前文の世界観


 まず、前文を見てみよう。

【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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 前文の世界観を図で表してみた。



前文の内容分類


 政府見解を確認する。


〇 平和主義について


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二について

 憲法の基本原則の一つである平和主義については、憲法前文第一段における「日本国民は、・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意しの部分並びに憲法前文第二段における「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」及び「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」の部分がその立場に立つことを宣明したものであり、憲法第九条がその理念を具体化した規定であると解している。
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参議院議員福島みずほ君提出集団的自衛権並びにその行使に関する質問に対する答弁書 平成26年4月18日 (下線・太字は筆者)

〇 国際協調主義について

質問主意書情報 小西洋之 平成30年7月31日

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一 政府は、憲法前文の「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」との規定の趣旨についてどのような意味であると考えているか、分かりやすく答弁されたい。

二 政府は、憲法前文の「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」との規定の趣旨についてどのような意味であると考えているか、分かりやすく答弁されたい。
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憲法前文の「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」の規定の趣旨等に関する質問主意書 平成30年7月31日

 ↓  ↓  ↓  ↓
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一及び二について
 お尋ねの憲法前文第三段の趣旨は、我が国が国家の独善主義を排除し、国際協調主義の立場に立つことを宣明したものと解している。
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参議院議員小西裕之君提出憲法前文の「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」の規定の趣旨等に関する質問に対する答弁書 PDF


〇 政府見解を参考に内容を分類する

【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果とわが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意しここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し専制と隷従圧迫と偏狭地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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> 『国民主権』及び間接民主制

> 『基本的人権の尊重』(自由・権利)

> 『平和主義』の立場に立つことを宣明したもの
> 我が国が国家の独善主義を排除し、「国際協調主義」の立場に立つことを宣明したもの

前文と憲法の体系との関係


 前文の性質や憲法の体系との関係を整理してみよう。

 

  赤色はおおよそ「政治の原理」を表す。
  紫色はおおよそ「国際協調主義」を表す。
 

  緑色はおおよそ「基本的人権の尊重」を表す。

  下線部分はおおよそ「平和主義」の考え方を示したものである。
  前文と関わる本文の条文番号も取り上げることとする。


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 日本国民は、

正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し「第4章 国会」

われらとわれらの子孫のために、

諸国民との協和による成果と、

わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し「第2章 戦争の放棄」

ここに主権【国家における最高決定力の意味】が国民に存することを宣言し(第1条〔主権在民〕

この憲法を確定する。


〇 
そもそも国政は、

国民の厳粛な信託によるものであつて(第15条〔公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障〕

その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、

その福利は国民がこれを享受する(第4章 国会、第5章 内閣、第6章 司法)。


〇 
これは人類普遍の原理であり、

この憲法は、

かかる原理に基くものである。


〇 われらは、

これに反する一切の憲法、

法令及び詔勅を排除する(98条〔憲法の最高性〕



〇 日本国民は、

恒久の平和を念願し(9条1項〔戦争の放棄〕

人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、

和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して

われらの安全と生存を保持しようと決意した(9条2項〔戦力及び交戦権の否認〕


〇 われらは、

平和を維持し

専制と隷従、

圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において(97条〔基本的人権の由来特質〕

名誉ある地位を占めたいと思ふ。


〇 われらは、

全世界の国民が、

ひとしく恐怖と欠乏から免かれ(97条〔基本的人権の由来特質〕

平和のうちに生存する権利(13条〔幸福追求権〕を有することを確認する。



〇 われらは、

いづれの国家も

自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて

政治道徳の法則は、

普遍的なものであり、

この法則に従ふことは、

自国の主権【対外的な独立性の意味】を維持し、

他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる(98条2項〔条約及び国際法規の遵守〕



〇 日本国民は、

国家の名誉にかけ、

全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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 憲法の体系に照らし合わせて読んでみよう。
下の図では、前文と条文体系の関係性を「→」で示した。

【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存する(【人権規定】の国民にあたる)ことを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政(【統治規定】の三権のこと)は、国民の厳粛な信託(人権侵害の防止「→」の部分)によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利(人権保障の実現「←」の部分)は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する(98条)

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(9条+97条)


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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前文の主権


 「主権」という言葉には、法学において基本的に3つの意味がある。前文の「主権」の意味を確認する。

【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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〇 「主権が国民に存することを宣言し、」の『主権』とは、下図③の「最高決定権」の国民主権の意味の主権である。

〇 「政府の行為」や「その権力は国民の代表者がこれを行使し、」に見られるものは、下図①の「統治権」である。この統治権も、『主権』と呼ぶことがある。

〇 「自国の主権を維持し、」の『主権』は、下図②の「最高独立性(対外的独立性)」のことである。

 



キーワード


〇 繰り返し使われている用語やよく似た用語の対応関係を検討する。


【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する国民公正信義信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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【似たものを集める】

・日本国民 われら
・わが国 自国
・国際社会 各国 いづれの国家

・諸国民 全世界の国民

・主権(最高決定権) 主権(最高独立性)

・国政 権力 政府

・行為 行使

・自由 権利 安全と生存

・原理 法則

・正当 公正

・信託 信義 信頼

・権威 厳粛な

・人類普遍の原理 政治道徳の法則は普遍的なもの 人間相互の関係を支配する

・名誉ある地位 国家の名誉

・隷従 従うこと (通じて行動?)

・平和 協和

・恒久 永遠

・全土 地上

・恵沢 福利

・成果 達成する

・由来 基く

・一切 全

 

・決意し、 決意した。 念願し、 誓ふ。 宣言し、

・思ふ。 信ずる。 深く自覚する

・確保し、 占めたい 享受する。

・確定する。 確認する。

・保持しよう 維持し、

・排除する。 除去しよう

・努めてゐる 専念して

・存する 有する

・地位 立とうとする

 



〇 2回出てくる「崇高な理想」とは何か


 「人間相互の関係を支配する崇高な理想」と、「この崇高な理想と目的を達成すること」は、異なる意味なのだろうか。


> 一回目の「崇高な理想」は、前文第二段にあることから、「平和」について語っていると思われる。


> 二回目の「崇高な理想」は、「この」が付いている。「この」が指し示しているものが、明確に分からない。一回目と同じであれば、「平和」について述べているのかもしれない。もしかしたら、第三段のことを指しているのかもしれない。


 「『この崇高な理想』と『目的』」なのか、「この『崇高な理想』と『目的』」なのか分からない。前文中にこの用語に対応するものが明確に存在するのかもよく分からない。それとも「この『崇高な理想と目的』」と全体で読んで、第一、第二段、第三段をすべて指しているのかもしれない。


 対応する用語があるとすれば、『目的』というのは、「諸国民との協和による成果」と「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢」を指しているようにも思われる。その場合、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」が『手段』と考えるのである。

 

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動【手段】しわれらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果【目的1】わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢【目的2】を確保し政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意しここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

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 この『目的』にも、「平和」に関することが当てはまるのだろうか。

 ただ、『崇高な理想』は、第二段落一文目にも使われており、政府解釈によれば平和主義に関することを述べているとしている。

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 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

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 この場合、「この『崇高な理想』と『目的』」と区別して読むのであれば、
『平和主義』と『国際協調主義による成果・自由のもたらす恵沢』ぐらいが当てはまるように思われる。


 ただ、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」というのは、『基本的人権の尊重』や『国民主権原理による政治』、『諸国との国際協調主義』を示しているようにも読み取ることができそうである。そうなると、「この崇高な理想と目的」の文言は全体として第一段、第二段、第三段のすべてを指しているようにも思われる。

 


〇 「人類普遍の原理」とは何か


 人類普遍の原理とは、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」の部分についてであり、国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を言っていると思われる。ただ、基本的人権を含むという説もある。

「憲法」 第三版(芦部信喜・高橋和之補訂) (第三版の場合はP37)
第一部 総論
 第三章 国民主権の原理
  一 日本国憲法の基本原理
   2 基本原理相互の関係
    (一) 人権と主権
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 このように、国民主権(民主の原理)基本的人権(自由の原理)も、ともに「人間の尊厳」という最も基本的な原理に由来し、その二つが合して広義の民主主義を構成し、それが、「人類普遍の原理」とされているのである(第十八章三3図表参照)。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(下線・太字は筆者)



〇 4回出てくる「平和」とは何か


「恒久
平和を念願し、」

平和を愛する国民」
平和を維持し、」

平和のうちに生存する権利」


 9条「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」

 



 <理解の補強>


参議院議員小西洋之君提出憲法の平和主義及び憲法前文の趣旨等に関する質問に対する答弁書 平成27年1月9日
憲法の平和主義及び憲法前文の趣旨等に関する質問主意書 小西洋之 平成27年1月9日

第二章 解釈改憲のからくり  その2 ── 憲法前文の平和主義の切り捨て PDF

第一段が読みづらい


 第一段の前半は特に読みづらい。抜粋する。

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意しここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

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 分割してみよう。

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 日本国民は、

正当に選挙された国会における代表者を通じて行動   ←【手段と思われる】


われらとわれらの子孫のために、

 『諸国民との協和による成果』   【目的1と思われる】

    と

 『わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢』   【目的2と思われる】

を確保し


政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し

ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

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 「確保し、」は、【目的】と思われるから、次の部分の「することを決意し、」に連動していると思われる。つまり、「することを決意し、」の文言には、「諸国民との協和による成果』と、『わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保することを決意し、」と「戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し、」の二つの意味がかかっていると思われるのである。

 なぜならば、文の最後の「宣言し、この憲法を確定する。」に通じるように意味を読み取るためには、『諸国民との協和による成果』と、『わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢』は未だ確保されておらず、既に実現されているはずはないからである。それらを確保する「決意」に繋がっており、その後「宣言し、この憲法を確定する」と読むのが妥当と考えるからである。

 よって、第一段は「~し、」の文言が連続しているが、それらを並列に読み解くことは妥当でないと考える。

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意ここに主権が国民に存することを宣言この憲法を確定する。

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 ただ、「~し、」を基準に見てみると、【目的】ではないが、「することを決意し」の文言は、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」にも当てはまるように思われる。
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日本国民は、

正当に選挙された国会における代表者を通じて行動することを決意

われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保(することを決意
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意

ここに主権が国民に存することを宣言

この憲法を確定する。

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 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」は、【目的】なのだろうか、【手段】なのだろうか。明確に分類することが難しいように思われる。


 上記のように、「することを決意し、」の文言は、もともとは「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」の文に含まれているものであるが、他の二か所にも適用できると考えられる。これを裏付けるのは、もし「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」をカットした場合、文の意味が全体として通じないことも理由である。

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保、(カット)ここに主権が国民に存することを宣言この憲法を確定する。

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 上記のように、文の意味が「国民は、①代表者を通じて行動し、②協和による成果と自由の恵沢を確保し、③主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」となってしまうと、①と②は既に実現した過去のものであるかのように見えてしまうい、意味がおかしくなってしまうのである。

 よって、「することを決意し、」の文言は、「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」や「諸国民との協和による成果わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」にも及ぶと考えられる。

指示代名詞


 「これ」「ここ」「その」などの指示代名詞を明らかにしていこう。



【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意ここ<①>に主権が国民に存することを宣言し、この<②>憲法を確定る。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつてその<③>権威は国民に由来その<④>権力は国民の代表者がこれ<⑤>を行使その<⑥>福利は国民がこれ<⑦>を享受る。これ<⑧>は人類普遍の原理であり、この<⑨>憲法は、かかる<α>原理に基くものである。われらは、これ<⑩>に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除る。


 日本国民は、恒久の平和を念願、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚のであつて、平和を愛る諸国民の公正と信義に信頼て、われらの安全と生存を保持しようと決意た。われらは、平和を維持、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有ことを確認る。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念て他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この<⑪>法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとる各国の責務であると信る。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの<⑫>崇高な理想と目的を達成ことを誓ふ。
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ここ<①> 
〔近称の指示代名詞〕 

・話し手が現にいる場所

・話し手や周囲の人が源に置かれている状況や程度、局面 「←この意味と思われる。」

・現在を中心としてその前後を含めた期間

(大辞泉より)

この<②> 「現行の日本国憲法」を指しているとしか思われない。



〇 パターンA


その<③> 「国政」と思われる。

その<④> 「国政」と思われる。

これ<⑤> 「(国政の)権力」と思われる。

その<⑥> 「国政」と思われる。

これ<⑦> 「(国政の)福利」と思われる。


そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつてその<③国政の>権威は国民に由来その<④国政の>権力は国民の代表者がこれ<⑤権力>を行使その<⑥国政の>福利は国民がこれ<⑦福利>を享受る。

〇 パターンB

その<③> 「厳粛な信託」かもしれない。

その<④> 「国民に由来する権威」かもしれない。

これ<⑤> 「権力」かもしれない。

その<⑥> 「行使」かもしれない。

これ<⑦> 「福利」かもしれない。


その
<③厳粛な信託の>権威は国民に由来その<④国民に由来する権威の>権力は国民の代表者がこれ<⑤権力>を行使その<⑥行使の>福利は国民がこれ<⑦福利>を享受る。


これ<⑧> 
そもそも国政は、~を享受る。」と思われるが、「日本国民は、正当に~この憲法を確定する。」を含んでいるのかもしれない。

この<⑨> 現行の日本国憲法」を指しているとしか思われない。

これ<⑩> 「人類普遍の原理」と思われるが、それを示したものが、そもそも国政は、~を享受る。」の部分だけなのか、「日本国民は、正当に~この憲法を確定する。」を含んでいるのかよく分からない。

この<⑪> 「普遍的な政治道徳」と思われる。

この<⑫> 不明。ここで、「これら」のように、複数形としていないことに意味はあるのだろうか。

 

かかる<α> このような、こういう、の意味で、「そもそも国政は、~享受する。」にあたると思われる。



 「こと」の文言は、動詞を名詞化している言葉であると思われる。

 「し」「する」「ずる」などの動詞の活用を探してみよう。

 似たような接続の言葉も探してみよう。

革命的意志


 前文は、現行法秩序の立ち上げ人の「革命的意志」が含まれたものである。一定数の者たちがこの意志に権威を認めて賛同し、その意志に従うことで初めて、法がその社会の中で通用する実力となり、法に実効性が生まれるのである。つまり、前文の「革命的意志」の観念が、現行法の法秩序の効力を生み出す実質的な根拠となっているのである。


 また、前文の意志は、97条の「人類の多年にわたる自由獲得の努力」として生み出された人権概念を創造する人権保障への意志や、12条の「不断の努力によって(略)保持しなければならない」という人権を保持し続ける意志とも密接な関係を有するものである。それは、「人類の多年にわたる自由獲得の努力」や「不断の努力」の中には、価値絶対主義に対抗する価値相対主義の苦悩が存在しており、その難しい対立の中においてもなお、人権という建前を守り抜き、多様な価値観を保障するための基盤(近代立憲主義の観念)を維持しようとする意志の観念が示され、人々に訴えかけるスタンスが記載されているからである。



 憲法制定権力者が、憲法の前文に込めた意志を読み解いてみよう。前文の文言をいくつか抜き出してみる。


前文から抜粋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「決意し」「宣言し」「念願し」「自覚(し)」「信頼し」「決意し」「努め」「思(い)」「確認(し)」「信(じ)」「誓ふ」

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 人権保障のための憲法という最高法規は、結局はこのような宣言的なものであり、決意表明とそこに込められた主観的な意志によって人々に訴えかけるものでしかないのである。特に、自然権としての人権概念を人々の意識の中に確定させようと意図した実存主義的な価値相対主義の世界認識を持った憲法制定権力の人々は、すべての法の効力の正当性の源泉となる『人権』という基礎的概念の本質はそのようなものであると認識し理解していると考えられるのである。


 この主観的な意志の観念に、共感した者たちが、その意志の観念に権威を認めて従うことで初めて法に効力が生まれ、その広がりが社会の中で通用する実力として成り立ちはじめるのである。そのため、法の強制力や拘束力の大本にあるものは、人々が「権威を認めて従おうとする気持ち」を抱くきっかけとなる「憲法制定権力者の意志の観念」なのである。つまり、その「憲法制定権力者の意志の観念」に従って誠実に行動しようとする信頼関係によって法の効力が成り立っているのである。

 




憲法制定権力との信頼関係

 

 憲法の効力の大本は、最終的には人々の「権威を認めて従おうとする気持ち」に頼っているものである。それ以上の上位に、何らかの拘束力や強制力となるものは存在していない。


 そのため、憲法を運用する際は、この人々の「権威を認めて従おうとする気持ち」を引き起こす「憲法制定権力者の意志の観念」との信頼関係を破壊するような法運用は慎まなければならない。なぜならば、人々が法に抱く「権威を認めて従おうとする気持ち」を損なわせることに繋がり、その気持ちの広がりは、人々の認識の中にある法の秩序そのものへの信頼感を薄めてしまうい、法の効力それ自体を失わせてしまう事態を招くからである。人々の「権威を認めて従おうとする気持ち」が損なわれてしまうことは、法秩序そのものが失われてしまう危うさがあるのである。


 このような法の効力それ自体が揺るがされてしまうような危険な事態を回避するために、憲法中には憲法保障の仕組みの「宣言的保障」の意図として、公務員等の国の機関に集まる憲法の運用者に対し「憲法尊重擁護義務(99条)」を課している。法の効力が、人々の「権威を認めて従おうとする気持ち」に頼っている以上は、その運用主体が自らそれを「権威を認めて従おうとする気持ち」を持って運用し、人々の「権威を認めて従おうとする気持ち」を壊さないことが、法の効力を維持することに繋がるからである。


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法の運用者による受容
(略)
つまり、日本国憲法が国の最高法規なのは、「日本国憲法を最高法規として扱うべし」という実質的意味の憲法が事実上存在するからであり、そのような実質的意味の憲法が存在するのは、それを法の運用者が事実上受け入れ、それに則って行動するからである。
もちろん病理的な政治体制を除くと、法の運用者によって受け入れられているルールは、社会の大多数のメンバーによっても受け入れられているであろう(ハート・法の概念第6章参照)。
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◆1.3  憲法の法源と解釈  ◇1.3.3  最高法規

 しかし、内閣が「国会召集決定義務(53条)」に違反したり、憲法秩序の安定性の観点から慎むべき7条解散を濫用したりすることは、「憲法制定権力者の意志の観念」との信頼関係を損なうものである。これは、人々の「権威を認めて従おうとする気持ち」を薄めてしまうことに繋がることから、法の効力それ自体を弱めてしまうことになる。このような法運用は、人々の人権保障のためにつくられた憲法秩序を不安定化させるものであるから、人々に対して保障される人権の質を下げてしまうことになるのである。


 実はこのような憲法への信頼関係を損ねるような国家運営がなされる危険性について、立法当初から想定されている。国に集う者に対して、そのような慎みのない法運用をさせないために、天皇の勅語にて「この憲法を正しく運用」することや、「節度と責任を重ん」じることについての言葉が述べられているのである。


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日本国憲法公布記念式典の勅語(昭和21年11月3日)


 本日、日本国憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。即ち、日本国民は、みずから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。
 朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し節度と責任とを重んじ自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。

 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
 御名 御璽
    昭和21年11月3日
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日本国憲法 参議院


 法とは結局、意志の観念によって生み出され、その法に「権威を認めて従おうとする気持ち」に頼って効力が生み出されているものである。そのため、人々が法に対して抱く「権威と認めて従う気持ち」を損なわせたり、人々の抱く法への信頼関係を壊してしまうような行為は慎まなければ、法秩序が成り立たない事態を招いてしまうのである。



 憲法学者「小林節」の憲法審査会での発言を読み解き、法の効力の起源について考える。


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 既に憲政の現実の中におられる先生方はお気づきと思いますけれども、憲法というのは、六法全書の中で唯一最高権力を縛る位置にあるものですから、最高権力の上に置かれるものだから、ありがたくも最高法という名前で神棚に載っちゃうんですね。でも、逆に言えば、最高法である以上、後ろ盾は何にもないんですよね。

 例えば、私が民法とか刑法に反することをして逃げ回っていたら、最終的には、日本国憲法が機能している限り、裁判所と法務省でけりをつけられてしまうわけですよね。ですから、民法とか刑法などは憲法がきちんと機能している限り機能できるんですけれども、憲法というのは、最高権力を管理しなければならないから最高法の位置に上げられているということは、後ろ盾が一つもない。よく考えたら、ただの紙切れになってしまうんですね。ですから、権力者が開き直ったとき、ではどうするかという問題に常に直面するわけであります。
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参考人 小林節(慶應義塾大学名誉教授)(弁護士) 第189回国会 憲法審査会 第3号 平成27年6月4日



<理解の補強>


立憲主義へのちょっとした疑問:憲法は「国家権力を縛る」ためにあるのか? 2016-11-03
【対談】 國分功一郎×木村草太 【哲学と憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(1)】――憲法制定権力とは何か? 2014年11月10日

憲法53条に基づき臨時国会の召集を「速やかに」決定するよう求めます
臨時国会の召集義務に「応じない」内閣 憲法違反では? 2017/7/1

法の効力と天皇の権威

 
 憲法制定権力の意志との信頼関係を保つことは、それが憲法上の文字の中からしか読み取ることができないことから、なかなか難しいものがある。法の原理を詳しく分析していない者には、憲法制定権力の意志を十分に理解することができないからである。

 そこで、憲法制定権力の意志を十分に理解できない者に対しても、法に対して「権威を認めて従う気持ち」を抱いてもらうことができるように、天皇制を設けていると考えられる。これは、法という文字の羅列でしかなく、人々の頭の中で構成される意味の集合体でしかないものが、「確かに存在するのだ」と公示する役割である。人々に対して分かりやすい形で表現することを目的とした制度である。


 天皇制を廃止する主張も存在する。ただ、憲法秩序の中に誠実さや善意の極みとしての象徴的な存在を備えておくことは、人々の人権保障の質を保つためにも有効に作用することがある。それは、
「憲法制定権力者の意志の観念」との信頼関係を保とうとせず、人々が法に対して感じている「権威を認めて従う気持ち」を破壊するような法運用を行う『慎みなき権力者』が現れた際に、法の秩序そのものの効力を一定程度守る機能である。


 現実の「政治の実力」に対して、人々はなかなか逆らうことができない。このような中で、政治が法を無視し始めた際に、人々は法ではなく、「政治の実力」に権威を認めて従ってしまうことになりやすい。なぜならば、法とは文字の羅列や意味の集合体でしかないものであり、それ自体が圧倒的な支持を得て人々が自ずと従おうとすることによってしか効力が生まれないものだからである。法の規範力とは、法という合意を保とうとする人々の意欲が薄れてしまったならば失われてしまう性質のものだからである。
これでは政治によって法が無視される事態が横行し、人々の人権が損なわれる事態に陥ってしまう。


 しかし、法を象徴する存在は、このような政治権力が法を軽視する状況下で、「政治の実力に権威があるのではなく、法に権威があるのだ。」という認識を人々に思い起こさせるものとして機能する。「
政治の実力」ではなく、「法」に対して抱く「権威を認めて従う気持ち」という認識を回復させるのである。これは、法秩序そのものの効力を守り、法の規範力を向上させ、人々の人権保障の質を保つことに繋がるために有効な機能である。


 天皇は「国政に関する権能を有しない(4条)」とはされている。しかし、法秩序そのものの効力を保つことに対する影響力に関しては、相当の存在感があると思われる。
 




 日本国憲法での「権威」と「権力」の分離について、イギリスの例を参考とする。

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バジョット(Bagehot, W.)は、『イギリス憲政論』(1867)の中でイギリスの国家体制を分析する際、憲法尊厳的部分機能的部分とを区別した。
前者は、国民の崇敬と信従を喚起し、維持する部分であり、後者が実際の統治に携わる
バジョットによれば、当時のイギリスの国家制度のうち王室や貴族院は前者であり、庶民院や内閣は後者にあたる(バジョット [1970] 第1章)。
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◇1.2.7  憲法の尊厳的部分と機能的部分 (下線・太字は筆者)



 下記は、「天皇制」、前文の「平和主義」、「戦争の放棄」、「地方自治」を除いた場合の憲法の最小構成要素の体系である。「天皇」という日本の象徴が失われると、かなり寂しい印象となるのではないだろうか。



 あまり、技術的な法学を語る者が言うことではないのかもしれないが、憲法それ自身の威厳と言うのか、権威性というのか、魅力というのか、引き締まるものというのか、そういうものがなくなってしまうようにも思われる。アイデンティティを示す手がかりが存在せず、個性のない国となってしまうのである。

 日本国内に法の秩序が存在することを象徴するものが失われてしまうと、人々は憲法や法秩序自体の存在の確からしさを感じ取ることができず、結果として法に対する「権威を認めて従う気持ち」が弱まってしまうことから、法の秩序の効力も損なわれてしまうと考えられるのである。

 もちろん、「君主制」を持たない国もある。その場合、それに代わって「大統領(行政府の長)」が国の象徴的存在となり、ファーストレディなどが皇室に代わる役割を担うようである。例えば、アメリカ合衆国がそうである。


 ただ、やはり権力分立制により分権された中でも、政治性を帯びた権力機関によって法秩序や国家の存在が象徴されてしまうことは、多数派支配という制度としての「力」の側面が露骨に出てしまうことが考えられる。すると、少数派にとって、国家そのものに対する魅力が著しく下がってしまうことから、自ずと法に従って行動しようとする意欲が失せることに繋がってしまうと考えられる。すると、結果として法の効力が維持されず、法秩序の実効性や安定性が弱まってしまうのである。


 このことから、政治性を帯びた存在が国家を象徴することは、「法の支配」よりも「政治の支配」を優先させるような認識を人々に与えてしまい、人権保障のための法の機能を阻害してしまいかねない点で妥当とは言いがたい。


 これを防ぐため、国政と分離した形で「法の正当性の権威を司る象徴」が存在することには、政治が「法」を無視するようになった際に、人々に対して「政治的な実力」に正当性や権威の源があるわけではなく、「人権概念」を基軸とした立憲主義や、「国民からの信託」という民主主義の制度を形づくっている「法」そのものに正当性の権威があることを思い起こさせるためにも意義があると考えられる。「政治の支配」が「法の支配」を上回ることがないように、歯止めをかける役割となる一種の「憲法保障」としての機能を有するのである。


 また、政治からは切り離された存在として、道徳的・倫理的な共生性の意志を思い起こさせる象徴天皇制を用意することで、多数派支配からはどうしてもこぼれ落ちてしまう弱者に対するきめ細かい心配りをすることが可能となり、その者たちにとっても国家という共同体に対して抱く魅力を保つ可能性が高まると考えられる。その魅力が、憲法が生み出す法秩序の効力の確からしさ、法秩序の実効性や安定性を維持することにもつながると思われるのである。

 これは、威厳や権威性をどこに定めるかという、国民の精神的な拠り所となるもののポジションの問題である。機械的なシステムとしての法ではなく、法それ自体の実効性を高めるために必要な魅力づくりである。この意図が、法の効力それ自体を普及させ、人権保障が実現される社会をつくり出すことができるかどうかに関わっている部分も存在しているのである。


 国政と切り離された形で法の正当性を象徴する存在を備えておくことには、人々が、法に対して「権威を認めて従う気持ち」を抱くよう意図し、法の実効性を保ち、人権保障が実現されていく機能の生命力を保つためにも、意味があると考えられる。



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〔天皇の地位と主権在民〕
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

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 「日本国」とは、つまり、この憲法によって構成される国家であるから、「日本国の象徴」というものは憲法という法を象徴する存在でもあるわけである。


 「日本国民」とは、つまり、この憲法によって示される国民であるから、「日本国民統合の象徴」とは、憲法秩序を中心として繋がりを持った国民を象徴する存在なのである。

 天皇は、「法(国家)」と「国民」を結びつける役割を担っているのである。


<理解の補強>


【動画】【NHKラジオ】木村草太 「天皇のお言葉は危険物である、天皇が政党に投票呼びかけ特定秘密保護法や安保法制に述べたら大混乱」 2016/10/21

【動画】石川健治「天皇と主権 信仰と規範のあいだ」 2017/04/29

(15:27より国家象徴について)

【動画】【竹田恒泰】天皇と憲法!象徴と知っておくべき最低限の知識! 2018年1月

天皇って人権がなくてヤバくないですか? 知ってるようで知らない「憲法」 高橋源一郎✕長谷部恭男「憲法対談」#2  2018/8/26

「日本国民」とは誰か


 憲法中では、「日本国民」の文字が8回登場する。前文で3回、条文で5回である。

 

 この「日本国民」の文言の意味には、『憲法制定権力』と『現在及び将来の国民』の二つが存在していると考えられる。文言が同じだからと言って、その意味がすべて同じであるとは限らないため注意を要する。一つずつ確認してみよう。

【前文】

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 日本国民(憲法制定権力)は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは(憲法制定権力)、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する


 日本国民(憲法制定権力)は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われら(憲法制定権力)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われら(憲法制定権力)は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する


 われら(憲法制定権力)は、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる


 日本国民(憲法制定権力)は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
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 「決意し」、「宣言し」、「確定(し)」、「排除(し)」、さらに「決意(し)」、「思(い)」、「確認(し)」、「信(じ)」、「誓ふ」のは、日本国民の中でも『憲法制定権力』である。


 この『憲法制定権力』の意志の観念を、『現在及び将来の国民』が権威を認めて従うことで、法に効力が生まれ、社会の中で通用する実力となっているのである。


 この前文の「日本国民」は『憲法制定権力』であり、正確には我々『現在及び将来の国民』ではない。しかし、「古典的認識の価値絶対主義」から「実存主義的な価値相対主義」の認知に至った者は、自らと他者の自由や権利を守るために、「『人権概念の存在と価値と正当性』を人々の認識の中に保ち続ける」というこれらの決意に共感し、この意志を引き継ぎ、『憲法制定権力』に成り代わって自らの決意とすることが多いと考えられる。


 もしその意志が続いていないとしたならば、既にこの憲法は人々に支持されず、効力を有さず、社会の中で通用していないはずだからである。(実際には、多くの人々は法の原理をそこまで深くは理解せず、何となく従っているのだと思われる。ただ、その人々が何となく従える前提となっているものは、法原理がここまでしっかりと綿密につくり込まれていることを一部の理解者〔専門家やマニア〕が理解し、そこに権威を認めて自ずと従う秩序が形成されていることに対する信頼感によるものであると思われる。)


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   第1章 天皇

〔天皇の地位と主権在民〕
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民(現在及び将来の国民)統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民(憲法制定権力)の総意に基く。


   第2章 戦争の放棄

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民(憲法制定権力)は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


   第3章 国民の権利及び義務

〔国民たる要件〕
第10条 日本国民(現在及び将来の国民)たる要件は、法律でこれを定める。


   第10章 最高法規

〔基本的人権の由来特質〕
第97条 この憲法が日本国民(現在及び将来の国民)に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
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 このように「日本国民」の文言に二つの意味が含まれていることは、憲法制定権力者は、実は非常に身勝手に革命的意志を持って「人権」という概念の存在を"あるかのように"見せかけて憲法を確定したのであるが、その際に、これらが憲法制定権力者の身勝手な「前提創造」であることを隠蔽し、あたかもすべての「日本国民」がそう決意し、国民主権によって憲法が創造されたかのように見せかける建前としての側面を持っている。


 この側面は、憲法制定権力が、自ら生み出した法に効力を持たせるため、この憲法には権威がある」と多くの人々を納得させるためにつくられたトリックなのである。


 法秩序に効力を持たせるためには、「しっかりと納得して従っている人」だけでなく、「何となく従っている人」の存在も必要である。そうでないと、人々の意識の中に法の効力が広まらず、社会の中で通用する実力として普及しないからである。


 しかし、すべての人がそこまでしっかりと深く理解し、納得することは不可能である。そのため、「何となく従う人」を、「何となく納得させる」ために、『敢えて触れない』、『詳しく書かない』、『もともとあるかのような前提をつくってしまっている』などの意図して隠された真実が存在しているのである。


 憲法の真髄を知るためには、このトリックに惑わされずに、その隠された意図や憲法制定権力の真意をしっかりと読み解くことが大切である。


 97条、11条、12条の条文にも『憲法制定権力』と『現在及び将来の国民』を補って読み解いてみる。

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〔基本的人権の由来特質〕

第97条 この憲法が日本国民(現在及び将来の国民)に保障する基本的人権は、人類(先人)の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として(先人や憲法制定権力より)信託されたものである。

 

〔基本的人権〕

第11条 国民(現在及び将来の国民)は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民(現在及び将来の国民)に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民(憲法制定権力より)与へられる。

 

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕

第12条 この憲法が国民(現在及び将来の国民)に保障する自由及び権利は、国民(現在及び将来の国民)の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民(現在及び将来の国民)は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

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 間違えてはいけないのは、96条の「国民」は憲法改正権力となる『現在の国民』である。

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  第9章 改正

〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民(現在の国民)に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民(憲法改正権力となった現在の国民)の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
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 また、この『現在の国民』には、法律上は国民投票に参加する権利を持たない者は含まれていないものである。


 このように、憲法上の規定によって「日本国民」や「国民」の言葉の意味や対象範囲はいろいろ変わるものである。注意して読み解きたい。

国民主権という建前


 人の持つとされる「人権」という概念は、たとえ国民主権の多数決原理を行使した決定であっても、決して奪うことのできない概念として創造されている。


 正確には、実存主義的な価値相対主義者がそういう前提をつくって、人々に普及させたということである。この趣旨は、97条の「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という文言に表れている。


 もちろん、実存主義的な価値相対主義の認識に至った者は、今なお、その前提を維持し続けている。これは、12条の「不断の努力によつて」「保持しなければならない。」という文言に表れている。


 しかし、その人権概念の本質を理解する者は、人類の中でも少数派である。


 そこで、憲法の正当性の根源が実は少数の法原理の根本問題の理解者によってつくられていることを知らない大多数の者を納得させ、社会で通用する法の効力をつくり出すための手段として、「日本国民」という文言を用い、あたかも「『君たち自身』が主役であり、憲法の正当性は『君たち自身』の主権によって成り立っているものである」との国民主権原理の権威性の建前を強調して見せかけることにしている側面があると考えられる。


 なぜならば、法とは人々の意識にしか存在しないものであり、本来的には人々が権威を認めて自ずと従うことによってしか、社会の中で通用する実力とはなりえないものだからである。


 「現在及び将来の国民」は、実は、「憲法制定権力者」が身勝手に発した革命的意志に拘束されて法秩序の中に組み込まれた存在である。しかし、前文で「日本国民」という言葉を使うことで、「現在及び将来の国民」に、あたかも自らがそれを望み、自らの意思が正当性の根拠であり、国民主権を通して憲法が成り立っているかのように認識させることで、その憲法に権威を認めて従う気持ちを抱かせようとしているのである。つまり、前文の「日本国民」という言葉には、法に効力を持たせるための方便(都合の良い言葉)としての役割があるのである。


 「人権概念が存在し、価値と正当性がある」という認識を人々の意識の中に生み出すことでしか法秩序の効力は成り立たないことを知っている『憲法制定権力(狭義:少数の人権の根本認識の理解者)』が、そもそも存在しないはずの人権概念をあるかのように見せかけて憲法を制定したのであるが、「日本国民」の文言は、そのことを理解していない大多数の国民に、「国民主権」の権威性(正当性)を意識させておくことで、その憲法に権威があると納得させ、自ずと従おうとする気持ちを簡単に抱かせ、法に効力を生み出すための建前なのである。


 法という秩序自体の実効性を保つという大きな目的のためには、このようなトリックも、多少は仕方のない部分である。


 実は、このような仕掛けは他にも存在している。例えば、憲法中に国政に関する権能を有しない「天皇制」を含ませておくことは、法の実効性を高めるための魅力づくりの一つである。法として書かれた文字の羅列だけでは、その存在を確からしく感じることのできない者に対して、日本国(つまり日本国憲法)を象徴する存在を用意することで分かりやすく示し、人々に権威を認めて従おうとする気持ちを抱かせることで、法の効力を生み出す仕組みなのである。


 同じように、「日本国民」の文言についても、「国民主権」を強調することによって人々からの支持を集めようと意図する仕掛けの一つであり、法の実効性を高めるための魅力づくりの一つと解することが妥当と考えられる。たとえそれが、多少の錯覚を有していたとしても、人権保障という最大の目的のためには仕方がないと考えられる。

 

ブランドストーリーの真意


 前文に記された憲法制定権力としての「日本国民」というのは、ある意味においてはフィクションに近いものがある。


 このフィクションの意図を明らかにするため、例を挙げる。

 例えば、天皇を代々遡っていけば、初期の天皇は通常の人類では考えられないような内容の歴史を持っている。それを実在した人物の「真実の歴史」であるとは、到底考えることができない。これは、伝説や神話としてつくり出された物語と考えることが妥当である。


 つまり、"そういうことにしておく"ことで成り立つ、今ある天皇という存在が、他と区別された何者かであると権威づけるための「ブランドストーリー」としての意味を持つものである。


 このような「ブランドストーリー」は、企業の製品や、宗教の神話などにも見ることができる。


 それらの物語は、本当に存在した実話のこともある。しかし、実話ではなく、聞き手のレベルに合わせた物事の起こりや経緯を分かりやすく示すためにつくられたフィクションとしての側面を持っていることも多い。


 そのため、それらの権威の確からしさを正確に把握するためには、それらのブランドストーリーが暗示するブランドストーリーの作り手の真意を探る必要がある。



 この意味において、前文はこの憲法の権威性を伝えようとする憲法制定権力の意志の観念を示したブランドストーリーとしての側面が強いと考えられる。


 そのため、「日本国民は、」や「われらは、」の文言に含まれる「日本国民」や「われら」というのは、『憲法制定権力』であると見なすのが妥当である。


 しかし、「日本国民」の文言に含まれる『憲法制定権力』となっている者は、主権を持つとされる「憲法制定時の全日本国民」であると考えることは、現実的には非常に困難である。


 なぜならば、憲法の保障しようとする「人権」という概念自体の存在根拠は、哲学や心理学、宗教学や法哲学の入り乱れる中に誕生した、少数の理解者によって維持されている極めて難しい概念であり、これらをすべて理解している者は、「憲法制定時の日本国民」の中でも極めて少数であると考えることが妥当だからである。


 そう考えると、実際には、この憲法の『憲法制定権力』となっている者は、「人権概念の本質を理解している少数の法原理の理解者」であり、前文の内容もその者の意志の観念を示したものであると考えることが妥当となるのである。すると、この「日本国民」も、実は「人権概念の本質を理解している少数の法原理の理解者」のことであると導かれるのである。



 また、前文の「日本国民」が「憲法制定時の全日本国民」と考えることが難しいことは、10条に「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と定められていることからも裏付けられる。この10条は、「日本国民たる要件」は、この憲法の効力によって初めて正当付けられる「法律」によって定めるというものである。つまり、憲法が確定しなければ、「日本国民」という枠組みさえも、法的に効力を持った概念(用語)としては未だ存在しないはずなのである。歴史的経緯としては、この日本国憲法が定められる以前には大日本帝国の「臣民」は存在しても、「日本国民」は今だ存在しないからである。もし、前文の「日本国民」を「憲法制定時の全日本国民」と読み解くならば、この法的に未だ存在しないはずの「日本国民」が、「この憲法を確定する。(前文一段落)」としていることに矛盾が生まれてしまうのである。


 加えて、そもそも人に「人権」がなければ、その人に「主権(最高決定権)」を付与することもできないわけである。よって、「人権」の性質を実定法として定義するものが憲法なのであるが、その未だ成立していない憲法中の「人権」を根拠とした「主権」の概念によってその憲法を確定(制定)するとするならば、それも矛盾することとなる。



 これについて、実定法以前の人権(自然権)の概念によって、人々に「主権(最高決定権)」が付与されるとするのであれば、説明はつく。
しかし、それらの自然権という前提をつくった者こそ、少数の法原理の理解者のことである。この前提をつくった者は、「憲法制定時の全日本国民」という意味の憲法制定権力(広義)の中に含まれていても、「憲法制定時の全日本国民」というわけではない。


 また、「実定法以前に『日本国民』という枠組みがある」という前提をつくった者がいるとするのであれば説明はつく。その「実定法以前に『日本国民』という枠組みがある」という前提をつくった者によって「全日本国民」に「主権(最高決定権)」が付与され、それらの者が憲法制定権力(広義)となって憲法を確定(制定)したという考え方である。しかし、この場合でも、その実定法以前に「日本国民」という枠組みを設定した者こそ、少数の法原理の理解者ということになる。また、人々に人権がなければそもそも「主権(最高決定権)」を付与することができないことから、「憲法という実定法が制定される以前に人は自然権を有している」という前提が確立している必要がある。ここでもやはり、その前提を設定した者こそが、少数の法原理の理解者なのである。つまり、この場合での「主権(最高決定権)」を持つとされる「憲法制定時の全日本国民」を『憲法制定権力』と考えるとしても、その中には、「主権者(日本国民)」を定義する『憲法制定権力を創造する者』とでも言う、根源的な法の創造者が存在するということになるのである。この者こそが、真の『憲法制定権力』というのではないかという疑問である。


 また、そもそも人権概念とは、国民主権の多数決原理によっても奪うことのできないものとしているものである。その性質上、たとえ「憲法制定時の全日本国民」の「主権(最高決定権)」をもってする多数決原理によっても人権の性質は奪ったり、適用しなかったりすることのできない普遍性を持つとされているはずである。このことから、「憲法制定時の全日本国民」の国民主権原理の多数決というような『憲法制定権力』であっても、人権保障を目的とする憲法原理の基盤となっている価値観(価値相対主義の基盤)の正当性を基礎づけるものとはならないのである。「憲法制定時の全日本国民」の国民主権の多数決原理によって正当性を基礎づけることが可能である部分とは、せいぜい、立法府の「一院制」「二院制」「三院制」の選択、行政府の「大統領制」「議院内閣制」の選択、司法府の「一審制」「二審制」「三審制」の選択、各機関の権限に関する細目ぐらいである。多数決原理としての「国民主権」を行使することで憲法を制定する『憲法制定権力(広義)』を想定したとしても、人権保障を目的とする憲法原理の基盤となっている価値観(価値相対主義の基盤)自体は、この原理を理解する「少数の法原理の理解者」にしか創造しえないのである。

 

 


 こうしたことからも、人権保障のための憲法の存立根拠を、「憲法制定時の全日本国民」の「主権(最高決定権)」であると考えることには限界があるのである。


 これらのことから、前文の「日本国民」の意味は、一応の国民主権原理としての建前を通して憲法が確定したという「ブランドストーリー」によって、人々を納得させ、この憲法に効力を持たせるための方便であると考えることが適切と考えられるのである。



フィクションで欺く


 憲法改正の議論において、「日本国民自身が、国民投票によって直接主権を行使し、この憲法を確定したのだ」というブランドストーリーを重視することで、その憲法の正当性をより強く確定させようとする主張が見られる。確かに、憲法に含まれる「人権」という認識それ自体が、実は少数の法原理の理解者によって生み出されていることを示唆する憲法中の文言を読み解けない者に対して、憲法の権威性のすべてが「国民主権」によるものであるかのように普及させるためには有効な手段とも思える。その面では、「国民主権こそが正当性のすべてだ」と考える一定層の人々の法に対して抱く権威性の観念が向上する可能性があるため、その一部の層の人々の間では、現在よりも法の効力が強くなる可能性が考えられる。


 しかし、その実質は、憲法の権威性を人々に普及するためにつくられた「ブランドストーリー」としてのフィクション(建前)を、現在よりもクリアに示す意味しか持たないものである。なぜならば、「人権概念と法の効力の権威性は、実際には少数の法原理の理解者の意志の観念によってつくられているものである」という憲法原理が存立している本質的な要素とは違うものだからである。


 したがって、ある意味においては人権概念と法の効力の権威性を詳しく理解しない人々を、より強力で確からしく見える、クリアにつくられた『フィクション(建前)』で欺く側面を有するのである。


 人権概念は国民主権の多数決原理によっても奪うことのできないものであるにも関わらず、「憲法は国民主権によってつくられた」という正当性の在り方の一部分を殊更に強調するための憲法改正を実現しようとすることは、憲法原理の根本に関わる「憲法改正の限界」を超えようとする試みにもつながるものである。


 これは、「国民主権の多数決原理の正当性によっては、少数派に対する人権の剥奪も可能である」という主張に根拠を与える極めて危険な考え方なのである。


 また、この主張は「日本国民」という文言に含まれた『憲法制定権力』と『現在及び将来の国民』、憲法改正権を行使する憲法改正権力としての『現在の国民』の意味の違いを区別しない意味でも、混乱したものである。(また、この『憲法制定権力』を「憲法制定時の全日本国民の主権」と見るのか、「少数の法原理の理解者」と見るかによっても意味が異なる。)


 憲法上の「主権」の概念が『最高独立性』『統治権』『最高決定権(国民主権)』の3種類存在していることはよく知られているが、これと同じように、「日本国民」の概念に含まれる意味の違いも押さえて考えるべきである。

 また、前文の「日本国民」の文言が『憲法制定権力』を意味する側面が強いとしても、憲法原理の本質である人権概念は、憲法制定権力の中でも極めて少数の理解者によって、その存在と価値と正当性が生み出されているものである。

 このような、前文の「日本国民」という言葉に含まれた、聞き手の理解に合わせたフィクション(建前)や方便を絶対視することなく、その本質を読み解く必要があるのである。

「国民」の条文まとめ


 憲法中から「日本国民」と「国民」をすべて抜き出して意味をまとめてみよう。


 一応、『憲法制定権力』、『現在及び将来の国民』、『現在の国民』の三種類を用いているが、正確にはこれらの違いが明確に区別できないものも存在している。


 また、『憲法制定権力』は、憲法制定と同時に、『現在の国民』の中に吸収されると考えられる。

 

憲法制定前 国民(憲法制定権力)  
 ↓ ↓  ↓ (吸収)↓   
憲法制定後 国民(現在の国民) (将来の国民)
国民(現在及び将来の国民)

 

 加えて、前文には「諸国民」、「全世界の国民」の文言があり、これは人類的な意味)の国民として、上記の国民とは区別した。

【前文】

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 日本国民(憲法制定権力)は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われら(憲法制定権力)(現在の国民)とわれら(憲法制定権力)(現在の国民)の子孫将来の国民のために、国民人類的な意味)との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民(憲法制定権力)(現在及び将来の国民)に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民(憲法制定権力)(現在の国民)の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民(憲法制定権力)(現在の国民)に由来し、その権力は国民(現在の国民)の代表者がこれを行使し、その福利は国民(現在及び将来の国民)がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われら(憲法制定権力)は、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民(憲法制定権力)は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する国民人類的な意味)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われら(憲法制定権力)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われら(憲法制定権力)は、全世界の国民人類的な意味)が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われら(憲法制定権力)は、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民(憲法制定権力)は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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   第1章 天皇

〔天皇の地位と主権在民〕
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民(現在及び将来の国民)統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民(憲法制定権力)の総意に基く。


〔天皇の国事行為〕
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、日本国民(現在及び将来の国民)のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

   第2章 戦争の放棄

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民(憲法制定権力)は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


   第3章 国民の権利及び義務

〔国民たる要件〕
第10条 日本国民(現在及び将来の国民)たる要件は、法律でこれを定める。

 

〔基本的人権〕

第11条 国民(現在及び将来の国民)は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民(現在及び将来の国民)に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕

第12条 この憲法が国民(現在及び将来の国民)に保障する自由及び権利は、国民(現在及び将来の国民)の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民(現在及び将来の国民)は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民(現在及び将来の国民)は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民(現在の国民)の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕
第14条 すべて国民(現在及び将来の国民)は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

〔公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障〕
第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民(現在の国民)固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。


〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条 すべて国民(現在の国民)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
第26条 すべて国民(現在の国民)は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民(現在の国民)は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕
第27条 すべて国民(現在の国民)は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。


〔納税の義務〕
第30条 国民(現在の国民)は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

   第4章 国会


〔両議院の組織〕
第43条 両議院は、全国民(現在の国民)を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。


   第6章 司法

〔最高裁判所の構成及び裁判官任命の国民審査〕
第79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民(現在の国民)の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
5 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

〔対審及び判決の公開〕
第82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民(現在及び将来の国民)の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

   第7章 財政

〔財政状況の報告〕
第91条 内閣は、国会及び国民(現在の国民)に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。


  第9章 改正

〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民(現在の国民)に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民(現在の国民)投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民(憲法改正権力となった現在の国民)の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


   第10章 最高法規

〔基本的人権の由来特質〕
第97条 この憲法が日本国民(現在及び将来の国民)に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
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<理解の補強>

グローバル化世界と憲法制定権力(続)

憲法制定権力を制限するもの


 前文に示されている「日本国民」とは、『憲法制定権力』である。しかし、この『憲法制定権力』の主権によっても、人の持つとされる人権概念は剥奪できる性質のものではない。なぜならば、人権概念は「侵すことのできない永久の権利」という、憲法以前に存在するとしている普遍性の建前を持っているからである。


 もし人権の存在が憲法の条文それ自体が根拠となるとすると、憲法改正の多数決原理によって人権剥奪が可能となってしまい、人権の性質に反した結果を生んでしまう。これは、人権保障が達成されないために妥当でない。


 このことから、この前文に示された「日本国民」が『憲法制定権力(広義)』を指すとしても、全能の制定権を有しているわけではない。この「日本国民(憲法制定権力)」は、せいぜい、立法権の「一院制」「二院制」、行政権の「議院内閣制」「大統領制」、司法権の「一審制」「三審制」、地方自治制の権力分立を行うかなど、その程度の選択権(制定権)しか有していないと考えられる。



 憲法学者「木村草太」が解説する、憲法学者「長谷部恭男」の表現を紹介する。

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 少し前なんですが、公法学会の総会報告の冒頭、一番偉い人がやる報告で長谷部先生が何を話したかというと、「憲法制定権力という概念は無意味であって、国民主権とか国民の憲法制定権力という概念は有害なので、捨てましょう」と言いました。
 これは非常に恐ろしいことです。これは、まさに哲学的な論点なのであとで議論させていただこうと思っています。
 予めポイントだけ指摘しておくと、国民主権とか国民の憲法制定権力という概念を使うと、国民が憲法を制定する権力があるんだ、だから今ある憲法を国民が変えてもいいし、あるいは、国民が新しい憲法を制定してもいいというタイプの議論につながっていくわけです。
 けれども、では、そこで言う「国民」を定義しているのは、誰かという問題があるわけです。そこには、果たして在日外国人が入っているのかいないのか、それによって全然国民主権の内容が違ってきますね。あるいは「国民」というけれども、実は国民の範囲が東京都民に限定されていたとかという可能性もあったりするわけです。
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【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(4)】――二つの憲法の対立 2014年10月31日 (下線・太字は筆者)


 憲法制定権力が選択可能な部分と、憲法制定権力(広義)であっても選択が不可能な部分を明らかにしていこう。具体的にリストアップしていくことで、憲法制定権力や憲法改正権力とは何なのかが明らかになってくると思われる。



広義の憲法制定権力 ⇒ 「憲法は国民主権によって制定された」と考える場合の憲法を制定した国民である。「憲法改正の限界」の議論があるように、国民主権の憲法制定権力においても近代立憲主義の普遍的価値とされる建前を採用しないことは不可能である。あまり議論されないが、現在の人類の知の到達点として、近代立憲主義の法原理に反するような憲法は、「憲法制定の限界」とでも言う価値的限界に抵触するため、制定不能であると考えられる。


狭義の憲法制定権力 ⇒ 実存主義的な価値相対主義の認識から人権の存在と価値と正当性それ自体をつくることで近代立憲主義という価値観自体をつくり上げた者である。この者は、「憲法は国民主権によって制定された」と考える場合であっても、その広義の憲法制定権力の中にも含まれており、多数決原理によっても奪うことのできない普遍的価値とされる建前を創造した少数の法原理の理解者である。


憲法改正権力 ⇒ 国民主権の行使によって憲法を改正する国民である。しかし、多数決原理によっても奪うことのできない普遍的価値とされる建前を改正することは、近代立憲主義という価値観それ自体を壊してしまうことに繋がる。このような改正は、憲法が憲法でなくなってしまうために「憲法改正の限界」の価値的限界に抵触するため不可能と考えられる。


〇 憲法制定権力が選択できると思われるもの

・天皇制を採用するかどうか

・平和主義を採用するかどうか

・立法権の「一院制」「二院制」「三院制」など
・行政権の「議院内閣制」「大統領制」

・司法権の「一審制」「二審制」「三審制」など

・議会の長が行政の長となる制度にするか

・地方自治という垂直的な権力分立構造を採用するか

・議員の任期など、運用上の細かい事項

・予算や条約などの処理形式など細かい事項

・三権分立のバランスに関わる技術的事項

・改正規定の強度

 

〇 憲法制定権力(広義)でも選択できないと思われるもの(これは少数の法原理の理解者によってつくられる)

・近代立憲主義
・人権の普遍的価値の建前

・価値相対主義の人権観

・人権保障のために統治機構が存在するという関係性

・国民主権
・言語を用いていること

・権利章典と統治機構が存在すること

・憲法の特質の「自由の基礎法」「制限規範」「最高法規」



〇 なぜ憲法制定権力(広義)でも選択できない部分があるのか
・学術的な人類の知の到達点としての理論が存在し、敢えて知の後退による理論を採用することはできないから

・憲法制定権力(広義)と言えども、人と人との共生性を成り立たたせようとする意志に背くことは、社会的動物として秩序をつくろうとする人間の持つ道徳的・倫理的な感覚に馴染まず、法の観念が成り立ちえないから

 

〇 憲法改正権力が選択できると思われるもの

・立法権の「一院制」「二院制」「三院制」など
・行政権の「議院内閣制」「大統領制」

・司法権の「一審制」「二審制」「三審制」など

・議会の長が行政の長となる制度にするか

・地方自治という垂直的な権力分立構造を採用するか

・議員の任期など、運用上の細かい事項

・予算や条約などの処理形式など細かい事項

・三権分立のバランスに関わる技術的事項


〇 憲法改正権力(広義)では選択できないと思われるもの

・「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」の三大原則(改正不能と思われる)

・前文(改正できないのかもしれない)

・天皇制(憲法改正の公布には天皇が必要であることなどが理由)

・平和主義(戦争を永久に放棄したと思われる部分があること等が理由)

・近代立憲主義(学問上の人類の知の到達点であり、知の後退は選択できない)

・人権の普遍的価値の建前(上記に同じ)

・改正規定の改正(改正限界説あり)



 国民主権を重視した憲法制定権力(広義)であっても、その「国民主権で憲法を制定しよう」という意志を持った人々(少数の法原理の理解者)が「国民」を定義し、その国民に「主権」を与えない限りは、国民主権による憲法制定などあり得ないわけである。

 そうなると、そもそも『憲法制定権力』による憲法制定行為は、国民主権による作用なのかという疑問も湧いてくる。一応、前文では、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とある。ただ、この文言だけでは、「国民主権」によって発生した憲法制定権力が憲法制定行為を行ったのか、憲法制定権力の憲法制定行為によって「国民主権」が確立したのか、はっきりしていない。「主権が国民に存することを宣言」するという前提に憲法を確定する正当性の基盤を置いているという意味なのか、憲法の中身が国民主権である旨を宣言している意味なのかはっきりしないからである。

 この前文で「宣言し」ているのは、憲法制定権力(広義・狭義は不明)である。この憲法制定権力は、一応「日本国民」とされている。ただ、この憲法が制定されるまでは日本国という国家は未だ存在しないはずである。そのため、「日本国民」というものも厳密には存在していない。10条でも「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」とあるように、憲法制定によって効力を有した法秩序の下で、日本国民の要件が決せられるとしている。


 となると、この「日本国民」とは、大日本帝国下にいた全臣民を指しているわけではなく、一部の憲法制定権力の予備軍が、勝手に「日本国民」を自称しており、その予備軍が憲法を制定する際に、「日本国民は、~~ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と宣言しただけであるように思えてくる。


 その後、10条の「日本国民たる要件」を法律で定め、「日本国民」が適用される対象となる人々の範囲を広げたという論理である。


 この場合、一部の「日本国民」を名乗る憲法制定権力が、憲法制定を行ったことによって、国民主権が誕生したと解することになる。これは、国民主権をもともと持っていることを前提とする「全日本国民」、あるいはその「全日本国民を代表する者」が、「日本国民」を名乗って憲法を制定したという考え方とは異なるものである。


 いや、もしかすると、その地域の人々を代表する何らかの秩序(選挙システムなど)が憲法制定以前に存在することを前提としており、その地域の人々は未だ主権を有していないが、それでもその人々を代表する者が既に「日本国民」を名乗っており、その者が「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」したことによって国民主権が発生したのかもしれない。



 しかし、どの説においても、憲法制定権力(広義)の行う多数決という形を正当性の根拠として、憲法の保障しようとする人権概念の正当性を根拠付けることはできない。


 なぜならば、憲法制定権力(広義)の多数決が憲法の保障しようとする人権概念を正当付けることができるというのであれば、憲法制定権力(広義)の多数決は万能であり、それ以後の国民は憲法制定権力(広義)の多数派の身勝手な制定行為によって法秩序の中に組み込まれ、憲法制定権力を「神」として信仰し続けるように強制されているとも言うことができるからである。これは、多様な価値観を保障しようとする近代立憲主義の基盤となる思想良心の自由という人権が制約されていることになり、憲法を打ち出して人権を保障しようとした本来の理念とは異なってしまうのである。


 この憲法制定権力(広義)の多数派によって憲法が制定され、正当性を有するという物語(フィクション)を信じ込まされるというそれ自体が、一つの価値観としての絶対性(宗教性)を帯びることとなり、多様な価値観を保障しようとするはずの近代立憲主義という性質に馴染まないからである。他の価値観を排除するように憲法制定権力(広義)の物語を正当化根拠として優越的価値を認めさせようとすることが、人権保障を目的とする近代立憲主義の本来の価値観と相いれないと考えられるのである。

 よって、憲法制定権力(広義)の多数決という形によっても、憲法の基盤となる価値である人権保障の仕組みの中核にある人権概念を正当化することはできない。その正当性の基盤は、少数の法原理の理解者(実存主義的な価値相対主義者)によって創造され、維持されているものなのである。

憲法制定権力と憲法改正権力を制限するもの

 

 憲法の生み出す法秩序は、人々に受け入れられ、その社会の中で通用する実力となっていることこそが、その効力の本質である。

 ということは、受け入れられて通用する実力として機能している以上は、その法がどんな内容であったとしても、そこに秩序は存在し、法の効力が成り立っているということとなる。


 そう考えるならば、「人権の普遍的価値の建前」を採用していない憲法や、「国民主権の民主主義」を採用していない憲法など、近代立憲主義でない法の秩序も存在し得たはずである。もちろん、以前の時代の法は、近代立憲主義とは異なったものであり、それを採用していなかった。


 しかし、他の可能性があるにも関わらず、現在において、近代立憲主義としての「人権の普遍的価値の建前」や「国民主権の民主主義」を採用し、それを逸脱する改正に対しては「憲法改正の限界を超える」とする学説は、一体どのような価値基準に基づく認識枠組みに裏付けられたものなのだろうか。その価値基準の正当性の観念は、確からしく証明することが可能なのだろうか。

 また、憲法の廃止を選択し、「無秩序」を選択することは可能であるのだろうか。もし「無秩序」を選択することを「改正の限界」と考えて不可能と判断するのであれば、なぜそれを正当性がないと判断できるのだろうか。


 ここには、憲法制定権力、憲法改正権力の両方を同様に制約する、何らかの価値観、価値基準が存在しているように思えてならない。その価値観、価値基準は、一体どのような形でその社会の中で正当化されているのだろうか。ここを明らかにする必要がある。



 そこには、「価値相対主義の優越性」の価値観が存在しているのではないだろうか。「人権の普遍的理念の建前」を否定し、「人権の不存在」を絶対的な価値観と考える者の思想を守るために、前提としてその者に「思想良心の自由」が保障される必要があり、そのための人権概念を正当化することは、優越的な価値を持つとするものである。


 ただ、その優越的な価値とする人権という価値観さえも相対的優位の中に現れるものに過ぎず、絶対的な価値観として人々に適用しようとすることは、その者の「人権概念を否定する自由」という人権を奪うためにするべきではない。相対的優位という絶対的な価値観である。

 ただ、この価値観は、自分自身の中の確信として抱かれるものではあるが、それを他者に押し付けたりすることは、その価値観の本質を失う行為となる。ただ、そうなると近代立憲主義とは、自身の中で相対的価値観の優越性を確信している者による恣意性が本来的に備わった秩序観ということとなる。


 となると、この相対的価値観の優越性の認識こそが、近代立憲主義の憲法の人権観の本質であり、「自然権」、「国民主権」、「民主主義」、「多数決原理」などは、絶対的な認識を持ちやすい者たちを欺くみせかけの正当性に過ぎないということとなる。


 我々は、憲法を目にし、その法の原理に従う時、そのような前提を理解して従っていると言えるだろうか。「自然権」「国民主権」「民主主義」「多数決原理」などを絶対的な正当性であると盲目的に信じてしまいやすい者たちは、欺かれたままで良いのだろうか。


 また、その者たちが「国民主権」や「多数決原理」を絶対視することによって引き起こされる憲法改正によって、相対的価値観の優位性を前提とする近代立憲主義の価値観が破壊されてしまう事態が起きた際には、その憲法は正当性を持っていると言えるのだろうか。

 この場合、恐らく一定のレベルでは社会的に通用する実力としての側面は失われず、慣習として機能し続けると思われる。しかし、やがて絶対的価値観による他の価値観を排除する思想によって、少数派の自由や安全を侵害する事態が引き起こされ、絶対的な価値観とする憲法観の不備が現れることとなると思われる。

 すると、また相対的な価値観の憲法観へと改正する機運が現れるかもしれないが、相当数の堪えがたい犠牲が出た後に初めて多数派が絶対的な価値観の不都合に気づき始めたことによるものとなることが考えられる。そうなると、その際に起きる相当数の堪えがたい犠牲を防ぐ力となりえない近代立憲主義の憲法のあり様は、それが限界なのかと問いたくなる。


 ただ、元に戻った相対的価値観をベースとした憲法によって人権が普及すると、それを絶対的な価値観であると信じてしまった多数派が、再び絶対的な価値観の憲法へと改正を行ってしまうことが考えられる。


 ここには、「自然法の人権観」と「法実証主義の人権観」の対立のような構図が浮かび上がってくる。

 ただ、最終的にはこのような永遠のサイクルを想定し、できるだけ相対主義の憲法観を維持しようとし続ける者の強い意志が、近代立憲主義を成り立たせる力の本質であると思われる。
 

前文と9条


 まず、9条の規定を確認する。

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    第2章 戦争の放棄

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 9条の文言は、立法過程で当初前文の中に置かれていた。後にそれを抜き出し、第二章「戦争の放棄」として規定を設けた経緯がある。9条の規定が「日本国民は、」と始まり、「放棄する。」「保持しない。」「認めない。」との決意の文言が含まれていることも、その性質が前文と極めて近いことが読み取れる。


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3 GHQ草案の起草と日本政府案の作成・公表

 (略)

 なお、試案および原案からは、第9条が、当初前文のなかに置かれ、次いで、第1条に移されていることが読みとれる。これは、平和主義の原則に世界の注目が集められることを望んだマッカーサーの意向を反映したものであった。しかし、後のGHQ草案では、天皇に敬意を表し、「天皇」の章が冒頭に置かれたため、条文番号は第8条となった(2月22日会見のGHQ側記録 )。

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日本国憲法の誕生 論点 戦争の放棄  国立国会図書館

[Original drafts of committee reports] 1

[Original drafts of committee reports] 2

帝国憲法改正案



 この9条の規定を、前文の中に当てはめてみる。太字で示したものが9条の文言である。(前項の目的を達するため、)の芦田修正はカッコで括った。


【前文】+  9条の文言

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する前項の目的を達するため、)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
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 「日本国民は、」という文言は、条文としては9条だけに見られるものであるため特異な印象があるが、前文に当てはめると前後の文とぴったりと重なることが分かるかと思う。

 また、9条の文の語尾は「放棄する。」「保持しない。」「認めない。」という文言となっており、一般的な法の禁止規定(規制規範)と比べて、特異な表現が見られる。これは、一般的な禁止規定に使われる「~してはならない。」などの、法によって禁止する趣旨の文言と異なり、9条の規定は、「放棄する。」「保持しない。」「認めない。」という風に自らが決意する趣旨の文言であることが原因である。


 これについて、前文の中でも「決意し」「宣言し」「排除する」「念願し」「自覚する」「信頼し」「決意し」「思ふ」「確認する」「信ずる」「誓う」のように、自らが決意や宣言を行うという『意志の観念』が表現されており、9条の規定と重なることが確認できる。


 9条の規定は、一般的な法の禁止規定と比べた時に違和感を感じることがあるが、もともと前文にあったものを条文化したことを理解すればその流れとしては納得できるかと思う。


 (立法当時の資料では、必ずしも「日本国民は、」の文言が使われ、「してはならない。」の文言が使われていないわけではない
。)



<理解の補強>

憲法前文の「平和主義」の意味 PDF

[1]裁判所の果たす役割 安保法制違憲国家賠償請求訴訟を題材に 2017年07月11日

9条と前文の改正


 9条を改正あるいは廃止する場合、それに伴って前文も改正する必要があると考えられる。前文から、「平和主義」の部分を取り除いて検討してみよう。


 下記は、「平和主義」の部分は基本的に白色で見えなくしたが、マウスでドラッグすると文字は出てくるようにしている。


 色の分類は、
政府見解を参考にしたものである。ただ、政府見解が「平和主義について示したもの」としている部分についても、「平和主義」についてだけ述べたものとは限らない部分が存在するように思われる。その部分は、灰色にしてうっすらと残してみた。「平和主義」を取りやめる際、これを削るかどうかは内容を吟味する必要がありそうである。

 

【前文】

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従圧迫と偏狭地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。
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> 『国民主権』及び間接民主制

> 『基本的人権の尊重』(自由・権利)

> 『平和主義』の立場に立つことを宣明したもの(上記では白色で見えなくしている)
> 我が国が国家の独善主義を排除し、「国際協調主義」の立場に立つことを宣明したもの

 「国際協調主義」と「平和主義」は、密接に結びついており、分離可能なのかも考える必要がありそうである。