自民党改憲草案については、様々な問題点が指摘されております。それについては、他サイトで多くの批判がありますので、そちらを見ていただきたいと思っております。ここでは、「産経新聞」の改憲草案について、分かる範囲で法的分析を行い、問題点を明らかにできればと思います。


自民党改憲草案の法的分析についてはこちらのサイトの一読をお勧めいたします。


自民党憲法草案の条文解説

産経新聞 改憲草案 法的分析等


産経新聞80周年「国民の憲法」要綱

http://www.sankei.com/politics/news/141030/plt1410300023-n1.html



 まず、この草案は、第二章「国の構成」、第三章「国防」、第十章「憲法秩序の保障」、第十一章「緊急事態」が設けられている点に特徴がある。しかし、これらの章の配置順序については、現行憲法を踏襲したいとの思惑が感じられるものではあるが、全体として十分に分類を整理してつくられているような印象を持つことができない。章の配置順序があまりにも雑なのである。新たな章を設けたり、章の名称を変更する際に、改めて憲法の体系を見直すべきであると考える。現行憲法は明治憲法からの改正を経た形式をとっている。そのため、現在の章の配置順序となっている。しかし、この草案では新たな章を設ける際に現行憲法の体系のみをベースとしたために、全体的な章の配置順序のバランス感覚が素直に納得できる形式を有していない。この点、改善の余地があると思われる。


 もう一つ、この草案の特徴として、第三章「国民の権利および義務」においては、第一節~第九節という形で人権の性質を分類した点がある。この点に関しては、長々と列挙された人権規定を整理し、学習者に分かりやすい認識を提供するという意図が読み取れる。上記に記載した章の配置順序の分かりにくさに比べた場合、非常に素直な分類項目で納得感の高いものとなっている。ただ、注意点として、人権は本来的に明確な分類をすることができない性質のものであり、精神的自由、経済的自由などの分類区分を横断するものや、分類に直接的に当てはまらない性質の人権も存在しているという点を忘れてはならないだろう。この点、学術的にかなり突き詰めて考えていかないと、このような分類を設けること自体が、人権の性質の柔軟性を損なったり、人権保障の範囲の包括性を失わせてしまったりすることとなってしまうだろう。とても心配である。この草案でも、やはり分類を間違えたと思われる規定がいくつか見られる。この点、改善の余地があるだろう。

 

 いくつかの点で、中華人民共和国憲法と類似した傾向がみられる。参考にしたと思われるような部分が見られる。見比べてそれらの性質を検証し、その本質を見抜くことをお勧めしたい。

産経新聞 改憲草案 法的分析等
 前文

  全体として、「伝統国家、JAPAN」というような海外向けの宣伝映画の冒頭に流れるあらすじのシーンのようである。法とは関係ない。


 最後の部分に、「恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。」とある。ということは、そもそもこの憲法が人権保障のための法であるという認識が存在しないと思われる。


 「国家のプロモーション」と、「人権保障の法典」とを、混同しているものと思われる。


 憲法ではなく、ドキュメンタリー映画をつくることをお勧めしたい。これらの熱意は、感動的な作品を生むことができると思われる。その作品を見た者は、恐らく今で気がつかなかった日本の良さを知ることとなるだろう。


 ただ、やはり法とは関係ない。「経済政策」と同じように、「文化政策」という観点で、法領域とは別の場所でそれらの思いを実現していただきたい。

第一章 天皇   
 (国柄)
第一条 
 「天皇を国の永続性…の象徴とする」という言葉の意味がよく分からないものがある。サスティナビリティ(持続可能性)のことだろうか。
 (国の元首)
第二条 

  国を代表する機関として、天皇と総理大臣の関係を整理する必要があると考えられる。海外訪問を行った際に天皇は元首として待遇を受けるために「元首」という名前を明確にしたいとの意図があるのだと思われる。しかし、そもそも国際社会のルールというものに確実な正当性や普遍的な基準が存在するはずだという認識を改める必要があると思われる。なぜならば、国際社会や国際機関には選挙権などの主権が存在せず、その正当性の契機は民主制の過程という確立した秩序体としての完結性を有していないからである。日本国内において、天皇は三権に属しない象徴という立場であり、それ以外のものではないのである。主権を有する国民との関係こそが天皇の立ち位置の根拠であり、国際社会を基準として考えるというのは国の独立性を損なわせる基準の示し方である。国際機関や国際社会の下部機関として日本が存在するのではなく、日本という一つの確立した共同体が、国際機関や国際社会と関係性を持つのである。やや自国の立ち位置を国際社会の下部機関と考えたためにこの規定を設けようとしているのではないだろうか。この点、バックグラウンドの理解に対して不安を覚える。


日本の元首 Wikipedia

 (皇位の継承)
第三条 
  この規定の意図は、男系の子孫と憲法中に書き込むことによって、現在のように皇位継承権を皇室典範の改正によって柔軟に行える形式を変更したと考えられる。
 (天皇の権能、内閣の補佐および責任)
第四条 

  憲法中に明確に公的行為が加えられた。

 現行憲法4条の「国政に関する権能を有しない。」の規定が失われている。これによって、天皇は国政に関する権能を有する可能性が開かれ、三権に干渉する可能性も考えられる。
 2項において、天皇の自由な行動を内閣が補佐する関係にあることから、天皇の三権の長の任命権(この草案の6条)や国務大臣や公務員の任免権(この草案の7条4号)など、その権力は絶大なものとなる。

 (摂政)
第五条 
  摂政も、国政に関する権能を有することとなると思われる。ただ、この規定によると、摂政は国事行為を行うことになるが、公的行為は行わなくていいようである。
 (三権の長の任命)
第六条 

  内閣総理大臣は国会の指名に基づいて誕生するわけであり、国会である「衆議院」「参議院」の長である衆議院議長、参議院議長を2項、3項に持ってくるという配置順序に疑問を覚える。


 【国民の選挙】⇒【国会議員=国会(衆議院・参議院)の指名】⇒【総理大臣(総理の指名→国務大臣)=内閣の指名】⇒【最高裁判所長官】の順である。総理大臣の権威ばかりに目がいき、順序を間違えていないだろうか。

 現行憲法の前文にあるように、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来」しているのである。総理大臣が最高の権限を持つと勘違いしてはいけない。この点、民主主義ではなく独裁主義的な権威性の観念によってこの草案がつくられたような感覚を感じさせるものとなっている。

 (天皇の国事行為および公的行為)
第七条 

 これらの天皇の国事行為は、「内閣の補佐」しか受けないものとなる。現行憲法4条の「国政に関する権能を有しない。」の文言がないことから、天皇の自由な意思が尊重され、国政への介入を自在に行うこととなる。つまり、国会の召集や衆議院の解散も天皇独自の判断となる。大臣や法律で定めるその他の公務員の任免も天皇の意思が入ることとなる。恩赦や元号の制定も可能となる。
 2項3号の規定より、天皇に対して「国民統合の象徴としてふさわしい行為を行う義務」を設けたものと考えられる。天皇の活動は法的拘束力を有するものとなり、その根拠が法的な基準によることから、天皇の負担は高まると考えられる。


 この草案では、「内閣」の章にある現行憲法73条7号の「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。」にあたる規定が削除されている。これによって、天皇は自らの判断で7条8号の「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を行う。」こととなる。

 (皇室典範の改正)
第八条 

  「皇室典範の改正は、事前に皇室会議の議を得ることを必要とする。」とあることから、皇室典範は現在の法律と同等の法典であるという形式から変更されている。
 皇室会議の参加者は、主に三権の長と皇族で構成されている。これらの者のうち、誰かが反対し、議を得ることができなかった場合には、国会の議決によって皇室典範を改正することができなくなった。つまり、皇室典範には民主制のプロセスとは別の要素が混じり込むこととなるのである。
 ただ、そもそもこの「皇室会議」というものが、現在は皇室典範によって規定されているものである。法律として国会議員の手によってつくられた規定の正当性を、国会議員以外の者の反対によってその法典の改正ができないというのは、その正当性の根拠の一貫性が損なわれたものとなる。一体、皇室という存在をどのように位置づけようとしているのか、この制度に対する明確な説明が求められるだろう。


皇室典範 条文

 (皇室の財産)
第九条 
 
 第二章 国の構成  なぜ「国の構成」という章が第二章という極めて不安定な位置に置かれているのか疑問である。章の配置順序について十分な検討を行ったようには見えない。憲法の体系について十分な意識を有していないと思われる。 
 (国民主権)
第一〇条 
 現行憲法の前文に記載された「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」の部分をいくつか抜き出して条文化したものであると思われる。
 (国民)
第一一条 

   現行憲法10条と同じである。ただ、現行憲法では第三章「国民の権利及び義務」の章に配置されていたものであるが、なぜここに配置したのだろうか。

 
(領土)
第一二条 

 この規定や前後の条文を見るに、国家を構成する3要素と学説上言われている「土地」「人」「主権」をこの草案の第二章「国の構成」に列挙したいとの思惑であるのかもしれない。しかし、国家の構成要素と憲法の人権保障を実現するための法典形式とを混同し、切り分けられていないように思う。法学上の概念と、その他の学問上の定義とを、安易に混同して考えない方がいいだろうと思われる。

 その上で質問であるが、「および法律で定める島嶼」について、「憲法上の領土」と、「法律上の領土」という線引きがなされるのはいかがなものだろうか。それに加えて、「日本海」のことを「東海」と呼び始める他国や国際勢力が存在しているが、日本列島についても「極東列島」などと言われかねないのではないだろうか。この点、憲法上に領土の名称を具体的に書き込むというのは、国際紛争を憲法上に持ち込む可能性を含むものとなり得るのではないだろうか。そうなると、「竹島を憲法に書き込んだ方がいい」とか、「沖縄を日本領土として書き込むことで米軍の主権を排除しよう」とか、そんなことにも繋がってきそうである。そうなると、そもそも憲法の果たす本来の役割から逸れているように思われる。

 人々の人権をベースに国という人権保障を実現するための機関を設置し、そのシステムを中核とした共同体が生まれるわけであり、国という形から国民の立ち位置が決まるのではない。この点、現行憲法の人権保障を実現するための法典形式とは大きく異なった性格を打ち出している点に注意しておきたい。

 (国家主権、国および国民の責務)
第一三条 
 
 (国旗および国歌)
第一四条 
  国民に対して「国旗国歌尊重義務」を設けたことから、国民の思想良心の自由は奪われることとなる。国旗国歌を尊重しない自由、無関心・無関係でいる自由などがないのである。国旗国歌を批判したり、改善の提案をしたり、新たな国旗国歌に代わるシンボルを創造しようとする活動も阻害されると考えられる。それだけ自由な議論や発想が奪われてしまうのである。パロディ作品や番組、日本の政治批判の番組内で国旗の映像や国歌の音声を利用することも法的に強く抑制させる意図があると思われる。
 これは、「尊重しなければならない。」としていることから国民の義務となっているが、なぜこの草案の第四章「国民の権利および義務」の章に配置しないのか疑問である。この草案は章の配置順序について十分な検討を行っていないと思われる。

国旗・国歌強制のほんとうの問題 法学館憲法研究所 2011年2月3日
第8回 国旗・国歌の押しつけが許されないわけ 法学館憲法研究所 2015年4月27日
 第三章 国防  
 (国際平和の希求)
第一五条 
  この規定を略すると、「国際平和を希求し、国際法規に従って、国際紛争の解決に努める。」との意味である。しかし、この草案は、この草案の111条の規定によって、条約に対しても憲法優位説を採用するものである。そのため、条約は憲法よりも下位の規定であることから、法律と同等の位置にあると考えられる。すると、「国際法規」というものは、戦争に対する明確な歯止めとして機能するものとは想定されておらず、条約の破棄や国内法との競合によって排除されてしまうこととなる。すると、明確に侵略戦争の道を開くことが可能となる。この草案の16条に規定される「軍」は、侵略戦争を法的に完全に正当化できるものとなる。
 (軍の保持、最高指揮権)
第一六条 

  軍を保有することを明確にしている。内閣総理大臣が行使する軍の最高指揮権は、「行政権」に該当するのだろうか。しかし、この草案79条にあるように、「行政権は内閣に属する。」である。内閣総理大臣だけに属しているわけではないのである。もし行政権ではないのであれば、「立法権」「行政権」「司法権」に代わる新たな権限を創設したこととなる。その権力へは三権分立の外側に配置するものとなり、三権の抑制・均衡のバランスは及ばない。人権保障を実現するための立憲主義の大原則から外れた権限であり、極めて危険な存在となる。もし行政権であるならば、なぜこの草案の第六章「内閣」の章に配置しないのだろうか。憲法の体系について十分な理解がないものと思われる。

 第四章 国民の権利および義務   第4章の中には、人権を分かりやすく分類するために節を設けている点がこの草案の特徴である。初学者にも優しい内容としようとする意図が感じられるものとなっている。ただ、分類の内容についてはやや疑問もある。
  第一節 総則  
 (基本的人権の保障)
第一七条 
 
 (基本的人権の制限)
第一八条 

  この規定、1項の「権利は義務が伴う」という考え方は、民法の双務契約についてである。双務契約とは、「売買」「交換」「賃貸借」「雇用」「請負」「和解」などの契約が当てはまる。これを憲法の人権概念と混同してしまったものと思われる。まず、人権は享有する(生まれながらに持っている)ものである。この点、法分野の切り分けができておらず混乱したままこの草案が作成されたものであると思われる。


 この点についての分析は、法哲学の書籍を紹介しよう。

法哲学 単行本(ソフトカバー) – 2014/12/20
P132~「Ⅱ 権利と義務」

P140 「権利に対応しない義務」

補足:いわゆる「権利行使に義務が伴う」という主張について

 2項で、人権は「国の安全、公共の利益または公の秩序の維持」という考え方の基準によって制約されることを示したものである。これは、現行憲法の「公共の福祉」のという考え方の基準とは大きく異なるものである。


 この草案は民法の法分野との混乱が見られることから、もしかしたらこの草案の作成者は、民法90条の公序良俗についてここで言いたいのかもしれない。しかし、やはりそれは民法規定であるので、法分野の切り分けを学び直した方がいいだろう。

 

参考
(公序良俗)
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

 (国民の義務)
第一九条 
  1項で、国民に「国を守り、社会公共に奉仕する義務」を課したものである。しかし、そもそも国を守る仕事は、基本的に納税を通して憲法によって誕生した国に委託しているのではないだろうか。それとも、「国を守る義務」というのは、徴兵制の根拠となる条文として想定されているのだろうか。文言が疑問である。
 「社会公共に奉仕する義務」とあるが、「勤労の義務」では足りないのだろうか。基本的に貨幣経済圏を想定してつくられていると思われる「勤労の義務」に加えて、「社会公共に奉仕する義務」とあるのは、その規定の趣旨はどのような意図によるものなのだろうか。もしかすると、「社会公共に奉仕する国民」という、「国家の中の個人」という全体主義的な人権観を持っているのかもしれない。こうなると、個人の権利が強く抑制されることとなる。

 2項は、国民に対して「法令を遵守する義務」を負わせたものである。しかし、法律が憲法に違反していた場合には、裁判所によって違憲審査が行われ、その法律が是正される可能性が存在している。しかし、この規定によって、たとえ誰が見ても明確に違憲であると認識できる法律であっても、遵守する義務を負うこととなる。こうなると、国民の権利救済機能は損なわれてしまう。そもそも、法令は国民が議会を通して自らの手でつくるものであり、何者かによって法令を守るように義務付けられるというのは法の考え方の理念やプロセスを認知していない短絡的な考え方であると思われる。もし法令違反をしたならば、捜査機関などによって取り締まりが行われるという事実だけで十分な抑止力を備えているのである。捜査機関によって取り締まりを受ける行動をするかどうかは、本来的に個々人の権利として保障されているものであり、それ相応の刑事的な制裁が科されるという負担感によって抑止しているのである。この点、国民に法令を遵守する義務を課そうとする草案作成者の心理は、刑事政策学を十分に理解していないことによるものと思われる。

 3項は、現行憲法30条の規定と同じである。
 (公務員の地位、自由および権利の制限)
第二〇条 
 
 (外国人の権利)
第二一条 

  「在留制度」とあるが、外国人旅行者などで訪れた外国人に対しては、権利の性質上日本国民に認められる権利を除いても、人権が保障されないということだろうか。なぜ「在留」という日本居住者のみを想定している規定なのか分からない。また、たとえ不法移民者であったとしても、人であれば人権を享有すると考えることが人権の自然権的な性格である。この点、条文の包括性が十分でなく、外国人の対象を十分に捉えられていない。

  第二節 人間の尊厳および家族の保護  
 (人間の尊厳、人格権)
第二二条 

  この規定の「人間の尊厳」という言葉のベースとなっていると思われる現行憲法の「個人の尊厳」の概念と、「名誉や肖像権、プライバシーの権利」とは、全く性質の異なるものである。それらを、同じ条文中に1項、2項として配置することには大きな違和感を感じざるを得ない。
 「個人の尊厳」とは、人権の主体となる単位を示したものである。これは、名誉やプライド、権威などを示す意味の「尊厳」という意味とは全く異なる性質のものである。
 この規定は、人権の性質の分類を間違えていると思われる。


個人の尊厳 Wikipedia

 (家族の尊重および保護、婚姻の自由)
第二三条 
 2項で、「家族は、互いに扶助し、健全な家庭を築くよう努めなければならない。」とあるが、「家族」とはいったい何を意味しているのだろうか。親族のことだろうか。それとも、共同生活をしている人のことだろうか。では、住民票がその適用範囲を確定する大本となるのだろうか。文言の定義が気になるものである。民法中にも、「家族」の用語は存在していない。この点、理解して起草しているのだろうか。
  第三節 法の下の平等  
 (法の下の平等)
第二四条 
 
  第四節 精神的自由  
 (思想および良心の自由)
第二五条 
  現行憲法19条とほぼ同じである。現行憲法の「及び」が平仮名の「および」に変わったぐらいである。
 (信教の自由、政教分離)
第二六条 
  1項については、現行憲法20条1項の前段の文言と同じである。

 2項、3項については、現行憲法からいろいろ変更されている。
「現行憲法20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

 この規定の2項の「政治に介入し、…てはならない。」との文言があることから、宗教団体をバックグラウンドに控えた政党は、明確に違憲となると思われる。この草案の「政治に介入」の文言は、現行憲法の「政治上の権力」よりも範囲が広いからである。現行憲法下でも議論のある点ではあるが、この規定によって違憲とする意図があると思われる。
 (学問の自由)
第二七条 
  現行憲法23条と同じである。
 (表現の自由、検閲の禁止)
第二八条 
 
 (報道の自由)
第二九条 

  現行憲法では明確な条文のない「報道の自由」が規定され、明らかにされた。現行憲法下の現在、報道の自由は、「表現の自由」の21条の規定から導かれるとしているが、明確な文言として記載されたことはアクセシビリティも高く、国民の理解を導きやすくなる点で好ましいものであると思われる。
 「国民の知る権利に応えるため」との文言からも、現行憲法では明確な記載のない「知る権利」という概念も確立したものであると思われる。この点、この規定によって国民の人権保障機能をより明確化し、裁判所の判例の考え方に左右されてしまう現在の運用よりは人権保障機能が強化される可能性が考えられる。(ただ、この草案の総則の人権制約原理が現行憲法よりも強力な制限を許す可能性があるため、全体としては人権保障機能が高まったとは言えない。)

 ただ、政治報道等については知る権利は強く保障されるべきであると考えるが、個人の生活についてはどうなのだろうか。この草案31条の「みだりに私生活を侵害され」ない権利との調整がどのようになされるのか気になるところである。

 また、「報道の自由」は「国民の知る権利に応える」とあるが、「知る権利」については他の条文で記載しないのだろうか。例えば、「1項 知る権利は、これを保障する。2項 報道の自由は、これを保障する。」という条文にしないのかどうかである。さらに、報道の自由は報道機関(法人)に認められる権利なのだろうか。一般の国民にも報道の自由は認められるのだろうか。「近所の〇〇さんが離婚した。」とか、「クラスの○○君は〇〇さんのことが好きらしい。」などということを報道の自由として強力に主張される可能性には不安を覚える。現行法では民事上の不法行為として行き過ぎたものは賠償の範囲であったりするが、この規定によってその射程が変更されそうである。

 (通信の秘密)
第三〇条 
  現行憲法21条2項後段の規定を抜き出し、新たな条文としたものであると思われる。アクセシビリティは高まり、分かりやすくなったといえるかもしれない。
 (私生活および個人情報の保護)
第三一条 
 
 (情報公開請求権、情報公開の義務)
第三二条 
 
 (集会および結社の自由)
第三三条 
  現行憲法21条1項の「集会、結社」の部分を分離し、一つの条文としたものであると思われる。この点、分かりやすくなった部分もあるかもしれない。
 ただ、現行憲法21条では、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」とし、「集会、結社及び言論、出版についても、表現の自由の一部分であるとの理解であった。この点、分離したことで、「集会、結社」については表現の自由という枠組みでは捉えられなくなった部分があるのかもしれない。つまり、「表現の自由」ではなく、「集会結社権」とでもいえる権利として分類されていく可能性が出てくる。すると、「表現の自由」と「集会結社権」との法的な境界線が従来の判例の論理とは異なったものへと変質していく可能性が考えられる。その際に、何か今までの包括性の高い人権枠組みが変質し、適用の範囲を狭めてしまう可能性が考えられる。その点、人権保障機能がどのように働くかについて十分な検討を要するだろう。
  第五節 経済的自由  
 (居住、移転および職業選択の自由)
第三四条 
 
 (財産権および知的財産の保護)
第三五条 
 
 第六節 人身の自由  
 (適正手続きの保障)
第三六条
 
 (逮捕、抑留・拘禁および捜索・押収に対する保障)
第三七条
 
 (不利益な供述強要の禁止)
第三八条 
 
 (公平かつ迅速な公開裁判の保障)
第三九条 
 
 (拷問および残虐な刑罰の禁止)
第四〇条 
  現行憲法36条の「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」の規定である。「絶対に」という文言が失われていることから、禁止の効果が弱くなったと読むことができる。
 現行憲法でもそうであるが、「公務員」という文言が入っているが、民間に委託した場合は「拷問および残虐な刑罰」の道を開くことができるのだろうか。公務員という国の機関によって合法的に「拷問および残虐な刑罰」を禁止しており、民間委託した場合には刑法に違反するからこのままでいいのだろうか。この点、理解を深めて整理してもいいように思われる。
 (遡及処罰の禁止、一事不再理)
第四一条 
  現行憲法39条の前段の規定と同じであるが、現行憲法39条の後段「又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。」の文言が削除されている。同一犯罪について重ねて刑事上の責任を問われる可能性が考えられることとなった。
 第七節 社会権  
 (生存権、国の責務)
第四二条 
 
  (環境に対する権利および義務、国の保全義務)
第四三条
 
  (教育を受ける権利および国の教育権、教育の義務)
第四四条
 
 (労働基本権)
第四五条 
 
 (勤労の権利および義務)
第四六条
  現行憲法27条の規定とほぼ同じである。現行憲法27条では、「すべて国民は、」となっているぐらいである。実質的な内容は変わらないと思われる。
 第八節 参政権  
 (公務員の選定罷免権、普通選挙、投票の秘密)
第四七条 
 
 第九節 国務請求権  
 (請願権)
第四八条 
 
 (裁判を受ける権利)
第四九条 
  現行憲法32条の「裁判を受ける権利を奪はれない。」との文言から「有する。」に変わっている。この点、「権利を有するが、例外的に奪われることもある。」との可能性を開いたものであると思われる。「奪われない。」の文言の方が強い意味をもっていると読めるからである。ここには、自然権的な発想で、人権保障のためにはもともと持っている奪うことのできない権利であることを示した考え方によるものであると思われる。しかし、「有する。」の文言は、他の規定との競合によって例外を認めやすい危うさがあるように思われる。
 (国家賠償請求権)
第五〇条 
  この規定のベースは、現行憲法17条の規定である。
 現行憲法17条の「国又は公共団体」とあるが、これが「国または地方公共団体」に代わっている。「公共団体」は、「地方公共団体」よりも広い概念である。「地方公共団体」ではない、「公共団体」の不法行為によって損害を受けたときは、賠償を求めることができないようである。この点、人権保障の範囲が狭められている。
 その他、現行憲法17条の文言からやや変更されているが、大きな影響はないと思われる。

 (刑事補償請求権、犯罪被害者の権利)

第五一条 

 
 (国民の司法参画)
第五二条 
  新設の規定である。
 「司法への参画の機会」というものは、裁判を受ける権利、刑事裁判の第一審に参加する裁判員制度や、刑事裁判の被害者参加、公開法廷で傍聴する権利などのことであると思われる。
 第五章 国会   この章で始めに注目しておきたい点は、現行憲法49条の「両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。」の規定が削除されており、存在しないことである。国会議員は、国庫から給料が支給される保障は憲法上からはなくなった。この草案92条2項では、「裁判官は、定期に相当額の報酬を受ける。」とあるが、国会議員は憲法規定として保障しないようである。裁判官の報酬は、裁判官の独立とも関係するものであるが、議員の歳費については、議員の質の保証の側面も存在すると思われるが、大丈夫だろうか。この点、大胆な提案ではあるが、心配である。
 (立法権)
第五三条 
  現行憲法41条の「唯一の立法機関」という文言がなくなったことから、唯一の立法機関でなくなった可能性はある。つまり、天皇や内閣、裁判所による立法の道を開いたとも読める可能性を含んでいるのである。現行憲法のでは権力分立の確立する歴史的経緯から、まず国家機能から「すべて司法権は、…裁判所に属する。(76条)」として司法権が独立し、「国会は、…唯一の立法機関(41条)」として立法権が執行者から切り分けられ、その残りの部分を「行政権は、内閣に属する。(65条)」と規定しているとの考え方でつくられていると考えられている(行政権についての控除説・通説)。しかし、「唯一の立法機関」という文言で明確に切り分けていく意図が少なくなると、「立法」「行政」「司法」の切り分けが曖昧になる恐れがある。この点の変更は、三権分立の統治原理の制度全体のどのように安定的に運用していくことができるのか、その在り方に綿密な検討を要することとなるだろうと思われる。
 (両院制)
第五四条 
  現行憲法42条とほぼ同じである。現行憲法42条では、「両議院で、これを構成する。」となっている。
 (国会議員の全国民代表性)
第五五条 
  1項は、現行憲法43条1項の「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」とほぼ同じである。
 2項は、現行憲法43条2項と同じである。ただ、上記や前条の規定においては「これを」の文言を削除しているが、この規定は「これを」の文言を残している。どのような意図があるのか疑問である。

(議員および選挙人の資格)

第五六条 

 
 (衆議院議員の任期)
第五七条 
  前段は現行憲法45条の前段と同じである。後段は、現行憲法45条の「但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。」からやや変わっている。実質的な内容は変わらないと思われる。

(参議院議員の任期)

第五八条 

  現行憲法46条の規定と同じである。
 (衆議院の選挙)
第五九条 
  現行憲法47条の規定にあたるものであるが、内容は異なる。
 この規定は、衆議院議員は直接選挙によって選出されるとしている。
 (参議院議員の選挙)
第六〇条 
  現行憲法47条の規定にあたるものであるが、内容は異なる。
 参議院議員が、直接選挙に加えて間接選挙で選出されることとなっている。この点、現行憲法下の現在の運用とは大きく違うものである。間接選挙というものについて、どのような内容を想定しているのか明確な記載がない。何のためにどのような意図で間接選挙を行うのか分からない。
 (両議院議員の選挙に関する事項)
第六一条 
  現行憲法47条の規定にあたるものであるが、内容は異なる。
 なぜこの規定を、この草案の59条、60条とまとめて一つの条文にしなかったのか疑問である。まとめられるものはまとめ、アクセシビリティを向上させた方が分かりやすいと思われる。この草案の第四章「国民の権利および義務」については、人権の性質について分類しようと試みているのであるが、なぜこの第五章「国会」については分類を整理してまとめないのか疑問である。草案の体系を構成する精神に一貫性がなく、美しくない。
 (政党)
第六二条 
  政党は、この章の名称である「国会」とは全く関係がない。単に、政党という団体に所属する人物が当選したときに国会に参加しているだけであり、政党と国会という機関は直接的には関係がないからである。政党は、地方自治の中においても活動しているものであるし、国や地方自治体の議会に議席を有しない政党も存在している。それを「国会」の章の中に規定を置くというのは、明らかに組織の性質を混同していると読めるだろう。
 (議員の不逮捕特権)
第六三条 
  現行憲法50条の規定である。文言がやや変わっているが、実質的な内容は変わらないと思われる。
 (議員の免責特権)
第六四条 
  現行憲法51条の規定である。現行憲法の「議院で行つた演説」が、「議員での演説」に変わっている。
 (立法期および会期)
第六五条 

  この規定の1項の後段は、「会期不継続の原則」の原則を定めた国会法68条によく似ている。ただ、「会期」とこの規定の「立法期」とは意味が違うのかもしれない。
会期 Wikipedia


 2項は、現行憲法52条を大幅に加筆したものであると思われる。

 (衆議院の解散、特別国会および緊急集会)
第六六条 
 
 (議員の資格喪失)
第六七条 
  現行憲法55条の規定である。
 現行憲法の「資格に関する争訟を裁判する。」の文言が、「資格について争いが生じたときは、これを審査し、議決する。」に変わっている。「争訟の裁判」と、「審査し、議決」の意味にどのような違いがあるかをよく検討する必要がありそうである。
 (定足数および表決)
第六八条 
 
 (会議の公開および会議録)
第六九条 
 
 (役員の選任および議院規則、懲罰)
第七〇条 
  現行憲法58条の規定がベースであるが、やや内容が変更されている。
 今後もう少し検討してみたい。
 (法律の議決)
第七一条 
  現行憲法59条の規定であるが、内容は大幅に変わっている。
 衆議院で再び可決する場合の要件について、現行憲法では「3分の2以上の多数」とされているが、この草案では「過半数」となっている。
 また、「衆議院で再び可決するときは、参議院で議決されたのち、30日を経なければならない。」という条件も新設されている。

 また、現行憲法59条3項と4項は削除されている。
 現行憲法3項「前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。」
 現行憲法4項「参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。」
 つまり、参議院が議決しない事態は想定されておらず、その場合は廃案になると思われる。
 (予算の議決)
第七二条 
  現行憲法60条にあたる規定である。文言には大幅な変更があるが、実質的な内容は現行憲法と変わらないと思われる。
 (条約の承認)
第七三条 
  現行憲法61条にあたる規定である。文言は違うが、実質的な内容は変わらないと思われる。
 (人事案件の同意)
第七四条 
  新設の規定である。
 (議院の国政調査権)
第七五条 

  現行憲法62条の規定である。

 やや文言を変更しているが、実質的な変化はないものと思われる。

 (国務大臣の議院出席の権利および義務)
第七六条 
  現行憲法63条の規定である。
 現行憲法の「(国務大臣は、)両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも(議案について)」の文言が削除されている。この点、国会議員でない国務大臣について、明確に出席義務の権利や義務があることが分かりづらくなってしまう可能性がある。
 現行憲法の「説明のため出席を」の文言が、「説明のため議院から出席を」に変わっている。
 (裁判官の弾劾)
第七七条 
  この規定は、裁判官の罷免の訴追は「衆議院」が行い、裁判は「参議院」が行うこととしている。この点、現在の弾劾裁判所の制度とは異なるものである。
 現在は、現行憲法63条2項においては、「両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。」と記載されている。
また、裁判官弾劾法でも、訴追は裁判官訴追委員会(衆議院・参議院の各院から10名ずつの計20名)が行い、裁判は裁判員(衆参各院から7名ずつの計14名)が行うとされている。
  (行政監視院)
第七八条 

   新設の規定である。
 「行政監視院」とは、一体どのような組織を想定しているのだろうか。そもそも、国会の常任委員会などの委員会は行政監視の役割も担っているのではないだろうか。なぜ参議院だけなのだろうか。

行政監視委員会 Wikipedia

 衆議院であるが、「行政監視院」の文言のある法律案を見つけたので加えておく。


第142回国会(常会)

(平成10年 1月12日~平成10年 6月18日)
行政監視院による行政監視の手続等に関する法律案


 行政監視院は「国会」の内部に置くようである。つまり、行政機関ではないと思われる。となると、「会計検査院」との名称上の混乱を招くこととなる。このような機関を設置するとしても、この「院」の名称は避けた方がいいだろう。

第六章 内閣    この「内閣」の章について、現行憲法71条の「前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。」の規定が削除されている。この「前二条」にあたるものは、この草案では83条(内閣不信任の議決)と84条(内閣総理大臣が欠けた時等の措置)の1項にあたるものである。これが削除されている場合、内閣総理大臣は引き続きその職務を行うのかどうか明確でないままに総辞職をしてしまう可能性が考えられるが、それでいいのだろうか。国務が混乱してしまうことがないだろうか。心配である。
 (行政権)
第七九条 
  1項は、現行憲法65条と同じである。
 2項は、新設の規定である。学説の通説を記載しようとしたものであると思われる。「必要やむを得ない範囲」という文言が、法的にどのように機能するかどうかについては検討したい。
 (内閣の構成、国会に対する連帯責任)
第八〇条 
  現行憲法66条の規定である。
 1項は、現行憲法66条1項の「その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」の部分がやや文言が変わっている。
 2項は、現行憲法66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」の文言からやや変更されている。解釈に幅のある「文民」という言葉の意味を明確にしたものと思われる。
 3項は、現行憲法66条3項と同じである。
 (内閣総理大臣の指名)
第八一条 
 
 (国務大臣の任免)
第八二条 
  現行憲法68条の規定である。
 1項は、現行憲法の「選ばれなければならない。」の文言が、「任命しなければならない。」に変わっている。
 2項は、現行憲法の「任意に国務大臣を罷免することができる。」から、「任意に」の文字が削除されている。すると、「法律要件に従って罷免することができる。」などがイメージされてしまい、その任意性が不明確となったように思われる。
 (内閣不信任の議決)
第八三条 
  現行憲法69条とほぼ同じである。文言がやや変わっているが、実質的な内容は変わらないと思われる。
 (内閣総理大臣が欠けたとき等の措置)
第八四条 

  1項は、現行憲法70条の規定である。

 2項は、内閣法9条の「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。 」の規定を持ってきたものであると思われる。

 (内閣総理大臣の職務)
第八五条 
 
 (内閣の職務)
第八六条 
  現行憲法と73条の規定である。
 この規定の6号は、現行憲法73条6号後段の「但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」の規定が削除されれている。
 この草案の115条にて、緊急事態が宣言された場合に、「内閣は法律に代わる政令を定め」ることができることから、罰則についても法律の委任なしに自由に定めることができることとする意図があるものと思われる。政令は法律の委任なしに罰則を設けられることから、非常に強力な内容となる。人権侵害のリスクは格段に高まったと言えるだろう。

 現行憲法73条7号の「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。」が削除されている。これによって、この草案7条8号によって、天皇が自らの判断で「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を行う。」こととなる。
 (法律および政令への署名)
第八七条 
  現行憲法74条の規定である。
 現行憲法の「すべて主任の」が、「すべて所管の」に変わっている。
 現行憲法の「連署することを必要する。」が、「連署しなければならない。」に変わっている。
 (国務大臣の訴追)
第八八条 
 現行憲法75条の規定であるが、現行憲法75条後段の「但し、これがため、訴追の権利は害されない。」との文言が削除されている。そのため、国務大臣の在任中に発生した事件は、内閣総理大臣の同意がなければ訴追されず、もし訴追がなければ在任期間が終了した後には効果が及ばず、免責される可能性がある。緊急事態宣言発令下の問題など、訴追ができないのはかなりの問題があるのではないだろうか。 

日本国憲法第75条 Wikipedia
第七章 裁判所   
 (司法権)
第八九条 
  「行政機関は、終審として裁判を行うことができない。」とあるが、現行憲法第76条2項の「特別裁判所はこれを設置することができない。」の文言が削除されていることからも、終審でない特別の行政裁判所は設置可能であると思われる。
 (軍事裁判所)
第九〇条 

  この規定によって軍事裁判所が設けられている。
 「平時の裁判は二審制とし、」とあるが、「戦時」においては一審制なのだろうか。

 (司法権の独立)
第九一条 

  1項は新設の規定である。この「司法権の独立は、これを侵してはならない。」との表現であるが、この文言形式は「国民の権利及び義務」の章に書かれた国民の権利についての表現を転用したものであると思われる。しかし、司法権の独立というのは、三権分立の観点から他の国家機関からの独立性の強さを意味するものであり、国民の人権を記した自然権的な意味合いの混じる「侵してはならない。」の用語を使うのは違和感を覚える。恐らく、「司法の独立」という文言を条文化しようとの意図であると思われるが、法学の統治原理に対する歴史的、哲学的なバックグラウンドの理解を欠いた表現であるように思われる。

 この草案のこういった部分について、憲法全体に貫かれている統一的な理念や法の精神が十分に存在しておらず、憲法学の視点から派生して生まれた文言や用語、タイトルに惑わされたままに起草してしまったような混乱が見られる。それらの文言や用語、タイトルなどは、憲法理念から発せられる全体の一部であり、文言や用語それ自体が完全な正当性の根拠となるような性質を有しているというものではないのである。やや、文言それ自体を信じ切ってしまうような法学の初学者の陥りがちな状態にあるように思われる。筆者も以前はそう考えてしまっていた時期があったが、恐らくもう少し学ぶことで、そうではないことが分かってくるだろう。


 現行憲法76条3項の規定をやや変更したものと思われる。
 現行憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」であるが、意味合いが変わってきそうなのでよく検討する必要がありそうである。

 (裁判官の身分保障、報酬)
第九二条 
 
 (最高裁判所の裁判官)
第九三条 
 
 (終審裁判所)
第九四条 
 
 (最高裁判所の規則制定権)
第九五条 
 

 (下級裁判所の裁判官)
第九六条 

 
(裁判の公開)
第九七条 
 
第八章 財政   
 (財政運営の基本原則)
第九八条 
 
 (租税法律主義)
第九九条 

  現行憲法84条の規定である。文言がやや変わっているが、実質的な内容は変わらないと思われる。

 (国費の支出および国の債務負担)
第一〇〇条 
  現行憲法85条の規定である。文言がやや変わっているが、実質的な内容は変わらないと思われる。
 (継続費および予備費)
第一〇一条 
 
 (公金の濫用の禁止)
第一〇二条 
 
 (予算不成立の場合の措置)
第一〇三条 
 
(会計検査)
第一〇四条 
 
 第九章 地方自治

 現行憲法95条の、「一の地方公共団体にのみに適用される特別法」について住民投票が必要である旨の規定が存在しない。 

 また、この草案の107条において、地方自治体に対する「国との協力義務」を課していることから、現行憲法よりも大幅に中央集権的な色彩が強いものである。

 (地方自治の基本原則)
第一〇五条 
  この規定には、「住民の福利を旨とし、」「住民の意思に基づき、自主的に」との文言がある。これによって、「住民の福利のために、住民の意志に基づき、自主的に米軍基地の負担に反対」した場合、この草案の107条の「地方自治体は、(略)国の統一性の保持に努め、国と協力しなければならない。」の規定と競合する事態が考えられる。この際、どのような優先順位によって解決がなされるのだろうか。その点の整合性が全体として明確でない。
 (地方自治体の種類)
第一〇六条 

  「市町村」という文言を加えているが、「区」はどうなるのだろうか。また、広域自治体とは「都道府県」のことを言うのだろうか。「道州」まで含むのだろうか。その点が曖昧である。法律で定めることを想定しているのかもしれないが、であるならばなぜ、「市町村」という文言を加えたのかその意図がよく分からない。

 (国との協力)
第一〇七条 
  地方自治体に対して、「国との協力義務」を設けたものである。
 (地方自治体の議会および公務員の選挙)
第一〇八条 
  1項は、現行憲法93条1項の「地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。」の文言からやや変わっている。
 2項は、現行憲法93条2項の「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」の文言からやや変わっている。
 特に、「地方自治体の住民であって日本国籍を有する者」と定めた点は、現在の判例の「地方自治は住民の生活と密接に関係する事柄であるため、外国人に選挙権を与えることを一概に禁止しているとは解されない。」などとする論理とは明確に異なった立場である。
 (地方自治体の権能、条例制定権の限界)
第一〇九条 
  現行憲法94条の「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」の文言からやや変更されている。
 (課税自主権および国の財政措置)
第一一〇条 
  1項は、現行憲法には記載のない、条例によって租税を課すことの適法性を明確化したものであると思われる。
 2項は、国に対して地方自治の保障のための財政措置を求める規定である。現行憲法には記載のない積極的な内容である。
 第十章 憲法秩序の保障

 最高法規について定めた現行憲法第10章が変形したものであると思われる。しかし、その内容は実質的最高法規性の根拠について記載された97条が失われ、この憲法の保障する人権概念の存立根拠がなくなってしまっている。人権概念それ自体の存立根拠を明示しておらず、この憲法がどこからやってきて、いかなる正当性によって存立しているのかを示していないのである。つまり、憲法と名乗った偽物かもしれないのである。
 この偽物の憲法の事例をブランド会社で表現するならば、その製品のブランドの正当性は作り手の考え方、作り手の心に抱かれた概念、統合されたコンセプト、企業精神、従業員の個々人の人生などがあり、その中で生み出されたものであるが故に、そのブランドの価値の正当性が認められるのである。それは、デザインを真似しただけの偽物には正当性の継承がなされておらず、その内側に込められた意志が存在しないのである。
 それと同じように、現行憲法の97条は、人権概念は人権概念を創造した先人やこの憲法を確定した憲法制定権力者の意志によって成り立ち、その継承された人権概念によって、法の正当性の存立の精神を確かなものとしているのである。

 しかし、この憲法はその実質的最高法規性の根拠が欠落しており、人権根拠の正当性の継承が存在していないようである。まさに偽物ブランドのようなものであると思われる。

 法の本質は単なる法と法の上下関係だけで成り立つものではなく、人権保障への意志によって人々の意識の中に法観念として成り立っているという側面を研究しなおした方がいいように思われる。形だけを整えても、その製品に込められた真意を受け取ることができないのである。偽物のブランド物には注意したい。この草案作成者も、そういった違いが分かるようになり、憲法の本質を見分ける目を養った方がいいのだろうと思われる。 

 (憲法の最高法規性)
第一一一条 

  この規定は、憲法と他の法との上下関係を示した形式的最高法規性を示したものである。

 現行憲法の98条とやや文言が変わっている。
 現行憲法98条にはない「条約」という文言を加え、条約に対する憲法優位説も明確にしたと思われる。
 現行憲法の98条の「国務に関するその他の行為の全部または一部」の文言が「処分」に置き換えられていると思われる。しかし、「国務に関するその他の行為の全部または一部」の文言の方が「処分」よりも広い概念である。そのため、「処分」として縮小的に解することは、「処分」に該当しない事柄について効力有することとなりそうで不安である。例えば、この規定に挙げられた「条約」「法律」「命令」「規則」「処分」に該当しないものとして、「お言葉」「訓示」「計画」「行政指導」「要綱」「判決」「判例」「条例」などが考えられる。これらは「国務に関するその他の行為の全部または一部」に該当するが、「処分」には該当しないものである。規定の包括性が十分でないように思われる。

 (憲法の遵守義務)
第一一二条 

  2項で、国民に対して、憲法を遵守する義務を負わせている。この点、国民ができるだけ国家と関わらずに自由に生きようとする権利を弱める意図があると思われる。国民の人権保障は憲法によって守られると読めるのかもしれないが、極力無関心でいられる自由は確実に弱められている。国民に対する要求の多いものとなる。この草案の25条の「思想良心の自由」も制限されることとなる。

 日本国憲法の12条では、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と規定している。国民は人権を保持することで憲法を制定し、それによって政府という統治機関を設置し、それらの者に憲法を守るように規定したのである。国民には「憲法遵守」ではなく、既に「人権保持」を義務付けているため、これで足りるはずである。

 加えて、このような国民の義務については、この草案第4章「国民の権利および義務」の章に配置すべきものである。分類を間違えて配置していると思われる。

(最高裁判所による憲法保障)
第一一三条 

 この規定のやや不審な点は、「憲法が国民の人権を守る法であり、その法に反する下位の法令を違憲審査することによって国民の権利救済を行う」という考え方によって違憲審査制がつくられているわけではないことである。この憲法の最高性を保障するために憲法判断を行うのである。この点の目的とするところの方向性が疑問である。


 1項によって最高裁判所の中に憲法裁判部が設置されている。この規定に設けられた最高裁判所の憲法裁判部の違憲審査の作用は、「司法権」とは考えていないのだろうか。司法権であるならば、これはこの草案の第七章「裁判所」の章に設けることが妥当だろう。

 2項では、「裁判手続きを中断し、最高裁判所の判断を求めることができる。」とあるが、求めないこともできるのだろうか。つまり、下級裁判所でも憲法判断を行うことができるのだろうか。その点、そもそも憲法裁判部は現在の最高裁判所の制度と何が違うのかよく分からない点もある。

 3項では、2項によって「適用される条約、法律、命令、規則または処分が憲法に違反するおそれがある」ものについて判断を求められた際は、憲法裁判部で審査されることとなる。しかし、「その事件を解決するために他の理由がある場合」や、「他の解釈が可能であるか否かを確認する」というブランダイス・ルールの第4準則と第7準則を採用して憲法判断回避をしないのかどうか気になるところである。この規定では、現在の裁判所の運用のように、それぞれの裁判で取り扱っている紛争内容と、憲法判断の内容とを一括して処理するものではなく、切り分けて考えることができるものである。そのためにどのような論理で判断がなされるのか十分な想定が求められるだろう。

 4項では、「その争訟事件において、効力を有しない。」とあることから、裁判所の消極的立法作用(国会以外の機関により、法律の内容を変更させる作用のこと。現行憲法41条の『国会は、…国の唯一の立法機関である。』という規定との抵触が問題となる論点である。)を否定したものである。しかし、明確に消極的立法作用の否定を認めたのであれば、国会に法改正の義務付けを定めていない点は不備であると思われる。法運用の一貫性を損なうからである。現行憲法で明確に規定されていないとしても、踏み込んだ記載をするならば、それなりに最後までどのような結論を採るのか書き込むべきであると考える。

 

違憲審査制(違憲判断の効力) Wikipedia

 第十一章 緊急事態

 この第十一章「緊急事態」であるが、これは、通常の憲法秩序では実現困難な事態に遭遇した際に、一時的に通常の憲法秩序を停止し、非常措置を実施することで通常の憲法秩序を回復するために行われるものであると考える。そうでなければ、この規定は不要であるからである。しかし、憲法秩序を回復するために行われるものであれば、この草案の第十章「憲法秩序の保障」の中に置くべき規定である。なぜ憲法秩序の保障とは別に新たな章を設けたのか謎である。この草案の憲法体系は分類が不十分で極めて分かりづらいが、この章についても十分な検討がなされた上て配置されたわけではないようである。 

 (緊急事態の宣言)
第一一四条 
 国会によって事前に承諾を得られるのであれば、そもそも、緊急事態宣言を発令せずとも国会と連携して法律を立法し、緊急事態を回復するために措置を取ることができるはずである。事前承認というのは、国会が内閣に独裁権を与えることに等しいものとなると思われる。
 国会の召集や参議院の緊急集会などとの関係はどうなるのだろうか。

 「事後の承認のもとに、緊急事態を宣言する」という点が、論理的な整合性に疑問を覚える文言である。
 事後に国会の承認を得られなかった場合や、事前に承認を得られなかったが、事後に承認を得るとの理由で内閣が緊急事態を宣言した場合にはどうなるのだろうか。この規定を設けるにしても、規定の完全性や包括性が十分でないように思われる。

 一度緊急事態が発令された場合、その後、この規定では将来的にも永続的に緊急事態のままである。緊急事態が発令される期間や失効する時期や方法が記載されていないのである。言いっぱなしの規定である。
 この草案の116条(失効宣言)については、緊急事態宣言発令下での内閣の法律に代わる政令と緊急財政処分の国会承認と承認が得られなかった場合の失効宣言である。緊急事態宣言それ自体については失効を予定していないのである。明らかな不備であると思われる。ちょっと無責任ではないだろうか。規定を設けるにしても、まともに検討した方がいいだろう。
 (緊急命令および緊急財政処分)
第一一五条 

  緊急事態の宣言が発令された場合、内閣の政令や緊急財政処分によって制限できる人権の範囲が列挙されている。人権の制限は無制約なものではなく、人権の中でもいくつかの要素に限定されている。


<内閣が必要やむを得ない範囲で制限できる権利>
第三〇条〔通信の秘密〕
第三四条〔居住、移転および職業選択の自由〕
第三五条〔財産権および知的財産の保護〕
第三六条〔適正手続きの保障〕
第三七条〔逮捕、抑留・拘禁および捜索・押収に対する保障〕


 人権制限は強力な規定であるため、もしこの規定を設けるにしても、「~の権利のみを制限することができる」などと限定する文言が加えられていない点は拡大解釈や拡大適用の余地を残し、不安を覚えるものであると思われる。

 

 制限した国民の人権に対して、国が事後的に補償を行わないというのは非常に問題性が多いものであると考える。例えば、緊急事態宣言をした場合、内閣を支える国会の多数派や与党勢力と敵対する関係にある政治勢力を第37条の制限によって逮捕、抑留・拘禁・捜査・押収し、反対派の政治的な発言を弾圧することも可能となる。そうなると、国会の事後の承認もそれらの人権制限の結果を受けたものとなり、国民の意思を反映させる契機が不足している。そんな中、国会の事後承認がなされた場合、それは民意を反映した緊急事態宣言と言えるのだろうか。
 また、内閣が国会の事後承認を得られなかった際に、内閣の法律に代わる政令や緊急財政措置が直ちに失効するという訳ではなく、この草案の116条2項の規定によって内閣が失効を宣言しなくてはならないものである。これは内閣によって無視される可能性が高い。例として、実際に現行憲法53条後段(国会召集決定義務)の要求を無視した内閣が存在していることが挙げられる。この規定の実効性が担保できないのである。

 緊急事態宣言発令下で憲法改正の発議が行われる可能性も考えられる。国民の人権が制限されている中で、十分な民意をくみ取ることができるのだろうか。そのような事態の下で内閣によって人権制限をなされていない勢力の一部の国民による国民投票によって憲法改正がなされてしまった場合、その憲法は全国民の手によってつくられたものとは確信をもって言えなくなってしまう。そうなると、その改正された新憲法の正当性それ自体が揺らぎ、その法規は国民からの支持を十分に得られないものとなってしまう恐れが考えられるのである。法とは、そもそも国民がその法を支持しようとする支持率の高さによってその社会の中で効力をもった共通認識として普及するものである。もしその正当性に対する国民の支持率が低下してしまえば、国民の順法意識は低下してしまい、結果として社会が強者の横暴な力がまかり通る無秩序な姿へと変容してしまう危険性を持っているのである。その点について、この草案の内容は、法の効力の基礎基盤を破壊する恐れが高いものとなっている。
 そのような想定もこれらの規定からはなされていない。完成度として十分な域には達していないと思われる。


(失効宣言)
第一一六条 

 国会の承認を得られずに政令や緊急財政措置が失効した場合、緊急財政処分によって民間企業と契約した兵器購入などの超高額の契約も無効となるのだろうか。これは、憲法規定であるため、もちろん民法契約にも影響を及ぼすものとなる。その点、内容が明らかにされておらず、民間企業は非常事態宣言下での行政組織との契約が非常に不安定な立場に立たされることとなる。賠償措置も定められていない。そもそも、国民は非常事態宣言の下では職業選択の自由も制限されることから、営業の自由も制限されると考えられる。つまり、政府の兵器購入などの多額の購入物を民間企業は破格の安値で強制販売させられる可能性が考えられる。この草案の憲法秩序によって民法秩序も破壊されてしまう。内閣は法律に代わる政令を発することができることから、民法の特別法として「兵器購入の政府に対する強制贈与契約に関する政令」が発せられる可能性もある。政府のやりたい放題である。事後賠償も規定されていないことから、裁判所も国民の被害を救済できない。そもそも、緊急事態宣言は憲法上の規定であることから、裁判所はそれらの政令を違憲審査することによって国民の権利を救済することもままならない状態となる。

 緊急事態宣言下での内閣の法律に代わる政令の発令について、裁判所による緊急違憲審査制の概念も存在していない。三権分立の統治原理によって国民の権利保障を行う措置が不能である。緊急事態宣言発令下において裁判所による審査がなされないことを前提とした措置は十分なものではないと思われる。

 行政事件訴訟法37条の5 2項による「仮の差止め訴訟」などもどのように機能するのか検討の余地があると思われる。そもそも、法律に代わる政令によって、行政事件訴訟法の規定も停止され、国民の権利救済の機会や予防措置も排除されるのかもしれない。


 2項に、「内閣はその失効を宣言しなければならない。」とあるが、その期間に関して明確な記載がない。これについて、現行憲法53条の「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」の規定を無視している内閣が存在しているが、「失効の宣言をしなければならない。」との規定を内閣が踏み倒さないようにするためにどのような措置を置くべきかについても明確に考えていない点は不備が感じられる。

 第十二章 改正  
 (憲法改正の手続きおよび公布)
第一一七条 

  現行憲法の「各議員の総議員の三分の二以上の賛成」という硬性憲法の形式を変更したものである。これによって、ポピュリズムによる多数派の横暴による少数派への侵害の脅威は増したと考えるのが妥当だろう。人権概念は多数決をもってしても奪えない概念であるため、多数決の決定を安易に信用しないために憲法を打ち出し、人権を守ろうとする考え方が立憲主義の基礎である。しかし、この草案は「総議員の過半数の議決」によって国民に提案できることから、その前提が損なわれている。「国民投票があるのだから大丈夫だ。」との意見もあるかもしれないが、憲法は基本的に直接民主制を採用しておらず、間接民主制である。民意は熱しやすく冷めやすく、十分な情報によって専門的・合理的に判断することが難しいことが前提なのである。そのため、憲法によって政治家に議席を与え、民意を専門的な知見を活かして反映することを求めているのである。「国民を信用しないのか。」との意見もあるかもしれないが、その通り、国民の熱しやすく冷めやすく、専門的な知見をもって十分な判断を早急にできるわけではないという意味において信用しないと言って正しいものである。もしこの趣旨を政治家が発言したならば、「国民を尊敬していない」との不信感から国民からの支持を失い、選挙で落選する可能性が考えられる。そのため、政治家という立場ではこの事実を明らかにすることには抵抗感があり、にわかには反論しづらいところがあると思う。しかし、国民の専門的な知見を有さない安易な考えや傲り、無理解な判断による弊害を防止することも間接民主制の役割である。その調整を国会議員に託されているわけであり、その責任を放棄するように直接民主制にすべてを託そうとすることは無責任であるといえるのではないだろうか。憲法の軟性化を行う提案には、その趣旨に安易な多数派から少数派を守り、人の侵すことのできない人権の保障を確実にしようとする立憲主義の意志が欠落しているように思われる。国民の意思を尊重する仕方が、人権思想によって国民の人権を重視した考え方ではなく、民主主義という多数決の制度を重視しているだけなのである。そもそも、民主主義の多数決原理は人権思想による立憲主義によって制度化されているわけであり、民主主義を根拠に人権侵害の可能性を高め、立憲主義の意図を損なわせる改憲を行うというのはその理念から自己存在の根拠を破壊するものであり、制度理念の一貫性を損なう。この点について分析が欠けているように思われる。

 現行憲法96条2項の「国民の名で」の文言が削除されており、国民主権原理による憲法改正であることを明確に示す文言が失われている点も問題性が感じられる。天皇の権力拡大の傾向がここにも現れている。



〇 この草案の全体的な感想として、条文の文言にばかり注意が向かい、憲法理念や憲法体系、法の精神に対する一貫性や統一性が十分に感じられない面が多いと思われる。テレビのニュース報道や、新聞での政治記事などからの断片的な情報を基に問題意識を持ち、それらを憲法的に整理・解決しようという意図を持って起草したような印象を受ける。しかし、法学の学術的な知識や理解が十分に備わっていないために、内容の浅さが感じられる。


 それぞれの規定が効力を及ぼす射程についても、十分な想定がなされておらず、曖昧なものが多い。この草案が実際に憲法となった場合、憲法を学習する後世の者に対して、大変な負担を残すものとなりうると考えられる。


 ただ、国家運営について様々な問題意識を持ち、現状をより良いものと改めようとする意欲は感じられるものではある。人権規定について、分類に混乱が見られるものの、いくつかの点で現行憲法よりも読みやすく分かりやすくしようと試みる意図も感じられる。この点、初学者にも理解のしやすい表現もやや確認できる。


 国民の知る権利に応えるために「報道の自由」を明記している点など、人権保障にとって好ましい規定も見られた。全体の完成度は別として、この点に限っては、他の草案には見られないポイントとなると思われる。



〇 この草案には、第十章「憲法秩序の保障」という独立した章がある。このような規定がなくとも、現行憲法には既に「憲法保障」の精神が込められていることを知っておくべきである。

 


 憲法保障には、「権力分立」の仕組み、人権の普遍性・永久性の宣言、改正のハードルの高い硬性憲法、抵抗権、国家緊急権なども含まれると解されるが、この草案の第十章「憲法秩序の保障」にはこれらのすべての要素が含まれているわけではないようである。この草案の第十一章「緊急事態」、第十二章「改正」とあるように、憲法秩序の保障に含まれる規定でさえ、別の章に配置されているのである。であるならば、なぜわざわざ「憲法秩序の保障」という章を設けなければならないのか疑問が出てこざるを得ない。やはり、この憲法草案は憲法全体の体系性について知識が十分でないように見えるのである。



 厳しい内容が多くなってしまいました。長文、お読みいただきありがとうございました。

 

 

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