律と同じく外に現はるる行爲をも等しく支配するものである、又他人に影響を及ぼすべき行爲に付いても勿論支配するのであります。唯道徳は法律よりも稍其の規律する範圍が廣いと云ふに止まつて、大部分においては道徳も法律も同じ範圍を有つて居るのであます。其の範圍の相一致して居る部分に付いては、法と道徳とを區別すべき標準は別に之を求めなければならぬことは當然であります。


法の本質に關する學説

 法とは何であるか。此の問題は古來幾多の學者の論議した問題で、而も今日に至る迄議論の絶えない所であります。凡そ總ての學問に於いて、其の學問の基礎となつて居る根本観念は、却て最も議論の多い最も不明瞭な問題であることは〇〇見る所でありますが、法律學に於いても同様で法律學の最も根本的の観念である法そのものに付いての見解が、法律學の中でも最も議論の多い最も意見の分かれて居る問題で、将来に於いても恐らくは意見の一致を見るに至ることは難いであらうと思はれます。


法は主權者の命令なりとする説

 先づ最も皮想的な、其の代りに又最も解り易い見解は、法は主權者の命令であるといふ見解であります。或いは法は國家の意思であると言つたり、國家の作つた法則であると言つたりするのも矢張り同じ思想から來て居るものであります。是は一寸考へると正しい思想のやうで、殊に今日の有様では法は大部分立法者の制定した法規から成り立つて居つて、官報には殆ど毎日の如く幾多の法律命令が發布せられるし、法令全書には何千頁という大冊子が幾冊も有つて、幾千となき法律命令が集載せられて居るのであります。平生斯ういふ有様を見慣れて居る吾々が、自然此の如き文字に書き現はされた、立法者が制定した法則が即ち法であるという考えを起こすのは、怪しむに足らぬことであります。随て此見解は殊に日本に於ては随分廣く行はれて居りまして、法制教科書とか法學通論とかいふやうな書物は、殆ど皆此説に據つて居ると言つても宜い有様であります。併ながら斯ういふ考は唯表面だけを見た極く皮想の考に過ぎぬもので、法の性質に對する説明としては最も誤つた考であると信じます。勿論國家は立法權を有つて居つて、其の立法に依つて法たる力を生ずるものがあります。今日でこそ國家の立法が法の大部分を占めるやうに成つて居りますが、少し古い時代に遡れば、立法は唯稀に行はれたばかりで、大部分は慣習又は條理に依つて法が出來て居つたのであります。一方には又國家は自由に如何なる法律でも作ることが出来て、國家の作つた法律は、何んなものでも皆法たる力を有し得るといふものではない能く國家は萬能で、如何なる法律でも自由に作ることが出來ると申す者が有りますが、其れは甚だ間違つた考で、國家と雖も固より女を男とすることは出來ないし、死んだ者を生かすことは出來ない。〇に其ればかりではない、人民に對して命令することでも、其の命令が吾々の社會生活上の普通思想に於て到底遵奉し得べからざるものであるならば、法としての効力を生ずることは出來ないのであります。例へば國家は貨幣制度を定めるの權が有りますが、如何なる貨幣制度でも國家が随意に定めることが出來るといふ譯ではないので、その制度は必ず合理的のものでなければならぬ。例へば、國家が不換紙幣を發行して、一枚の紙片を百圓に通用すべしといふことを定めても、若し國家に財政上の信用が無ければ、其の紙幣は到底實際に百圓に通用することは望むべからざるところで、それは唯實際の効力の無い空文に止まるのであります。又例へば國家は刑法を定めて人民に向けて種々の行爲を禁止することが出來ますが、其の禁止する所の行爲は必ず吾々の普通の信念に於ても爲してはならぬ事と思はれ得る行爲でなければ、到底法たる力を生ずることは困難であります。例へば日本の今日の状態に於いて、突然法律を以て凡ての人民に向けて酒を飲むことを禁止する、烟草を喫ふことを禁止するとしても、それは到底實行し得べからざる所で、況んや米の飯を喰ふことを禁じて必ず肉食しなければならぬことにするとか、和服を禁じて必ず洋装をなさしむるとか土地の賣買を禁止するとか、西洋流の學問を禁止するとかいふやうな禁令を發するとしても其れは固より法として行はれ得べきものではない。法が法として行われるのは吾々一般人の社會的信念が基礎となつて居るもので、全然此の信念に反するやうなものは假令國家の意思であつても到底法たる力を有することが出來ないのであります。

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憲法講話 美濃部達吉 国立国会図書館デジタルコレクション (P479~) (漢字が正確に反映できていなところがある。)


 この誤りを理解するために、別の事例を挙げる。

 例えば、子供が死亡したことについてあまりに悲しくて心を病み、耐えられずに自死をも考える程の苦痛があると訴える親がいるとする。

 そして、戸籍上で「死亡」と記載されることはあまりに酷いと訴えて、戸籍上で死亡していないことにするべきであると主張し、実際にその主張を採用して戸籍上で死亡していないことにしたとしても、それによって子供が生き返ることはないという事実は変わることはない。

 たとえそのような対応によって「死亡」を使えない言葉にしたとしても、結局は「生体機能停止人間」など、別の言葉でそれまで「死亡」が意味していた状態を指し示すようになるだけであり、言葉が入れ替わる以上の何かをもたらすことはできないのである。

 そのため、事実から切り離された言葉は、その時点でその言葉が持つ有用性が失われ、有用性を持つ別の言葉に入れ替えられていくというだけである。

 この愚を防ぐためには、「死亡」という言葉の意味を変えることはできないという点によって、その主張を退けることが必要となる。


 受け入れがたい事実に向き合っていくことは、古くから宗教がその役割を担って発展してきている。

 「天国へ旅立った」「お星さまになった」「今も私たちの中に生き続けている」など様々な表現が用いられることもある。

 しかし、それは法の領域とは別の問題として解決すべきものである。

 

【参考】「若く見られたい」72歳の女 実在しない40代妹の戸籍作成 役所などの書類偽造か 2023/10/22


 よって、戸籍上の「性別」を生殖器官を基にして判定する身体的な事実から切り離して変更することを認めた判断は、法的に正当化することのできる範囲を超えており、誤りといえる。

 



 

 この法律は、生殖器官を基にして「性別」を判定するという方法を覆すことを規定しているものではない。

 しかし、この法律の生殖器官に関する要件を違憲としたことは、単に要件が違憲かどうかという次元の問題ではなく、実質的に「性別」という概念そのものを変更しようと試みていることを意味する。

 このようにして「性別」という概念を身体的な事実から切り離した場合には、「性別」の概念が指し示している基準となるものが存在しないことになるから、「性別」という概念を一定の法則に則った形で意味の通ったものとして理解することを不能とし、「性別」という概念を維持することができなくなる。

 これにより、実質的には法制度において「性別」という概念を廃止することを意味する。

 裁判所は「性別」を前提にしている法律であるにもかかわらず、その「性別」の概念そのものを廃止するような判断を行う権限を有してはいない。

 そのため、「性別」の概念を意味の通ったものとして理解することを不能にする判断を行ったことは、誤った判断であるといえる。

 

 「性別」が生殖器官を基にして判定される概念であるという事実を維持する限りは、この法律の中の生殖器官に関する要件を維持することは必須のものである。

 もしこの生殖器官に関する要件を違憲とした場合には、下記の二つの可能性しか存在しない。


◇ 生殖器官を基にして判定される「性別」という概念そのもの変更しようとしている

◇ この法律が法制度として性別の変更を認めていることそれ自体を違憲としている

 

 もしこの法律の要件を違憲としながら、それが「性別」という概念そのものを変更することを意図しておらず、法制度として「性別」という概念を廃止することについても意図していないとすれば、それはこの法律の要件が違憲というものではなく、この法律が法制度として性別を変更する手続きを定めていることそれ自体を違憲としていることになる。

 つまり、この法律そのものを廃止する判断を行っていることになる。

 

 

裁判所の暴走を止めないと 抗議要請書を出しました―2023.10.11付静岡家裁浜松支部の決定について― 2023年10月13日

10/11付 静岡家庭裁判所浜松支部の審判決定に対して抗議します。 2023年10月15日

10月17日、女性スペースを守る連絡会の活動―手術要件を外すな!25日に最高裁判断が出ます― 2023年10月18日

「男だと認める」静岡LGBT裁判「生殖機能の規定」をめぐる異例の決定で揺らぐ「男女の定義」 2023年10月20日



“性別変更手術必要”憲法違反か 最高裁に団体 合憲判断求める 2023年10月17日

性別変更「手術要件」堅持を 女性団体、最高裁に要請 2023/10/19 

性別変更の手術要件規定 性的少数者当事者ら7団体が最高裁、法務省に要請書「社会的、法的にも秩序混乱」合憲求める 2023.10/19



性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察 慶應義塾大学リポジトリ 2022/1 

トランス問題をどのように考えるべきか ――最初の一歩―― 2022年11月28日

最高裁大法廷での審査にあたって国民のみなさまと最高裁判事の方に訴えます。性同一性障害特例法の改悪は女性の人権と安全を脅かします 2022年12月19日

性自認の法制化反対記者会見 -トランス女性ら当事者から生の声を伝える- 2023.4.5

2003年特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)について 2023年7月16日

性同一性障害特例法の手術要件を廃止しないでください 最高裁への要望書 2023年8月13日

戸籍上の性別変更には「適合手術」要件維持を 性的少数者の団体などが会見 「トイレの話するな」と詰め寄られた実体験 2023.8/19

最高裁に署名を届け(9/26)、翌日最高裁で弁論を傍聴する 2023年10月5日

 

【女性の権利と尊厳の保護を求める緊急声明】 2024年3月30日

【「女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会」案への批判】 2024年3月30日

特例法の全面廃止は、「陰茎ある法的女性の阻止」にはマイナス 2024年3月23日

 

 

 法律で定められている性別とは、性別を区別する必要性に基づいて具体的な規範として設けられているものである。

 そのため、その性質は「法律によって定められる制度に基づき始めて具体的に捉えられる権利」ということができ、「国家からの自由」という「自由権」に対応する「生来的、自然権的な権利」とは異なっている。

 また、特例法が定められることによって個々人が得られる権利についても、その性質は「法律によって定められる制度に基づき始めて具体的に捉えられる権利」であり、「国家からの自由」という「自由権」に対応する「生来的、自然権的な権利」であるとはいえない。

 そして、特例法の内容についても、国家から個人に対して侵害を行うものではなく、「国家からの自由」という「自由権」によって排除しなければならないとする具体的な侵害行為が存在していない。

 よって、このような法制度に対しては、「国家からの自由」という「自由権」を規定している13条を持ち出す前提を欠いている。

 このことから、13条を用いて特例法の規定を違憲として無効化する判断を行うことは、判断の前提となる権利の性質に対する理解を誤ったものであり、その結論についても正当化することはできない。

 



 




性別変更と親子関係の訴訟


性別変更前の凍結精子で誕生 親子関係を認めず 東京家裁判決 2022年2月28日

性別変更、親子関係認めず 凍結精子で出産―東京家裁 2022年02月28日

性別変更の女性、凍結精子で生まれた子との親子関係認められず 家裁 2022年2月28日

性別変更の女性 凍結精子でもうけた子と法的な親子関係 認めず 2022年2月28日

凍結精子出産、東京家裁 性別変更、子の認知認めず 2022年2月28日

「性別変更しているから父とならない」性別変更した女性が凍結精子でもうけた実子の認知求めた調停 家裁認めず 2022年2月28日

性別変更前の凍結精子で誕生 親子関係を認めず 東京家裁判決 2022年3月1日

性別変更、子の認知認めず 凍結精子出産「現行法と整合せず」東京家裁 2022年3月1日

2人のママが子どもの認知を求めている裁判。東京家裁、親子関係を認めない判決「非常に悲しく思う」 2022年03月01日


 性別変更するということは、もともと法律上の父親となる地位や母親となる地位を失うこと含むものである。そのため、認知することのできる地位を得られなくなることは当然と思われる。

 

 ただ、この事例から考えると、精子を凍結している者は、その精子を使って生まれてくる子供の福祉を保護するために性別を変更してはいけないということを明確にしていく必要があると考えられる。

 そのため、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の3条の中に「精子を凍結している者は性別変更してはいけない」ということを新たな要件として加える必要があるように思われる。

 

【参考】認知請求事件 最高裁判所第二小法廷 平成18年9月4日

 

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 また2006年9月、凍結精子提供者の死亡後、その精子によって子が生まれた事例で、高裁は親子関係を認めたが、最高裁はそれを破棄したことがある。死後に相続者が出てくることが問題となり、最高裁では親子として認められなかった。

 ただ、財産の有無に関わらず、凍結精子提供者の父親が死亡した後に子供をもうけるというのは、子供にとっては望ましいことではない。子供が健全に育っていくには家族の存在が重要になってくる。子供にとって良い環境を最優先に考えてルール作りをして頂きたい。凍結精子の保存期間についても法律的に規制していく必要があるかもしれない。

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「子供の最善の利益」からみた生殖補助医療の現状と課題 ―「個人の人権」「自己決定」と子供の保護― 2022年6月28日

 


性別変更前に生まれた長女のみ親子関係認める判決 東京高裁 2022年8月19日

子の認知、性別変更前のみ 凍結精子出産巡り東京高裁 2022年8月19日

男性から性別変更した女性が凍結保存した精子でもうけた子どもの認知求めた訴訟 子1人の認知は認める判決 訴え退けた一審を変更 東京高裁 2022年8月19日

性別変更前に生まれた子だけ認知 2022年8月19日

【速報】性別変更の女性 自身の凍結精子で出生、法的親子関係認める判決―東京高裁 2022年8月19日

性別変更前、長女と「親子関係」 凍結精子出産で、次女は認めず―東京高裁 2022年08月19日

同じ親から生まれたのに…次女とは親子関係を認めず 2人とも凍結精子を使用、長女誕生後に父が性別変更 東京高裁判決 2022年8月19日

性別変更前の長女のみ「親子」、変更後に生まれた次女は認めず……東京高裁判決 2022/08/20

性別変更した女性、自身の凍結精子で生まれた子の認知訴訟 長女は父として認定、次女は認められず 東京高裁 2022年08月19日

 

【判決】各認知請求控訴事件  東京高等裁判所  令和4年8月19日



(直接関連するわけではないが、精子提供の問題には下記のような問題もある。)

 

夫の死後、提供精子で妊娠 法の想定外、医師に伝えず胚移植 2023年10月22日

「ドナーの権利脅かす」と都内医院 2023/10/22