9条関係の年表



 ここでは、9条関係の年表を集める。9条関係の政府答弁の全体像を掴み、議論の焦点がどこにあるのかを正確に捉え、政府答弁の断片情報に惑わされることがないようにしていく必要がある。

 9条関係の政府答弁等の年表を読むにあたって、先に当サイト「9条関係の用語」のページで用語を押さえることをお勧めする。

 



    【注目するべき点の色分け】


1972年(昭和47年)政府見解の示した「自衛の措置」の限界の規範

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あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものあるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
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1972年(昭和47年)政府見解と対応する旧三要件        <『必要最小限度』の意味>


━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━  ←  三要件(旧)の全てを指す意味
「武力の行使」の旧三要件
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること
② これを排除するために他の適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと    ←  「武力の行使」の程度・態様の意味
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①② 「武力の行使」の発動要件   『性質』  (ユス・アド・ベルム / jus ad bellum に相当)

③  「武力の行使」の程度・態様  『数量』  (ユス・イン・ベロ / jus in bello に相当)

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〇 「必要最小限度」の意味を判別できないもの


 

年表

 

(下線・太字・色は筆者)

 

1928年(昭和3年)

 4月28日
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●アメリカ合衆国の解釈(米国国際法学会におけるケロッグの講演)
      一九二八年四月二十八日


 「不戦条約の米国草案には、どのような形ででも自衛権を制限しまたは害する何物をも含んではいない。その権利は、すべての主権国家に固有するものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのような時でも、また条約の規定の如何を問わず、自国領域を攻撃またはは侵入から守る自由をもち、また、事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する。国家が正当な理由を有しているならば、世界は、その国の行動を称賛し非難はしないであろう。しかしながら、この譲り渡すことのできない権利を条約が明示的に認めると、侵略を定義する試みで遭遇するのと同じ困難を生じさせることになる。それは、同一の問題を裏面から解こうとするものである。条約の規定は自衛の自然権に制限を付加することはできないので、条約が自衛の法的概念を規定することは、平和のためにならない。なぜならば、破廉恥な人間が合意された定義に合致するような出来事を形作るのは、極めて容易だからである。」

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 8月27日 不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)の署名(パリ)

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第1條  締約國は國際紛爭解決の爲戰爭に訴ふることを非とし且其の相互關係に於て國家の政策の手段としての戰爭を抛棄することを其の各自の人民の名に於て嚴肅に宣言す
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1929年(昭和4年)

 7月24日 不戦条約の発効(効力発生)

1945年(昭和20年) 国連憲章(6月26日にサンフランシスコにおいて調印・10月24日に発効)
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第2条 4. すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない


第51条 
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
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1946年(昭和21年)

 6月26日 衆議院本会議 吉田総理発言(解釈変更ではない)

 「戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第九条第二項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります

第90回帝国議会 本会議 昭和21年6月26日(第6号)


 7月4日 衆議院帝国憲法改正案委員会 吉田首相

 「此の間の私の言葉が足りなかつたのか知れませぬが、私の言はんと欲しました所は、自衛権に依る交戦権の抛棄と云ふことを強調すると云ふよりも、自衛権に依る戦争、又侵略に依る交戦権、此の二つに分ける区別其のことが有害無益なりと私は言つた積りで居ります

第90回帝国議会 委員会 昭和21年7月4日(第5号)

 以前の答弁についてこれが「いわゆる自衛戦争の否定の趣旨」と解される補足答弁を行う。(リンク P34)


 9月13日

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○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せになりました所は、大體のと言ひますか、事柄としては其の通りであります、唯私の方の説明が第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります

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第九十回帝國議會貴族院 帝國憲法改正案特別委員會議事速記録第十二號 昭和21年9月13日

 11月3日 日本国憲法 公布

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    第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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1947年(昭和22年)

 5月3日 日本国憲法 施行

1949年(昭和24年)

 11月24日 衆議院予算委員会

 吉田国務大臣「戰争に訴えざる範囲内の自衛権は、独立国家である以上、これを持つているということに解するのが常識であると思います。

第6回国会 衆議院 予算委員会 第9号 昭和24年11月24日

 12月21日 衆議院外務委員会

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○西村(熊)政府委員 他国の個人が国家の自衞権を行使するということは考えられません。これはあり得ないと思います。ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の今申し上げました第五十條か五十一條かに、国家の單独の固有の自衞権という観念のほかに、集団的の自衞権というものを認めておりまして、そういう文字を使つております。この集団的自衞権というものが国際法上認められるかどうかと、いうことは、今日国際法の学者の方々の間に非常に議論が多い点でございまして、私ども実はその條文の解釈にはまつたく自信を持つておりません。大多数の先生方は、大体自衞権というものは、国家がそれ自身本来の権利として持つものであつて、何もそれは集団的の国家群としてあるような性質のものではないので、否定的に考える向きが多うございます。国際連合解説に関する各先生の御本を読みましても、集団的自衞権ということの解釈にはさすがに苦しんでおられます。並木委員の御指摘になつたような、日本の自衛権を日本において他国人が云々というこはあり得ない。他国が行使するということはちよつと私想像いたしかねます。
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第7回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和24年12月21日

 
1950年(昭和25年)

 1月23日 衆参本会議 吉田茂
 国務大臣(吉田茂君)「戰争放棄の趣旨に徹することは自衛権の放棄を意味しておるのではないのであります。

第7回国会 参議院 本会議 第9号 昭和25年1月23日


 国務大臣(吉田茂君)「戦争放棄の趣意に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります。

第7回国会 衆議院 本会議 第11号 昭和25年1月23日

 2月3日 衆議院予算委員会

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○中曽根委員 どうも急所に来ると小役人と言つて煙幕を張りますが、これはそういう政治的な問題でなくて、ひとつお答え願いたいと思うのです。(発言する者あり)そこでお聞きいたしたいと思うのでありますが、この集団的自衛権の問題です。それは国家の基本権として、国家が成立するからには当然認められる権利なんですか。
○西村(熊)政府委員 もちろんそう考えております。
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第7回国会 衆議院 予算委員会 第7号 昭和25年2月3日

 6月 近隣で朝鮮戦争が勃発
 8月10日 警察予備隊令


1951年(昭和26年)

 2月21日 衆議院外務委員会
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そこから生れて来ている次第でありまして、従つてここに見えております集団的自衛権というものは一つの武力攻撃が発生する、そのことによつてひとしくそれに対して固有の自衛権を発動し得る立場にある国々が、共同して対抗措置を講ずることを認めた規定であると解釈すべきものであろうと思うのであります。
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第10回国会 衆議院 外務委員会 第6号 昭和26年2月21日


 4月20日 日本政府は集団的自衛権を発動できるとして米側に確認を求めている。(メモ:出典はどこだったかな?)
 9月8日 サンフランシスコ平和条約と日米安保条約(旧)


 10月18日 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 吉田茂
 吉田国務大臣「私の当時言つたとと記憶しているのでは、しばしば自衛権の名前でもつて戦争が行われたということは申したと思いますが、自衛権を否認したというような非常識なことはないと思います。

第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第3号 昭和26年10月18日

 11月7日 参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会
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○政府委員(西村熊雄君) 今御指摘のように、日本は独立国でございますから、集団的自衛権も個別的自衛権も完全に持つわけでございます、持つております。併し憲法第九條によりまして、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段でありまする軍備は一切持たないということにしております。又交戦者の立場にも一切立たないということにしております。ですから、我々はこの憲法を堅持する限りは御懸念のようなことは断じてやつてはいけないし、又他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる次第でございます。
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第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第12号 昭和26年11月7日


1952年(昭和27年)

 2月19日
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○木村国務大臣 そこで問題は警察予備隊は、いわゆる憲法第九條第二項の戦力に該当するかどうか、御承知の通り戦力に該当することになりますと、憲法を改正しなければならない。そこで何が職力なりや、憲法第九條第二項には陸海空軍そこ他の戦力と書いてある。そして第一項を見ますと、国際紛争の手段としては武力を行使しないと書いてある。ここに非常な含蓄があるのであります。そこで自衛力というものは、決して否認されておるわけではありません。国際紛争の手段として戦力を使わないという建前、新憲法ができました根本理由は、再び太平洋戦争のような愚をさせたくない、これが根本原因であります。戦力を持てばあるいはまた戦争を起すような危険が起るかもしれない。そこで陸海空軍その他の戰力を持たせないということが、憲法の建前になつておることは御承知の通りであります。そこでこの戦力というのは、いわゆる国際紛争の手段として、近代的の戦争をし得るような能力と解すべきが、普通の解釈であろうと考えております。いわゆる戦争遂行の有効適切な能力、こう考えております。そこで、今の警察予備隊は戦争を遂行し得る有効適切な能力を持つておるかどうか、これが根本問題でありまするが、警察予備隊の範囲では、戦争を有効適切に遂行し得る能力はない、かるがゆえに今の警察予備隊は憲法第九條第二項の戦力にあらず、こう解釈いたします。
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第13回国会 衆議院 地方行政委員会 第8号 昭和27年2月19日


 4月 日本が独立を回復(主権を回復)
 7月 保安庁法を成立

 8月1日 保安庁

 10月15日 保安隊

1953年(昭和28年)

 12月11日
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○佐藤政府委員 これは憲法の九条の中で第一項と第二項とをわけて考えなければならないことだろうと私ども思つております。この第一項の方だけを見ますと、「国際紛争を解決する手段としては」という条件を大きく掲げております。その「国際紛争を解決する手段としては」ということはどういうことをいつておるだろうかということは、当時から研究の対象であつたわけでありますが、われわれといたしましては、そのころから、また今日に至るまで、今お言葉にありましたように、主として侵略戦争を放棄しておるのだろう、侵略の手段としての戦争を禁止しておるというのが、第一項の主眼であるというふうに考えて来ております。従いまして第一項だけから言いますと、自衛戦争というものには全然触れておらないのみならず、もちろん自衛権も否定しておらない。ところが今度は目を移しまして第二項の方を見ますと、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」こう書いてあるわけであります。そこで芦田説とか佐々木説とかいわれますところの先生方のお考えと、われわれの考え方とのわかれ道がそこへ出て来るわけであります。われわれとしても、これは憲法制定の当初から第二項というものは、侵略戦争のためはもちろんのこと、自衛戦争のためでもこの戦闘力というものは放棄しておるのだ、戦力というものは放棄しておるのだという考え方で来ておりますから、従つて第一項の表では自衛戦争は認められておるような形になつても、第二項の関係から、そのための有力な手段を否定されておる。あるいは交戦権という法律上の手段も否定されておる。従つて金森さんも言つておりましたように、りつぱな戦争の形のものができないということを言葉で表わしておりました。そういう気持で今日までおるわけでございます。
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第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日

1954年(昭和29年)

 5月13日

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○政府委員(佐藤達夫君)
(略)
要するに今の国の作用というものを三つに分けるという、いわゆる三権分立の一般の分類を今の憲法においてとつておりますからして、こういう、即ち外敵を防ぐとかいうようなことが国の作用として許されておるという前提をとりますならば、その作用は立法にあらず、司法にあらず、それは行政の作用であろうということが言い得ると思います。それが一体許されておるかどうかという問題に触れなければなりませんが、これは非常に現実具体的な形では今まで出ませんでしたが、例えばこの憲法ができます際の帝国議会の審議の際において、この憲法は一体無抵抗主義であるのかという御質問が貴族院でありました場合に、決して無抵抗主義ではございませんということを言つておるわけであります。外敵に対して一応許された範囲においての抵抗というものはあり得ることを前提としておりますと答えておるわけでございますからして、できたときの趣旨から言つても、そういうことはあり得るという前提で参つておりますからして、そういうことは今の三つの権力に分けて分類すれば、行政権であろうということが言えると思うのです。ただ、憲法が違つた形でできておつて、仮にいわゆる四権の一つとしての統帥権というものを憲法が作れば、これは憲法を作るその政策の問題としては考え得られますけれども、とにかく三権ということで行つております以上は、その実体は行政権であり、行政作用であろうということであります。従いましてその点は木村大臣の答えた通りであると考えております。
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○政府委員(佐藤達夫君)

(略)

今の行政権についてのお言葉でございますが、この問題はもう少し掘下げて考えてみますというと、一応は私は国を守る作用ということは、結局今の内乱が起つた場合に、その内乱を抑える、それを防ぐというような作用というものとは、根本性質は同じものであろうと思いますからして、これをよそから眺めた場合には、要するに立法権でないことは明瞭、司法権でないことは明瞭ということで、一応行政権でございますと答えておるわけでございます。この限りにおいては、その本質をつかまえて言えば、行政作用であることはどうも誤まりないように思います。……(略)……
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第19回国会 参議院 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日


 6月3日 衆議院外務委員会 下田武三外務省条約局長答弁

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○下田政府委員 平和条約でも、日本国の集団的、個別的の固有の自衛権というものは認められておるわけでございますが、しかし日本憲法からの観点から申しますと、憲法が否認してないと解すべきものは、既存の国際法上一般に認められた固有の自衛権、つまり自分の国が攻撃された場合の自衛権であると解すべきであると思うのであります。集団的自衛権、これは換言すれば、共同防衛または相互安全保障条約、あるいは同盟条約ということでありまして、つまり自分の国が攻撃されもしないのに、他の締約国が攻撃された場合に、あたかも自分の国が攻撃されたと同様にみなして、自衛の名において行動するということは、一般の国際法からはただちに出て来る権利ではございません。それぞれの同盟条約なり共同防衛条約なり、特別の条約があつて、初めて条約上の権利として生れて来る権利でございます。ところがそういう特別な権利を生ますための条約を、日本の現憲法下で締結されるかどうかということは、先ほどお答え申し上げましたようにできないのでありますから、結局憲法で認められた範囲というものは、日本自身に対する直接の攻撃あるいは急迫した攻撃の危険がない以上は、自衛権の名において発動し得ない、そういうように存じております。
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第19回国会 衆議院 外務委員会 第57号 昭和29年6月3日

 6月9日 自衛隊法

 7月 自衛隊の創設

 12月22日 衆議院予算委員会 大村清一防衛庁長官答弁(安保法制墾平成26年5月15日の報告書でも指摘しているもの)

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○大村国務大臣 ただいまお尋ねになりました点につきまして、政府の見解をあらためて申し述べます。
 第一に、憲法は自衛権を否定していない。自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。従つて現行憲法のもとで、わが国が自衛権を持つていることはきわめて明白である。
 二、憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。一、戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。二、他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和29年12月22日

1955年(昭和30年)

 8月 重光葵外相はダレス国務長官に対し、西太平洋を条約区域とする日米相互防衛条約案を提示した。?(リンク

 6月16日 衆議院内閣委員会
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○鳩山国務大臣 私が先ほど申し上げましたことで、憲法を改めなくても自衛力が持てると申しましたのは、言葉が足りなくて誤解を招きましたが、その真意は、自衛のため必要最小限度防衛力を持てると申したのでありまして、決して近代的な兵力を無制限に持ち得ると申したのではありません。また自衛のためというのは、他国からの侵略を受けた場合に、これを排除するため必要な限度という意味で申したのであります。吉田内閣当時、戦力という言葉を解しまして、近代的戦争遂行能力というふうに言っておられましたのは、もちろん傾聴すべき見解と思うのでありますが、私は戦力という言葉を、日本の場合はむしろ素朴に、侵略を防ぐために戦い得る力という意味に使っていまして、こういう戦力ならば自衛のため必要最小限度で持ち得ると言ったのであります。その意味において、自由党の見解と根本的に差はないものと考えております。独立国家としては主権あり、主権には自衛権は当然ついているものとの解釈に立って、政府は内外の情勢を勘案し、国力に相応した最小限防衛力を整えたいと考えているのであり、従ってその限界は、国力の現状においてはきわめて限られたものになるのでありまして、他国を脅威するような原水爆等の攻撃的武器を持つ考えもなく、また憲法を改めない限り持てないものであると考えております。江崎君が本会議で六カ年計画を示せとおっしゃいましたが、防衛庁で検討の最中であり、さらに慎重に各方面から検討するため国防会議に付する必要を認めますので、ここに国防会議法案を提出した次第であります。私が野党時代に表明した見解は、その後変えたことは先ほど申し述べた通りであります。また先ほど述べました答弁のうちで言葉の足りなかった点は、何とぞこの際御了承をいただきまして、本会議の審議に御協力を賜わるようお願いをいたす次第でございます。
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第22回国会 衆議院 内閣委員会 第23号 昭和30年6月16日

1956年(昭和31年)

 2月29日

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○船田国務大臣
(略)
  わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。昨年私が答弁したのは、普通の場合、つまり他に防御の手段があるにもかかわらず、侵略国の領域内の基地をたたくことが防御上便宜であるというだけの場合を予想し、そういう場合に安易にその基地を攻撃するのは、自衛の範囲には入らないだろうという趣旨で申したのであります。この点防衛庁長官と答弁に食い違いはないものと思います。
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第24回国会 衆議院 内閣委員会 第15号 昭和31年2月29日


1956年(昭和31年)

 3月11日
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○政府委員(角田禮次郎君)
(略)
 そこで、御質問の自衛隊法上の防衛出動による武力の行使が行われた場合でありますが、これはいま申し上げた自衛権の行使として自衛のための必要最小限度実力行使をするということにとどまるものでありますから、憲法第九条第一項において放棄されている国権の発動たる戦争というものではないというふうに理解しております。
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第94回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和56年3月11日

 3月27日
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○国務大臣(船田中君) 吉田委員のおっしゃられる点が今まで私の御説明申し上げておる答弁とどういう点が違うのか、御質問の要旨が私にはっきりわかりませんが、憲法九条の二項は自衛のために必要な最小限度の戦力を持つことができる、その戦力という解釈が近代戦争を遂行する能力とかあるいは単純に外敵と戦い得る力というように解釈が二、三あると思います。しかしながら自衛のために必要なる最小限度実力を持つことは憲法第九条は禁止しておるんでないという、こういう解釈は従来の政府もそういう解釈をとっており、現政府もその解釈を支持しておるわけでありまして、その間に何ら変更したことはないと私は存じます。
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第24回国会 参議院 内閣委員会 第19号 昭和31年3月27日

1957年(昭和32年)

 7月 東京都北多摩郡砂川町(現在では東京都立川市)の米軍立川飛行場の拡張計画に反対する住民らが、飛行場内に正当な理由なく立ち入った(砂川判決へ)


1959年(昭和34年)

 3月16日 参議院予算委員会 林修三内閣法制局長官答弁

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○政府委員(林修三君) 平和条約には、確かに日本は固有の権利としての集団的または個別的の自衛の権利を有すると書いてございます。国際法的には、日本は集団的または個別的の自衛権を持っているということは言えると思います。ただ、日本の憲法の上から申しまして、そういうことが日本の憲法のいわゆる自衛権の範囲に入るかと言われれば、今言ったように、集団的自衛という問題は、これはいろいろあると思います。内容は必ずしも一に限らないと思うわけでございます。ただ、先ほど仰せられたように、外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけにしぼって集団的自衛権ということが憲法上認められるかどうかということをおっしゃれば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない、こういうふうに言うべきであろうと思います。
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第31回国会 参議院 予算委員会 第11号 昭和34年3月16日

 9月2日 参議院外務委員会 林修三内閣法制局長答弁

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日本の米軍の基地がやられたという場合に、それを日本が守るということは、これはよその国を守ることじゃないかという御議論もあるようでございますが、これは、私は、理論的にも実際的にもそういうことは成り立たないのじゃないかと思います。日本の国内にある米軍の施設区域を外国がゆえなく攻撃してくるということは、これは同時に日本の領土、領海を侵さずしてそういうことができるはずのものではございません。またそういう意図が何によって証明できるかということもこれはわからない。日本の領土、領海に侵入してくる外国のものが、果していかなる意図を持って入ってくるかということは、これは実際はわからないのでございます。われわれとしては、当然に日本としては、日本の領土をゆえなく侵すものは、日本に対する侵害であるというふうに認定するのは当然だと思います。もちろん事態によっていろいろ認定の仕方はございましょうけれども、そういうふうに見得るものだと思います。そういう場合に、日本が自衛権を発動する、これを日本が単独でやれば、もちろん単独でも私は守り得ることだと思います。で、そういう場合に、アメリカと日本が共同して日本を守るということは、集団的自衛権という言葉を用いれば、これは集団的自衛権の発動かもわかりません。しかし、さっき申しましたように、日本が日本自体を守るということは、日本が単独でやろうと、アメリカと共同してやろうと、それは個別的自衛権だというふうな説明もできるわけでございまして、そういう説明を従来しておるわけでございます。いわゆる国連憲章の五十一条の集団的自衛権という問題が一番典型的に問題となるのは、いわゆる二国が、お互いにお互いの国がやられた場合には、お互いの国を助け合おう、外国からやられた場合、Aという国がやられたことはBという国、自分の国がやられたことと同じである、そういう意味でAという国がやられた場合にBという国が集団的自衛権を発動する、それが集団的自衛権の最も典型的なものである。日本がそういう意味の集団的自衛権、つまり米国がやられた場合に米国本土自体を日本が守るという、そういう意味の集団的自衛権というものは、日本の憲法からは認められないのじゃないか、かように考えます。しかし、アメリカの立場からいいますれば、アメリカが日本の国土を守る、日本がやられた場合に日本の国土をアメリカが守ってくれる、これはまさに国連憲章五十一条の集団的自衛権の発動でございます。これは集団的自衛権で説明する以外にないと思います。そういう意味で、日本を守るという行動自身も、日本の目で見れば個別的自衛権、アメリカの目で見れば集団的自衛権、こう言うことは何にも不思議はない、かように考えております。
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第32回国会 参議院 外務委員会 閉会後第3号 昭和34年9月2日

 12月16日 砂川事件最高裁判決

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かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
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1960年(昭和35年)

 1月19日 日米安全保障条約(新)前文
 2月10日 参議院本会議 岸首相の答弁

 3月31日 参議院予算委員会 林修三内閣法制局長官 岸信介首相

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○政府委員(林修三君) 集団的自衛権という言葉についても、いろいろ内容について、これを含む範囲においてなお必ずしも説が一致しておらないように思います。御承知の通りに、国連憲章では、集団的自衛権を固有の権利として各独立国に認めておるわけです。あるいは平和条約におきましても、日ソ共同宣言におきましても、あるいは今度の安保条約におきましても、日本がいわゆる集団的自衛権を持つことをはっきり書いてあるわけです。そういう意味において国際法上にわが国が集団的、個別的の自衛権を持つことは明らかだと思います。ただ、日本憲法に照らしてみました場合に、いわゆる集団的自衛権という名のもとに理解されることはいろいろあるわけでございますが、その中で一番問題になりますのは、つまり他の外国、自分の国と歴史的あるいは民族的あるいは地理的に密接な関係のある他の外国が武力攻撃を受けた場合に、それを守るために、たとえば外国へまで行ってそれを防衛する、こういうことがいわゆる集団的自衛権の内容として特に強く理解されておる。この点は日本の憲法では、そういうふうに外国まで出て行って外国を守るということは、日本の憲法ではやはり認められていないのじゃないか、かように考えるわけでございます。そういう意味の集団的自衛権、これは日本の憲法上はないのではないか、さように考えるわけでございます。
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○政府委員(林修三君) これはいろいろの内容として考えられるわけでございますが、たとえば現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません。

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○国務大臣(岸信介君) 今法制局長官もお答え申し上げましたように、いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられておる締約国や、特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその団を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない、かように考えております。

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○国務大臣(岸信介君) 日本の自衛、いわゆる他から侵略された場合これを排除する、憲法において持っている自衛権ということ、及びその自衛の裏づけに必要な実力を持つという憲法九条の関係は、これは日本の個別的自衛権について言うていると思います。しかし、集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えております。しかしながら、その問題になる他国に行って日本が防衛するということは、これは持てない。しかし、他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っている、こう思っております。

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第34回国会 参議院 予算委員会 第23号 昭和35年3月31日


 上記の「林修三内閣法制局長官」の答弁は、下記の平成16年の答弁で補正されている。

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○秋山政府特別補佐人 昭和三十五年の参議院予算委員会におきまして、法制局長官が、例えば日米安保条約に基づく米国に対する施設・区域の提供、あるいは侵略を受けた他国に対する経済的援助の実施といったような武力の行使に当たらない行為について、こういうものを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、そういうものは私は日本の憲法の否定するものとは考えませんという趣旨の答弁をしたことがございます。
 この答弁は、当時の状況において、集団的自衛権という言葉の意味につきまして、これは御承知のように国連憲章において初めて登場した言葉でございまして、その言葉に多様な理解の仕方が当時は見られたことを前提といたしまして、御指摘のような行為につきまして、そういうものを集団的自衛権という言葉で理解すれば、そういうものを私は日本の憲法は否定しているとは考えませんと述べたにとどまるものと考えております。
 現在では、集団的自衛権とは実力の行使に係る概念であるという考え方が一般に定着しているものと承知しております。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日


1968年(昭和43年)

 3月16日
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○高辻政府委員 お答え申し上げます。

 自衛権の範囲の問題につきましては、これも御承知のとおりに、従前しばしばお答え申し上げておりますが、簡単に要点を申し上げますれば、わが国に対する急迫不正の侵害があったときに、国民の生命安全を守るために他に手段がないという場合に、必要最小の限度において働くというものだと解しております。

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○高辻政府委員 お答え申し上げます。

 先ほどお答えを申し上げたこととも関係がございますが、わが国の憲法第九条、これは戦争の放棄という条章の規定のもとに第九条がございますが、第九条の解釈として、自衛権は否定しておらない。そうして自衛権の行使ということがあることも御質問の中ではうかがわれるように思いますが、いまの御質問の前提としては、そういうことをまず前提に置いてのことかと思いますが、そういう急迫不正の侵害があって、わが国の国民の生命等の危険に瀕した場合にそれを防衛するという事態、これは理論上ないとはいえないわけでございます。そういう場合についてのいろんな法律上の措置あるいは対策といいますか、そういうものについてまですべて憲法に違反するということには相ならないと思います。

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○高辻政府委員 いわゆる憲法九条一項は、国際紛争を武力で解決することはいたさないということがございまます。それは放棄をするということでございますが、それについていわゆる戦争というもの、これは国際法上の概念でございますが、そういうものについては、先ほど来の御設例にありますような、本来戦争というものは国家固有の一種の権能といってはおかしいですが、自由というものが認められておりましたが、だんだん国際法が発展するにつれて一種の自衛行動というものだけに限定されてまいったというのは国際法社会においても大体同じであります。それがわが憲法におきましては国内法をもって自衛のための構想、これは認めていないとはいえないというその限度における一つの武力行使の状況、これは憲法が認めているから、その限りのことは法制上もやはり考えることがあって差しつかえない、こういうことを申し上げたわけでございます。

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○高辻政府委員 先ほどのお答えですべて申し上げたつもりでございますが、わが国の憲法九条は自衛権というものの完在を否定しておらない。これは最高裁も認めております。最高裁も言っておりますように、自衛のための措置をとること、この中身は言っておりませんが、そういうことも認めておる。日本のいまの現行法制のたてまえでは、自衛隊法というものがあるのは、その判決に合わせていえば、これは見るほうの立場でございますが、自衛のための一つの措置であるという、ふうにいえると思います。それがたで人形としてあるわけではなくて、やはり自衛権の行使という場面になりますと、そこに武力の行使というものが起こらざるを得ない。その場合に相手国が宣戦の布告をすれば、それは国際法上は戦争状態ということにならざるを得ないということをさっき申し上げたわけでございます。

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○高辻政府委員 ただいま申し上げておりますように、国内法と国際法の両面の関係があるわけですね。それで国際法の関係で、日本が憲法九条があるからといって、まずそういう悲惨な目に合うことがないといっていても、これは他国が侵害するということを法律でもって防御するわけにはむろんいかない。したがってそういう事態が生ずるかもしれない。生じた場合には、国際法の関係でいえばそれは戦争状態になるだろう。相手国が宣戦布告をするなりすれば、国際法の分野においてはそういう関係が生じないとはいえない。しかし先ほども申し上げましたように、大事なことはそういうことではなくて、わが憲法の上でやれるのは一体何であるかといえば、そういう場合の侵害排除するという一点に尽きるということ、その場合に交戦権があることになるではないかとおっしゃいますが、憲法上は交戦権は否認しておるわけでございますから、もっぱら自衛のための措置、つまり再び侵害を受けないように自国の国民を守るという限度のものは、直ちにこれを交戦権の行使であるというふうにおっしゃることはないと思います。これはあくまでも自衛権の行使としていけばいいし、またそれが限度である、こういうことを申し上げたいと思います。

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第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和43年3月16日


1969年(昭和44年)

 2月19日 衆議院予算委員会

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○高辻政府委員 これも実は初めて申すことではございませんことをお断わりして申し上げたいと思いますが、先ほども自衛権との関連でちょっと申し上げましたように、集団的自衛権というものは、国連憲章五十一条によって各国に認められておるわけでございますけれども、日本の憲法九条のもとではたしてそういうものが許されるかどうか、これはかなり重大な問題だと思っております。われわれがいままで考えておりますことから申しますと、やはり憲法九条のもとで軍事力を発揮できるというのは、まさに、先ほど来申し上げておりますような、一国の安全が害される、国民の生存と安全が危うくされるという場合に、国民あっての憲法である、この憲法がそういうものを否定しているというふうに解する余地はない、個別的自衛権というものは、これは憲法が否認しているものとは考えられない、これは終始一貫した考え方でございます。しかし、他国の安全のために、たとえその他国がわが国と連帯関係にあるというようなことがいわれるにいたしましても、他国の安全のためにわが国が兵力を用いるということは、これはとうてい憲法九条の許すところではあるまいというのが、われわれの考え方でございます。
 したがって、そういう見地から申しますと、いま御指摘のような関係に立つような集団的安全保障機構というのは、憲法上重大な疑義がある、こういうふうに私どもは考えております。はっきり申し上げます。(「疑義じゃだめだよ」と呼ぶ者あり)
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第61回国会 衆議院 予算委員会 第14号 昭和44年2月19日


 4月8日

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三1 政府は、従来、わが国には固有の自衛権があり、その限界内で自衛行動をとることは憲法上許されるとの見解のもとに、いわゆる「海外派兵」は、自衛権の限界をこえるが故に、憲法上許されないとの立場を堅持しており、御指摘の、三月一〇日の参議院予算委員会における高※(注)内閣法制局長官の答弁は、重ねてこのような見解を明らかにしたものである。

   かりに、海外における武力行動で、自衛権発動の三要件わが国に対する急迫不正な侵害があることこの場合に他に適当な手段がないこと及び必要最少限度の実力行使にとどまるべきことに該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許されないわけではないと考える。この趣旨は、昭和三一年二月二九日の衆議院内閣委員会で示された政府の統一見解によつてすでに明らかにされているところである。

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安保条約と防衛問題等に関する質問に対する答弁書 昭和44年4月8日


1972年(昭和47年)

 5月12日
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○政府委員(真田秀夫君) 普通に自衛権行使の三原則といわれているものにつきましては、先ほども触れておきましたけれども、まず場合といたしましては、わが国に対して外国からの武力攻撃が行なわれたということでございます。第二番目においては、その武力攻撃を防ぐために他に方法がない武力をもって反撃するよりほかに方法がないという非常に切迫している場合、それが第二の要件でございます。それから第三番目の要件といたしましては、かくして発動される武力行使は、外国からの武力攻撃を防止する必要最小限度に限るということでございます。
 それから韓国についての、韓国条項についての御質問でございますが、これはわが国の自衛権行使の三要件とは関係がございませんで、いま申しましたように、わが国に対する武力攻撃があった場合に日本の個別的自衛権は限定された態様で発動できるというだけのことでございますから、韓国に対する脅威が、危害がありましても、これは直ちにわが国の自衛権が発動することになるとは毛頭考えておりません。
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第68回国会 参議院 内閣委員会 第11号 昭和47年5月12日

  5月15日 沖縄返還

 10月14日 参議院への政府提出資料

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憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第 13 条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
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集団的自衛権と憲法との関係 参議院決算委員会提出資料 内閣法制局 昭和47年10月14日 PDF (P63)


 11月13日 参議院予算委員会 吉國一郎内閣法制局長官

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○政府委員(吉國一郎君)

(略)

 ところで、政府は、昭和二十九年十二月以来は、憲法第九条第二項の戦力の定義といたしまして、自衛のため必要な最小限度を越えるものという先ほどの趣旨の答弁を申し上げて、近代戦争遂行能力という言い方をやめております。

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第70回国会 参議院 予算委員会 第5号 昭和47年11月13日


1973年(昭和48年)

 6月21日

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○吉國政府委員 先ほど来、自衛権発動の三要件について、前からの法制局の答弁が、前の時代に広がったように思うというお話でございまするが、私どものほうは、自衛権の発動の三要件については、四代前の長官以来変わってないつもりでございます。しかし、その御質疑がございますので、古い答弁も調べまして、またお目にかけるようにいたしたいと思います。

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第71回国会 衆議院 内閣委員会 第32号 昭和48年6月21日


 入江俊郎(1946年-1947年) → 佐藤達夫 → 林修三 → 高辻正己 → 吉國一郎

 【参考】内閣法制局長官 Wikipedia


 9月13日
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○政府委員(吉國一郎君) ただいまお触れになりました砂川の最高裁判決においても言っておりますように、憲法第九条が、同条にいわゆる戦争を放棄して、いわゆる戦力の保持は禁止しているけれども、しかし、これによってわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されておらない、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるということを最高裁の判決は言っております。私どもの考え方では、この自衛のための必要な措置として自衛力を保持するということを言っておるわけでございます。その自衛力は憲法第九条第二項でその保持を禁止しているところの戦力ではない。憲法第九条第二項において保持を禁止している戦力と申しますのは、先ほど私のほうの部長からお答え申し上げましたように、第一項においては戦争を放棄しておる。その第一項の全体の精神を受けまして「前項の目的を達するため、」と言っていることからいって、自衛のため必要な最小限度において自衛力を整備することは憲法第九条第二項で保持を禁止する戦力ではない。言いかえれば、自衛のため必要な最小限度を越える実力、越える力が戦力であるということに相なるわけでございます。
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第71回国会 参議院 内閣委員会 第27号 昭和48年9月13日


 9月18日
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○政府委員(角田礼次郎君) 御指摘のように、各国の憲法の中でいわゆる侵略戦争の放棄ということをうたった規定が多々あることは御指摘のとおりだと思います。むろんわが国においても、そういう意味の侵略戦争が放棄されておるというか、禁止されておるわけでありますが、しかし、その反語として、直ちにわが憲法においていわゆる自衛戦争が許されるというような言い方は、政府としてはしていないわけであります。自衛権の行使という場合においても、わが国は御承知のような憲法の上では自衛のための必要最小限度の実力行使しかしない、専守防衛とかそういうふうなことばで言われることもあります。
 それからまた自衛のための措置として、私どもは必要な実力組織を保有することは必要最小限度で許されると言っておりますが、これまた自衛のためであればどのような実力組織を持つことも許されるというような、そういうほかの国の何といいますか、実力組織の保有のしかたとは違うわけでありまして、憲法上の制約としては最小限度のものでなければいけない。たとえば、先ほど防衛庁長官から御説明申しましたようないろいろな、徴兵制であるとか、海外派兵ができないとか、あるいは侵略的、攻撃的な脅威を与えるような兵器は持てないとか、そういう意味におきまして規範的な拘束力があるわけでございますから、単に各国の憲法と比較しまして、各国の憲法ではそういう意味の規範がないという意味におきまして、私どもはやはり質的に違っているというふうに考えております。
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第71回国会 参議院 内閣委員会 第29号 昭和48年9月18日


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○政府委員(角田礼次郎君) 私どもは自衛戦争はできないと思っておりますし、また、自衛戦争ということばをお使いになる方がどういう意味で使っているか確実には言えませんけれども、しかし、外にあらわれた形では、私どもは、たとえば一般に自衛戦争の場合にはおそらく国際法上の交戦権というようなものもできるでしょうし、それから、場合によっては相手国に対して相手国の領域に進んで兵力を派遣するという、いわゆる海外派兵もできるのだろうと思います。しかし、われわれはそういうことはできないと言っているわけですから、そういうような意味で、海外派兵というような一つの例をとってみても明らかに外にあらわれた形において違った現象があると思います。
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第71回国会 参議院 内閣委員会 第29号 昭和48年9月18日


1978年(昭和53年)

 4月3日

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○政府委員(真田秀夫君) それでは、核兵器の保有に関する憲法第九条の解釈についての補足説明を申し上げます。
 一 憲法上核兵器の保有が許されるか否かは、それが憲法第九条第二項の「戦力」を構成するものであるか否かの問題に帰することは明らかであるが、政府が従来から憲法第九条に関してとっている解釈は、同条が我が国が独立国として固有の自衛権を有することを否定していないことは憲法の前文をはじめ全体の趣旨に照らしてみても明らかであり、その裏付けとしての自衛のための必要最小限度の範囲内の実力を保持することは同条第二項によっても禁止されておらず、右の限度を超えるものが同項によりその保持を禁止される「戦力」に当たるというものである。
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第84回国会 参議院 予算委員会 第23号 昭和53年4月3日

1981年(昭和56年)

 3月16日

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○政府委員(角田禮次郎君) まず、ただいま御指摘の第一の、憲法九条がわが国の自衛権を否定するかどうかという問題につきましては、憲法第九条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかし、もちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防衛、無抵抗を定めたものではないのであると、こういうふうに判示しております。
 次に、自衛の措置をとることを禁止するものではないという点につきましては、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の機能の行使として当然のことと言わなければならないと、このように判示しております。
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第94回国会 参議院 予算委員会 第10号 昭和56年3月16日

 5月29日 政府答弁書(鈴木善幸内閣)

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 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
 我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。

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 御指摘の答弁は、その答弁に係る事態について、我が国の自衛権の行使が認められる余地があるという趣旨のものではない。このことは、同答弁の直前において、「わが国に対する武力攻撃があつた場合に日本の個別的自衛権は限定された態様で発動できるというだけのことでございますから」と述べていることからも明らかである。
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「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書 昭和56年5月29日

  【参考】「わが国に対する武力攻撃があった場合に日本の個別的自衛権は限定された態様で発動できるというだけのことでございますから」の部分について

      第068回国会 内閣委員会 第11号 昭和47年5月12日

      第094回国会 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日


 6月3日
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○角田(禮)政府委員 ちょっと別の例で申し上げて恐縮でございますが、いわゆる個別的自衛権、こういうものをわが国が国際法上も持っている、それから憲法の上でも持っているということは、御承認願えると思います。
 ところが、個別的自衛権についても、その行使の態様については、わが国におきましては、たとえば海外派兵はできないとか、それからその行使に当たっても必要最小限度というように、一般的に世界で認められているような、ほかの国が認めているような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られておるわけです。そういう意味では、個別的自衛権は持っているけれども、しかし、実際にそれを行使するに当たっては、非常に幅が狭いということを御了解願えると思います。
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第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日


1982年(昭和57年)

 7月8日

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○角田(禮)政府委員 私どもはかねがね、現在の憲法九条のもとにおいて自衛のための必要最小限度の武力行使はできる、こういうことを申し上げているわけであります。

 そこで戦争とどう違うかということになりますが、これは戦争という言葉の定義にもかかわってまいりますが、自衛のために必要最小限度の武力行使ということを行った場合に、相手方との間に一定の戦闘状態が起こるわけであります。したがって、そういう戦闘状態を戦争というならば、これは確かに戦争になるわけであります。しかしながら、先ほども私が申し上げましたように、一般に戦争といえば国際法上特に制限された手段以外の自由な害敵手段を通じてやるわけであります。たとえば交戦権も当然それに伴ってある、相手国を屈服させるまで最後までやる、そういうようなものが戦争であるというふうに一般には観念されていると思います。したがって、そういう観念に従って言えば、わが国は先ほど申し上げたように必要最小限度の武力行使しかできないわけでありますから、明らかに戦争というものとは違うものしかできない、こういうことになるわけであります。戦争自衛のための抗争あるいは自衛のための必要最小限度の武力行使というのは、そういう違いがあるわけでございます。

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○角田(禮)政府委員 宣戦布告というものが、先ほど私が申し上げましたような通常の戦争というものに付随する観念であるとすれば、そういうものはできないと思います。しかし、自衛のための必要最小限度の武力行使を開始するぞということを世界に向かって宣言するなら、それを仮に戦争宣言と言われるならば、そういうことは当然やると思います。

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○角田(禮)政府委員 宣戦布告の問題と先制攻撃の可否の問題とが少し混乱しているんじゃないかと思います。私どもは必要最小限度の武力行使しかしないと言っておりますときには、これは先制攻撃はできない。つまり、かねがね自衛権の三要件として申し上げておりますが、その第一の要件として相手方から不法な侵略があったことということを申し上げておりますから、いわゆる先制攻撃はいたしません。

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○角田(禮)政府委員 これも従来からたびたび申し上げておりますが、わが国の自衛権の発動に当たってはいわゆる三要件というものがあるわけであります。その三要件につきましては、先ほど申し上げたように、相手方から不正、緊急の侵略があった場合にそれを発動するということを申し上げておりますが、さらにそれを具体的に申し上げますと、いわゆる組織的、計画的な武力攻撃があったときに初めてわが国の自衛権は発動する、こういうふうに申し上げているわけであります。したがって、漁船が一隻やられたからといってそれが直ちに組織的、計画的な武力攻撃と見られない場合もありますから、その場合には自衛権は発動できないということになります。

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○角田(禮)政府委員 これもたびたび申し上げておりますが、先ほど申し上げたように、わが国に対する武力攻撃が発生したとき初めてわが国の自衛権は行使できるわけでございます。ただ、その武力攻撃が発生したときという、いつをもって発生したと見るかは、そのときの国際情勢だとか相手国の明示された意図とか攻撃の手段、態様等によるわけでございますから、いろいろな条件を総合的に勘案しなければいけないと思います。したがって、いまの御設例の一つ一つにどうだこうだということはなかなか申し上げにくいと思いますけれども、要するに武力攻撃というのは組織的、計画的な攻撃でございますから、そういうものすべてを見た上で判断をしなければいけない、こういうことになるわけでございます。

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○角田(禮)政府委員 これも昭和四十五年に例の「ニイタカヤマノボレ」の無電が発せられたときをもって攻撃を加えたかどうかという問題として当時いろいろ論議されたところでございますが、その場合にも政府の統一見解として、現実の事態においては先ほど申し上げたようにそのときどきの国際情勢だとか相手国の明示された意図であるとか攻撃の手段、態様等によるのであって、抽象的にあるいは限られた与件のみ仮設して論ずるわけにはいかないということを申し上げているわけであります。確かに、いまいろいろ御設例になりましたけれども、その一つ一つについてここで具体的にどうだこうだということは、先ほど申し上げたように申し上げかねると思います。

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○角田(禮)政府委員 外国の憲法との比較でございますが、端的に申し上げて、外国の憲法の中にも侵略戦争の放棄というような規定を持っているものがございます。しかし、わが国の憲法は、九条の解釈としてはそれのみにとどまらないわけであります。外国では、侵略戦争は放棄しているけれども自衛戦争は反対にできると考えていると思います。しかも、その自衛戦争というのが、先ほど来申し上げているように自由な害敵手段を行使することができるということを前提として、交戦権もあり、またわれわれができないと言っている海外派兵もできるだろうし、またわれわれが持ち得ないというような装備というものも持ち得るというふうに解されていると思います。およそそういうことは外国の憲法では制限されていないと思います。ところが、わが国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり自衛のためといえども必要最小限度の武力行使しかできませんし、またそれに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという九条二項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。

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第96回国会 衆議院 内閣委員会 第18号 昭和57年7月8日


1985年(昭和60年)

 9月27日
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(一) 憲法第九条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政府は、従来から、


   ① 我が国に対する急迫不正の侵害があること

   ② これを排除するために他の適当な手段がないこと
   ③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
   という三要件に該当する場合に限られると解しており、これらの三要件に該当するか否かの判断は、政府が行うことになると考えている。

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 我が国が自衛権の行使として
我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られるものではなく、公海及び公空にも及び得るが、武力行使の目的をもつて自衛隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。

 仮に、他国の領域における武力行動で、自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許されないわけではないと考える。

 この趣旨は、昭和三十一年二月二十九日の衆議院内閣委員会で示された政府の統一見解によつて既に明らかにされているところである(昭和四十四年四月八日内閣衆質六一第二号答弁書参照)。

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 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
 我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものあると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。

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憲法第九条の解釈に関する質問に対する答弁書 昭和60年9月27日


1988年(昭和63年)

 4月6日 参議院予算委員会

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○政府委員(味村治君) 憲法制定当時におきまして、当時の吉田総理が、自衛権の有無につきまして昭和二十一年六月二十八日の衆議院本会議におきまして、「近年ノ戦争ハ多クハ国家防衛権ノ名ニ於テ行ハレタルコトハ顕著ナル事実デアリマス、故ニ正当防衛権ヲ認ムルコトガ偶々戦争ヲ誘発スル所以デアルト思フノデアリマス、」、こういう答弁をされております。しかしながら、またこの答弁につきましては吉田総理は、昭和二十一年七月四日の衆議院の帝国憲法改正案の委員会におきまして、さきに「私ノ言ハント欲シマシタ所ハ、自衛権ニ依ル交戦権ノ放棄ト云フコトヲ強調スルト云フヨリモ、自衛権ニ依ル戦争、又侵略ニ依ル交戦権、此ノ二ツニ分ケル区別其ノコトガ有害無益ナリト私ハ言ツタ積リデ居リマス、」、こういうような答弁をされております。
 さらに、第七回国会における施政方針演説におきましては、総理は、「戦争放棄の趣意に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものでない」とか、あるいは十二回国会の衆議院の平和安全保障条約委員会におきましては、自衛権に関し、芦田委員の質問に対して吉田総理は、「私の当時言ったと記憶しているのでは、しば々自衛権の名前でもつて戦争が行われたということは申したと思いますが、自衛権を否認したというような非常識なことはないと思います。」と。
 その当時の答弁に若干のぶれがあったということは否定できないわけでございますが、現在の政府の解釈は、先ほど防衛庁長官がおっしゃったとおりでございます。
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第112回国会 参議院 予算委員会 第18号 昭和63年4月6日

1989年(平成元年)

 12月7日
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○政府委員(日吉章君) 我が国の自衛隊の整備は憲法の精神に基づきまして進めているところでございまして、これはもう委員に今さら申し上げるまでもないことかと思いますが、憲法第九条は我が国が主権国として有する固有の自衛権までも否定しているものではございませんで、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限実力を保持することは同条の第二項によって禁じられていないものと解釈いたしております。
(略)
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第116回国会 参議院 内閣委員会 第5号 平成元年12月7日

1994年(平成6年)

 10月11日
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○大出政府委員 憲法の解釈にかかわる問題でございますので、まず私の方から申し上げさせていただきたいと思いますが、憲法九条の一項というものは、これは戦争を放棄しておる、こういうことでございますけれども、我が国を防衛するための自衛権の行使、こういうものまで否定をしているものではない、こういうことであります。
 先ほど三つのタイプに分けてお話がございましたが、いわゆる自衛戦争侵略戦争、それから制裁戦争というおっしゃり方をなさったわけでありますが、我が憲法九条というのは、我が国を防衛するために必要最小限度の実力を行使する、こういうことが認められておる、こういうことであります。
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第131回国会 衆議院 予算委員会 第1号 平成6年10月11日

1995年(平成7年)

 1月30日
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○大出政府委員 自衛隊の合憲性の根拠についてということでございますが、憲法第九条は、第一項において「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定するとともに、二項におきまして「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」などの規定を設けておるわけであります。
 しかしながら、憲法第九条は、我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定しているものではなく、この自衛権の行使を裏づける、自衛のための必要最小限度実力組織を保持することは、もとより憲法第九条の禁ずるところではないということであります。
(略)
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第132回国会 衆議院 予算委員会 第4号 平成7年1月30日

1996年(平成8年)

 4月23日
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○政府委員(大森政輔君) わかりやすくということでございますけれども、憲法九条、これは文字どおり読みますと、いわゆる戦争を放棄し、そしてまた二項におきまして戦力の保持を禁止しているわけでございます。ただ、これによりまして我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されているものではないということが第一のポイントでございます。
 憲法前文におきまして、第二段あたりでございますが、
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
さらに、
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
このように憲法前文では述べているわけでございます。
 これを踏まえて考えますと、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとる、とり得ることは国家固有の機能として当然のことであるというふうに考えているわけでございまして、憲法第九条がこのことを禁止しているとは到底考えられないということでございます。このことは、昭和三十四年十二月十六日の最高裁判所砂川事件判決において明確に確認されているところでございます。
 以上でございます。
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第136回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成8年4月23日

 

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○政府委員(大森政輔君) まず、わかりやすくするために、現在、憲法九条第二項が保持しないとしている「戦力」とはどういう意味であるかということからお話しいたしますと、先ほど申し上げましたように、国家固有の自衛権は否定しておらないと。したがいまして、それを行使するための、自衛のための必要最小限度実力というものも当然否定せず認めているはずであるということが言えようかと思います。最近、一貫してそのように述べてきているわけでございます。
 そういたしますと、憲法第九条第二項が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」ということで、保持しないこととしている「戦力」というものは、ただいま申し上げましたような、我が国を防衛するために必要最小限度実力以外の実力であるというふうに言えようかと思います。
 以上が現在の結論でございますが、先ほど制憲議会における議事録についての御説明がございました。確かに、当時は戦争の惨禍に打ちひしがれまして、平和国家の再建を模索している、そういう状況におきまして、いろいろな観点から、またいろいろな考え方に立って議論がなされたわけでございます。しかも、国際情勢もあのような情勢でございました。したがいまして、あの当時の議論と申しますのは、確かにただいま申し上げました現在の考え方のような一貫した、確定した見解が述べられたというわけではございません。
 しかしながら、そのような中でも一つの流れというものは酌み取るわけでございます。その点を二点ばかり申し上げますと、まず自衛権を九条が放棄したのかどうかということにつきましては、これはもう当時から一貫して、憲法九条と自衛権との関係につきましては、我が国が独立国家である以上、自衛権を放棄しているはずはないんだということでは一貫していたかと思われます。
 次に、ただいまお尋ねの戦力の定義に関しましては、御存じのとおり、警察予備隊が発足しました第三次吉田内閣当時の国会答弁におきましては、戦力の定義として、近代戦争遂行能力あるいは近代戦争を遂行するに足りる装備編成を備えるものという説明をしておりました。そして、これは第四次吉田内閣まで同じ基本的な考え方を維持しております。
 ところが、第一次鳩山内閣が成立しました昭和二十九年十二月に至りまして、戦力の定義として、先ほど申し上げました自衛のための必要最小限度の範囲内の実力、これは憲法の禁ずるところではないんだ、したがってそれを超えるものを憲法が規定している戦力と言うんだと説明を変えました。
 これは、決して考え方、そしてその考え方を適用した結果が異なってくるような考え方の違いではありませんで、表現は異なっておりますが、我が国の防衛力の限界を示す上においては、その実質に大きな差異は、変化はなかったというふうに私どもは考え、そのように説明してきているわけでございます。
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第136回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成8年4月23日


1997年(平成9年)

 2月13日 衆議院予算委員
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○大森(政)政府委員 
(略)
 そして、先ほど、過去に憲法解釈が変わってきているじゃないかということで自衛権に関する論議の経過を御指摘になりましたけれども、多分当時の吉田総理の自衛権に関する一連の国会答弁というものを取り上げられて、それが憲法解釈の変更を含んでいるのじゃないかという御指摘であろうと思います。
 この点も今まで何度か御質問を受け、また答弁がなされているわけでございますけれども、吉田総理の昭和二十一年七月四日の答弁、そして二十六年十月十八日の答弁というようなものを概観いたしますと、吉田総理の当時述べようとされた真意というのは、自衛権を憲法は否定しているというものではなかったというものでありまして、憲法九条は自衛権は放棄していないし、外国からの急迫不正の侵害があったときは、これを排除して、我が国土、国民を守るための必要最小限の武力行使は許されるという現在の政府の解釈と矛盾する説明がなされてきたものとは理解していないわけでございます。その説明ぶりの言葉は若干の変遷がございますけれども、底に流るる基本的な考え方というものに憲法解釈の変更を伴うような変更はないというのが私どもの考えでございます。
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第140回国会 衆議院 予算委員会 第12号 平成9年2月13日

1998年(平成10年)

 3月18日
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○大森政府委員 九条の趣旨は、その前提として、日本国憲法の前段で述べられている決意にやはり立ち戻らなければならないのではなかろうかと考えているわけでございます。
 前文におきましては、御承知のとおり、日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、そして、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した、このようにその決意を宣明しておりまして、これを受けまして、この決意を実現するために、第九条におきまして、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、いかなる戦力も保持せず、交戦権も認めない、このように規定していると理解されるわけであります。
 しかしながら、冒頭で委員も御指摘になりましたように、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定するものではない。したがって、我が国に対し武力攻撃が発生した場合に、これを排除するため必要最小限度の実力を行使すること、及びそのための必要最小限度実力を保持することまでも禁止しているものではないというふうに解されているところであります。
(略)

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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日


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○大森政府委員 集団的自衛権に当たるから認められないとか、集団的自衛権に当たらないのだから認められるという、集団的自衛権を核にした議論がよくなされるわけでございますけれども、我が国の問題に関する限りは、やはり集団的自衛権の概念を解するのではなくて、我が国を防衛するために必要最小限度の行動に当たるかどうかということが基準になるはずでございます。
 したがいまして、冒頭にも申し上げましたとおり、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使等を禁止しているけれども、我が国を防衛するために必要最小限度の実力行動は禁止していない。したがって、問題となる行為が我が国を防衛するために必要最小限度の行為であるかどうかということによって事が決せられるべきであるというふうに考える次第でございます。(岡田委員「持っているけれども行使できないというのは」と呼ぶ)国際法上は集団的自衛権を主権国家であるから保有しているのである、これは国際法上そのように解せられておりますから、従前も政府の答弁としてもそのように答弁してきているわけでございますが、やはりそれに対しまして、我が国は最高法規としての憲法によりまして、我が国の行動を縛っているわけでございます、言葉は悪いかもしれませんが。
 したがいまして、憲法九条によって、武力による威嚇または武力の行使に当たることはいたしません、やってはいけませんと。したがって、行動の面で縛っているわけでございますから、集団的自衛権の行使というのはその観点から認められない。国際法上は保有していると言えても、その行使は憲法で禁止されているんだということは、何らおかしいことでないということは従前から反論しているわけでございます。
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日

1999年(平成11年)
 3月15日

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○政府委員(秋山收君)
(略)
 一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます。
(略)
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日

 

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○政府委員(秋山收君) 憲法第九条のもとに認められております自衛行動と申しますのは、繰り返しになりますが、いわゆる自衛力発動の三要件具体的な武力攻撃を受けていること、それからそれを排除するためにほかの適当な手段がないこと、それから発動の態様は必要最小限に限るということでございます。
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日


 5月11日
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○政府委員(大森政輔君) まず、集団的自衛権とはいかなる概念であるかということでございますが、これは先ほども申し上げましたように、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国は攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止することを正当化される地位、このように説明されるのが通常でございます。
 したがいまして、この武力攻撃を実力で阻止するということでございますから、この実力で阻止するというのは武力を行使して阻止するという意味を持つわけでございます。
(略)
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第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第4号 平成11年5月11日

 5月20日

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○政府委員(大森政輔君) 事前にただいま引用されました文献に目を通してみたんですが、知的アクロバットというのは当たらないのではなかろうかと思うわけでございます。

 要するに、法九条は、一見いたしますと、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、あたかも一般的な否定の観を呈しているわけですが、こういう憲法九条のもとでも自衛権というものは否定していないんだということが昭和二十九年のあの見解であるわけでございます。

 すなわち、日本国は独立主権国として自国の安全を放棄しているわけではない。それは、憲法上も平和的生存権を確認している前文の規定とか、あるいは国民の生命、自由あるいは幸福追求に対する権利を最大限度尊重すべき旨を規定している憲法十三条の規定等を踏まえて憲法九条というものをもう一度見てみますと、これはやはり我が国に対して外国から直接に急迫不正の侵害があった場合に、日本が国家として国民の権利を守るための必要最小限の実力行使までも認めないというものではないはずである。これが自衛権を認める現行憲法下においても自衛権は否定されていないという見解をとる理由であります。

 これがひいては、集団的自衛権を否定する理由にもなるわけでございまして、しかしながら集団的自衛権の行使というものは、他国に対する武力攻撃があった場合に、我が国自身が攻撃されていないにもかかわらず、すなわち我が国への侵害がない場合でも我が国が武力をもって他国に加えられた侵害を排除することに参加する、これが集団的自衛権の実質的な内容でございますので、先ほど申しました憲法九条は主権国家固有の自衛権は否定していないはずであるという理由づけからいたしますと、そういう集団的自衛権までも憲法が認めているという結論には至らないはずである。

 したがいまして、先ほど御指摘になりました文献がコメントしているようなそういう自衛隊合憲論を守り通すために集団的自衛権を否定しているんだというものではございませんで、自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められないんだということ、そういうふうに考えているわけでございます。

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第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第9号 平成11年5月20日


2001年(平成13年)

 3月22日
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○政府特別補佐人(津野修君) 集団的自衛権あるいは個別的自衛権についての政府解釈が一貫しておったかどうかというお尋ねでございますけれども、これは制憲議会当時あるいは日米安保改定当時、あるいは最近までを含めてでございますけれども、基本的に個別的自衛権については、憲法第九条第一項が国際紛争を解決する手段としての戦争、あるいは武力による威嚇、武力の行使を禁じているけれども、我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなくて、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められているところであるというふうに、従来から一貫して政府としてこの見解をとってきているわけであります。
(略)
 それから、集団的自衛権につきましては、これはもともといろんな経緯があって国連憲章上あるわけですけれども、この集団的自衛権につきましては、国際法上、国家は集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされておりまして、我が国が国際法上この集団的自衛権を有していることは主権国家である以上は当然であるという考え方は、これも従来からの見解でございます。
 しかしながら、政府は従来から一貫して、憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の行使は我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであって、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものとして憲法上許されないという立場に立っているところでございまして、これは従来からの国会答弁、あるいは質問主意書に対する政府の答弁等において一貫して明らかにしてきているところでございます。
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第151回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年3月22日

 10月23日

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○政府特別補佐人(津野修君) この憲法第九条の解釈につきまして、これは有名な最高裁判所のいわゆる砂川事件に関する判決がございます。
 そして、そもそもの憲法第九条の解釈といたしましては、憲法九条の規定におきましては、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を憲法第九条は禁じているが、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものとは解されない。昭和三十四年十二月十六日のいわゆる砂川事件に関する最高裁判所判決は、憲法第九条によって我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然であるということを明白に承認しているわけでございます。政府としてもこのような見解を従来からとってきたところでございます。
 そして、自衛隊の合憲性でありますが、憲法第九条は、先ほど言いましたように戦争を放棄し、戦力の保持を禁止して、いわゆる戦力の保持を禁止しておりますけれども、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定しているものではなく、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度実力を保持することはもとより同条の禁ずるところではない、自衛隊は我が国の平和と独立を守り国の安全を保つための不可欠の機関であって、右の限度内の実力組織であるから違憲のものではない。このことは、従来、政府が国会を通じてしばしば表明してきたところであります。
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会、国土交通委員会、内閣委員会連合審査会 第1号 平成13年10月23日

 10月26日
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○政府特別補佐人(津野修君) 個別的自衛権の内容と根拠でございますけれども、これは政府は従来から、憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の発動につきましては、いわゆる自衛権発動の三要件というのがございまして、一つは我が国に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと、二つ目は、この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと、及び三番目といたしまして、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことに該当する場合に限られると解しているわけでございます。
 このように、自衛権の発動が許容される理由でございますが、政府が従来から述べておりますように、憲法第九条は、国際紛争を解決する手段としての戦争等を放棄し、戦力の保持を禁止しているわけでありますが、これによりまして我が国が主権国として持っております固有の自衛権までも否定しているものではなく自衛のための必要最小限度実力を行使することは認められていると解されるからであります。
 このことは、昭和三十四年十二月十六日のいわゆる砂川事件に関する最高裁判決におきましても、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然であるというふうにされているところでございます。
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日

2003年(平成15年)

 6月2日
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○政府参考人(宮崎礼壹君)

(略)

 憲法第九条は、第一項におきまして、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定しておりまして、さらに、同条第二項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定しております。

 解釈論といたしましてはここから出発するしかないわけでございます。この文理だけから見ますと、一見いたしますと、我が国による実力の行使は一切禁じられているようにも見えるわけでございます。

 しかしながら、憲法前文で確認しております日本国民の平和的生存権や、憲法十三条が生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えますと、憲法九条は外国からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされているような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないというふうに解されるところであります。

 すなわち、先ほど述べました憲法九条の文言にもかかわらず自衛権の発動として我が国が武力を行使することができる、認められるのは、当該武力の行使が、外国の武力攻撃によって国民の生命や身体あるいは権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処して国と国民を守るためにやむを得ない措置であるからだというふうに考えられるわけであります。

 ところで、お尋ねの集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利というふうに解されております。

 このように、集団的自衛権は、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する、直接対処するものではございませんで、他国に加えられた武力攻撃を武力で阻止することを内容とするものでありますので、先ほど述べましたような個別的自衛権の場合と異なりまして、憲法第九条の下でその行使が許容されるという根拠を見いだすことができないというふうに考えられるところでございます。

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第156回国会 参議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第9号 平成15年6月2日


 7月15日
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 憲法第九条第一項は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定し、さらに、同条第二項は、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定している。

 しかしながら、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、外国からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するため必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解され、そのための必要最小限度の実力を保持することも禁じてはいないと解される。

 我が国がこのような自衛のために行う実力の行使及び保持は、前記のように、一見すると実力の行使及び保持の一切を禁じているようにも見える憲法第九条の文言の下において例外的に認められるものである以上、当該急迫不正の事態排除するため必要であるのみならず、そのための最小限度でもなければならないものであると考える。

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内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 平成15年7月15日

2004年(平成16年)

 1月26日 衆議院予算委員会

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○秋山政府特別補佐人 集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。
 それで、政府は、従来から、その九条の文理に照らしますと、我が国による武力の行使は一切できないようにも読める憲法九条のもとでもなお、外国からの武力攻撃によって国民の生命身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために武力を行使することまでは禁止されませんが、集団的自衛権は、我が国に対する急迫不正の侵害に対処するものではなく、他の外国に加えられた武力行使を実力で阻止することを内容とするものでありますから、憲法九条のもとではこれの行使は認められないと解しているところでございます。
(略)

 それから、御質問の後段の、憲法解釈において政府が示している、
必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度実力を保有行使することは認めていると考えておるわけでございます。

 その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したことこの場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。
 お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
 したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日

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○秋山政府特別補佐人 昭和三十五年の参議院予算委員会におきまして、法制局長官が、例えば日米安保条約に基づく米国に対する施設・区域の提供、あるいは侵略を受けた他国に対する経済的援助の実施といったような武力の行使に当たらない行為について、こういうものを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、そういうものは私は日本の憲法の否定するものとは考えませんという趣旨の答弁をしたことがございます。
 この答弁は、当時の状況において、集団的自衛権という言葉の意味につきまして、これは御承知のように国連憲章において初めて登場した言葉でございまして、その言葉に多様な理解の仕方が当時は見られたことを前提といたしまして、御指摘のような行為につきまして、そういうものを集団的自衛権という言葉で理解すれば、そういうものを私は日本の憲法は否定しているとは考えませんと述べたにとどまるものと考えております。
 現在では、集団的自衛権とは実力の行使に係る概念であるという考え方が一般に定着しているものと承知しております。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日

 4月28日
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○山本政府参考人
(略)
 もちろん憲法第九条は独立国家に固有の自衛権までをも否定する趣旨ではございませんで、武力攻撃が発生した事態におきましては、我が国が自衛のため必要最小限度の実力行使を行うことは、同条の禁ずる武力の行使には当たらないというわけでございます。
(略)
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第159回国会 衆議院 武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第11号 平成16年4月28日

 6月18日

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 憲法第九条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲第九条は外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している。

 これに対し、集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利と解されており、これは、我が国に対する武力攻撃に対処するものではなく、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とするものであるので、国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使する場合とは異なり、憲法の中に我が国として実力を行使することが許されるとする根拠を見いだし難く、政府としては、その行使は憲法上許されないと解してきたところである。

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政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書 平成16年6月18日



2014年(平成26年)

 5月 横畠裕介が内閣法制局長官に就任

 7月1日 集団的自衛権行使容認の閣議決定(第2次安倍晋三内閣)

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3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置
 
(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを 守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。
 
(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第 13 条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和 47 年 10 月 14 日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。
 
(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。
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国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について 国家安全保障会議決定  閣議決定 平成26年7月1日

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「武力の行使」の新三要件

◯ わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
◯ これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
◯ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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 「武力の行使」の発動要件に「存立危機事態」が加えられたが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に論理的に当てはまらず、9条に抵触して違憲となるものである。





<参考資料>


憲法第9条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る― 鈴木尊紘 PDF

安全保障の法的基盤に関する従来の見解について 平成25年11月13日 PDF

武力攻撃に至らない侵害に対する措置(参考資料) 平成26年2月4日 PDF

集団的自衛権と内閣法制局ーー禁じ手を用いすぎではないか 南野森 2014/2/7
岸内閣が集団的自衛権を容認する答弁をしたというのは本当か? 南野森 2014/3/4

集団的自衛権の行使を可能とする 内閣の憲法解釈変更に反対する決議 福岡県弁護士会 2014年5月28日
集団的自衛権行使を容認する閣議決定の違憲・違法性について ―閣議決定は無効であり憲法9条の法規範性は不変である― 参議院議員 小西洋之 2014年6月27日 PDF

 (集団的自衛権行使を容認する閣議決定の違憲・違法性について ―閣議決定は無効であり憲法9条の法規範性は不変である― 参議院議員 小西洋之 2014年6月27日 PDF)

【安保法制】砂川最高裁判決と72年政府見解で揺れる安倍政権の矛盾 2015/6/10

【集団的自衛権は違憲(`ω´)キリッ】1999年の高村正彦外務大臣の答弁 2015/6/25

全体像と集団的自衛権の政府解釈の変遷 2015年8月11日

主な政府見解の歴史(概要) Yahoo知恵袋 2016/10/14

日本国憲法第9条(第9条に関する有権解釈) Wikipedia

絵本 戦争のつくりかた 関連年表でよりわかりやすく


国会会議録検索システム





記事の誤り

時代と共に変わってきた集団的自衛権の憲法解釈 2014年07月06日


 【「解釈に自信が無かった」集団的自衛権の始まり】の項目にて、「1947年12月21日の衆議院外務委員会の席上の事でした。」との記載があるが、その後の引用部分は「1949年(昭和24年)12月21日 衆議院外務委員会」の発言である。「1949年」を「1947年」としてしまった誤りである。