9条と13条



13条、65条、9条の関係

 自衛隊などの実力組織に関わる規定でポイントとなるのは、13条、65条、9条である。


13条〔個人の尊重と公共の福祉〕

⇒ 行政機関(武力組織を含む)の行政権が行使される際の「目的」となる根拠を定めている。

65条〔行政権の帰属〕

⇒ 内閣が行政権を行使して行政機関(武力組織を含む)を指揮監督する際の「手段」となる権限の根拠を定めている。


9条〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

⇒ 武力行使を実効する際や、武力組織を保有する際の「限度」を定めている。

 





 自衛隊の存立根拠は13条の「国民の権利」を目的とした65条の行政権である。


 防衛省・自衛隊の見解を確認する。


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2.憲法第9条の趣旨についての政府見解
(2)憲法第9条のもとで許容される自衛の措置


 憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが、 憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」 や 憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨 を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません

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憲法と自衛隊 防衛省・自衛隊


 政府見解は、9条で一般に禁止する禁止規定を置いているが、「国民の平和的生存権(前文)」や「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(13条)」の規定によって行政権(65条)による「自衛の措置」として「武力の行使」ができる部分が見い出せるとしているのである。

 つまり、9条の禁止規定は、「国民の平和的生存権(前文)」や「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(13条)」を保護する行政作用の範囲には及ばないと解釈しているのである。

参考条文
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〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
〔前文 (抜粋)〕
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

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 これらの根拠を基にして「自衛隊」という組織を法律によって設立したわけであるから、自衛隊の存立根拠は憲法上の条文としては13条の「国民の権利」を保障する範囲で許容される65条の行政権なのである。

 




 日本国憲法の「三権分立」と、明治憲法の「統帥権」に関する国会答弁を確認する。

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○政府委員(佐藤達夫君)
(略)
要するに今の国の作用というものを三つに分けるという、いわゆる三権分立の一般の分類を今の憲法においてとつておりますからして、こういう、即ち外敵を防ぐとかいうようなことが国の作用として許されておるという前提をとりますならば、その作用は立法にあらず、司法にあらず、それは行政の作用であろうということが言い得ると思います。それが一体許されておるかどうかという問題に触れなければなりませんが、これは非常に現実具体的な形では今まで出ませんでしたが、例えばこの憲法ができます際の帝国議会の審議の際において、この憲法は一体無抵抗主義であるのかという御質問が貴族院でありました場合に、決して無抵抗主義ではございませんということを言つておるわけであります。外敵に対して一応許された範囲においての抵抗というものはあり得ることを前提としておりますと答えておるわけでございますからして、できたときの趣旨から言つても、そういうことはあり得るという前提で参つておりますからして、そういうことは今の三つの権力に分けて分類すれば、行政権であろうということが言えると思うのです。ただ、憲法が違つた形でできておつて、仮にいわゆる四権の一つとしての統帥権というものを憲法が作れば、これは憲法を作るその政策の問題としては考え得られますけれども、とにかく三権ということで行つております以上は、その実体は行政権であり、行政作用であろうということであります。従いましてその点は木村大臣の答えた通りであると考えております。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(佐藤達夫君)

(略)

今の行政権についてのお言葉でございますが、この問題はもう少し掘下げて考えてみますというと、一応は私は国を守る作用ということは、結局今の内乱が起つた場合に、その内乱を抑える、それを防ぐというような作用というものとは、根本性質は同じものであろうと思いますからして、これをよそから眺めた場合には、要するに立法権でないことは明瞭、司法権でないことは明瞭ということで、一応行政権でございますと答えておるわけでございます。この限りにおいては、その本質をつかまえて言えば、行政作用であることはどうも誤まりないように思います。ただ、今の掘下げてと申しますのは、その行政作用と一応考えましたところで、その行政作用を受持つ機関或いはその関係の補助をする機関というものを考えます場合に、恐らくそれを先生はお考えになつておるものと思いますが、いわゆる統帥権の独立という考え方がそこに来るわけであります。統帥権の独立ということを強く持つて参りますというと、昔の憲法のように天皇が直接それを握られて、そうしてその補佐機関というものは内閣とは又全然違つたものが、独立のものが補佐に当つている。そうして内閣もその関係では責任は負いません、或いは議会もその関係に口ばしを入れることは許されないという形のものができ得るわけであります。そういう形のものは今の憲法ではこれは当然許されないことでありますが、仮に憲法を改めるということになれば、それは純理論として申しますれば、もとの明治憲法の例もございますからして、そういう形も観念上の問題としてはとり得ることにこれは勿論なるわけであります。ところが結局は今度は今の憲法の精神というものから、或いはそれを延長して行つたこの先々の我々の考え方として、そういうことがいいことか悪いことかということが一般の世論によつて批判されなければならないことになろうと思うわけでありまして、その意味ではこの民主主義という原則を打立てて今後も行くということでありますれば、国会も口ばしを入れられないというような形の統帥権の独立というものは、恐らく大多数の国民は望まないであろうと思います。むしろそういう統帥権のできることを恐れるほうの側の気持が強く働くであろう。従つて一つの憲法改正の際の論点としては、御承知のように昔の明治憲法では天皇は陸海軍を統帥するとあつて、実はそれが統帥権の独立を意味するものかどうか、文章の上では決してはつきりしておりません。少くとも普通の天皇の大権として内閣の輔弼事項であるがごとき形になつておつたのでありますが、それにもかかわらず明治憲法制定の当初からすでに統帥権の独立ということが既定の事実のようになつておつて、内閣すらも口ばしをいれられんものとしてずつと育られて来て、ああいう間違いのもとになつたという、むしろそちらのほうの過去を反省した考え方から、新憲法を、今度の憲法を仮に改正するという場合におきましても、むしろそういう意味の誤解のないような形に規定をはつきりしておきたいという気持が、むしろ国民の側としては強く働くのではないか。即ちそういうような統帥権の独立というものはむしろないのだということをはつきりさせる方向へ条文を明らかに持つて行こうというような気持が恐らく出て来るのではないか。これは単純な推理の、予想の問題でございますけれども、そういうように考えられるのでざいます。
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第019回国会 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日

 

 注意したいのは、すべての省庁などの機関は、包括的基本権である13条の保障を根拠とすることができることである。この13条の規定は、防衛省自衛隊のためだけの根拠として独占的に利用されているわけではないことを押さえておこう。


 例えば、文部科学省は13条のほかにも23条〔学問の自由〕、26条〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕などを実現することを根拠としており、厚生労働省は25条〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕、27条〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕、28条〔勤労者の団結権及び団体行動権〕などの規定を実現することを根拠として法律によって設立されているのである。内閣府総務省経済産業省財務省国土交通省農林水産省環境省外務省法務省警察庁検察庁公安調査庁海上保安庁、文化庁、気象庁、消防庁などについては、上記に挙げたような明確な規定は存在していないが、やはり13条などの人権保障を実現するために法律によってそれらの設立が許容されていると考えるのである。


 ただ、そんな中にも自衛隊だけは、9条の禁止規定(「陸海空軍その他の戦力」)に抵触しない範囲で組織されなければならない機関として9条と共に注目されているだけである。(もちろん他の行政機関であっても、実力組織を保有する場合は9条と共に注目されることとなる。)



<理解の補強>

軍の行動に関する法規の規定のあり方 2007年12月 PDF




9条は何を定めた規定か

 9条の主語は「日本国民」であり、「日本国」ではない。


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〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。の交戦権は、これを認めない。
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 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を放棄し、「陸海空軍その他の戦力」を不保持とし、「国の交戦権」を否認したのは、『日本国民』であり、『日本国』ではないのである。


 憲法中の条文では、主権を持つ「日本国民国民と、統治機関である「日本国」「」は明らかに区別されている。参考として憲法中の条文を詳しく見てみよう。



日本国民」「国民」を理解する参考例
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日本国民統合の象徴であつて、(1条)

主権の存する日本国民の総意に基く。(1条)
国民のために、 (7条)
日本国民たる要件は、10条
国民は、すべての基本的人権の享有を11条

この憲法が国民に保障する基本的人権は、11条

現在及び将来の国民に与へられる。11条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、12条

又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、12条
すべて国民は、個人として尊重される。13条

幸福追求に対する国民の権利については、13条
すべて国民は、法の下に平等であつて、14条
罷免することは、国民固有の権利である。15条
すべて国民は、健康で文化的な25条
すべて国民は、法律の定めるところにより、26条
すべて国民は、法律の定めるところにより、26条2項
すべて国民は、勤労の権利を有し、27条
国民は、法律の定めるところにより、30条
両議院は、全国民を代表する選挙された議員で43条
衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、(79条2項)
第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審(82条)
内閣は、国会及び国民に対し、91条
これを発議し、国民に提案してその承認を96条1項

特別の国民投票又は国会の定める96条1項
天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、96条2項
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、97条

現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利97条

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日本国」を理解する参考例
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日本国の象徴であり(1条)

国事に関する行為のみを行ひ、(4条1項)

国政に関する権能を有しない。(4条1項)
その国事に関する行為を委任(4条2項)
天皇の名でその国事に関する行為を(5条)
左の国事に関する行為を(7条)
の交戦権は、これを認めない。(9条2項)

立法その他の政の上で、13条
は、すべての生活部面について、(25条2項)
又は公共団体に、その賠償を(17条)
から特権を受け、(20条)
でこれを附する。(37条)
にその補償を求めることができる。(40条)
の最高機関であつて、の唯一の立法機関である。(41条)
に緊急の必要があるときは、(54条)

各々国政に関する調査を行ひ、(62条)
の財政を処理する権限は、(83条)
の収入支出の決算は、(90条1項)
の財政状況について(91条)
の最高法規であつて、(98条1項)

日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、(98条2項)
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 よって、国民主権原理によって【「日本国民」「国民」】より「厳粛な信託(前文)」を受けて初めて成立する【「日本国」「」「国政」「国権統治機関】は、9条に示された権限を与えられていないのである。

 





 日本国民が「みずから進んで戦争を放棄」したものであることについて、憲法公布時の勅語でも明確に記されている。この勅語には、三大原理とされる「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」について述べられている。


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日本国憲法公布記念式典の勅語(昭和21年11月3日)


 本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。即ち、日本国民は、みずから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願(筆者注:平和主義)常に基本的人権を尊重(筆者注:基本的人権の尊重)民主主義に基いて国政を運営すること(筆者注:国民主権)、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。

 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
 御名 御璽
    昭和21年11月3日
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日本国憲法 参議院

 




 「日本国」「国」と言っても、それは何らかの実体を持ったものではない。それは、憲法制定権力によって憲法が制定されることによって生み出された概念上の枠組みでしかないものである。実際には、人々の認識の中にしか存在せず、形のないものである。


 その形のない人々の間で合意された認識上の枠組みに国民からの信託を受けて集まった者たちが、憲法によって生み出された「日本国」や「国」と呼ばれる統治機関に配分された『権力・権限・権能』を行使し、地球上の一地域の共同体の秩序を運営しているだけである。


 しかし、その統治機関に所属する者たちは、憲法9条によって「日本国民」が放棄し、不保持とし、否認した『権限』は、「日本国民」から信託されていないため、行使することはできないのである。



 <国民から信託を受けて統治機関に集まった人たち>






<理解の補強>


日本国憲法第9条(衆議院での審議と芦田修正) Wikipedia

日本国憲法第9条(「日本国民」の解釈) Wikipedia





「自衛の措置」と「実力組織」の限度 


 9条と13条の関係から導き出される「自衛の措置」と「実力組織」の限度について考えてみよう。


自衛の措置の限度
 

 9条の「武力の行使」にあたる基準についての政府見解。

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2.憲法第9条の趣旨についての政府見解
(2)憲法第9条のもとで許容される自衛の措置


 憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが、 憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」 や 憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨 を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません

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憲法と自衛隊 防衛省・自衛隊



実力組織の限度

 9条2項の「戦力」にあたる基準についての政府見解。

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2.憲法第9条の趣旨についての政府見解
(1)保持できる自衛力

 わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます

 しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。

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憲法と自衛隊 防衛省・自衛隊







9条と13条の関係 二つの解釈方法

 9条と13条の関係から導き出される「自衛の措置」と「実力組織」の限度については2つの解釈方法がある。


 9条は「日本国民は、〇〇を放棄する。〇〇を保持しない。〇〇を認めない。」となっている。これは、「日本国民」が放棄し、保持せず、認めないことを定めた規定である。

 「日本国民」が憲法を定めて国家に『権限』を授権する際に、「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」、「陸海空軍その他の戦力」、「国の交戦権」については信託しないことを示しているのである。


 通常、それらの『権限』は、国家が成立する際にその国家権力が潜在的に持ちうる可能性がある。しかし、日本国の統治機関(統治権)の場合は国民主権原理の
「厳粛な信託(前文)」の過程で初めから『権限』を与えられておらず、行使することができないのである。


 ただ、13条の規定の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重」をすることを義務付けられている。

 「立法」とは、もちろん『立法権』のことであり、国会の法律をつくる権限である。
 「その他国政」とは、【統治規定】に関わる機関のことであり、現在の統治原理で言うならば、「司法権」と「行政権」の権限や作用のことである。※


 よって、【統治規定】に関わる一般に『国』と呼ばれている機関は、13条の趣旨に従って「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の保障については信託されている。

 このことから、
国民から信託をされていない9条の部分に当たらない範囲で、13条の「国民の権利」の趣旨を実現するために「自衛の措置」を講じることが可能であると考えられるのである。


 この9条の制約と13条の「国民の権利」の趣旨との整合的な解釈から、「自衛の措置」やそれを実行する実力組織を保持することができると考えられるのである。また、その「自衛の措置」やそれらを実行する実力組織は、9条の趣旨を損なわせることのない規範性を有した「必要最小限度」であることが求められているのである。(13条で基礎づけることができない者に関しては、範囲が限定されないために違憲となる。)


※ 天皇は4条で「国政に関する権能を有しない。」と定められているので、「その他国政」には含まれない。
※ 行政権とは、学説上、国家の作用から立法権と司法権を除いたすべての部分(控除説)
※ 地方自治は「国政」に含まれるのかや、行政権を定義づける「控除説」によって行政権の中に含まれるのかは議論の余地がある。地方自治は、三権に匹敵する第四権としての権限ではなく、地方自治を制度的に保障したものであると考えられる。








原則禁止と例外

 9条の制約の例外としての「自衛の措置」を13条の趣旨で基礎づけることには無理があるとする説もある。ただ、9条の【原則禁止】と13条の【例外】のような関係は、国連憲章でも見ることができる。法学上の考え方としては、特に珍しいものではない。


日本国憲法
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   【原則禁止】
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


   【例外】
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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 9条で戦争を放棄し、侵略戦争や交戦権、陸海空軍その他の戦力を認めないが、13条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を実現するための、統治権(主に65条の行政権)による「自衛の措置」としての「自衛のための必要最小限度の実力組織」の保有と、「自衛のための必要最小限度の実力行使」は可能であるとするものである。



国連憲章

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   【原則禁止】

第2条
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。

(略)
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない

(略)

   【例外】

第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

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 2条4項で「国際関係において、
武力による威嚇又は武力の行使を」「慎まなければならない」としているのであるが、51条で加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」として、違法性の阻却を認めたものである。



 9条と13条の関係を国連憲章風に読み解いてみよう。


   【原則禁止】
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力は、保持せず、国の交戦権は、認めない。」


   【例外】
「この憲法のいかなる規定も、武力攻撃が発生した場合には、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を保障するための最小限度の自衛の措置(基本的に行政権〔65条〕)を害するものではない。そのための最小限度の実力組織(基本的に行政組織)の保有を害するものではない。」

 このような形で、9条と13条の考え方は、国連憲章の形式とも一致する部分が相当程度あると思われる。



 日本国憲法中でも、国連憲章中でも、「〇〇の場合には自衛権を行使してもよい。」などという武力攻撃の根拠を示す積極的な規定とはなっていない。この【原則禁止】としているが、【例外】は許容するという考え方で規定する意図は、「不戦条約戦争抛棄ニ関スル条約)」に対するアメリカ合衆国の見解から読み解くことができそうである。


 まず、不戦条約の内容を確認する。


(主要部分を抜粋)
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戦争抛棄ニ関スル条約(不戦条約)

(前文 略)

〔紛争の平和的解決〕
第一条 締約国ハ国際紛爭解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。


〔戦争放棄〕
第二条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス。


〔批准、加入〕
第三条 (略)
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 不戦条約でも、「国際紛爭解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ」や「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スル」として、原則禁止ているのである。ただ、例外も想定されているようである。

 この不戦条約に対するアメリカ合衆国の解釈を見てみよう。


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●アメリカ合衆国の解釈(米国国際法学会におけるケロッグの講演)
      一九二八年四月二十八日


 「不戦条約の米国草案には、どのような形ででも自衛権を制限しまたは害する何物をも含んではいない。その権利は、すべての主権国家に固有するものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのような時でも、また条約の規定の如何を問わず、自国領域を攻撃または侵入から守る自由をもち、また、事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する。国家が正当な理由を有しているならば、世界は、その国の行動を称賛し非難はしないであろう。しかしながら、この譲り渡すことのできない権利を条約が明示的に認めると、侵略を定義する試みで遭遇するのと同じ困難を生じさせることになる。それは、同一の問題を裏面から解こうとするものである。条約の規定は自衛の自然権に制限を付加することはできないので、条約が自衛の法的概念を規定することは、平和のためにならない。なぜならば、破廉恥な人間が合意された定義に合致するような出来事を形作るのは、極めて容易だからである。
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ベーシック条約集 2011  編集代表 松井芳郎  東信堂 amazon

ベーシック条約集〈2017年版〉 amazon)


 このような意図から、【原則禁止】に対して【例外】を設けるという考え方は、平和主義を掲げる日本国憲法の原理から見ても合理性があると考えられる。

 よって、9条の【原則禁止】に対して、13条の趣旨より【例外】を基礎づけることには妥当性があると考えられる。



 砂川判決の趣旨も確認する。

砂川判決
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かくのごとく、同条(筆者注:9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
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 この文言は、誤解がないように整理して読み解く必要がある。

〇 9条は「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止している」
〇 9条は「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」という国際法上の『権利』を否定する条文ではない

〇 わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない
〇 「われら日本国民は、」「国際社会において、名誉ある地位を占めること」を願う
〇 「全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

〇 自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然


 まとめると、日本国民が「国際社会において、名誉ある地位を占めること」や「全世界の国民と共に…平和のうちに生存する権利を有する」のであれば、「わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」のであり、9条が「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止している」中においても、「自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」という意味である。

 わが憲法は、平和主義によって「無防備、無抵抗」を強制し、「生存する権利」を奪われることを放置するものではないことを述べているのである。

 ただ、砂川判決が「自衛のための措置」として挙げた事例は、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、日本国の統治権の『権限』によって「武力の行使」を行うことが許容されるかについては判断していないことに注意が必要である。

 

 砂川判決全文)にある「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」を確認する。

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 そこで、安保条約が果して憲法九条の精神又はその前文の趣旨に反しないか否かを審査するに、憲法九条一項は「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段とする」ことを禁止しているのであつて、その趣旨は不戦条約にいう「国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄する」というのと同趣旨に解すべきものであり、かくて、また国連憲章二条四項の趣旨とも合致するものと考える。従つて、憲法九条一項は何らわが国の自衛権の制限・禁止に触れたものではなく、「国の自衛権」は国際法上何れの主権国にも認められた「固有の権利」として当然わが国もこれを保持するものと解すべく、一方、憲法前文の「……われらの安全と生存を保持しようと決意した」とか「……平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とかとの宣言によつても明らかなように、憲法はわが国の「生存権」を確認しているのである。然るに、今若しわが国が他国からの武力攻撃を受ける危険があるとしたならば、これに対してわが国の生存権を守るため自衛権の行使として、防衛のため武力攻撃を阻止する措置を採り得ることは当然であり、憲法もこれを禁止していないものと解すべきである。けだし、わが国が武力攻撃を受けた場合でも、自衛権の行使ないし防衛措置を採ることができないとすれば、坐して自滅を待つの外なく、かくの如きは憲法が生存権を確認した趣旨に反すること明らかであるからである。
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(下線・太字は筆者)


※ 「自衛権の行使」と、「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」を区別して考えることがポイントである。

〇 国際法の違法性阻却事由としての評価 ⇒ 「自衛権の行使」
〇 憲法によって生み出される統治権による行為 ⇒ 「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」


 国際法上の「固有の権利」として「国の自衛権」を有しているが、日本国の統治権(41条立法権のつくる法律に裏付けられた65条の行政権)による「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」は、憲法9条によって制約を受けた範囲に限られる。







13条は国の義務

 13条の趣旨を根拠とすることに対して、にわかには賛同できず心理的に抵抗感や不信感を抱く人もいるのではないかと思われる。それは、9条の規定があまりに有名であり、13条の規定の存在に陰の薄さを感じていることが原因であると思われる。


 ただ、この感覚の妥当性を考える上で注目しておきたいことは、憲法中には13条以外にも「国の義務」について定めた規定が存在していることである。憲法が「国」に対して要求している条文は、17条、25条2項、37条3項、40条などがある。これらの規定と見比べ、13条の規定が影が薄いからといって軽視されて良いのかを考えてみる。


憲法
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〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


〔公務員の不法行為による損害の賠償〕
第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。


〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


〔刑事被告人の権利〕
第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。


〔刑事補償〕
第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

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 国は、これらの「国民の権利」の実現に努めるように義務付けられているわけであり、それを実行することを躊躇することがあってはならない。
これらの規定と同様に、13条も国民から信託を受けている「国の義務」を定めた条文であり、国は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(13条)」の実現を最大に尊重する必要があると考えることができる。これにより、9条の規定に違反しない範囲で、13条の趣旨の達成するための「自衛のための必要最小限度の実力(組織)」を設け、「自衛のための必要最小限度の実力行使」を行うことは可能であると解することができるのである。自衛隊などの実力組織(武力組織)を設けることも、この考え方を根拠とすることができるのである。

 


 9条の【原則禁止】と13条の趣旨より【例外】的な措置が許容される考え方について、それでも抵抗感をお持ちの方は、民法や刑法の「自力救済」「正当防衛」「緊急避難」を参考とすると良いと思われる。この【原則禁止】と【例外】については、戦争放棄や防衛分野の法体系だけに特別に設けられた特殊な考え方というわけではないのである。9条関係だけでつくり出した特殊な法解釈というわけではなく、法学上はそれほど珍しいものではない。


自力救済 Wikipedia
正当防衛 Wikipedia

緊急避難 Wikipedia



〇 憲法学者「石川健治」の表現を見ておこう。

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この例外というのは常にあるわけですね。
たとえば人を殺したら殺人罪なんですけれども、その例外として、正当防衛の場合は違法でない。少なくとも処罰はされないということになっています。
そうやって、この例外をつくる論理というのがあって、その例外をつくる論理によって自衛隊を正当化していると。
だから逆にいうと、「正当防衛の場合には人を殺していい」という規定はいらないわけですね。
「人を殺したるものはこれこれの刑に処す」という条文だけで足りるわけで、それを、その例外の論理によって正当化すると、そういうことをやってきたと、こういう話であるわけです。
ですから、現在はあくまで例外としておかれている。例外であるということによってコントロールされているということ、これをまあ考えていただきたいわけですね。
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自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治さんの講演 文字起こしテキスト 2018年1月7日 (下線は筆者)



〇 憲法学者「石川健治」の講演の聞き手の理解も見ておこう。
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実際の発言とは違うが、私が理解したところでざくっと意訳すると、人を殺すことは殺人罪として法律に書かれているが、「正当防衛の場合は人を殺していい」とは書かれていない。しかし実際には正当防衛はあって、書かれないことによって殺人の“例外”として大きな制限を受けている

同様に「自衛隊」は憲法に書かれていないことで実際に制限を受けていて、単に書き加えるだけだと、制限がはずれ、こと細かな規定をあわせて書き加えないかぎり、なんでもありになってしまうというわけだ。

書かれていないことにも法的拘束力はおよぶ書かないことで逆に法的に制限する方法があるというのは、私にとっては発見だった。
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【動画】自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治映像ドキュメント 2018/01/17 に公開の解説より (下線は筆者)



その他の事例

 【原則】と【例外】の関係について、憲法上の他の規定から考えてみる。

【原則】 【例外】

9条1項 戦争放棄

9条2項 戦力不保持・交戦権否認

13条 立法その他国政の上で生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の最大の尊重

14条1項 法の下の平等

14条2項 華族その他の貴族の否認

1条 天皇制

50条 国会議員の不逮捕特権

51条 国会議員の免責特権

19条 思想良心の自由

12 人権保持義務

(人権思想を採用し、保持しなければならない義務。ただ、「人権を保持しない・尊重しない」という主張があったにせよ、そのような思想の自由を確保するためにも、前提として「思想良心の自由」という人権が必要となるため、同時に人権を保持することにもなる。)

21条 表現の自由

12条、13条 公共の福祉

(刑法230条 名誉棄損罪、刑法231条 侮辱罪、刑法174条 公然わいせつ罪、刑法175条 わいせつ物頒布罪等)

その2 表現の自由と公共の福祉 2017/1/20

21条2項後段 通信の秘密の不可侵

12条、13条 公共の福祉

(通信傍受法〔犯罪捜査のための通信傍受に関する法律〕)

29条1項 財産権の不可侵

29条2項 公共の福祉、3項 私有財産の正当な補償と公共利用

36条 公務員による拷問および残虐な刑罰の絶対禁止

なし

76条2項 特別裁判所の禁止

64条 弾劾裁判所

裁判官弾劾法

82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷で行う

82条2項前段 裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合に、対審は公開しないで行うことができる

例外の例外】

(82条2項後段 政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件の対審は、常に公開)





集団的自衛権の行使の可否(作成中)

 国連憲章51条「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」となっている。
 日本国はもともと「個別的自衛権」や「集団的自衛権」に該当する部分に限らず、潜在的には侵略戦争を含むあらゆる戦争や戦闘行為を行う『権限』を国民主権原理によって国家(統治機関)に信託して保有させることが可能であった。

 


 しかし、日本国は日本国憲法制定時における国家形成の際、日本国民からの「厳粛な信託(前文)」(権力的契機・正当性の契機)の過程において「戦争」や「武力の行使」に該当する統治権の『権限』の一部を与えられていない。

 なぜならば、前文によって、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」としている以上、9条の主語である「日本国民」が放棄し、保持せず、認めないものを国家が統治権の『権限』として持ちうることはないからである。
 つまり、9条の規定によって、「日本国民(9条1項)」は、「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄し、「陸海空軍その他の戦力」を保持せず、「国の交戦権」も認めないとして、それらの『権限』を国家(統治機関)に信託しないこととしたのである。


 戦争の禁止について他国との関係の中に条約を締結することによって違法化するという手法に頼らず、戦争に関する『権限』を自国の憲法上で自ら放棄し、国家に『権限』を与えないところに、日本国憲法の三大原理の一つである「平和主義」の理念が具体化されているのである。

 ただ、13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(13条後段)」について「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。(13条後段)」の文言から、9条の規定に抵触しない範囲での「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を最大に尊重するための「自衛の措置」を行使する『権限』を国家(統治機関)に信託しているのである。

◇ ただ、13条では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められている。これらを実現する『権限』については、国民から「厳粛な信託(前文)」を受けている。

> このことより、国は9条の信託を受けていない範囲に踏み込んでしまうことがないように注意しながら、抑制的な措置として、13条の信託を根拠とした「自衛の措置」としての「武力の行使」を行うことができると解することができる。この範囲を確定した規範が、1972年(昭和47年)政府見解である。これは「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たす中での「武力の行使」については、国民からの信託を受けた範囲の国家行為として合憲と解することができるとするものである。

> このことから、日本国は、憲法上(自国法上)の9条と13条の整合的な解釈から許容される「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を実現するという目的のための限定された範囲(必要最小限度)での「自衛の措置」であれば、「武力の行使」も可能であると考えることができる。


 この「武力の行使」は、国際法上の違法性阻却事由の区分で言えば「個別的自衛権」に該当する部分である。


 ただ、13条では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められている。これらを実現する『権限』については、国民から「厳粛な信託(前文)」を受けている。
 このことより、国は9条の信託を受けていない範囲に踏み込んでしまうことがないように注意しながら、抑制的な措置として、13条の信託を根拠とした「自衛の措置」としての「武力の行使」を行うことができると解することができる。この範囲を確定した規範が、1972年(昭和47年)政府見解である。これは「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たす中での「武力の行使」については、国民からの信託を受けた範囲の国家行為として合憲と解することができるとするものである。

△ しかし、国際法上の「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」については、13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の文言の範囲を越えることとなる。

 なぜならば、「集団的自衛権」という違法性阻却事由を得るためには『他国からの要請』が必要であり、その有無によって違法性の有無が決せられるということは、実質的に他国民を防衛する「他衛権」ということができ、13条の「国民の権利」の文言に当てはめることができないからである。
 もし憲法上には他国民を防衛する根拠となりうる規定が存在すれば、9条の制約の下でも例外的な「武力の行使」であることを基礎づけることが可能となり得るが、そのような規定は存在しない。

 『他国防衛』のための「武力の行使」を行う国家の『権限』は、国民から信託を受けていない範囲を示した9条の「武力の行使」に抵触して違憲となる。


△ しかし、「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」については、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たさない中で、『他国からの要請』に応じる形で「武力の行使」を行うものである。この『他国防衛』のための「武力の行使」は、13条で正当化することはできず、それを行使する実力組織は9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。9条に抵触するということは、国家に対してそれらの『権限』を信託していない部分に該当するということであり、越権行為となる。

 これにより、日本国の統治権の『権限』は、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行うことができない。

 また、「集団的自衛権」とは、「自国に対する武力攻撃」が発生していない段階で「他国に対する武力攻撃」に対応する形で「武力の行使」を行うものである。このことから、「集団的自衛権」という言葉には「自衛権」との文言があるが、本質的には『他国防衛』のための「他衛権」である。


 この『他国防衛』のための「武力の行使」については、1972年(昭和47年)政府見解に示された9条の制約の下でも前文の「平和的生存権」や13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の趣旨より「自衛の措置」としての「武力の行使」が例外的に許容されると考える解釈の範囲に含まれない。
 なぜならば、そのような『他国防衛』のための「武力の行使」は、9条の制約の下でもなお「自衛の措置」を講ずると解釈する際にその例外性を基礎づける目的となる「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(13条)」にあてはめることができないからである。13条の「国民の権利」という文言の枠内で例外性を基礎づけることが「武力の行使」は、例外性を枠づける制約の範囲を逸脱し、9条に抵触して違憲となる。
 この『他国防衛』のための実力組織を保持することも、日本国民が信託していない部分を示した9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」という制約に抵触して違憲となる。





国家の「固有の権利」と権限

 

  「侵略戦争」や「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」 「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」 「個別的自衛権」に基づく「武力の行使」

他国権限の例

(憲法上の潜在的能力

〇 権限が存在

(国民主権原理の国家であれば、潜在的には国民からの信託によって成立した国家は他国民を武力によって排除してでも自国民の幸福追求権のみを目指すことが可能である。)

(ただし、条約で違法化することが多い)

〇 権限が存在

(「陸海空軍その他の戦力」を保有することや、自国以外の国が武力攻撃されたことを理由とする「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」が可能である。)

〇 権限が存在

(「陸海空軍その他の戦力」を保有することができ、自国が武力攻撃されたことを理由とする「個別的自衛権」に基づく「武力の行使」が可能である。)

日本国権限の存否

(憲法上の潜在的能力

✕ 権限が不存在

国民から信託されていない部分を示した9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」に該当。9条2項後段の「国の交戦権」にも該当。憲法前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という平和主義の趣旨からも他国民を犠牲にする措置は不可能。

(重ねて、条約でも違法)

✕ 権限が不存在

(「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」を行う組織の実態は、国民から信託されていない部分を示す憲法9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に該当。また、「集団的自衛権の行使」は他国民を守る措置であることから、国民から信託を受けている13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」との趣旨を根拠とすることもできない。)

〇 権限が存在

(13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を「立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」の規定から、国の義務として国民から信託を受けている。この目的を達成するための9条に抵触しない範囲が規範性によって枠づけられた中での「武力の行使」や9条に抵触しない範囲が規範性によって枠づけられた中での実力組織を保有することが可能。)

条約

(基本的に加盟国のみに拘束力を有する)

国家の行為を条約で原則違法化

例1:不戦条約1条「締約国ハ国際紛爭解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。」

例2:国連憲章2条4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

「すべて加盟国は ~ 慎まなければならない〔All Member shall refrain ~〕」とされており、侵略戦争や武力による威嚇又は武力の行使についても、国家の権限として行使されることを想定していることが読み取れる。

国家の「固有の権利」として例外的に違法化されない部分

国連憲章51条で「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」とされている部分。


※ ただ、日本国は国際連合に加盟してはいるが、この規定で「固有の権利」として有している「集団的自衛権」に当たる権限がもともと存在しない。

〇 権限が存在する

✕ 権限が存在していない

 

 




【国連憲章51条を根拠に合憲となるか】


 国際法上、「集団的自衛権」に該当する「武力の行使」は、違法性が阻却されるため合法である。そして、国連憲章51条には「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」との文言があり、日本国も国連憲章(法の形式としては条約)を「批准(締結・承認)」している。

 憲法98条2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」(国際協調主義)の規定が存在することから、これを根拠に日本国も「個別的自衛権」に限らず「集団的自衛権」も行使することができるとする主張が見られる。



   第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動

第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響もぼすものではない。

国連憲章


 しかし、国連憲章51条には「個別的又は集団的自衛の固有の権利」と記載されている。


 まず、「個別的自衛権」や「集団的自衛権」は
「固有の権利」とされており、「国家がもともと持っている権利」を想定しているものである。『権利(right)』をもともと持っているとするのであれば、それは国連憲章が『権利(right)』を与える性質を有していないため、国連憲章を根拠に「集団的自衛権」を行使できることを正当化することはできない。


 また、この「個別的自衛権」や「集団的自衛権」とは『権利(right)』であって、『権限(power)』ではない。そのため、この国連憲章51条を根拠として、加盟国に
『権限(power)』が付与されるという性質のものではない。


 加えて、国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、」「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を「害するものではない。」と記載されている。この意味は、国連憲章51条が国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由であることを示しているのである。違法性阻却事由を示しているだけであるから、加盟国に「武力の行使」の『権限(power)』を与えるものではないのである。


 これらのことから、国連憲章51条が加盟国に対して「個別的自衛権」や「集団的自衛権」を行使する『権限(power)』が付与されているわけではないのである。各国の統治機関の行う「武力の行使」の『権力・権限・権能(power)』それ自体は、各国の憲法によって正当化されることによって発生することが前提なのである。

 さらに、『権利(right)』とは、『義務』ではないので、国連憲章に加盟しているからと言って、「個別的自衛権」や「集団的自衛権」に該当する「武力の行使」を行わなければならないという性質のものではない。


 よって、
9条によって「日本国民」自らが国家(統治権)に対する「厳粛な信託(前文)」の過程において発生しうる『権限(power)』の一部を授権していないため、日本国の統治機関(統治権)は、国連憲章51条の「集団的自衛権」にあたる「武力の行使」を行う『権限』はもともと存在しておらず、日本国憲法98条2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」という規定が存在していても、行使することはできない。


 このことから、日本国の政府が国連憲章51条に見られる国際法上の「集団的自衛権」にあたる「武力の行使」の『権限』(憲法上は立法権〔41条〕の法律による『権限』の付与や行政権〔65条〕による「武力の行使」)を行使することは、日本国が国連憲章を批准(締結〔73条3項〕・承認〔61条〕)していることを根拠としても正当化することはできない。


 この結果、日本国は国際法上の「集団的自衛権」にあたる『権限』を有していないため、「集団的自衛権」としての「武力の行使」を許容する内容の閣議決定を行っても違憲・無効となる。

 また、「集団的自衛権」としての「武力の行使」を許容する法律を国会が立法権(41条)を行使して立法しても、その法律は違憲・無効となる。

 さらに、その法律に従って内閣が「集団的自衛権」に関する行政権(65条)を行使しても、根拠となる法律が違憲・無効であることは当然、その措置自体も憲法に反することから、違憲・違法となる。



 加えて、もし日本国の「内閣」と「国会」が、他国や国際機関との間で「積極的に『集団的自衛権』にあたる『権限』を付与する旨の条約」を「締結(73条3項)」、「承認(61条)」し、批准したとしても、「日本国民」は9条によってそのような内容の条約を締結する『
権限』を統治機関(国会と内閣を含む)に信託していない。それらの行為は、国民からの「厳粛な信託(前文)」を越えた国家行為となるのである。

 このことから、それらの条約締結行為もすべて違憲・違法・無効となる。


 また、もし批准してしまったとしても、国連を国際機関として認め、国連に加盟するために国連憲章などの条約を批准する主体は、日本国憲法によって生まれた「国会」と「内閣」である。つまり、日本国が存在し、その統治機関である「国会」と「内閣」が国連憲章(条約)を批准しなければ、国際法(条約)は国内(日本国)に対して効力を持たないのである。

 このことから、必然的に、国際法(条約)の規定は憲法よりも下位の規定となる。

 そのため、国際法(条約)は日本国の中においては合法性を根拠付ける最終的な根拠にはならない性質のものであり、憲法が優越するのである。これにより、憲法に抵触する法令は「効力を有しない(98条)」こととなる。


 これらのことから、日本国は国際法上の「集団的自衛権」にあたる「武力の行使」の『権限』を行使することはできない。
 


【憲法98条2項を根拠に合憲になるか】

 98条2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」との規定が存在していることから、国際法(条約)に合わせて憲法を解釈するべきとの主張が見れられる。

 

日本国憲法

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕
第98条この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。


 しかし、「誠実に遵守する」範囲は、もちろん憲法上合憲的に解釈できる部分についてであると解することが妥当である。


 なぜならば、もし「国際法(条約)は、憲法よりも下位の法規ではない」ということとなれば、国民的な合意を得ないまま「国会の承認(61条)」と内閣の締結(73条3項)」のみによって「憲法を改正する意図を持った国際法(条約)」や「憲法を無効化する意図を持った国際法(条約)」を批准してしまうことができ、妥当ではないからである。

 条約優位説を採用すると、憲法96条の憲法改正手続きによる国民投票という国民主権原理の過程を経ずに、「内閣」と「国会」が容易に憲法改正や憲法の一部規定の無効化、憲法破壊などを行うことができてしまう事態を招くこととなるのである。


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憲法はあらゆる法の基本法であって、憲法に違反する法は効力を有しない。条約や国際法規については「誠実に遵守することを必要とする」(98条2項)と定められているが、条約等の効力が憲法に優位するとすると、憲法より簡単な手続で締結される条約により、実質的に憲法を改正することを認めることになり妥当でないことから、効力の点では憲法が優位すると解するのが多数説である。

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日本国憲法第10章 Wikipedia


 また、憲法優位説を採用しなくては、日本国の主権(最高独立性)を国際法に委ねることとなる。これは、国際法(条約)に関わる他国の法的な策略や政治的な立ち位置によって日本国の主権が脅かされてしまうこととなる。他国からの法的な侵害を防ぐ歯止めを喪失させるような見解は、法解釈として妥当でないのである。



 国際法(条約)は、「内閣の締結(73条3項)」と「国会の承認(61条)」によって批准される。


 しかし、
そもそも「内閣」と「国会」は憲法に基づく機関であり、憲法の枠組みの中でしか『権限』を有しておらず、職務もその範囲で行うことしか許されていない。

 憲法99条にて「内閣」と「国会」に関わる「国務大臣、国会議員」に対して「憲法尊重擁護義務」を課していることも、これを裏付けている。


 このことから、憲法に適合しない条約を批准することは、「内閣」と「国会」に与えられた職務の『権限』を越える行為となる。

 つまり、憲法に適合しない国際法(条約)が、「内閣の締結(73条3項)」と「国会の承認(61条)」によって批准されたことを根拠として国内的な効力を有すると考えようとしても、そもそも「内閣の締結」と「国会の承認」それ自体が違憲・無効な行為となるから、その国際法(条約)も無効となると導かれるのである。


 さらに、憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と記載されている。


憲法 前文
(抜粋)

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 これは、主権の存する国民によって国政が運営されることを示すものであり、憲法の存立根拠が国民主権による「権力的契機」と「正当性の契機」に基づいているものであることを表している。

 この前提を押さえると、国連憲章などの一般に「国際法」と呼ばれる条約は、複数の国家の統治機関と統治機関が結ぶ形式で生まれる法であり、
この「権力的契機」と「正当性の契機」を有していないものである。


 なぜならば、たとえ国連憲章であっても、世界市民(憲法的に言うならば『全世界の国民』『諸国民』)の個々人の主権(最高決定権)が行使されることによる民主制のプロセスを経て成り立っている法形式のものではないからである。


 このような法形式のものが憲法に優先して効力を持つ可能性について、日本国憲法の前文は、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と明確に示し、憲法制定権力によって排除される対象となることを示しているのである。



 他にも、たとえ国連憲章などの多くの国家が参加している世界規模の条約であっても、日本国憲法においては「内閣が締結(73条3項)」と「国会が承認(61条)」による批准がなされない限りは、国内的な効力を有しないものである。

 このことから、条約が憲法に優位した効力を持っているとは考えることはできない。


 また、以前は批准した条約が合憲であったが、一度その条約を批准してしまえば憲法改正によってもそれらの条約を否定できないと考えるのであれば、それは国民の憲法改正権を侵害する見解である。これは国民主権原理を否定するものであるから、法解釈として採用することができない。



 これらの理由により、国際法(条約)は憲法よりも下位の規定であると考えることが妥当である。

 98条2項の「誠実に遵守することを必要とする。」の文言についても、批准した国際法(条約)の憲法に適合しない部分については適用されないと考えることが妥当である。



 裁判所の違憲審査権について、憲法81条には具体的に「条約」の文言は存在していないが、「法律、命令、規則又は処分」の文言は例示列挙であると解し、条約(国際法)に対しても及ぶと考えることが妥当であると導かれる。



 〔最高裁判所の法令審査権〕
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。



 砂川事件(最判昭34.12.16)は、「日米安保条約は、主権国として我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものであるので、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、その内容に関する判断は、司法審査権の範囲外のものである。」と述べており、憲法81条によって条約についても違憲審査できるとの立場に立っていることから、憲法優位説を採用している。憲法98条2項の趣旨から条約優位説が主張されることがあるが、判決はこの立場を採用していないこととなる。(参考書籍:重要判例セレクトワークス PART1憲法 PART2行政法 PART3民法〔P49 憲法37 統治行為①〕)

 そうしたことから、国際法(条約)が日本国憲法に抵触した場合、違憲部分については国内法制上、当然に無効となると解することが妥当となる。



 よって、通常は主権侵害となるため、法源となる『権限(power)』を付与するようなことはできないはずであるが、たとえ日本国が「集団的自衛権」にあたる『権限(power)』を国家に与える旨を記載した国際法(条約)を批准したとしても、憲法は国際法(条約)に対する違憲審査も可能であるから、国内法としては憲法上の制約が優越し、9条の規定に違反する『権限(power)』は憲法違反となり行使することはできない。

 

 憲法98条2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」との規定が存在するとしても、内閣と国会が批准した条約が憲法規定を無効化するなど、憲法改正の国民投票を必要としないで憲法規定の効力に変更をもたらす手段を開く見解も妥当でないことから、この規定は憲法に反する条約を有効化する意味を含まない。


 その
ため、憲法98条2項を
根拠に日本国が「集団的自衛権」を行使する『権限(power)』を有することにはならず、「集団的自衛権」にあたる『権限(power)』を国家に与える旨を記載した国際法(条約)は、違憲・違法・無効となるため、日本国はその『権限(power)』を行使することはできない。

 

 砂川判決の「裁判官小谷勝重の意見」も参考にする。

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三、条約と違憲審査権についてわたくしの意見の本論に入る。憲法76条3項及び81条には何れも「条約」の文詞がないから、条約には違憲審査権がないとの説をなすものがある。しかし上来説明のとおり、条約は公布(法例1条、及び現在は廃止されたが明治40年勅令第6号公式令8条参照)によつて国及び国民を拘束する効力を生ずること、法律と全く異なるところがないのであるから、右憲法76条3項及び81条に「条約」の文詞がなくても、右は両条中の「法律」の文詞に当然包含されているものと解するを相当とする(このことは憲法94条の「条例」について言えば、憲法81条に何ら条例の文詞なきも、条例が違憲審査の対象たることは毫も疑を容れない)。すなわち条約は公布により国内法と同様、憲法76条3項により裁判官を拘束すると同時に、同81条の違憲審査権の対象となるものと言わなければならない(憲法81条は違憲審査権賦与の直接の規定ではなく、憲法及び法律に拘束される裁判所としての本質にすでに内在する当然の権能であると説く説がある。この説によれば憲法81条は、最高裁判所は違憲審査に関する最終裁判所であることを示したに過ぎない規定となる)。ただ違憲判決の効力は、わが現在の裁判所は憲法裁判所でなく司法裁判所であるから、当該争訟事件につき本来ならば適用ある法律または条約の全部一部を違憲としてその適用から排除する(もしくは適用を拒否する)旨の宣言と解すべきであつて、違憲とする法律または条約それ自体の無効を宣言するものと解すべきではないのである。そして該判決の確定力の及ぶ範囲は当該当事者及び当該事件並びに当該判決の主文に包含するものに限られるのであつて、いわゆる対世的効力は有しないのである。ただ内閣及び国会は裁判所の当該違憲判決を尊重し判決の趣旨に添う適正措置を講ずべき政治的義務を負担するものと解すべきである。もしそれ条約には違憲審査権が及ばないとするときは、憲法96条の定める国民の直接の承認を必要とする憲法改正の手続によらずして、条約により憲法改正と同一目的を達成し得ることとなり、理論上、その及ぶところは、或は三権分立の組織を冒し或は基本的人権の保障条項を変更することも出来ることとなるのである。わが憲法は果してこのような結論を認容するものであろうか。
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(下線・太字は筆者。原文の条文番号等の漢数字をアラビア数字に書き換えている。)



 「裁判官石坂修一の補足意見」を確認する。
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二、最高裁判所が、条約に対する違憲審査権を有するや否やについて、多数意見がこれを明確にして居るとは、必ずしも解し得られない。
 若し、違憲審査権を規定した憲法81条に、「条約」の語が現はれて居らないことより出発して、これに対する最高裁判所の違憲審査権を否定する結論に至るならば、甚しき誤謬に陥るであらう。
 仮にわが国の根本組織国民の基本的人権等に関し、憲法に牴触する条約の締結を見たる場合、最高裁判所は、これを座視すべきものではあるまい
 わたくしは、最高裁判所に、条約に対する違憲審査権ありとしつゝ、本件安全保障条約は違憲でないとする奥野裁判官及び高橋裁判官の意見に賛同し、なほ右両裁判官の意見と相容れる限り、この点に関する小谷裁判官の意見を支持する。
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(下線・太字は筆者。原文の条文番号等の漢数字をアラビア数字に書き換えている。)







憲法と条約・法律と条例

 「憲法」と「条約(国際法)」の関係は、「法律」と「条例」の関係を参考にして上下関係や規定の競合の関係を決するのはどうだろうか。


 法律に対して、「横出し条例」や「上乗せ条例」があるように、憲法に対して、「横出し条約」や「上乗せ条約」とでもいうものがあるのではないか。


条例制定権の限界に関するメモ 2016-03-11