自民党改憲草案については、様々な問題が指摘されています。それについては、他のサイトで多くの批判、法的分析がありますので、そちらを見ていただきたいと思います。


    【参考】自民党憲法草案の条文解説

    【参考】自民党憲法改正案の問題点


 ここでは、「日本維新の会」の改憲案について、分かる範囲で法的分析を行い、問題点を明らかにできればと思います。 



日本維新の会 改憲案 法的分析等


日本維新の会 憲法改正原案
 平成28年3月24日

 


 日本維新の会の改憲案は、他党の案のように全面改正ではなく部分改正を目指すものである。その内容として①教育の無償化、②憲法裁判所、③統治機構改革(地域主権関係)の三項目を挙げている。


 この改憲案を見ると、現在の社会事情に対して、法律をつくることではなく、憲法改正によって成し遂げようとする勢いの良さを感じることができる。国民の権利剥奪を意図して作成したものではないため、一見広告的な見栄えは良い。


 しかし、各条文を丁寧に読み取っていくと、その内容は法律の立法による解決が十分に可能であるものや、近代立憲主義の統治原理の基本を十分に捉えておらず、法的整合性に疑問を持たざるを得ないものが見受けられる。実質的な中身を詳しく検討すると、多くの粗を見つけることができる。コンピュータープログラミングで表現するならば、教育無償化についてはサービスの低下が見られ、憲法裁判所を規定した司法制度に関しては致命的なバグが存在する。また、地域主権に関しても、法運用の面で負担なく効率的な制度であるのか疑問もある。メモリやCPUに対する負担が重い状態によく似ているのである。

 


 もしこの改憲案によって憲法改正がなされた場合、後にこの改正で起きてしまった粗(バグ)を取り除くためにさらなる改正を要することになるだろう。

日本維新の会 憲法改正原案 法的分析等
教育無償化  
〔教育を受ける権利、教育の義務及び学校教育の無償〕 
第二十六条 

  1項について、現行憲法26条1項の「能力」が「適性」に変わっている。

 また、「経済的理由によつて教育を受ける機会を奪われない。」との文言が追加されている。


 まず、「教育を受ける権利」であるが、現行憲法26条1項の適用範囲は国家が主体となって実施する教育に限られていないと考える。水泳教室や英会話スクール、サッカー教室、学習塾、レゴ教育、読書サークルの教育活動、生涯学習教育、森林教育、地域学習教育、職業訓練、社員教育などについても、教育を受ける権利として個々人の権利が不当に、不合理に、不平等に奪われてはならない旨を記載しているとも読むことができるものであると考える。つまり、現行憲法26条1項では年長者も含めたあらゆる国民が教育を受ける権利を有していることを規定しており、2項で子供向け(子女)の普通教育が存在することが初めて想定され、その義務教育については特に無償とすることを定めたと読むことができるのである。
 しかし、この規定の1項に「経済的理由によって教育を受ける権利を奪われない。」との文言を加えると、その内容はいかにも国家主体の教育しか想定していないように思われるのである。つまり、幅広い意味であった「教育を受ける権利」の意味合いを、だいぶ狭く捉えてしてしまい、国民の人権として明確に保障される範囲を狭めてしまったように見えるのである。なぜならば、英会話スクールやサッカー教室、企業の実施する生涯学習教育などの教育は、企業等による自主的な活動であり金銭的な対価を求めていることが多く、有限の国家財政の中で、これらの教育を受ける機会に対して、「経済的理由によって教育の機会を受ける機会を奪われない」と規定して完全無償化を実現することは、どうしてもできないからである。

 

 2項は現行憲法26条2項前段と同じである。2項後段の「義務教育は、これを無償とする。」の規定はこの改憲案の3項に移されたと思われる。


 3項は、現行憲法26条2項後段の「義務教育は、これを無償とする。」の趣旨をさらに拡大して規定しようとしたものであると思われる。「幼児教育から高等教育まで」とあるが、高等教育とは、高等学校までではなく、大学までは適用範囲であると思われるが、大学院などはどうなのか気になるところである。

 一見、「義務教育」という限定がなくなり、幼児教育から高等教育までを無償とするような規定にも見える。しかし、「法律に定めるところにより、無償とする。」と記載されている。そもそも法律に定めることでしか無償とならないのであれば、この憲法に書き込む必要はない。現在の法運用でも法律を立法すれば不足なく完全に即実施が可能である。しかも、この案では現行憲法の「義務教育は無償とする」という強行規定の限定が外れているため、義務教育についても法律によっては有償となりうる可能性を開いたものである。現在よりも子供の「教育を受ける権利」の保障は減少したと見るのが妥当だろう。



 小さいことではあるが、1項の「経済的理由によつて」とあるが、この規定を設けるにしても「よって」にした方がいいだろう。また、2項の「義務を負ふ」の規定も、「負う」にした方がいいと思われる。中途半端に歴史的仮名遣いを残す必要はない。過去の人物の思いを尊重して文字起こしをしているわけではないのだから、制定当時の憲法の文面になじませるのではなく、現代人が改正を行ったことを明確にした方がいいだろう。なにより、現代人にとってはパソコン入力で変換しづらいところもある。

日本維新の会 憲法改正原案  法的分析等
 憲法裁判所  
 第五章の二 憲法裁判所

 現行憲法では、第6章「司法」の章で、
「第76条 すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」
と定められている。

 よって、憲法裁判所を設置するならば、この二つの規定を改正しなくてはならない。しかし、この改憲案にはその旨の記載がない。そのため法的整合性が合致しておらず、憲法改正の限界を超えるものである。


 補則するが、現行憲法64条の「弾劾裁判所」については、司法権(76条)でないため、司法裁判所の裁判権は及ばない。裁判官訴追委員会の決定に対しても、司法裁判所の裁判権は及ばないとされている。
裁判官弾劾裁判所 Wikipedia


 もしこの憲法裁判所が司法権に属さない新たな権限を持っているのであれば、そもそもこれは憲法中に第四権力を誕生させる改正に他ならない。そうなるとモンテスキュー以来の三権分立の統治原理を根幹から変更を迫るものとなる。三権の相互の抑制均衡を軸とした権力分立の統治原理に替わる新たな統治原理を創設することに対して、明確な説明が求められるだろう。もし本当にそうするつもりであるならば、革命的改憲である。この草案を作成した政党の名の通り、まさに維新である。

権力分立 Wikipedia

 〔憲法裁判所の権限〕
第七十五条の二 

 この規定によって最高裁判所が終審裁判所の機能を担っている現在の制度が大幅に変更される。具体的な事件を審査する付随的違憲審査に関しては、この改憲案の75条の4によって、最高裁判所でもこの憲法裁判

所でも可能となり、どちらを選ぶかで判断が分かれる可能性がある。

 終局性を持った性格の異なる裁判所を国内に2つ設けるのは、国民の権利救済の一貫性を損なうため妥当でないと考える。かつて違憲判断が下された刑法の「尊属殺人」の規定があったが、尊属殺人に関する異なる事件が最高裁判所と憲法裁判所で同時に行われた場合、同時期に異なる判断が示される可能性がある。片方は最高裁判所で「違憲・無罪」判決であったが、もう片方は憲法裁判所に移送され「合憲・有罪・死刑」の判決が言い渡されたとする。この2人の判定の格差は非常に大きいものとなる。しかも、それぞれの裁判所で終局してしまうことから、この判決を覆すことができない。さらに、その刑法の規定は、最高裁判所の判断によれば「国会への削除要請」になるが、憲法裁判所では「合憲・有効」なのものとなる。この場合、裁判所の終局性が競合するため、その法律は有効なのか無効なのか分からなくなる。

 逆に、最高裁判所が「合憲・有罪」の判決を出し、憲法裁判所で「違憲・無罪」となった場合、最高裁判所では法律は有効であるが、憲法裁判所ではこの改憲案の75条の6で「判決で定められた日に無効となる。」という消極的立法作用が自動的に引き起こされることになる。刑法犯であれば、当然に期日を遡ってその法律は失効すると考えられるが、同時期に起きている最高裁判所がその法律に基づいて下した「合憲・有罪」の判定も覆される。
 これは、裁判制度の安定性を完全に損なうものである。国民の権利救済の機能などは全く考慮されていない。

尊属殺法定刑違憲事件 Wikipedia

【動画】2023年度前期・九大法学部「憲法1(統治機構論・後半)」第12回〜裁判所⑨ 2023/07/25


 この規定の「一切の法律、命令、条例、規則又は処分」との列挙であるが、これは現行憲法81条の「一切の法律、命令、規則又は処分」に『条例』を加えたものである。しかし、「条約」は追加しなくていいのだろうか。他には、現行憲法の運用では、裁判所自身による『判例』も違憲審査の対象になるはずだが、ここに加えなくてもいいのだろうか。

違憲審査制(違憲審査の対象) Wikipedia

 〔法令の抽象的合憲性審査〕
第七十五条の三 
  現在の裁判所の運用では、付随的(具体的)違憲審査制を採用している。この規定は、抽象的違憲審査制も加えた規定である。ただ、訴えを提起できる者の要件が妥当であるかは疑問である。
 〇 内閣総理大臣
 〇 いずれかの議院の総議員の4分の1以上の議員
である。
 他に考えられるものとしては、
 〇 地方自治体の首長
 〇 住民の一定数以上の署名
 〇 裁判所裁判官の申し立て
などが考えられるのではないだろうか。
 この規定では、内閣総理大臣は、地方自治体の「条例」に対しても違憲審査を訴えることができるようになる。国の権限が強化されるとも読むことができる。
「規則」とあるが、衆議院規則・参議院規則などは国会の自律権として司法審査の対象とならないものなのか気になるところである。

 ここに加えた抽象的違憲審査制では、行政の「処分」は訴えることができないようである。

 この規定の小見出しにある「合憲性審査」という言葉であるが、できるだけ解釈を合憲化しようとするような意識を促してしまう効果があるのではないかと思われる。これは、「『原子力安全委員会』の審査を通れば、原子力発電所は安全である」との誤解を生むと指摘を受けたためこの名称を取りやめ、「原子力規制委員会」へと改称された問題に似ているところがある。「違憲審査」ではなく、「合憲性審査」としてしまうと、法規や処分の違憲性を積極的に発見することで、国民の人権侵害を防止しようとする意識が薄くなってしまうと感じられるのである。厳格な審査を行おうとする意識が低くなり、国民よりも立法府や行政府に対して甘い判断となることを招きかねないのである。もし自分自身の人権にかかわる問題が憲法裁判にかけられた際、「合憲性審査」という言葉では不安を覚える人の方が多いのではないだろうか。法論理としては同じことを意味していても、小さいことであるが、言葉の印象にもこだわり、質のいい洗練された憲法をつくり出していく意識を持つことをお勧めしたい。
 〔法令の具体的合憲性審査(通常裁判所からの憲法判断の移送) 〕
第七十五条の四 
  現在、裁判所では付随的(具体的)違憲審査制を採用している。しかし、この規定によって、具体的事件の裁判であっても憲法判断の必要があると認めるときは「憲法裁判所」に移送することができるとされている。こうなると、通常裁判所でも違憲審査が可能であり、憲法裁判所でも違憲審査が可能であるということになる。そのどちらの判断にするかというのは、当事者からの申し立てや通常裁判所裁判官の職権によるとしている。つまり、現在の最高裁判所の終審裁判所としての機能は損なわれる。同じような事件であっても、どちらの裁判所に託したかによって結果が左右されることも考えられる。国民の権利救済の機能が一貫性を欠く状態となり、不安定なものとなると考えられる。
 〔機関相互間の争訟〕
第七十五条の五 
 この改憲案の地域自治関係の98条と関連してくると思われる。

  行政事件訴訟法に似たような規定があったような気がする。
 〔憲法裁判所の判決の効力〕
第七十五条の六 

  この規定で、裁判所の消極的立法作用を認めたことになる。現行憲法では明確な規定がないため、違憲判決がなされた際は、具体的事件に関しては適用されなくなるが、法律それ自体に対しては国会に是正が求められている。しかし、ここで「裁判所が定められた日に効力を失う」とあることから裁判所が法律の失効権を持つことになる(消極的立法作用)。
 この、「当該判決により定められた日」というのは、過去の日付に遡って適用できるのかどうか疑問である。

 例えば刑法のある条文が違憲状態であったと分かった時、その刑法の条文はもともと違憲であると確定されたことから、被告人は無罪となるべきである。しかし、裁判所が日付を遡ることができないのであれば、被告人は違憲の法律によって有罪となるしかない。

 逆に、衆議院議員選挙の一票の格差が違憲状態であったとする。これを過去に遡らずに未来期日にその法律による選挙を無効とするのは、事情判決の法理から想定される。ただ、これを過去へ遡って違憲無効と簡単にできるのであれば、その衆議院の議員全員の資格が消滅し、それまで行ってきた立法はすべて違憲無効なものとなる。

 このような事態が想定されるが、この条文では「定められた日」というものかどのように働くのかについて明確でない。

 〔憲法裁判所の構成〕
第七十五条の七 
  憲法裁判所の裁判官は、「衆議院、参議院及び最高裁判所がそれぞれ四人を任命する」とある。
 〇 立法府 衆議院 → 4名
 〇 立法府 参議院 → 4名
 〇 司法府 最高裁判所 → 4名
 この裁判官の選出方法の場合、行政府が違憲な法解釈による法の執行や処分を行っていた場合には、立法府と司法府が行政府に対して三権分立の均衡・抑制の観点から対抗措置として憲法裁判所の裁判官となる者を選出することになるため、厳格な違憲審査を期待できる場合もないわけではないと考えられる。しかし、立法府が作った法律を違憲審査する場合、立法府の選出した者が含まれる裁判官の構成で違憲審査をするというのは、かなり甘い判断になると疑われても仕方のないものとなってしまう。
 また、日本は議院内閣制をとっているため、行政府の内閣を構成している総理大臣と大臣は、主に立法府(国会)の多数派である最大政党からの選出となる。すると、立法府の行政府に対する三権分立の観点からの対立構造は、他国の大統領制に比べても弱いものとなっている。そのため、行政府の違憲な法解釈による法の適用や処分を、立法府の多数派(与党)が選出した裁判官に違憲審査を任せるというのは審査意識が弱いものとならざるを得ないと考える。これは、司法府の厳格な法論理解釈を破壊するものであり、法体系の整合性に対しても政治的な都合が優先される判断が下されやすくなるものとなる。すると、国民の人権保障や権利救済機能も低下すると考えられる。他国では、「裁判所にも法治主義がない。人治主義だ。」、「裁判所が政治に左右されるのはあり得ない。」などの『司法の政治化』が強く批判されているものがあるが、この規定は日本の司法制度をまさにその状態へと進めるものであると考えられる。司法権の立法権や行政権に対して行使する三権分立の相互の抑制・均衡の作用を弱め、「国会」や最大政党で構成される「内閣」の権限強化を狙っていると思われる。
 〔裁判官の身分の保障〕
第七十五条の八 
  憲法裁判所の裁判官には、「国民審査」がないようである。著しく適格を欠くと国民の多数の意見があったとしても、その意志を反映させることができない。
〔裁判の公開〕
第七十五条の九 
  法律によって、公開しない法廷となることもありうる。現行憲法82条「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。」の規定も憲法裁判所には及ばないこととなる。国民の人権救済機能の一つである「公開の法廷」が保障されない。違憲審査という重大な場面においても対審(現行憲法82条2項で例外的に非公開が可能)のみならず、判決に関しても公開の法廷が保障されないこととなる。これは場合によっては非常に閉鎖的な裁判になりうると考えられる。通常の法認識から考えてもこの規定の立案者は、刑事訴訟法を一通り勉強したことがあるのか疑問である。裁判所での傍聴もお勧めしたい。公開法廷が法律ではなく憲法上で保障されているという規定の大きさも感じる機会となるだろう。
〔憲法裁判所の規則制定権〕
第七十五条の十 

 この改憲案では、75条の4で「通常裁判所は、(略)法律の定めるところにより、当事者からの申立てにより又は職権で、これを憲法裁判所に移送することができる。」とある。つまり、通常裁判所が事件を移送しなかった場合、「憲法裁判所規則」について、最高裁判所が違憲審査する可能性も排除していないと思われる。逆に、憲法裁判所が「最高裁判所規則」を抽象的事件として違憲審査する可能性も否定できない。この力関係は一体どうなるのか非常に気になるところである。あらゆる面で混乱をもたらすものであると考えられるが、改憲案作成者はそこまで理解が及んでいるのだろうか。

違憲審査制(違憲審査の対象) Wikipedia

日本維新の会 憲法改正原案  法的分析等
統治機構改革(地域主権関係)   
 第八章 地域主権

  「主権」の概念は、学説上主に3つある。それらは、「国家の政治のあり方を 最終的に決める権利(最高決定力)〔国民主権〕」「国民および領土を統治する国家の権力(対内主権)」「他国の支配に服さない統治権力(対外主権)」である。しかし、「地域主権」のような新たな言葉を導入すれば、また新しい主権の意味が増え、混乱を招くだろう。解説によれば、現行憲法の「地方自治」の「地方」の意味が外に追いやられたイメージを持つ趣旨が述べられていたので、それを受けての名称変更だと思われる。ただ、「主権」の概念をこれ以上多義的にしない方が好ましいと考えられるので、別の名称を探すべきだと思われる。発音しにくいが、「地域自治」ぐらいがいいんじゃないだろうか。

主権 Wikipedia

地方分権 Wikipedia

 〔二層制〕
第九十二条 

  これも、法律で規定が可能なのではないだろうか。憲法規定にすると、また超人口減少社会などによって変更を余儀なくされる時に憲法改正が必要になるのでやや面倒ではないだろうか。そういった調整を十分に練っていく必要があると考える。

 まずは地方自治法での対応が先決ではないだろうか。

地方自治法 Wikipedia

地方自治法 条文

 〔地域主権の本旨〕
第九十三条 

  「住民自治の原則」「団体自治の原則」「補完性の原則」との記載があるが、この「原則」というものがどこから導かれているのか疑問である。原則というのは、条文中の文言から導かれるものであり、原則が条文に取り入れられるというのは逆であると考える。例えば、民法第1条2項の「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」との文言から、「信義誠実の原則」というタイトルが導き出されるであり、「原則」などという言葉を法典中に書き込んだところで、それが指しているものが一体何を根拠にした考え方なのか分からないのである。


 「本来果たすべき役割」という言葉であるが、法律上では様々な解釈の余地を残し、意見の対立を生む抽象的な表現である。国会で、「国が本来果たすべき役割に関する法律」などという法律をつくって、丁寧にその内容を列挙することになるのだろうか。この規定を設けるにしても、内容を明確にした方が望ましいと考える。

 〔自治体の組織及び運営〕
第九十四条 
 道州の範囲であるが、恐らく国会のつくる地方自治法によって確定されることになると思われる。道州制を導入しても、その範囲を国会で決められるのであれば、憲法中に書き込む必要があるのかそもそもの疑問が湧いてくる。地方自治法でつくればいいのではないだろうか。憲法中に書き込むことでどれほどのメリットがあるのか、分かりやすい説明がほしいところである。
 〔議会及び知事その他の長・直接公選〕
第九十五条 

 ここに立法機関と書き込んだ場合、現行憲法の第4章第41条「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」との規定との整合性が問題となる。確かに議会による条例の制定は立法的な側面があるが、改憲案として整合性を合致させる意図がないのは明らかな不備である。


 また、完全な立法権とするならば、地方自治における三権分立の関係が明確となるため、司法権(条例裁判所)も各地域ごとに配置した方が良いのではないかとの意見が当然に出てくるだろう。その点の対応はどうなっているのだろうか。確かアメリカでは連邦制を採っているため、各州に裁判所があり、弁護士も各州に登録されているのではないかと思われる。日本は連邦制ではないし、合衆国でもない。その点、この法制度の運用上の仕組みがどのような理念によって生まれているのかを明らかにしてもらいたいところである。

 〔条例制定権等〕
第九十六条 

 1項で、「法律の範囲内で、条例を制定することができる」としているが、2項では「法律に優位した条例〔優先条例〕を制定することができる」としている。なかなか難しい制度である。道州や都道府県を跨いで仕事をしている人は、どのような行動が警察などの機関による取り締まりの対象となるのか、地域ごとの条例を熟知しながら生活しないといけなくなる。地方公共団体の運営上の都合は改善するのかもしれないが、一般人にとっては、明らかに面倒な制度である。弁護士や検察官、裁判官などの法律家も、複雑な制度をさらに覚え込まなくてはならない。運営上の負担は増えることが考えられる。

  2項の規定によって、「法律に優位した条例〔優先条例〕」というものを制定できることとなる。恐らくこの草案の作成者は、「日本国」という共同体よりも「わが地域」というような意識(アイデンティティの所属意識)が強いのであると思われる。沖縄独立や大阪国などもこの規定の延長線上に現実味を帯びてくるのではないだろうか。もしかしたら東京一極集中を是正したいという意識からこの規定を提案しているのかもしれないが、「日本国」という共同体意識を解体させることに繋がりかねないものであり、提案者の本心が気になるところである。日本の国の歴史的な成り立ちとして、地域ごとの国が合体して成立したというよりも、日本国という一つの所属意識が強かったために現在の地方自治法による都道府県・市区町村型の統治制度になっているのではないかと思われる。しかし、この規定は、それらをある程度の方法で解体させるような側面を感じさせるものとなり得る。本当にこれで良いのかよく検討していくべきだろう。


 法律に優位した条例を制定できることから、地方自治体に属する武力組織の立ち上げも可能となるかもしれない。この規定は、明治維新以前の幕藩体制の復活を狙っているのかもしれない。この草案の93条2項にて、「国は、国家としての存立に関わる事務その他の国が本来果たすべき役割を担う」としているが、地方自治体の存立について優先条例による自衛組織が設立されることによって、地方自治体間の武力衝突(東京大阪戦争など)が発生する事態も考えられるのではないだろうか。それを否定する根拠はあるのだろうか。

 現行法であれば、地方自治体の条例によって武力組織が立ち上げられた際は、刑法や破壊活動防止法などに抵触し、違法となり裁判所で是正されると思われる。しかし、優先条例はそれらの法律に優先して適用されるため、是正できないものと思われる。

 また、警察法や警察官職務執行法が優先条例によって否定されてしまうと、警察の全国画一の水準での捜査活動が行われなくなってしまう恐れも考えられる。もし、警察活動をこの草案93条2項の「国が本来果たすべき役割」と捉えるのであれば、すべての警察組織は国家警察となり、現在の都道府県警察ではなくなってしまう。

 こういったことについても検討していきたい。

 〔課税自主権・財政調整〕
第九十七条 

 1項で、自治体の地方税の賦課徴収に関する権限を明らかにした。ただ、現在の運用でも、条例によって課税することは一応認められている。この草案によって改めてこの規定を設けるのであれば、現行憲法84条「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」の規定との整合性を整理するべきだろう。憲法上の規定に整合性がないことは、無理な法解釈を助長したり、政府の順法意識や国民の規範意識を低下させるために望ましいものとは言えない。この改憲案にその点の改正案が提示されていないことは、やはり不備であると言わざるを得ない。


 2項の財政調整についてであるが、EUの財政問題のように、ギリシャの財政破綻国と、ドイツ・フランスなどの負担国との調整のような事態が日本国内でも起きるのではないだろうか。国内での地域意識の対立が加速し、地域外住民への嫌悪感を増幅させてしまいそうで不安である。東京・大阪間の軋轢はよく知られているが、笑って済ませられないほどの格差や差別が今以上に横行してしまわないだろうか。これについては筆者ももう少し勉強します。

 〔権限についての訴訟〕
第九十八条 

  現在でも、「国地方係争処理委員会(総務省)」や「自治紛争処理委員」が存在している。それらと憲法裁判所との関係はどうなっているのだろうか。また、必ずしも、国と地方の関係は憲法上の問題というわけではなく、行政法上の問題として通常裁判で解決するものも多い。それらの訴訟も憲法裁判所で取り扱うとしたならば、それは憲法裁判所といえるのだろうか。この規定も疑問は多い。


国地方係争処理委員会についての条文

総務省設置法 条文
地方自治法 条文



〇 気になった点は、憲法裁判所の抽象的な違憲審査の判断が皇室典範に及ぶかどうかである。


 戦後、皇室典範は憲法より下位の規定であり、法律と同様の役割であると位置づけられた。そのため、現在の運用でも違憲審査の対象とはなり得る存在である。しかし、現在の裁判所の運用は付随的違憲審査制であるから、何らかの具体的な事件が起きた場合でないと違憲審査がなされることはない。皇室典範に関わる具体的事件が起きるようなことはほぼ考えられないため、現在も裁判所にて具体的な違憲審査の対象となったことはないと思われる。

 しかし、憲法中に憲法裁判所の規定を設けた場合、皇室典範に対しても抽象的事件として憲法裁判所で判断がなされる可能性がでてくる。なぜならば、憲法裁判所へ訴えの提起をできる者は、この草案の75条の3によって「内閣総理大臣」又は「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の議員」となっているからである。

 このように訴えの提起がなされた場合、皇室典範の天皇の皇位継承権を「男系男子(皇室典範 1条)」に限った規定は憲法裁判所によって違憲審査がなされる対象となり、法の下の平等(現行憲法14条)に違反するとして違憲判断が下される可能性が十分にあり得る。

 憲法裁判所にて憲法違反の判断が下されると、天皇に対する国民的な合意がないままに、憲法裁判所の裁判官によって直ちに皇室典範の「男系男子」に限った規定が失効し、国会を通さずに自動的に男女に平等な機会が与えられる規定へと改正されることとなる(この草案76条の6・1項)。


 「天皇は憲法の構成要素であるため、人権規定が一般の国民と全く同じように適用されるわけではない」という学説もあるとは思う。しかし、皇位継承権が男系男子のみにあるのか女子にもあるのかというのは、憲法上に規定はない。そのため、皇室典範の男系男子に限った規定は違憲であると証明される可能性の方が非常に高いのである。

 もし違憲判断がなされない場合、皇室の方には法の下の平等(現行憲法14条)が及ばないこととなる。すると、差別的であり、人権侵害となる可能性がある(そもそも人権が及ばないのであれば、「人権侵害」という言葉が成り立たないかもしれない。)。


 もし皇室典範自体が憲法中の構成要素であるために人権規定が直接適用されないとする説を採ると、皇室に人権として保障される部分とされない部分の線引きはどこでなされるのかを明確にする必要性が出てくる。

 もし皇室に人権規定が適用されないとしたら、皇室典範を改正すればどんな人権侵害も許されてしまうということにもなり得る。すると、皇室の方は、生存権や生命権についてまでも皇室典範の改正で左右されてしまうような不安定な地位に置かれることとなってしまう。もし何らかのポピュリズムによる皇室典範の改正がなされ、皇室の方の自由権や生命権などを危険にさらしてしまうような皇室典範ができてしまった場合、憲法によって人権侵害を認定できないこととなり、違憲審査によって是正できない恐れもある。


 憲法裁判所を設置すると、こういった問題を明確にしていく必要もあると思われるが、この草案は誰もが安心できる程度まで十分な検討を重ねたようには感じられない。


【参考】「令和皇室」と「女帝論」 御厨貴×石川健治が徹底討論 2019.10.28
【参考】日本国憲法〈1〉前文・天皇・戦争の放棄・国民の権利及び義務 1 (新・判例コンメンタール) 単行本 – 1993/12 (P37)
【参考】2.3.5 天皇制と男女平等原則 PDF

【参考】皇族は「人権を制限されてる」の?それとも「人権はない」の? 2021年10月2日



〇 憲法裁判所を設置している国の多くは、大統領制であり、議院内閣制の日本に比べて厳格な三権分立がなされているようなものが多いのではないかと思う。この点の違いなどについて、この草案では十分な検討がなされていないようにも思われる。

憲法裁判所 Wikipedia



 現行日本国憲法のどこに憲法裁判所を設置するのだろうか。三権分立の統治原理を侵すものになるのではないだろうか。

 

 

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○政府委員(林修三君) 現在の憲法は、御承知のように三権分立の建前でできておるものと考えるわけでございます。従いまして憲法八十一条で、最高裁判所に違憲立法の審査権を与えてはおりますけれども、これはやはり司法権の範囲内において与えておるものと、かように考えるのが正しい考え方だと思います。最高裁判所もそういう考え方に立っているわけでございます。司法権の範囲において考えれば、やはり具体的な訴訟事件を通じて最高裁判所が、このある法律が憲法に適合するかどうかということを判定すべき権能を持っている、そういうふうに考えるわけでございます。今仰せられましたように、ある法律が抽象的に憲法に適合するかどうかということを考えますことは、これは普通の司法権の範囲を逸脱する一つの権能だと思います。この権能を認めるについては、憲法の上にはっきりした明文が必要だというふうに考えます。これは西ドイツのごときああいう憲法裁判所を作ることは、これは普通の立法司法の観念とまた別の観念に立っての考え方だと思うわけです。今の立法権の範囲でいけば、国会がもちろん憲法違反の法律を御制定になるはずもございませんし、またそういうことがあれば、これは立法権の範囲において国民の批判を受け、国会の選挙を通じて批判せられるべきもので、これが司法権の分立という考えからくる考え方だと私は思うわけであります。今おっしゃいましたようなことは、西独の憲法裁判所のごとき明文の規定がない以上は、抽象的に、ある法律を直ちに憲法裁判所としての最高裁判所に持っていくことはできないものと考えるわけでございます。

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第24回国会 参議院 予算委員会 第11号 昭和31年3月9日



〇 憲法裁判所のような抽象的違憲審査を行う裁判所を設けるよりも、法律で「法令違憲審査の原告適格に関する法律」などを成立させた方がいいのではないかと思われる。設置する際の根拠法は下記のとおりである。

 

裁判所法
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(裁判所の権限)
第3条 裁判所は、日本国憲法 に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。

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 この「その他法律において特に定める権限」というのは、具体的な事件でなくとも法律によって定めた者であれば裁判所の権限の中にあるとして裁判の道を開いたものである。実際に、行政事件訴訟法の規定によって一定の条件に該当する者は客観訴訟にあたる「民衆訴訟(住民訴訟・当選訴訟)」「機関訴訟」を提起することが可能である。


 そのため、法令の違憲審査をするならば、憲法裁判所を設置しなくても、法律で「憲法訴訟法」や「憲法訴訟の原告適格に関する法律」などを設置すれば対応可能であると考える。実際に、現在の裁判所の運用では違憲審査も行っているのであるから、訴えの適格が認められ、抽象的事件として受け取ってもらえるならば憲法訴訟は可能となるはずである。


当事者適格 Wikipedia

司法 Wikipedia

 憲法を改正しようとする点に関して、勢いはいいのであるが、まずは法律で対応することを考えるのが賢明であろう。



 どうしても憲法規定としたいのであれば、現行憲法の81条に2項を加えれば済む話である。

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〔最高裁判所の法令審査権〕
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

2 内閣総理大臣又はいずれかの議院の総議員の4分の1以上の議員は、法律の定めるところにより、最高裁判所に対し法律、命令、条例又は規則が憲法に適合するかしないかの確認の訴えを提起することができる。

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 ここに追加した2項は、この改憲案の75条の3の規定である(『憲法裁判所』とあるのを 『最高裁判所』に変えている)。訴えの適格者がこれでいいのかは検討の余地があるが、現行憲法にこの文言を入れただけで抽象的違憲審査を実現しようとする希望は十分に実現すると思われる。


 なぜ司法制度の根幹を破壊し、法的整合性をバラバラにしてまで新たに憲法裁判所を設置したがるのか疑問である。他国の憲法裁判所のイメージに影響を受けすぎ、自国法の本質的なメカニズムを見抜くことを疎かにしていないだろうか。きつい表現になるので申し訳ないが、法制度の表面的なところしか理解していないと思われる。この改憲案にだけに言えるものではないが、法学の基礎基本が分かっていないと、こういうことになってしまうのである。古い時代の司法試験を通過した者の中には、法学を学びながらも表面的な暗記に頼り、基礎的思考が十分でないまま試験に受かった人もいるようである(現在の司法試験は以前と比較して改善されている)。その点、草案作成者に司法試験合格者がいたとしても、司法試験というブランドに惑わされずにその実質を見分けられるようになった方がいいだろう。


    【動画】7回憲法調査会「統治機構改革と憲法論議」 2020/11/16 (35:18)

    【参考】日本国憲法に違反する行政処分取消請求 最高裁判所大法廷  昭和27年10月8日 (PDF

 

 
〇 地方自治に関して、現在でもこの改憲案に示された規定は多くは地方自治法で定められている。道州制についても地方自治法の改正で対応できるものである。これらを憲法中に書き込むことでどのようなメリットがあるのか明確な説明が求められるはずである。特に、国民投票を要する憲法規定として硬性化するメリットと、現在のように社会事情や国政の変化に対して柔軟に対応できる法律規定として対応することのメリットの比較について納得感の高い論拠を示す必要があるだろう。


〇 地方自治の権限強化を行うならば、地方自治の議会でも、国会にも採用されている「二院制」という権力分立の仕組みや、国と同様の規模で専門家や有識者を引き寄せることのできる仕組みづくりが必要なはずである。そのような多数派の暴走を防止して人権保障を強固に守ろうとする仕組みや、学術的に十分な妥当性を担保する知の基盤を整えないままに、地方自治体の権限のみを強化しようとすることは危険であると考えられる。また、地方自治体の議会と長、裁判所との三権分立による抑制・均衡の仕組みも考えていく必要がありそうである。地方自治でも三権分立を採用するのであれば、やはり憲法の【人権規定】と地方自治の統治機関との関係を考えなくてはならないはずである。そうなると、日本国が連邦制ではないため、連邦制の国家へとつくり変えるのかどうかも検討を要すると考えられる。これら点を考えずに、単なる地方自治の権限強化を行おうとすることは、国民の人権の質を下げてしまう恐れが大きいと考えられる。


〇 地域自治関係について、少し気になる点を記載する。「明治維新」は幕藩体制から明治政府による中央集権的統一国家を成立させる出発点となったものである。しかし、この「日本維新の会」の目指す『維新』とは、中央の権力を弱体化させ、地方を強くする社会像である。この両者の『維新』という言葉のイメージは、180度逆方向である。『維新』の言葉のイメージに惑わされている人は十分に注意しておきたい。


〇 「地域主権」という言葉を使いたいようであるが、憲法学上の「主権」の意味についても押さえておきたい。


    【参考】国民主権の意味-主権の多義性 2017年10月1日




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○参考人(長谷部恭男君)

(略)

 ここで言われている地域主権という言葉につきましては、不思議な言葉であるとの印象を持たれる方もいらっしゃるのではないかと存じます。
 と申しますのも、この言葉を額面どおりに受け取って地域にあるいは地方公共団体に主権があるということになりますと、逆に、日本国には主権はなく統一国家としての体を成さなくなるのではないかと、少なくとも日本は連邦国家だということになりそうでありますが、それは現行憲法の改正なくしてはあり得ない事態ではないのか、さらには、そうした憲法の改正は果たして憲法改正の限界内に収まり切るものなのか。さらにはまた、地域の住民に主権があるのだといたしますと、逆に国民には主権はないということになりかねません。国民に主権があるとする憲法の間にそごをもたらすのではないか、そういった疑問が生ずるかもしれません。
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第174回国会 参議院 総務委員会 第12号 平成22年4月15日



〇 この改憲案の提案内容は改善しようとする意欲は見られるが、よくよく検討するとどの立場にいる人にとっても改悪となってしまっていると評価せざるを得ない点が見受けられる。法体系全般の整合性を見渡す視野を会得し、熟考を重ねていく余地があると思われる。改憲案作成者も、恐らく頭の中で憲法の体系がきれいに整理されていない。改憲案をつくる際は、まず憲法の体系を整え、法典全体のアクセシビリティを高めた上で行うことをお勧めしたい。それによって明確な理解を得たならば、この改憲案よりは良いものができるだろうと思われる。


 憲法の法のメカニズムは、少し文言を変えただけでも下位にあるあらゆる法の意味や体系が大きく変わってしまう問題である。法体系の内部にある複雑な絡み合いを理解していない段階では、安易な提案は控えた方が無難な判断ではないだろうか。ただ、この草案を作った人にも人生があるだろう。十分なものではないが、努力の跡は評価してあげてほしい。きっと、これからもっと勉強することになるだろうと思う。大変だけれども、それを引き受けられるようになると、磨きのかかったものを生み出す日もいつか来るかもしれない。




 法技術に関する難しい内容を長々と書きました。お読みいただき大変感謝いたします。お読みいただいている皆様が法の本質を見抜いていくことこそが、より良い法制度をつくり上げていく力となります。最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。




9条関係について


「護憲、改憲超えた『正憲』を」馬場伸幸衆院議員【憲法改正論】 2018/7/12


 日本維新の会「馬場伸幸」は、「学問的に間違っているか正しいかではなく、時代と国民のニーズに正しく合っているか」を重視しているようである。学問的に間違っていてもいいと考えているのだろうか。学問的に間違った憲法となってしまうと、法の効力がめちゃくちゃとなり、人権保障が実現されない悲惨な国家に変わってしまうことに対する敏感さを持っていないように思われる。


 ただ、「自衛隊明記と1、2項は辻褄が合わない部分がある。整合性を取れるように改正すべきだ。」との主張からは、学問上の整合性を考えているようにも思われる。


 「憲法学者は、自衛隊は違憲だというところから入らないと学者として生きていけない。」などという事実は、存在しないと思われる。そのように感じてしまっているのは、何かのバイアスによるものと思われる。ただ、主張の解像度が低いため、何を言いたいのか詳細までは明らかでない。


 「戦争に巻き込まれた際の身分保障をどうするか」「シビリアンコントロール」「軍法会議の整備」などを考える点について、学問上の要点を押さえているならば、憲法学者も整合性について批判をすることはないだろう。問題は、整合性のない提案や、事実を踏まえていない議論である。その要点を押さえて学問上の整合性のフィルターを通すことができたならば、後は政策判断である。この学問上の論点と、政策上の論点の切り分けを理解することができず、何もかもが学者によって妨げられているとの感覚を持ってしまっている点は、議論を詳細まで把握できていないことによるものと感じられる。憲法という法秩序それ自体が、一体何を守ろうとしている価値体系であるのかという、大前提を押さえていないことによるものと思われる。


 「平和安全法制の議論の途中で3人の憲法学者が平和安全法制は『違憲だ』と言った。なぜかと尋ねたら、『自衛隊が違憲だからだ』という。」との主張があるが、これは事実に反していると思われる。憲法学者は、政府自身が9条解釈の前提として維持している1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」に示されている枠組みから、「存立危機事態」の要件が逸脱しており、結果として「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」が9条に抵触して違憲となるとしているのである。これは、単に「自衛隊が違憲」というものとは異なる。これでは「我々が真面目に法案の中身の議論をしようとしても」との主張もあるが、真面目に論点を押さえているのは憲法学者の方ということになる。恐らく、真面目に議論をしようとしても、十分に論点を理解することができていないことによる主張と思われる。大丈夫だろうか。

 

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