砂川判決に論拠はあるか



 砂川判決の中に集団的自衛権にあたる「武力の行使」を正当化する論拠があるかを確認する。


 ポイントは、国際法上の『権利right)』と、憲法上の『権限(power)』の違いを確認しながら読み解くことである。

自衛権 ⇒ 国際法上の『権利right)』

自衛のための措置 ⇒ 憲法で国民からの信託によって正当化される『権力・権限・権能(power)』


砂川判決(抜粋)

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一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

 

二、次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
 しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。
 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。

 

三、よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。

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〇 「~~権」という言葉は、『権利right)』を意味する場合と『権限power)』を意味する場合があるため注意が必要である。

 文中に「わが国が主権国として持つ固有の自衛権
は何ら否定されたものではなく」とあるが、国際法上の『権利(right)』を有するからと言って、日本国の統治権が『武力の行使』を行う『権限(power)』を有するかどうかは別問題である。



〇 下記はアメリカ合衆国の『権利(right)』『権限(power)』である。


軍隊を配備する権利 ⇒ 権利(right)

指揮権、管理権 ⇒ 権限(power) = この意味の中に『権利(right)』の意味が含まれているかもしれないが、少なくともそれを行使する『権限(power)』はアメリカ国民の国民主権によって正当化されるものである。



〇 「措置」という言葉は、『権限power)』に基づくものである。


必要な自衛のための措置 ⇒ 日本国の統治権の行為である

軍事的安全措置 ⇒ 国際連合の機関の権限による行為である


 ここでいう「必要な自衛のための措置」の中に日本国の統治権の権限(power)を行使して行う『武力の行使』が含まれているかどうかについてであるが、文の中に「他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない」との文言や、「同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」との文言があることから、判断していないと思われる。(後者の「自衛のための戦力の保持」とは芦田修正説であることに注意。政府解釈の「必要最小限度の実力の保持」が許容されるかどうかについても判断していない。)

 

 これについて、平成30年版 防衛白書の記載を検討する。

<解説>平和安全法制と憲法の関係について 平成30年版 防衛白書


 平成30年版 防衛白書には、砂川判決について「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をつけずに、我が国が、自衛権を有することに言及した上で、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な『自衛の措置』を取り得ることを認めたものであると考えられます。」との記載がある。しかし、この砂川判決は「自衛の措置」の中に、日本国の統治権の権限(power)を行使して行う『武力の行使』が含まれているかどうかについては判断していない。


 そのため、この場面で防衛白書が「新三要件の下で認められる『武力の行使』は、砂川事件に関する最高裁判決の範囲内です。」や「憲法の解釈を最終的に確定する機能を有する唯一の機関である最高裁判所の出した砂川判決の範囲内であり、憲法に合致したものです。」
と説明することは誤りであると考える。

 また、「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をつけずに、我が国が、自衛権を有することに言及した上で、」との記載があるが、個別的自衛権や集団的自衛権とは国際法上の『権利(right)』の区分であり、憲法解釈である9条の制約がいかなる範囲であるかを決する基準とは関係がなく、9条解釈を確定するために用いることはできない。そのため、日本国が国際法上の『権利(right)』を有していることは確かであるが、「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をつけずに、」などと記載してあたかも新三要件の「存立危機事態での武力の行使」(集団的自衛権の区分にあたる国家の『権限(power)』による『武力の行使』)を正当化するための主張として用いるかのように誤解を生ませようとする意図の感じられる文面であることには注意が必要である。

 ただ、やはり砂川判決は日本国の統治権の『権限(power)』を行使して行う『武力の行使』が含まれているかどうかについては判断していないため、「砂川判決の範囲内」との評価を下すことは誤りであると考える。


 砂川判決は「個別的自衛権」について述べたものであるとの主張が見られる。


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 桐山 そもそも集団的自衛権の問題のとき、政権はいわゆる砂川判決を根拠としました。しかし、この判例は個別的自衛権について述べたもので、集団的自衛権など視野にもありませんでした。憲法学の世界でもそれが常識です。政府見解でも長く「集団的自衛権は憲法上、許されない」と公式に述べています。
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「安保法制」違憲を問う声は 桐山桂一・論説委員が聞く 2018年9月22日

 しかし、「個別的自衛権」とは国際法上の概念であり、日本国の裁判所によってその区分にあたる措置かどうかは判断できないと思われる。また、「個別的自衛権」であろうと「集団的自衛権」であろうと、これは国際法上の『権利(right)』であって、9条が日本国の統治権の『権限(power)』を制約する趣旨とは異なる。この「個別的自衛権」の表現が示すものについて、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合の『武力の行使』」のことを述べているのかもしれないが、砂川判決は日本国の統治権の『権限(power)』による『武力の行使』が許容されるかどうかについては判断していないと思われる。

 ただ、砂川判決の裁判官の補足意見にて9条1項が「不戦条約」と同様の趣旨であることを述べていることから推察し、「不戦条約」の締結当時に国連憲章51条の「集団的自衛権」にあたる自衛権の概念が未だ存在しなかったことから、「不戦条約」の下でも許容されるとする「自衛権」の概念が国連憲章51条の「個別的自衛権」にあたる部分であると解し、9条1項が「我が国に対する武力攻撃が発生」した場合に行われる自衛の措置としての『武力の行使』のみは許容していると考える余地はある。


 「政府見解でも長く『集団的自衛権は憲法上、許されない』と公式に述べています。」との記載があるが、厳密には誤りである。政府見解で「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と述べてきたのは、1972年(昭和47年)政府見解であるが、これは「集団的自衛権」という国際法上の『権利(right)』を許さないとするものではない。「集団的自衛権の行使」、つまり、国際法上の違法性阻却事由である「集団的自衛権」の区分に該当する日本国の統治権の『権限(power)』による『武力の行使』が憲法上許されないと述べたものである。


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○秋山政府特別補佐人 集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。
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159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日 (下線・太字は筆者) 

 1972年(昭和47年)政府見解は、9条の制約の意味を「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」という要件を満たさない『武力の行使』を違憲であると解釈するものである。結果として、日本国の統治権の『権限(power)』において「集団的自衛権」にあたる『武力の行使』を行うことには、この要件を満たさないため不可能との結論に至るのである。

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 お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
 したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 予算委員会 第2号 平成16年1月26日 (下線・太字・色は筆者)

 9条によって日本国の統治権の『権限(power)』による『武力の行使』が制約されていることによって、結果として「集団的自衛権」にあたる『武力の行使』はその制約を超えるものであるために許されず、行使できないのである。


 注意したいのは、たとえ国際法上の違法性阻却事由である「個別的自衛権」の『権利(right)』として許容される範囲であっても、日本国の統治権の『権限(power)』が9条の制約を超える『武力の行使』を行うことはできないことである。「個別的自衛権」の範囲であれば合憲となるのというものではなく、9条の制約の下でも行使できるとする『武力の行使』は、国際法上の評価として「個別的自衛権」の範囲であるとの結論に至るだけである。

憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 過去のページ (2014年7月1日閣議決定までの解釈)


 砂川判決が認めた「自衛の措置」の範囲を検討する。

(抜粋+要約)
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① わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと

② 日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意した

③ それは、(略)国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができる

④ 憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない

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 ②で、「戦力は保持しない」と述べている段階で、日本国の統治権の『権限(power)』が「戦力」を用いて『武力の行使』をすることは不可能である。ただ、判決中には「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」の文言もあることから、「自衛のための戦力」による『武力の行使』については判断していない。


 また、砂川判決は政府見解である「戦力にあたらない必要最小限度の実力(自衛力)」の概念にも触れていない。そのため、「戦力にあたらない必要最小限度の実力(自衛力)」による1972年(昭和47年)政府見解による「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」の『武力の行使』が許されるかどうかについては述べてはいない。


 これにより、砂川判決が日本国の執る「自衛の措置」として許容した範囲は下記となると考える。

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A 国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等 ← OK
B 他国に安全保障を求めること ← OK

C 戦力にあたらない必要最小限度の実力(自衛力)による『武力の行使』 ← 触れていない

D 戦力にあたらない必要最小限度の実力(自衛力)による「個別的自衛権」にあたる『武力の行使』 ← 触れていない

E 戦力にあたらない必要最小限度の実力(自衛力)による「集団的自衛権」にあたる『武力の行使』 ← 触れていない(「集団的自衛権」にあたる『武力の行使』を行う組織は「戦力」になるという論点もある。)

F 自衛のための戦力による『武力の行使』 ← 判断していない(二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」の文言がある)

G 侵略戦争のための戦力による『武力の行使』 ← 侵略戦争のための戦力だからダメ
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 AとBは、戦力を保持しないことによって生ずる防衛力の不足を「平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補な」う措置である思われる。砂川判決が許容した日本国の執ることのできる「自衛の措置」とは、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、その他については「侵略戦争のための戦力の保持」を禁じた以外は判断していないと考える。

   【参考】現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない 南野森 2014/3/7


 「措置」という言葉で注意したいのは下記の部分である。

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そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である

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 この文は、要約すると「安全保障条約の目的…は、…わが国の防衛のための暫定措置として、…わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにある」となる。

 しかし、わが国の防衛のための暫定措置アメリカ合衆国が(略)軍隊を配備する権利を許容する等)」が、日本国の統治権による措置なのか、条約締結国による措置なのか、その両方を含むのかはっきりしていない。ただ、これは日本国の統治権による『武力の行使』ではないことは明らかと思われる。



<理解の補強>


【動画】安保法制採決を前に あらためて「砂川判決」を問う 憲法学者・浦田一郎教授が「違憲」を訴え 2015/09/14

岸内閣が集団的自衛権を容認する答弁をしたというのは本当か? 南野森 2014/3/4


日本国との平和条約 Wikisource

砂川判決の要約


 判決文は一文が長すぎる。その影響で意味を読み取れなくなってしまうため、白色で潰して要約する。かなり読みやすくなったのではないだろうか。

 

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一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである

 

二、次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざを得ない
 しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書に「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である
 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とするそして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである

 

三、よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである

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