改憲案 自衛権関係 私案 法的分析等

山尾志桜里 私案


時代の正体〈551〉改憲論議に先手打つ 山尾志桜里氏が語る(下) 2017年11月09日

山尾志桜里議員「自衛権に歯止めかける改憲を」 立憲的手法で“透明人間”を縛る 2017年11月22日(水)

山尾議員 自衛権に歯止めかける改憲を 2017-11-23

 

簡単に全体像を示すと、
〇 9条関係では、旧「武力行使の三要件」を明示していく
〇 行政権を持つ「内閣」の章の73条に「自衛権の行使」を位置づける

〇 「国会」の章に、国会の承認を義務付ける(と思われる)

〇 自衛権関係の特別委員会の設置

〇 「司法」の章に関して、武力組織の事件も通常裁判所で担当

〇 憲法裁判所を設置(「司法」の章の司法権の中に設けるのだろうか?外に置くのだろうか?)

〇 財政のコントロールによる統制も検討

などである。

 

 

 立憲主義や憲法の体系から見ても非常にバランスのいい提案であるように見える。体系的な整理も損なわず、国家権力をコントロールする機能性にも優れている雰囲気がある。他の提案に比べて憲法の人権保障の仕組みを乱さない感覚が鋭く、内容として全体の整合性が高い点に特徴がある。


 現行憲法の体系に加えていく形で考えてみよう。

 

 ただ、「自衛権」を位置づけるという点に関して、国際法上において自衛権にあたる国内法上の「武力の行使」の概念を憲法上要件化するものと思われるが、記事にもある通り、具体的な条文として組み上げた時にそれを行使する実力組織について「戦力」との調整が問題となりそうである。現行法でも同じような状況ではあるが、どのように調整していくのだろうか。

 また、2014年7月の閣議決定までの「武力行使の三要件」(武力行使の旧3要件)を採用するとのことであるが、武力行使の三要件をそのまま書き込んだ場合、武力を行使することができる場合を想定した『できる』規定(根拠規範)であることから、統制規範としての役割が十分に果たせるのかどうか気になるものがある。現行9条のような禁止規定(規制規範)とは性質が違うからである。


【武力行使の旧3要件】
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〇 我が国に対する急迫不正の侵害がある
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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武力の行使の「新三要件」 Wikipedia

 「これ以外の武力の行使は、これをしてはならない。」などの禁止規定の文言も必要なのかもしれない。

 第二章「戦争の放棄」の章に「武力の行使の旧三要件」を書き込むことになると思われるが、章の名称が予定していない内容である。この違和感をどうするのだろうか。


 「国会」の章で、国会の事前承認の義務付け規定を置くものと思われる部分は、議事、法律、予算、条約に加えて、「武力の行使」についても書き込むことになるのだろうか。これを上記リンクの記事中では「自衛権」として書き込んでいることから、国際法上の概念が憲法中に持ち込まれることになるのか明確に示してほしいところである。「自衛権」「戦力」「武力の行使」などの用語が今後どのように整えられていくのか展開が気になるところである。


 「承認の更新」、情報を開示させる「特別委員会」についても提案段階であり、具体的な条文案が出ない限りはこれ以上のことは分からない。特別委員会について、現行の国会法45条の特別委員会であれば、「特に必要があると認めた案件又は常任委員会の所管に属しない特定の案件」として各議院が開くのかもしれない。


 「憲法裁判所」を設けるという点について、「武力の行使」などの自衛権に関するもの以外についても関わってくる事柄である。そのため、「憲法裁判所の論点」として独立した議論が必要となると思われる。この点も相当に議論を行う必要があるだろう。


 予算からのコントロールについて、「軍」という明確な概念を使わない中で、武力の行使を行う組織を予算からコントロールすることになると思われるが、これは、海上保安庁や警察組織、法律によって新たに設けられる武力組織などについても適用を想定しているのだろうか。この点、条文上の文言がそれらの概念を的確に指し示すことができるのか気になるところである。明確な線引きをどう引くのかという観点である。




 防衛関係の政策論としての適否については別の議論が必要であるが、もしこの提案が精度の高い形で実現したならば、権力の暴走や濫用を抑制しようとする立憲主義の観点から憲法上の法整備を敷こうとする意図はある程度達成されるのかもしれない。その点では憲法体系に馴染むものと思われる。


 論点が多重にあり、安易にすっきりと理解できない点がなかなか難しいが、他の改憲案に比べれば正攻法と言えるのかもしれない。

 まだ判断はできないが、もしかすると本気で改憲しようとする者にとっての、通るべき正しい道筋なのかもしれない。現憲法よりも洗練された美しい内容となれば、国民の多くにも受け入れられるものとなる可能性が考えられる。

 

 この案が安倍政権に対する対抗的な手段として提示されていることから、安倍政権が終了した後にも意味を持ちうる案なのかどうかも検討を要するだろう。それまでの政府解釈では、もともと問題なく自衛力の範囲を統制できていたわけであり、根本的に統制手段がこの方法しかないのかどうかについても議論を要すると思われる。現政権だけを統制するための手段なのか、今後日本社会が背負うものとして十分な内容なのかどうかについても深い議論が必要となると思われる。



 人間関係と同じように、国際社会においても防衛を強化して安全を守る国、他国に頼る国、平和を訴える国などいろいろあってもいいと思われる。いろいろな方法で人類的に共存していくことができるのであれば、それで構わないと考えるからである。ただ、自衛権の統制を明確化する方針となることから、立ち位置のシフトチェンジが行われることとなると思われる。印象としてではあるが、本気で防衛する感覚へと促していく姿勢が感じられる提案である。憲法規定として法制度上理念化されることになるということは、現在の法律上の規定と効果は変わらなくとも、感覚はシフトしていくと思われる。


 家族で言えば、祖父母、父親、母親、息子娘(兄弟姉妹)が多様にいていいと思われる。仕事で言うと、戦士や警察官、警備員、清掃員、工務員、事務員、接客係、経営者、学者、僧侶、牧師など、いろいろいていいと思われる。ただ、どれが正しいかではなく、どの役割を担うかの問題として、このような立ち位置がシフトチェンジするのだろうという印象がある。

 この面で、この改憲案は全体的な統制の視点は優れているようにも見える部分があるが、現行憲法に深く染みわたっている「平和主義」という理想を語る理念性の観念が薄まりそうな感覚がある。法的な分析ではないが、何となく、平和主義の理想世界を夢見る日本国憲法のトゲトゲしていない親しみやすさのイメージがフェードアウトして薄れてしまう感覚が見られるように思う。その点、法の根本に込められた理想に向かう意志が損なわれてしまうような部分について、やや寂しい気持ちもあるかもしれないのである。

 

 これは、「絶対戦力不保持が理想であり、自衛隊は一時的な妥協の産物である」との立場の人々との調整を完全に諦める側面がやはりある程度あるのである。様々な立場の者を包括する寛容さや許容性の広さが失われてしまうのである。


 現行憲法には、価値相対主義で現行憲法をつくるなど、様々な面で多くの立場や考え方を許容し、人々を現行憲法の秩序の下に引き付けるという求心力を重視してつくられている。この改憲によって、現行憲法の寛容さや許容性の広さによって、多くの立場の人々を引き付けることによって法秩序の求心力を維持するという側面が失われてしまうことが考えられるのである。様々な立場を包括することのできない憲法へとつくり変えることは、やはり法秩序そのものが人々から支持され、人々が自ずと従うことによって生まれる法の実効性を保つためにも好ましくない面があるのである。


 そのような問題は方針転換についての印象の問題であり、法の具体的な技術的問題としてはあまり関係ないはずであるが、法そのものの求心力が損なわれるという点では魅力に欠けるものであるかもしれない。結局は、絶対戦力不保持を理想とする者を切り捨ててしまうという共生性を損なわせてしまう改憲となってしまうからである。

 


 マナーを守っていればルールを厳しくする必要はなく、様々な立場の人にとっても魅力的なルールであったのだが、マナーを守らない者が現れると、ルールが厳しくなってしまうのである。あまりにルールが厳しい秩序は、人々の共生性を損ない、秩序そのものの魅力が薄れていくのである。それは、学校や会社組織、国家の法でも同じことである。

 「法」で統制したいものであるが、マナーによって秩序そのものの魅力を維持するという側面も忘れないようにしておきたい。これができないのであれば、やはりルールを厳格化することは仕方がないのであるが、共生性を損ない、一部の者を切り捨てることによって支持率が下がることから、秩序そのものの魅力が損なわれるために法の支配の求心力や人々が法に抱く正当性の意識、法の実効性が下がってしまうのである。


 これは、学校の校則を守らせようとする教員と、校則を無視しようとする生徒の関係のようであるが、どうしてもそういった永遠の戦いを続けていかなくてはならないという側面を忘れてしまい、安易に校則を厳しくしてしまうことは実効性を保てるのかという問題が生まれてしまうのである。法の技術的な問題ではないが、「愛を持って指導しろ」「信頼関係を忘れるな」というような、教育的な配慮やマナーによって心に訴えかけることが秩序の求心力やルールの効力を決めるという側面がやはりどうしても存在することを忘れないようにしておきたい。


 この改憲案も、あらゆる立場の人を包括していく現行憲法の許容性の広さや共生性の価値を損なわせてしまう恐れについて、一通り理解した上で取り組むべきであると思われる。それを理解した上であれば、質の良いものとなることが考えられる。


 今後、具体的な内容がどのように提示されるのか注目していきたいと思う。




 自衛の措置(自衛権)に関する規定を置こうとする場合、下記の点に注意する必要があると考える。


 憲法学者「石川健治」の表現を見ておこう。

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この例外というのは常にあるわけですね。
たとえば人を殺したら殺人罪なんですけれども、その例外として、正当防衛の場合は違法でない。少なくとも処罰はされないということになっています。
そうやって、この例外をつくる論理というのがあって、その例外をつくる論理によって自衛隊を正当化していると。
だから逆にいうと、「正当防衛の場合には人を殺していい」という規定はいらないわけですね。
「人を殺したるものはこれこれの刑に処す」という条文だけで足りるわけで、それを、その例外の論理によって正当化すると、そういうことをやってきたと、こういう話であるわけです。
ですから、現在はあくまで例外としておかれている。例外であるということによってコントロールされているということ、これをまあ考えていただきたいわけですね。
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自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治さんの講演 文字起こしテキスト 2018年1月7日 (下線は筆者)



 憲法学者「石川健治」の講演の聞き手の理解も見ておこう。
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実際の発言とは違うが、私が理解したところでざくっと意訳すると、人を殺すことは殺人罪として法律に書かれているが、「正当防衛の場合は人を殺していい」とは書かれていない。しかし実際には正当防衛はあって、書かれないことによって殺人の“例外”として大きな制限を受けている

同様に「自衛隊」は憲法に書かれていないことで実際に制限を受けていて、単に書き加えるだけだと、制限がはずれ、こと細かな規定をあわせて書き加えないかぎり、なんでもありになってしまうというわけだ。

書かれていないことにも法的拘束力はおよぶ書かないことで逆に法的に制限する方法があるというのは、私にとっては発見だった。
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【動画】自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治映像ドキュメント 2018/01/17 に公開の解説より (下線は筆者)



 不戦条約に対するアメリカ合衆国の解釈も見ておこう。

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●アメリカ合衆国の解釈(米国国際法学会におけるケロッグの講演)
      一九二十八年四月二十八日


 「不戦条約の米国草案には、どのような形ででも自衛権を制限しまたは害する何物をも含んではいない。その権利は、すべての主権国家に固有するものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのような時でも、また条約の規定の如何を問わず、自国領域を攻撃またはは侵入から守る自由をもち、また、事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する。国家が正当な理由を有しているならば、世界は、その国の行動を称賛し非難はしないであろう。しかしながら、この譲り渡すことのできない権利を条約が明示的に認めると、侵略を定義する試みで遭遇するのと同じ困難を生じさせることになる。それは、同一の問題を裏面から解こうとするものである。条約の規定は自衛の自然権に制限を付加することはできないので、条約が自衛の法的概念を規定することは、平和のためにならない。なぜならば、破廉恥な人間が合意された定義に合致するような出来事を形作るのは、極めて容易だからである。
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ベーシック条約集 2011  編集代表 松井芳郎  東信堂 amazon (下線は筆者)

ベーシック条約集〈2017年版〉 amazon)


不戦条約について 「世界がさばく東京裁判」より 2013-09-01



 弁護士「倉持麟太郎」の解説する、長谷部恭男の指摘を見てみよう。
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立憲的改憲について「自衛隊のできることを「ポジティブリスト」として、一つ一つ憲法に書き込もう、そのほうが明確になる、と主張する政治家やグループがいます。」として、「しかし、九条の規定を明確にすれば安全だ、という考えは、じつは危険をともなうと私は思います」「いったんそういう条文ができてしまうと、政府の側としては、拡大して理解しようとするものです。」と、ポジティブリストで書くことで拡大解釈の余地を与えてしまう、と指摘されます。
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長谷部東大名誉教授から立憲的改憲への矢 2018/04/21 (下線は筆者)


 憲法の規範力の低下を回復させる方法として、憲法改正によって「武力の行使」が可能な要件をポジティブリスト形式の根拠規定として定めることが妥当であるかは検討の余地がある。


 まず、2014年7月1日閣議決定は、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」から逸脱しているにも関わらず、結論として存立危機事態での「武力の行使」が許容されると判断したものである。これは、手続きの適正を誤ったものであるから、適正手続きの保障の観点から是正されるべきものである。なぜならば、いくら憲法改正によって「武力の行使」の発動要件を明確化したとしても、この「適正手続きの保障」が保たれていなければ、政府の恣意的な行動を是正することはできないからである。


 この「適正手続きの保障」の論点を確立しなければ、「武力の行使」が可能な要件を憲法中に明記したとしても、2014年7月1日閣議決定と同じ問題は起きうるのである。

 憲法の規範力は、憲法の規範力を維持するための「憲法保障」の論点であり、「武力の行使」の発動要件とは直接関係ないと思われる。憲法改正を行うにしても、「適正手続き保障の強化」を考えるべきではないだろうか。

「首相、適正な手続き軽視」 facebook


 お読みいただきありがとうございました。 

<理解の補強>


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・護憲派が圧倒的不利なので、断固反対派だけでなく、対案を出すという条件闘争派も保険としては有りかと思う。ただ実際問題として、技術的に歯止めを書き込むのは難しい。対案を出すというグループのブレーンが誰かを見極めるべき。検討してみたが、歯止めを書こうとすれば、憲法9条3項の条文が膨大になる。
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単なる理想か?~憲法の可能性と実現力~ 2017年11月27日

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憲法では制度の側面・理念や精神の側面がある。

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木村教授 Twitter

山尾志桜里議員の「立憲的改憲論」~特に9条について  2017年11月22日

山尾志桜里議員の「自衛権=透明人間」論に呆れる ~誰か日本の弁護士政治家に国際法の存在を教えてあげてほしい~  2017年11月25日

国民に選択肢を示す山尾志桜里 2017.11.26

木村草太 Twitter  内閣法制局設置法  集団的自衛権と内閣法制局ーー禁じ手を用いすぎではないか

憲法裁判所 2017年12月15日

シリーズ憲法の論点1「司法権をめぐる論点」 PDF

シリーズ憲法の論点9「違憲審査制の論点」 PDF
木村草太氏「憲法は、国家権力の失敗を繰り返さないためにある」【講演全文】  2016年4月10日

安倍政権に苦言理由「批判ないところに進歩ない」 2017年11月23日

交戦権のまどろみー9条を殺したのは誰か 2017/09/28

9条2項改正で開く扉 まどろみから覚醒へ 2017/09/29

諸外国の経験に学ぶ立憲的改憲・国民投票制度 2017年12月07日

【倉持麟太郎独占手記】「公共性」を忘れた週刊誌報道に言いたいこと

外国領土での抗命の処罰規定を新設――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その1) 2015年6月1日

立憲的憲法改正のスタートラインとは 権力拡大の改憲は論外。権力を統制する改正を視野に国民・政治家は憲法と向き合え 2017年12月26日

憲法の包容力よ再び 誰もが当事者の立憲的改憲論 2018年01月12日

「倉持改憲提案」は安倍案の援護射撃

山尾志桜里の政策顧問「倉持麟太郎弁護士」安倍改憲案を批判(1) 2018.01.31

山尾志桜里の政策顧問「倉持麟太郎弁護士」安倍改憲案を批判(2) 2018.02.01

「立憲的改憲論」は、野党分断の道具なのか? ~三国志で読み解く~ 2018年02月02日

自衛隊という実力組織を「統制」する術 軍部大臣現役武官制の轍を踏まないために考えるべきこと 2018年2月2日

山尾氏「立憲的改憲」に待った? 枝野氏が表明した「懸念」 2018年02月01日

「安倍9条改憲」はここが危険だ(前編) 石川健治東京大教授に聞く――自衛隊に対する憲法上のコントロールをゼロにする提案だ 2017年07月21日

安倍改憲案、国民の選択の機会奪う 山尾志桜里衆議院議員 2018/2/21

「立憲的改憲」論 解釈の歪曲 止めるために 中島岳志 2018年2月26日

中島岳志、9条改憲を朝日新聞オピニオン面で主張 2016-04-13

中島岳志氏の立憲的改憲論 2018.02.27

「立憲的改憲」論 「護憲」対「改憲」 イデオロギー化した二分法超えた議論を 2018年03月01日

「フェイク改憲」に対案は不要――「改憲論戯」からの離脱を 2018年3月19日

 立憲・山尾氏の改憲論「9条の神髄守るために、変える」 2018年6月4日
立憲的改憲論出てくる 立憲民主党山尾しほりさん 2018-06-04

自民党を狼狽させたあの大物教授が警鐘! 9条に自衛隊の活動を書き込む「ポジティヴリスト」の危うさ 2018.6.19

ここから、始まる。憲法議論のスタートライン 護憲vs改憲の対立を越えて 2018年8月7日

自衛権統制規範としての憲法九条案 PDF

山尾志桜里「安倍首相は不誠実。石破氏の方が議論できる」自民改憲案に反発 2018.9.21

憲法9条、国民投票で真に問うべきこと(下) 自衛隊合憲論を前提にした「2項維持(安倍首相)vs.削除(石破氏)」に意味はない 2018年09月28日

立憲民主党・山尾志桜里衆院議員に聞く【憲法改正論】 2018/10/1

立憲的改憲 憲法の力を取り戻すために 山尾志桜里・衆院議員 2018年11月9日

山尾志桜里議員の9条改憲論は何のため? 今、この時期に何故? 立憲主義を理解していないことが残念だ 2018年11月15日


【動画】

杉田敦「憲法9条の削除・改訂は必要か」 2016/01/29
9条改憲の論点 長谷部恭男 立憲デモクラシー講座③ 2018/02/17

立憲主義と9条③ 私的領域を守る立憲のシステム 石川健治 立憲デモクラシー講座⑥ 2018/03/13

片山さつきが山尾志桜里をフルボッコ!!立憲民主党の憲法改正案は全くわからない!それなら9条2項を外した案を出しなさいよ! 2018/05/21

長島昭久 大野元裕 私案


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第2章 戦争の放棄


9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


(加憲)

3 前二項の規定は、我が国にとって急迫不正の侵害が発生し、これを排除するために他の適当な手段がない場合において、必要最小限度の範囲内で、自衛権を行使することを妨げると解釈してはならない。



第10章 最高法規

(98条の後に、いくつか加憲)

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「自衛権を定め抑止力を高める現実的妥協」 長島昭久・希望の党政調会長に聞く 2017年12月4日
あの石橋湛山も重視した集団安全保障を憲法に 「武力行使との一体化」の混迷を穿つ 2017年12月11日

国民の生命を守るために憲法第九条に自衛権を明記せよ 長島昭久 大野元裕 PDF
長島昭久 facebook



 この案は、「武力行使の旧3要件」を明記したものであるように思われるが、文言がやや変わっていることから、その適用範囲は変更されているようである。

【武力行使の旧3要件】
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〇 我が国に対する急迫不正の侵害がある
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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武力の行使の「新三要件」 Wikipedia


 著者が認めているように、「現実的妥協」の産物であり、論理的に意味は通じても法の精神を具現化する形としては美しいものではないように思われる。

 内容についても、第二章「戦争の放棄」というタイトルとは直接関係するものではないため、違和感を拭うことができない。


 9条は当初前文の中に置かれていた規定であり、前文の平和主義の理念から戦争放棄について定めた規定である。そこに自衛権を具体的に記載することは、全体的な趣旨に乱れが生じるのである。


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3 GHQ草案の起草と日本政府案の作成・公表

 (略)

 なお、試案および原案からは、第9条が、当初前文のなかに置かれ、次いで、第1条に移されていることが読みとれる。これは、平和主義の原則に世界の注目が集められることを望んだマッカーサーの意向を反映したものであった。しかし、後のGHQ草案では、天皇に敬意を表し、「天皇」の章が冒頭に置かれたため、条文番号は第8条となった(2月22日会見のGHQ側記録 )。

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日本国憲法の誕生 論点 戦争の放棄  国立国会図書館


 9条は前文の平和主義の理念を具現化した規定とされているため、「妨げるものと解釈してはならない」という文言は、前文の平和主義の理念さえも「妨げるものと解釈してはならない」の文言の影響が及ぶこととなると思われる。なぜならば、前文の趣旨が9条にかかって存在しているわけであり、「妨げるものと解釈してはならない」の文言によって、その解釈も変更されてしまうこととなるからである。前文は裁判規範性はないが、法規範性はあるとされている。前文の趣旨との関係性も損なわれてしまうのではないだろうか。


憲法前文の「平和主義」の意味 PDF



 現行憲法には欠点もあるが、理念や志に強く共感する者の視野から見ると、この提案は断片的な提案であり、荒っぽく雑な扱いが見られるところに、しっくりと受け入れられる感覚を抱くことができないのではないだろうか。

 「自衛権」の文言についても、国際法上の概念であり、憲法典に加える文言としては妥当であるのか検討を要すると思われる。『自衛権』の文言が、「立法権」「行政権」「司法権」のどれに相当して扱われるのか明確に見解が求められると思われるからである。行政権の行使であると思われるが、立法権として法律を整備することもこれに含まれるのかもしれないからである。ただ、その法律や行政権の行使を、司法権の裁判所によって「自衛権の範囲を逸脱したものか」などが判断されると思われるが、国際法上の概念であるのならば、日本の裁判所で判断ができるのかなど新たな問題が発生するため、しっかりとした意味を確立する必要があると思われるからである。(ただ、9条2項後段に既に存在しているの『国の交戦権』の意味も明確ではないのだが…)

 


 加憲案の内容は、憲法9条の「1項」、「2項」、「加憲案3項」と、国際法の「個別的自衛権」と「集団的自衛権」が重なり合ったり、合わなかったりする部分があるため、読み方がかなり難しい。

 「我が国に対する」を「我が国にとって」に変更した場合、これは我が国に対する直接の武力行使の着手のない段階での武力行使を許容することにもなり、国際法上違法な先制攻撃を正当化する根拠とならないだろうか。「我が国に対する」という文言は客観性がある程度確保されているが、「我が国にとって」とは、我が国がそう認定すれば何事も許されるような意味合いにも読み取れるからである。


 「我が国にとって急迫不正の侵害」であるが「我が国に対する急迫不正の侵害」でない場合について、国際法を遵守することで合法的に行使しようと考えるのかもしれない。


 ただ、「我が国とって急迫不正の侵害」であるが、「我が国に対する急迫不正の侵害でない場合」について、個別的自衛権ではなく他国からの集団的自衛権の要請もない場合の武力行使に関しては国際法上集団的自衛権とは認定されず先制攻撃となるためやはり違法であると思われる。


 このような行動は、現在であれば、憲法9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争」や「武力の行使」にあたるものとなり違憲なものとなると考えられる。たとえ、他国からの集団的自衛権行使の要請を受けたとしても国内の実力組織(主に自衛隊)の実体も戦力に該当するものへと変質してしまうため、9条2項の規定に抵触するため違憲となるはずである。


 しかし、新設の3項の規定は、これらの抵触を「自衛権を行使することを妨げるものと解釈してはならない」として違憲性を回避しようとするものなのである。


 これら1項、2項への抵触を避けるために敢えて「妨げるものと解釈してはならない」と加憲案の3項を設けるというのは、自衛隊の性質に大きな変更を迫るものである。(違憲の疑いが極めて濃いが、新三要件の加わった安保法制の成立によって法律上は既に変更されているともいえる。)


 これは、憲法上、自衛権を名目とした必要最小限度の侵略戦争でさえも正当化するものとなり得るのではないだろうか。また、国際法上も「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の枠に当てはまらない範囲の武力行使の道を開こうとするものであり、違法な先制攻撃の道を開いているのではないだろうか。現在の憲法上の歯止めを、加憲案3項の言う「自衛権」の定義でもって「妨げるものと解釈してはならない。」と正当化していると思われるのである。



 我が国に対する急迫不正の侵害でなく、他国に対する侵害で、我が国にとって急迫不正の侵害と感じられるものについて、他国からの要請があった場合に、自国防衛を理由として、国際法上の集団的自衛権に該当する、国内法上の武力の行使をするということだろうか。


 この場合、1項の「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を「永久に」「放棄する」ことは新設3項の『妨げるものと解釈してはならない』によって無効化される。つまり、1項の「永久にこれを放棄する」は撤回されたということである。永久に放棄したはずであるが、自衛目的で解禁することとなるため、改正の限界を超えるものであると考えられる。


 また、新設3項の「我が国にとって急迫不正の侵害が発生し、これを排除するために他の適当な手段がない場合において、必要最小限度の範囲内で、自衛権を行使する」こととなるため、この名目であれば、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」が妨げられないのである。


 つまり、自衛目的の自衛権としての「国権の発動たる戦争」が解禁され、自衛目的の自衛権としての「武力による威嚇又は武力の行使」も解禁されるのである。最小限度かどうかは、内閣や国会が判断することとなりそうである。恐らく裁判所でも正確な判断ができる性質のものではないだろう。そのため、「最小限度である」と内閣と国会が判断すれば、「国権の発動たる戦争」に該当する自衛目的での実態としての侵略戦争が違憲化されないこととなる。


 自国防衛を理由とするが、国際法上の集団的自衛権を行使することから実力組織(主に自衛隊)の実体が2項の「陸海空軍その他の戦力」に該当することとなると考えられるが、これについてもその「陸海空軍その他の戦力」へと変容した実力組織(主に自衛隊)の違憲性が『妨げるものと解釈してはならない』の文言により違法性が阻却されるようにするようである。となると、自衛隊は「戦力に該当する実力組織」として認めるということになる。しかし、完全な集団的自衛権を行使する軍隊を設けることを許すこととなる「2項削除」の改憲案と区別する提案としてはこの方法しかないということだろうか。





 98条の後に、いくつかの文言を追加する案についても、第10章「最高法規」というタイトルとは直接的に関係するものとは言えないだろう。


 「国際連合安全保障理事会」などの文言を導入すると、日本国が独立した国家であるという感覚が薄まり、「国際協調主義」ではなく、「国際法主義」となってしまうだろう。すると、国連決議に日本が賛同できない場合や国連に変わる新たな国際機関の枠組みが設置された場合、国連の性質が変わってしまった場合などに、国連を脱退することが不可能となってしまうと思われる。このような提案は、自国を統治する主権を部分的に国連に譲渡してしまうようなものとなるのではないだろうか。


 そうなると、国連に加盟する他の国々が日本をコントロールするためにこの憲法規定を材料として決議が行われてしまう可能性もあるのではないだろうか。他国の都合や国連の政治的な都合に、日本が巻き込まれることが前提となるようなシステムは避けた方がいいのではないだろうか。国内法だけで自己完結した法体系を整え、他国や国際機関からの影響や干渉を避けた方が日本の国益に沿うものと思われる。


 「安全保障理事会」との具体的な文言は、これに変わる新たな理事会の立ち上げがなされるなど、国連の性質変更に堪えられる内容ではないことも問題だろう。国連の組織変更に日本国憲法自体が影響を受け、規定が無効化されたり、解釈が歪められたりすることは、あってはならないことであると考える。

 そもそも、国連本体が世界の全市民による民主的な投票を経て確立された組織ではない以上、国連そのものの正当性のあり方(権力的契機・正当性契機)に十分な根拠があるとは言い難いのではないだろうか。国連が普遍的で正当性の確立した組織であるという認識は改めた方がいいように思われる。国連との一体化は、避けるべきだろう。

 日本国憲法の前文でも、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と規定している。

 これは、民主制の過程を経ることの権力的契機と正当性契機を表現したものである。国連の組織は、この権力的契機や正当性の契機を欠いている機関である。したがって、国連に加盟し、議決等に参加することはできても、国連そのものを正当化することは日本国憲法ではできないのである。日本国憲法の前文中には、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とされており、これに反した国連の発する法令や規定、議決などは、権力的契機と正当性の契機が存在している日本国憲法で定められた「国会」の議決を経て正当化がなされない以上は、排除されてしまうと考えられるのである。

 国連に日本国憲法で求められている権力的契機と正当性の契機が存在しない以上、日本国憲法中で他国や一部の国際機関について書き込むことは避けるべきであると思われる。


 「国際連合」などの文言を加えることは、国連や他国の行う「国家承認」のプロセスも関わってくるのではないだろうか。日本が国家承認をこれからも得続けられると考えているようであるが、根本的に国家承認が得られなくなった場合に、日本が国連に依存するような規定を有すること自体が憲法上問題となり得ると思われる。自国の法体系に自国以外の法体系を具体的に持ち込むことは、様々な場面で弊害をもたらすと思われる。

 

 加えて、憲法優位説・国際法優位説などの上下関係をどのように考えているのか、十分な見解が知りたいところである。

 こういった問題を整理した方がいいのではないだろうか。


 当サイト管理人は、国際貢献について詳しくないため、これ以上は分析する力がない。申し訳ありません。ただ、これらの規定は法律規定で対応できないのだろうか。内容が細かすぎるため、憲法規定としなくてはならない理由が十分に掴めない。これ以上のことは分からないので、詳しい人に分析をお願いしたい。



 この案についても、憲法の体系的な理解が不足しているように思われる「文言を付加的に加えて修正すればいい」との感覚で起草したものと思われるが、憲法全体のバランスが計算されていないために美しいものではないと考える。このように、「部分修正でいろいろ付け足せばいい。」との感覚で立法するならば、第三章「国民の権利及び義務」や第四章「国会」、第五章「内閣」、第六章「司法」の章など、あらゆる規定についてもいろいろと付け加えることが可能である。ただ、そうすると、憲法全体の体系性や一貫性が曖昧となったり、法分野の精神的な軸となる本質部分が見えづらくなったり、他の法分野と競合する規定が増えることによってアクセシビリティも損なわれてしまうのである。憲法に文言を加えることは、実はいくらでもできるのであるが、敢えてそぎ落としているのである。

 提案を試みるにしても、今後、それらの趣旨を憲法全体の体系的な整理の中に馴染むものへと調和させていく努力が望まれるものであると思われる。それが可能であるならば、多くの法学者の抱きやすい違和感を越えられるのではないかと思われる。

 ただ、それがなかなか難しいものであるのだが、現行憲法の平和主義の精神はそれほどまでに強固であり、憲法においても何重にも壁を設けてその価値が壊されないように守っているのである。中途半端な提案は、その壁を越えられないように立法当初から既に想定されており、阻まれるのである。

 この提案は、立法当初の憲法制定権力の意志に受け入れられていないように見える。その道の巨匠の存在が大きすぎるからと言って、巨匠の作品の一部分を批判してそこだけつくり変えて自己満足するのではなく、巨匠の作品の精神をしっかりと受け継いで、その作品と一体化するほどの美しい改正が求められるはずである。


 過去の映画のリバイバル作品が、初期の作品よりも質が落ちているときのようながっかりした感覚を味わったことはないだろうか。「もう、手を加えるのやめてくれ」と言いたくなる時が、正直あったりするのではないだろうか。そんな感じにならないように完成度を高めないといけないはずである。


 これではやはり9条の趣旨を歪めたような偽物感が見えてしまう部分はないだろうか。9条そのものや関連する規定を憲法体系に沿ってきれいに改正していくプロセスに正面から取り組まない違和感である。傑作ではない。原作へのリスペクトが強くないと、ファンをがっかりさせることとなってしまうように思われる。


 原作の精神を十分に抽出することができ、それをミスなく形にすることができたのであれば、新たな傑作を生み出すことができるはずである。新たな方針を打ち出す志しがあるのであれば、ここで満足しないでそこまでした方がいいように思われる。

 



 詳しく理解して十分に分析しきっていないところもあります。今後も検討を続けていきます。最後までお読みいただきありがとうございました。



長島昭久 Twitter
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<理解の補強>

#自衛隊 でも #自衛権 でも #三項加憲 は三項加憲。同じです。 2017-12-04

憲法の言葉シリーズ⑥「自衛権」 法学館憲法研究所 2014年4月24日

「憲法9条、日米安保、そして地位協定はセットにして理解しなければならない」石破氏、改めて9条改正の必要性を強調  2017年11月20日

「指揮権」「軍事裁判所」明記を=石破氏、9条改憲で提案 2017/12/16

「9条で戦争起きず、は信仰」 希望・長島昭久氏が疑問視 2017.12.16

希望の党・長島昭久政調会長「揚げ足取りに国民はついてこない」首相の9条改憲案「安直ではないですか」 2017.12.16

憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって 2017年10月20日

第4回 憲法の最高法規性と条約--98条 (水島朝穂-憲法から時代をよむ)

希望・民進議員の9条加憲案

そもそも憲法とはどんなものなのか? 憲法と民主主義 対談:木村草太×後藤正文


「9条で戦争起きず、は信仰」 希望・長島昭久氏が疑問視 2017.12.16

憲法改正と宗教界――憲法96条改正から憲法9条改正へ 2013/07/01

憲法改正が宗教界に与える影響――信教の自由と政教分離 2013/07/08

憲法と自衛隊の新神学論争=武力行使との一体化 論争の震源は常に「海外派遣」 2018年2月5日

山尾志桜里の「立憲的改憲論」のどこが問題か 2018年6月23日

「9条改正のキーワードは“我が国にとって”」大野元裕参議院議員【憲法改正論】 2018/7/7
「“惑星直列”の様な改憲大チャンス」長島昭久衆院議員【憲法改正論】 2018/7/8

元内閣法制局長官 阪田雅裕 私案


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9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3 前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織の保持を妨げるものではない。
4 前項の実力組織は、国が武力による攻撃をうけたときに、これを排除するために必要な最小限度のものに限り、武力行使をすることができる。
5 前項の規定にかかわらず、第三項の実力組織は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を図るために必要な最小限度の武力行使をすることができる。
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憲法に自衛隊書くだけでは白紙委任 阪田・元法制局長官 2018年2月7日

 

 
 この加憲案は、文言の法律的な意味や定義が押さえられており、文言それ自体の整合性には気を配られているようである。法の条文としては大変に読みやすいというのが第一印象である。


 しかし、その内容の意味や趣旨の整合性については、十分に完成されたものには至っていないようである。

 


〇 まず、9条全体に及ぶ「日本国民は、」という主語に対して、4項、5項の「武力行使を発動する要件」は、全く関係がない。途中からいつの間にか話が変わっているのである。


 恐らく、「9条の意味」、「9条の解釈」などを相当に学んだため、9条の技術的な意味合いのみを要素として9条の規定を読んでしまったことが原因であると思われる。素直に現行の1項と2項を読んでみると、4項、5項のような「武力行使の発動要件」に関わる内容を持ち合わせていないことが誰でも確認できるだろう。


 解釈技術に特化した法律家が陥りがちな「技術的な読み方」に捉われているために、素直な日本語が読めなくなってると考えられる。機械的に読みすぎたためにこのようなミスが起きるのだと思われる。この点、法律上の技術的な意味合いに言語の概念が確定する以前にある、人間の認識や意志の観念を読み解く法哲学や哲学、言語学などのアプローチで考えることが足りていないのだと思われる。


 法がもともとは人の意志の観念から形成されているという大前提にまでしっかりと遡ることで、このようなミスは防げるものと思われる。日本語の文法や哲学、法哲学まで遡って捉え直すべきである。


 5項は新三要件(限定的集団的自衛権)の「存立危機事態」に類似した概念を条文化にしたものであるが、この措置は、「5項の要件に従えば1項の禁じている先制攻撃には該当しない」という解釈を含んだ内容となっている。これは、自衛権の名の下に行われる戦争に対して、実質的に歯止めがなくなってしまうもので、極めて危険な内容である。

 1項と5項を具体的に比較して確認してみよう。

 1項は、「放棄する」の趣旨から、日本国民はこれらの権限を国家に対して信託していないことを示すものである。よって、国家の権限において国民から授権されていない部分を示す禁止規定である。


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1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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 これに対して、5項は、「我が国の存立を脅かされる明白な危険」の目的の下に、「事態の速やかな終結を測るために必要な最小限度の武力行使」を許可する根拠規定なのである。

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5 (前項の規定にかかわらず、)第三項の実力組織は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を図るために必要な最小限度の武力行使をすることができる。

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 しかも、この規定は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」を要件としているものである。これは、「我が国と密接な関係にある他国」からの要請がない段階でも、「我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合」であれば、「武力行使をすることができる」とする根拠規定となるのである。


 「集団的自衛権」は、他国からの要請がある場合に初めて認められるものであり、他国からの要請がない段階で武力行使を行えば、国際法上「集団的自衛権」にさえ該当せず、違法な先制攻撃となると考えられる。

ニカラグア事件 Wikipedia

 よって、通常であれば加憲案5項の内容は、1項の「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」に該当するものとなるはずのものである。この規定が法律上のものであるならば、9条1項の「放棄する」の趣旨より国民が国に対して国の権限として信託していないことから、違憲なものとなりその法律は無効となるはずなのであるが、この加憲案によって憲法規定となった場合、1項の信託していない旨を定めた規定とは異なる、国民からの新たな信託を受けた根拠規定を設けることとなるのである。


 そのような規定が憲法改正によって国民の承認(96条)を経た場合、第二章「戦争の放棄」の趣旨は損なわれ、1項の「侵略戦争」や「先制攻撃」を放棄する趣旨を失わせることとなってしまう。

 また、国際法上違法とされる先制攻撃の可能性を憲法規定によって宣言することとなることから、国際社会にとって極めて危険な国家とへと変質してしまうこととなるだろう。


 なぜならば、条約は憲法によって設立された機関である「内閣」の締結(73条3号)と「国会」の承認(61条)によって批准され、その条約の効力の有無は「裁判所」の違憲審査(81条)によってなされることとなるからである。つまり、政府(内閣と国会)が「侵略戦争」や「先制攻撃」の違法化を目的とした条約を外国との間で締結したとしても、裁判所がこの加憲案(憲法規定)によってその条約を違憲無効化することとなるのである。国連憲章も法的には条約の形式であり、「侵略戦争」や「先制攻撃」を禁じてはいるが、この憲法規定はこの国連憲章の規定自体を違憲無効化してしまうこととなるのである。

 さらに、先制攻撃を行うことが可能な組織は、もはや加憲案3項の言う「自衛のための必要最小限度の実力組織」には該当せず、2項の禁ずる「陸海空軍その他の戦力」に該当することとなる。しかし、加憲案5項は「武力の行使をすることができる。」としていることから、2項と加憲案3項は無効化されることとなる。意味不明である。

 このような憲法は、実質的には「平和主義」とは言えないものとなってしまい、憲法の三大原理を破壊するものとなるのである。

「存立危機事態」と「それ以外の事例」と「加憲案5項」の要件

他国からの

要請

武力の

行使

他国に対する武力攻撃 なし

✕ 不可

【先攻】

あり

✕ 不可

【集自】

我が国と密接な関係にない他国 に対する武力攻撃が発生 これにより 我が国の存立が脅かされ 国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事 なし

✕ 不可

【先攻】

あり ※1

✕ 不可

我が国と密接な関係にある他国

なし

✕ 不可

【先攻】

あり

〇 可能

【限集】

✕ 不可

【先攻】

我が国と密接な関係にある他国

に対する武力攻撃が発生 これにより 我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合

(問わない)

〇 可能

【先攻】

我が国に対する武力攻撃

〇 可能

【個自】

存立危機事態について

31条で違憲

 

存立危機事態について

31条で違憲

   

存立危機事態について

9条で違憲

 

 「密接な関係」にあかないかの要件が不存在。その他国からの要請があった時に(1)、「密接な関係にある他国」かどうかを認定することが内閣の政治判断となる。限定的でも最小限度でもなく、拡大解釈を招く恐れがある。行政権に一任している旨が違憲。

 

 因果関係の認定に、具体的な要件が存在していない。限定的でも最小限度でもなく、拡大解釈を招く恐れがある。内閣の政治的な判断となり、侵害的な行政活動であるにも関わらず、行政権に広範な裁量権を与えた旨が違憲。

     要請の有無に従って判断が分かれるということは、要請があった時の武力の行使は「他国や他国民を防衛する」という意味を含むこととなる。この行動は13条を根拠とする必要最小限の範囲を超えるため、9条に抵触して違憲。  

 

 加憲案5項は、憲法規定であることから、9条違反や31条違反について法律と同じようには違憲判断(憲法審査)ができなくなってしまう。よって、実質的な歯止めとなるものが存在しなくなるために極めて危険な内容である。


 また、「我が国と密接な関係にある他国」と認定するかどうかについても、「国会が予め判断しておくのか」「内閣が予め判断しておくのか」それとも「事態が差し迫った時に自国の都合でその時その時に判断するのか」など、具体性が存在しない。


 他にも、「我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合」についても、現在の13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の文言から根拠を導き出した存立危機事態の要件ではなく、「我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合」というこの規定独自の要件となる。よって、9条の制約の下でも、13条の趣旨より限定的に行使される必要最小限度の自衛の措置というものではなく、「我が国の存立が脅かされる明白な危険」を排除するための武力の行使となる。


 つまり、他国が攻撃を受けた際に、自国の都合で武力の行使に踏み切るのである。このような事態は、存立危機事態においても存在しており、31条の手続きの適性の観点から相当因果関係の認められない事例や考慮すべきでないことを考慮した事例(他事考慮)に該当するため通常であれば違憲・無効となる。


 しかし、これは憲法規定であることから、31条の手続きの適性が及ばない例外規定となり得るものである。


 さらに、この規定は国際法にも違反することとなる。


 「存立危機事態」を認定して武力行使に踏み切る際には、同時にその武力行使が国際法に違反しないために、「他国からの要請」が必要となる。それを満たしているかを判断する根拠となるのは、自衛隊法88条2項である。しかし、この要件を憲法規定とした場合には、この自衛隊法88条2項にあたるものが存在しないため、国際法の要件充足を満たさない完全な自国の都合での武力の行使が可能となる。

 

自衛隊法
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   第六章 自衛隊の行動


(防衛出動)
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。

一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態

二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態

2 内閣総理大臣は、出動の必要がなくなつたときは、直ちに、自衛隊の撤収を命じなければならない。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

   第七章 自衛隊の権限


(防衛出動時の武力行使)
第八十八条 第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。

2 前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。

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 これは国連憲章2条4項で原則禁止する「武力による威嚇又は武力の行使を」「慎まなければならない。」の例外として定められた、51条の「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」に当てはまらないため、国際法上合法とされる集団的自衛権にも該当しないものである。よって、2条4項に該当し、国際法上違法となる。

 自国都合での武力の行使は、憲法9条1項の「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」に該当するため違憲となるはずであるが、加憲案5項はこれを否定しているものである。自国都合での武力の行使をする組織の実体は、9条2項で禁止する「陸海空軍その他の戦力」に該当し違憲となるはずであるが、加憲案3項で「前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織の保持を妨げるものではない。」とし、加憲案5項でも「第三項の実力組織は、~~必要な最小限度の武力行使をすることができる。」としていることから、それを否定しているのである。このような戦闘行為は9条2項の「国の交戦権」にも該当し違憲となるはずであるが、整合性のないまま加憲案5項の根拠規定が設けられることからそれも否定されるのである。


〇 加憲案4項で「前項の実力組織は、」と、加憲案5項で、「第三項の実力組織は、」としているが、それらの規定の言う加憲案3項の『自衛のための必要最小限度の実力組織』というものが、海上保安庁や警察組織を含むのかが問題となる。


 もし含まなかった場合、緊急時において海上保安庁等の装備による自衛の措置が不可能となる。もし含む場合、加憲案5項の限定的集団的自衛権に類似した概念についても、海上保安庁や警察組織が取り扱えることとなる。それでいいのだろうか。



〇 9条と13条の対立から「必要最小限度」という文言が導かれているわけである。この「必要最小限度」の根拠は、政府解釈にある通り、一見9条の規定は一切の武力行使を禁じているように見えるが、13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保障することまで禁じているとは到底解されないと解釈することによるものである。これらの規定の対立の中に抑制的な武力行使が許容されると読んでいるのである。


 しかし、加憲案にあるように、突然憲法中に「必要最小限度」などという文言を書き込んだとしても、それは何を根拠とした「必要最小限度」なのか分からないのである。9条と13条の対立の中にあるからこそ、「必要最小限度」であるわけであり、「『必要最小限度』であるから、『必要最小限度』である。」などということは根拠とならないのである。


 憲法中に「必要最小限度」と書き込んでしまえば、「必要最小限度」の文言のインフレ化を招くこととなる。どれだけの兵器を持とうと、どれだけの権限を行使しようと、「必要最小限度である」と言い切るためのお墨付きを与えることとなるのである。


 これでは、到底「必要最小限度」の実質を確保することはできないはずである。

 

 

〇 もう一つ、この加憲案3項は、「自衛のための必要最小限度の実力組織」となっていることから、現在の政府解釈の言う「13条の『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』を保障するために設けること許容する『自衛のための必要最小限度の実力組織』」というわけではない。


 そのため、現在の政府解釈は完全に捨てられ、この加憲案3項それ自体が根拠規定となる「自衛のための必要最小限度の実力組織」を有することができるということとなる。


 よって、9条と13条の対立関係から生み出される根拠は失われ、「自衛のため」という理由に適合しそうであれば、「実力組織の保有」や「武力行使の権限」には際限がないこととなる。これは、条文から導き出される文言のバックグラウンドにある根拠となる精神の違いによって、規定に含まれる抑制作用の効果に違いが現れるということである。


 また、その実力組織の行使する「武力行使の権限」についても、全く歯止めが存在しない。それは、加憲案4項、5項の根拠規定を基にした武力行使はもちろん可能であるが、それ以外にも、「自衛のため」であれば法律によって武力行使の根拠規定を設けることが可能だからである。


 その理由は、この加憲案4項、5項は単なる根拠規定を示したにすぎず、「これ以外の武力行使は認めない。」などの制限が他に存在していないことである。現在の自衛隊法76条1項1号(武力攻撃事態)、2号(存立危機事態)のような、法律の条文によって武力行使(防衛出動など)の根拠規定を設けることを憲法上で排除していないのである。


 つまり、憲法中に武力行使の発動要件を書き込んだとしても、それ以外の発動要件を認めない旨を明確にし、他の法令による武力行使が行われる可能性を強く排除しておかない限りは、何の意味もないのである。


〇 さらに、こうなると、「9条の制約の下で13条の『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』を保障するという趣旨からは、他国防衛を行う『集団的自衛権』の行使は不可能である」とされてきた従来の解釈も失われることとなる。

 なぜならば、加憲案3項は「自衛のための」という根拠を示している限り、「この自衛には、個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権も含むと解釈できる。」と読むことが可能だからである。

 「自衛のため」という文言には、『我が国の』などの文の頭が存在しておらず、『我が国』だけでなく『他国の自衛のため』などと読み替えることも可能と解釈されてしまう恐れもある。


 この読み替えは、政府が「限定的集団的自衛権」の行使の道を開いた2014年7月1日閣議決定にて、昭和47年政府見解の「それは、あくまで外国の武力攻撃によって…」の文を読むにあたって、文脈の前後関係から見ても明らかに「『我が国に対する』外国の武力攻撃によって…」と読むことしかできないものを、「『我が国』+『同盟国に対する』外国の武力攻撃によって…」と読むこともできるなどという主張を根拠としている事実からも明らかだろう。

 

 

昭和47年(1972)の政府解釈のポイント PDF
http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/s-47.pdf
http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/panpo2.pdf
http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/panpo3.pdf
http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/panpo4.pdf

 このように、文言の前後の圧倒的な経緯を無視して文を「読み替える」権力者が現れた際に、このような条文では何の歯止めにもならないのである。

 こうなると、加憲案3項の「自衛のための必要最小限度の実力組織」は、「集団的自衛権を行使するための必要最小限度」を含む実力組織となり、現在の政府解釈の言う13条を根拠とした「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保障するための「必要最小限度」とは全く違うものとなるのである。


 (もしこの加憲案が集団的自衛権を行使することを意図している改憲を目指すものなのであれば、9条2項を削除すればよく、この加憲案5項のいう限定的集団的自衛権に類似した武力行使の根拠規定を持ち出す必要がない。よって、上記の問題はやはりこの加憲案3項の文言上の不備と言って差し支えないだろう。)



 上記で述べた通り、「集団的自衛権を行使するための必要最小限度の実力組織」の保有が許される以上、加憲案4項、5項とは別に、法律の条文によって「集団的自衛権」の行使を許容する武力行使の根拠規定が設けられることとなり得る状態に置かれることとなる。


 なぜならば、「4項、5項以外の武力行使の根拠規定」を設けてはならない旨の立法権を制約する憲法規定が存在しないからである。もちろん、行政権によって集団的自衛権を行使する内閣の閣議決定や政令の制定を禁ずる憲法規定も存在しない。


 加えて、「集団的自衛権」を行使することができるならば、もはや「陸海空軍その他の戦力」に該当することとなることから、「必要最小限度の実力組織」などという文言は意味を為さないのである。2項の無効化を狙うものと言って間違いはないだろう。


 2014年7月1日閣議決定の前と後とで、『必要最小限度』の統制方法がどのように変わっているのかを下記の表で確認しておこう。

 特に、9条1項「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」の『〔第一段階〕武力行使の発動要件(権限)』について、『性質』面の『必要最小限度性』であったものを、『数量』としての『必要最小限度性』に解釈を変えた部分が重要である。

 また、その影響により9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」に該当するかどうかにも変化が現れる。この点も注目すべきだろう。

  統制の対象 2014年7月1日閣議決定前の『必要最小限度』の統制方法 2014年7月1日閣議決定後の『必要最小限度』の統制方法
 9条1項
「国権の発動たる戦争」
「武力による威嚇又は武力の行使」
〔第一段階〕
武力行使の発動要件(権限)
  性質
13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の保障を根拠とするが、
自国に対する武力攻撃がなければ武力行使しない
という『性質』の基準で判断
この判断方法には、9条の規制規範としての役割を損なわせることのない明確な基準が存在しているため合憲と考えられる
宣戦布告による開戦や先制攻撃、自国都合で武力行使に踏み切ることは違憲

  数量
13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の保障を根拠とするが、存立危機事態の要件より
「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生
これにより
⇒ 我が国の存立が脅かされ
⇒ 国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある
場合には武力行使を可能とする
という『数量』の基準で判断
他国への攻撃であるにも関わらず、他国防衛が目的ではなく、自国都合による武力行使の道を開いたものであるため「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」に該当し違憲
純粋に他国防衛だけが目的であれば1項には抵触しないと思われる。(2項前段には抵触する)

宣戦布告による開戦や先制攻撃、自国都合で武力行使に踏み切ることは違憲

〔第二段階〕
武力行使の程度
  数量
「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置」のための『必要最小限度』の武力行使なら合憲
それを越えた場合は違憲
  数量
「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置」のための『必要最小限度』の武力行使なら合憲
それを越えた場合は違憲

9条2項前段

「陸海空軍その他の戦力」

〔第一段階〕
組織の権限
  性質
基本的に国内での行政権などは合憲
この判断方法には、9条の規制規範としての役割を損なわせることのない明確な基準が存在しているため合憲と考えられる
軍事権に該当すれば違憲
  性質
基本的に国内での行政権などは合憲
軍事権に該当すれば違憲
他国や他国民の防衛が目的ではなく、自国都合の武力行使の道を開いたものであるため、その性質は侵略的意味を持ち、必要最小限度の自衛の措置を行う実力組織の範囲を越え「陸海空軍その他の戦力」に該当し違憲
もし他国への攻撃を理由とすることから純粋に他国防衛が目的であるとしても、その組織は13条の「国民の権利」で根拠付けることができないため、「陸海空軍その他の戦力」に該当し違憲
自国都合の武力行使や他国防衛の武力行使は、国内行政(防衛行政)の範囲を越えることから憲法上の根拠が存在せず違憲
〔第二段階〕
組織の程度
  数量
毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断
『必要最小限度』のものでなければ違憲
  数量
毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断
『必要最小限度』のものでなければ違憲

9条2項後段

「国の交戦権」

〔第一段階のみ〕

権限

  性質
「わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使」は合憲
自衛権の行使として「相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合」は合憲
「相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能」は違憲
宣戦布告や先制攻撃も違憲
  性質
「わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使」は合憲
自衛権の行使として「相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合」は合憲
「相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能」は違憲
宣戦布告や先制攻撃も違憲


 これらのことから、この加憲案は、「必要最小限度の範囲のインフレ化」「集団的自衛権の解禁」「2項の無効化」「集団的自衛権の解禁による4項、5項という憲法規定として無意味な条文の追加によるアクセシビリティの低下」などの問題を引き起こすこととなる

 まともな改憲案とは言えないだろう。

 


〇 加憲案3項の「前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織の保持を妨げるものではない。」の文言であるが、なぜ「妨げるものではない。」と、何かを妨げていると考えているのか意味が不明である。

 なぜならば、1項、2項の主語にあたるものは「日本国民は、」となっており、この憲法を制定する際に、その成立した国家に対する日本国民の「厳粛な信託(前文)」の過程では、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を放棄し、「陸海空軍その他の戦力」を不保持とし、「国の交戦権」を否認するために、信託をしていないことを定めた意味しか有していないからである。


 よって、基本的に国家成立の過程では、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」や、「陸海空軍その他の戦力」の保持、「国の交戦権」を国民が信託する潜在的な可能性を有しているが、日本国民はそれを放棄し、認めないこととしているのである。


 このことから、この日本国憲法によって成立した「日本国」という国家においては、もともとそれらの権限を有していないことが大前提なのである。


 加憲案3項の「妨げるものではない。」という文言は、もともと「日本国」が有しているはずの権限を、9条の「日本国民」や、その2項の規定が「禁止し、妨げている」という発想が含まれていると読み取ることができるが、9条2項は何も妨げてはいないのである。


 そのことから、9条2項も「日本国」という国家がもともと有しているはずの権限を妨げる意味を持っていないことから、「妨げるものではない。」という文言は意味が通じないのである。


 国民主権原理を表す、前文1段の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。」(権力的契機・正統性の契機)を学び直した方がいいだろう。


 また、前文1段はそれに続き、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と記載されている。この原理に反して『国家』がもともと何か権限を有しているという性格のものではないので、このような加憲案3項に見られる「妨げるものではない。」という解釈を採用する「一切の憲法」は排除されるのである。

 条文以前の憲法の根本原理を忘れてはならないだろう。これではとてもつじつまが合わないのである。かなり視野が狭くなっていると思われる。「人類普遍の原理(前文)」を勉強し直すべきだろう。

 





〇 正確な日本語としてどうなのかは分からないが、加憲案3項の「保持を妨げるものではない。」の文言に疑問がある。


 日本国民が、国(統治機関)に対して「厳粛な信託(前文)」の過程で、「保持しない。」と決意したわけである。つまり、「日本国民が、保持しない」のである。


 これに対して、この加憲案3項の文言は、「保持を妨げるものではない。」としているのである。これはおかしくないだろうか。


 2項の「保持しない」のは、日本国民の決意を示しているにも関わらず、加憲案3項の「保持を妨げるものではない」の『保持』の主体となるのは国(統治機関)と読むのが素直だからである。


 つまり、「日本国民が、保持しない。」と、「国(統治機関)の保持を妨げるものではない。」となり、「保持」の意味が違う意味で使われているのにも関わらず、文言が重なるのである。憲法中に書き込むのであれば、せめて日本国民の「保持しない。」とは文言を別にし、国の「保有を妨げるものではない。」などにした方がマシだろう。


 ただ、他でも書いたが、9条1項、2項は国民が国家に権限を信託していない旨を定めた内容であり、国民主権原理においては「国民から信託(授権)されずとも国家がもともと持っている権限」などというものは存在していない。そのため、9条の規定が何かを「妨げている」との発想から生み出された「妨げるものではない」という文言は意味が通じないのである。



 

  侵略戦争 集団的自衛権 個別的自衛権

他国固有の権利の例

(憲法上の潜在的能力

「固有の権利」が存在

(国民主権原理の国家であれば、潜在的には国民からの信託によって成立した国家は他国民を排除してでも自国民の幸福追求権のみを目指すことが可能である。)

(ただし、条約で違法化することが多い)

「固有の権利」が存在

(陸海空軍その他の戦力を保有することや、自国以外の国が攻撃されたことを理由とする集団的自衛権の行使が可能である。)

「固有の権利」が存在

(陸海空軍その他の戦力を保有することができ、自国が攻撃されたことを理由とする個別的自衛権の行使が可能である。)

日本国固有の権利

(憲法上の潜在的能力

「固有の権利」が不存在

国民から信託されていない部分を示した9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」に該当。9条2項後段の「国の交戦権」にも該当。憲法前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という平和主義の趣旨からも他国民を犠牲にすることは不可能。

(重ねて、条約でも違法)

「固有の権利」が不存在

(集団的自衛権を行使する組織の実態は、国民から信託されていない部分を示す憲法9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に該当。また、集団的自衛権は他国民を守る措置であることから、国民から信託を受けている13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」との国家の作用を示した規定を根拠とすることもできない。)

「固有の権利」が存在

(憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」の規定から、国の義務として国民から信託を受けている。この目的を達成するための9条に抵触しない範囲での必要最小限度の自衛の措置や9条に抵触しない範囲での必要最小限度の実力組織を保有することが可能。)

条約

(基本的に加盟国のみに拘束力を有する)

国家の「固有の権利」を条約で原則違法化

例1:不戦条約1条「締約国ハ国際紛爭解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。」

例2:国連憲章2条4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

「すべて加盟国は ~ 慎まなければならない〔All Member shall refrain ~〕」とされており、侵略戦争や武力による威嚇又は武力の行使についても、国家の固有の権利(もともと持っている権利〔inherent right〕)として想定されていることが読み取れる。

国家の「固有の権利」の例外的に違法化されない部分

国連憲章51条で「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」とされている部分。


※ ただ、日本国は国際連合に加盟してはいるが、この規定で「固有の権利」として想定されている「集団的自衛権」に当たる権限がもともと存在しない。

〇 「固有の権利」が存在する

✕ 「固有の権利」が存在していない


 国連憲章51条「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」となっている。しかし、日本国は日本国憲法制定時における国家の形成の際、日本国民からの「厳粛な信託(前文)」(権力的契機・正当性の契機)の過程において侵略戦争と集団的自衛権に該当する権限を与えられていない。


 なぜならば、9条の主語である「日本国民」が、9条2項によって「陸海空軍その他の戦力」を保持しない旨を宣言し、国家にそれらの権限を信託していないからである。前文によって、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」としている以上、9条の「日本国民」が放棄し、保持せず、認めないものを国家がその権限として持ちうることはないのである。


 これが日本国憲法の三大原理の一つである『平和主義』と解されている部分である。戦争の禁止について他国との関係の中に条約を締結することによって違法化するという手法に頼らず、戦争を自国の憲法上で自ら放棄し、国家に権限を与えないところに『平和主義』が現れているのである。


 ただ、13条では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められていることから、これらを実現する権限は国民から「厳粛な信託(前文)」を受けている。よって、国は9条の信託を受けていない範囲に踏み込んでしまうことがないように注意しながら、必要最小限度という抑制的な措置として、13条の信託を根拠とした「自衛の措置(国際法上の個別的自衛権に当たる部分)」を行使することができるのである。


 9条は立法当初前文に書かれていた文言であり、後に条文化したが、前文の精神を色濃く反映する内容である。よって、前文の中にこれらの加憲案を明記すると、現行憲法の三大原理の一つである「平和主義」の精神が全く違ったものへと変質してしまうことを考慮していないようである。


 前文にこれらの加憲案を加えた際に、「平和主義」の憲法観が維持されるように見えるのか具体的に確認してみよう。
 

 下記は前文であり、太字で示したものが当てはめてみた9条の文言である。(前項の目的を達するため、)の芦田修正はカッコで括った。加憲案も加えた。前文に馴染まない(前項の~)はカッコで括った。


【前文】+  9条の文言

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する


 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する
前項の目的を達するため、)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない前項の規定は、)自衛のための必要最小限度の実力組織の保持を妨げるものではない。


 (前項の実力組織は、)
国が武力による攻撃をうけたときに、これを排除するために必要な最小限度のものに限り、武力行使をすることができる。(前項の規定にかかわらず、第三項の実力組織は、)我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を図るために必要な最小限度の武力行使をすることができる。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
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 平和への意志や戦争の放棄について様々に記載された前文の趣旨に対して、このように書き込まれる意味合いとなることは、憲法制定権力の平和主義の固い決意の精神を捻じ曲げたようなものと変わってしまうのである。


 これでは、憲法の三大原理である「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」が、『基本的人権の尊重』『国民主権』『戦争放棄と言いながらも先制攻撃を含む武力行使の要件を定めておく主義』になってしまうのである。



〇 また、9条の置かれた日本国憲法の第二章「戦争の放棄」という戦争の放棄について定める趣旨に対して、自衛の措置の発動の要件を書き込むことは違和感を感じざるを得ない。この章に加える条文として、その内容の性格に一貫した素直さが感じられないからである。法体系の形式として美しいものではない。


 後世の法学を学習する者に、「んっ?」というような、違和感を常々感じさせることとなる。このような違和感を何百年、もしかすると何千年にわたって、感じさせ続けることとなることは、法学学習者にとっては頭が痛いだろう。「法としてのクオリティ」や「理解のしやすさ・分かりやすさ・完結性」のアクセシビリティが低いのである。

 第二章は「戦争の放棄」について定めるために「戦争の放棄」というタイトルなのであるが、自衛の措置の発動要件について定めているのである。


 解釈論としては意味が通じているように見えるが、立法論としては意味が通じていないのである。憲法の起草過程の立法技術としての整合性が十分でないことは、完成された内容ではないと感じられるのである。

 


 現行憲法は、大日本帝国憲法の天皇大権に含まれる軍事権を削除している。


 大日本帝国憲法では天皇主権であったが、現行憲法では国民主権に変わっている。その際、主権を持つ9条1項の「日本国民」が、軍事権を放棄し、不保持とし、否認をしたことから、軍事権を削除したことに加え、重ねて禁止しているのである。



大日本帝国憲法(原文のカタカナはひらがなにしているひらがな・カタカナ変換ツール
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   第1章 天皇


第11条 天皇は陸海軍を統帥す
第12条 天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む
第13条 天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す


   第2章 臣民権利義務

第20条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す

第31条 本章に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨くることなし
第32条 本章に掲けたる条規は陸海軍の法令又は紀律に牴触せさるものに限り軍人に準行す
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 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

日本国憲法
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   第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない国の交戦権は、これを認めない


   第3章 国民の権利及び義務

第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない


第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
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<おおよその対応関係>

明憲11条 陸海軍を統帥す

 【軍事権限の削除・禁止】現憲9条1項「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄


明憲
12条 陸海軍の編成及び常備兵額

 ⇒軍事組織の削除・禁止現憲9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」を不保持


明憲13条 
戦を宣し和を講し

 ⇒【対外戦争行為の削除・禁止現憲9条2項後段「国の交戦権」を否認

大日本帝国憲法 ⇒ 変更 ⇒ 日本国憲法(現行)

【天皇主権】により

天皇の有していた権限

主権の変更

【国民主権】により日本国民が

国家に信託しなかった権限

11条「陸海軍を統帥す 軍事権限の削除 9条1項「国権の発動たる戦争武力による威嚇又は武力の行使」を放棄
12条「陸海軍の編成及び常備兵額 軍事組織の削除 9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」を不保持
13条「戦を宣し和を講し」 対外戦争行為の削除 9条2項後段「国の交戦権」を否認
 
20条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す 兵役の削除 18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない
31条 本章(注:第2章 臣民権利義務)に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨くることなし

侵害可能な

人権観を削除

11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
32条 本章(注:第2章 臣民権利義務)に掲けたる条規は陸海軍の法令又は紀律に牴触せさるものに限り軍人に準行す 軍人の削除 (66条2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。)


 大日本帝国憲法において天皇の持つ軍事権は、現行憲法では削除されている。


 また、天皇は現行憲法4条で「国政に関する権能を有しない。」とされ、国家の作用は、41条の国会の『立法権』、76条の裁判所の『司法権』、65条の内閣の『行政権』(控除説:国家作用から立法権と司法権を除いた残りの部分)の三権のみとなった。(地方自治は行政に属するのか議論がある)


 よって、侵略戦争や集団的自衛権を行使して他国防衛を行う組織は、9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に該当し、違憲となる。現行憲法ではこれらの組織や権限については認められていないのである。


 ただ、13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定められていることから、国政を担う『立法権』、『行政権』、『司法権』は、それら国民の権利を保障することを義務付けられているのである。

 このことから、国内行政の範囲で、「陸海空軍その他の戦力」に当たらない行政組織としての必要最小限度の実力を保有することは可能であると解される。


 そのため、国会は『立法権』を行使して軍事権に当たらない実力組織についての法律(自衛隊法や海上保安庁などの設置法)や、その権限について定めた法律を立法することができる。


 また、内閣や内閣以下の行政機関も『行政権』を行使して、それらの法律を軍事権に当たらない範囲で執行することが可能である。


〇 また、「戦争の放棄」の章の中に「武力行使」の趣旨を書き込むことは、「不戦条約戦争抛棄ニ関スル条約)」の締結時の精神から見ても検討を要する内容である。


 まず、不戦条約の内容を確認する。


(主要部分を抜粋)
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戦争抛棄ニ関スル条約(不戦条約)

(前文 略)

〔紛争の平和的解決〕
第一条 締約国ハ国際紛爭解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。


〔戦争放棄〕
第二条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス。


〔批准、加入〕
第三条 (略)
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 次に、この不戦条約に対するアメリカ合衆国の解釈を見てみよう。


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●アメリカ合衆国の解釈(米国国際法学会におけるケロッグの講演)
      一九二十八年四月二十八日


 「不戦条約の米国草案には、どのような形ででも自衛権を制限しまたは害する何物をも含んではいない。その権利は、すべての主権国家に固有するものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのような時でも、また条約の規定の如何を問わず、自国領域を攻撃またはは侵入から守る自由をもち、また、事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する。国家が正当な理由を有しているならば、世界は、その国の行動を称賛し非難はしないであろう。しかしながら、この譲り渡すことのできない権利を条約が明示的に認めると、侵略を定義する試みで遭遇するのと同じ困難を生じさせることになる。それは、同一の問題を裏面から解こうとするものである。条約の規定は自衛の自然権に制限を付加することはできないので、条約が自衛の法的概念を規定することは、平和のためにならない。なぜならば、破廉恥な人間が合意された定義に合致するような出来事を形作るのは、極めて容易だからである。
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ベーシック条約集 2011  編集代表 松井芳郎  東信堂 amazon

ベーシック条約集〈2017年版〉 amazon)


不戦条約について 「世界がさばく東京裁判」より 2013-09-01

 

 このように、「武力行使」を定義し、憲法上の条文として位置づけることは、そのこと自体に「自衛目的の戦争」を誘発する危険を含むこととなり、平和のためにならない側面があると考えられるのである。


 よって、自衛目的の戦争を誘発する危険を含むものとなることから、『平和主義』を強く打ち出す日本国憲法の精神から見ても馴染むものではないと考えられる。




 記事を読む限りでは、この加憲案の作者は、この案が実現するとは考えていないようである。確かに十分な完成度に至っているものではないと考える。


 ただ、憲法議論において、「このような案であれば問題ないのではないか。」と考える人もいると思われるので、このような案の問題点を明らかにする上では非常に役立ったのではないだろうか。

 長々すみませんでした。お読みいただきありがとうございました。