人権ストーリー


 どうにか、人権の本質を分かりやすく伝えられないかと思い、筆者の能力の限りでストーリー風にしてみた。つまらないものです…。

「信じれば救われる?」


<あらすじ

今まであいつを信じて付いてきたけど、少しずつ不信感が募ってきたんだ。
あいつ、「俺たちには、『人権』っていう強力な味方が付いている」って言っていたけど、本当はそんなもの存在しないんじゃないかって。

あいつがそう言っているだけで、本当は僕たちはみんな、あいつに騙されているだけなんじゃないかって。


でも、ここまでずっとあいつを信じて付いてきたのに、今更「人権は存在しない」なんてことになってしまったら、ショックのあまり心が張り裂けそうだよ。
それに、もしそんなことが僕らの周りの人に知られてしまったら、みんなパニックになって残酷な力関係が横行する悲惨な社会に変わってしまうかもしれない。
「人権は、本当に存在するのか」なんて、今更あいつに聞けないよ。


それに、あいつに聞いても、きっとはぐらかすし。
「永久の権利だ」とか、「侵すことのできないものなんだ」とか、「すべての人が平等に持っている」とか、きっと今までと同じことを繰り返し言うだけなんだ。

「僕らが努力する限り、人権はそこにある。」とか言っているけど、それは、だます側にとっては都合のいい方便なんじゃないかって。


……。〇×%△◇!!


人権は、「ある」って言ったじゃない。
あれは全部、嘘だったの。

 

この、大嘘つき!



予告編

 

 ~ フレーズ ~

知らず知らずに守られていた。

君の決意がなければ、今の僕はない。


君が存在しないものをあると言い続けていたのは、私たちを守るための愛だったのかもしれない。

失われてはじめて気づくもの。

形ないものが、大切なもの。


日本国憲法が贈る

先人たちの熱い意志を伝える、感動のストーリー。
人類への愛が、自由を守る。




 (だんだん、ありふれたストーリーに見えてきました。)

 

ポスター

 

バージョン1:「虚構の権威は、愛なのか。」


バージョン2:「条文以前に、意志がある。」

バージョン3:「嫌われようとも、君を守る。」


バージョン4:「愛は、多数決では奪えない。」



 (だいぶキザですね。)

 



 

<予告編2>


あの憲法学界の巨匠が贈る

心理学界、哲学界、宗教学界を巻き込んだ衝撃の大事件を追ったドキュメンタリー

 

法の効力に隠された真実を知る者は、

一握りの者たちだけ


これからずっと、隠し続けること


人々の自由を守るため、固い決意を誓い合う


あの日、僕らの中では、

ないはずのものが生まれ、

新しい秩序が、始まっていた

 

 

<予告編3>

あの名探偵が挑む
国家最大のミステリー

憲法典に隠された暗号を読み解け


タイムリミットは

憲法審査会が開かれる時


映画

『名探偵 Existentialist』

「虚構の革命(レボリューション)」



「心のきれいな人だけに現れる」

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
A「いやー、やっぱり人権は凄いね。強力なパワーを持っている。」

B「えっ?人権の何が凄いんですか?」


A「えっ!お前、見てないのか。まさか、お前、人権が見えないのか!」


B「へっ?人権って、見えるとかそういう…」


A「人権は、心の汚い人には見えないんだよ。えっ、お前まさか、心の汚い人なのか。人権が見えないのか!?」


B「いっ、いや。そんな、まさか、おっ、俺にも、みっ、見えるよ。見えてる、見えてる…。ねぇ?」

A「おっ、お前、本当に見えているのか…。もし見えなかったら、苦しい苦しい義務が待ってるぞ。苦役と言ってもいい。聞いた話では、人類の大多数を敵に回すほどの試錬だそうだ。」

B「えっ、そうなんですか。怖いですね。よっ、よかった。おっ、俺には見えるからさ。うん。」

A「そうか、お前は良かったな。人権が見えない人は、幾多の試錬に立ち向かわなくてはならないんだ。それはもう、人権が存在しないほどの生き地獄を味わうらしいぞ。とにかく、不断の努力というきついきつい義務が課せられるんだ。しかも、それは一生続くらしい。いや、よかったよ、君は人権が見えるらしいから。」

B「あっ、はい。良かったです。世の中には、不幸な人がいるもんですね。自分は、ほんとに良かったです。」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 人権は、「ある」と信じている人の心の中では、「ある」かのようにイメージされる権威なのである。しかし、実は、すべての人に自由や安全が行き渡るように、その「ある」と人々に信じられている状態をつくるために、不断の努力をしている者がいるのである。それは、本来的にはもともと「ない」概念だからである。


 人権の存在根拠それ自体は、この事実を理解している者が、すべての人に自由や安全が行き渡るようにしようとする意志、心の奥底にある優しい心、愛ともいうべく意図によるものである。この良心こそが、人権の存在根拠なのである。



「憲法の取扱説明書」


〇 人権は、心のきれいな人には見えることがあるとされています。心の汚い人には見えませんのでご注意ください。


〇 心の汚い人は、心のきれいな人の人権も、守ってあげてください。それは、心の汚い人の義務です。

〇 憲法は、「人権」が壊れてしまうことがないように保障する方法について記載されているガイドです。しかし、人権そのものの存在根拠は、ユーザーが「不断の努力」で「保持しなければ(12条)」なりません。人権の存在根拠は憲法で生み出しているわけではありませんのでご注意ください。

あてはめてみる


 「基本的人権」とか、難しい言葉で分かりづらいよね。替えてしまいましょう。


 「基本的人権」⇒『福袋』

 「権利」⇒『グッズ』

 「自由」⇒『グッズ』

 「自由及び権利」⇒『グッズ』


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
福袋の由来特質〕
第97条 この憲法が日本国民に保障する福袋は、人類の多年にわたるグッズ獲得の努力の成果であつて、これらのグッズは、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久のグッズとして信託されたものである。
 
福袋
第11条 国民は、すべての福袋の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する福袋は、侵すことのできない永久のグッズとして、現在及び将来の国民に与へられる。
 
グッズの保持義務と公共福祉性〕
第12条 この憲法が国民に保障するグッズは、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 「基本的人権」という名の『福袋』の中に、いろいろ『グッズ(自由及び権利)』が入っているイメージね。国民は、生まれながらに、『福袋』を与えられているのね。


 えっ?誰から『福袋』を与えられたかって?それは、97条に、「人類の多年にわたるグッズ獲得の努力」って示しているじゃないか。今ある『福袋』のセットは、グッズ獲得を頑張った先人たちの「努力の成果」の水準なわけよ。


 この『福袋』は、すべての国民、全員同じものを持っているからね。中身が違ったら、平等権っていうグッズが入ってないことになって、おかしなことになるからさ。


 それで、12条で、グッズは、「不断の努力によつて」「保持しなければならない」って書いてあるから、失われないようにしないといけないね。一応、国民全員、福袋の中身は繋がっているから、誰かのグッズが失われそうになると、他者のグッズも同時に傷つく仕組みになっているからね。全部クラウドで繋がっているからさ。みんなで保持しないと駄目だよ。



 この福袋は、「国家」から与えられたわけではないよ。グッズを獲得してきた先人や、今なおグッズ獲得の努力をしている人から与えられたものだよ。国家は、この福袋の中身を実現するために手段としてつくられた機関であり、福袋を与える主体ではないよ。


 憲法によって、福袋の中身のグッズに違いがあるね。だから、「他の憲法によって生まれた他国」の国民とは、福袋の中身が違うことがあるよ。似たようなものも多いけどね。まあ、福袋と中核的な位置を占めるグッズは、人類すべてに与えられているはずだってことにしてる国が多いけどね。憲法は、そのグッズの内容を明らかにした上で、国家の統治機関に具体的なグッズの要求を実現するために機能するように作ったわけね。


 日本国憲法は、他の憲法(つまり他国)と比べても、わりとグッズは充実してるね。



 グッズは、生まれながらにして国民に与えられているんだけど、一応、グッズのクリエーターがいるんだよね。そのクリエーターは、何もないところから、グッズを作ってしまった人ね。そのグッズの価値がなくなって消えてしまうことがないように今なおつくり続けている人もいるよ。

 多くの人は、自分の持っているグッズが壊れてないかどうかを気にしてるけど、クリエーターは、グッズそのものの存在と価値と正当性を作っているわけね。時代を遡れば、もともとそのグッズは存在しなかったものだからさ。やっぱり、ゼロからつくることができる人が必要なわけよ。

 

 12条で、「不断の努力によつて」「保持しなければならない」と書いてあるけど、多くの人は、自分の持っているグッズが壊れていないか不断の努力で気にしているだけだけど、このクリエーターは、グッズそのものの存在と価値と正当性を不断の努力で作り続けているわけね。「不断の努力」の仕方も、グッズがあることを前提として努力している人と、グッズがないところから存在するように努力している人がいるから、その両者がいることを分かっておく必要があるね。

人権の根拠観




① 自然法論の人権観

 自然法論は、人権は憲法が制定される以前に存在していると考える。


② 法実証主義の人権観

 法実証主義は、人権は法の文言にこそ根拠があると考える。


③ 日本国憲法の実存主義的な価値相対主義の人権観

 実存主義的な価値相対主義によって生み出された人権観は、古典的認識の価値絶対主義者の考える『自然法論』と『法実証主義』の立場の人権観を両立させ、さらにそれらは実存主義的な価値相対主義の不断の努力によって創造されているものであることを示唆することで、実存主義的な価値相対主義の認識に至ったものに対してもその認識の妥当性に確信を持てるように導くことができるようにしているのである。これは、あらゆる考え方を許容する包括性や寛容性を持った人権観である。


④ 人権に類似した構造にあるもの

 人権観というものは、実はサンタクロースを夢見る子供たちの構造によく似ている。いずれ子供たちも「サンタクロースなんて実在しない」という事実に気づき始めるのであるが、自分が保護者になった時に、結局自分の子供たちに「サンタクロースが実在している」かのように見せかけてプレゼントを贈っていたりするのである。


 人権も同じような構造である。「人権は本来存在しないもの」なのであるが、それに気付いてもなお、「存在していることにしておく」ようなものなのである。


 多くの子供たちは、サンタクロースからプレゼントを もらっていると思い込んでいる。多数派の者たちは、自然法によって『憲法よりも以前』から人権が与えられると思い込んでいたり、法実証主義によって『憲法それ自身』から人権が与えられていると思い込んでいる。それが実は建前であり、真実を知らない者に法という合意によって生まれる憲法の権威性を普及することで、法に効力を持たせるためのフィクションであることを知らないのである。


 真実を知った少数の者たちは、社会の秩序を維持するために『法の効力』を保つミッションに参加する義務を負うのである。つまり、そのフィクションを「不断の努力によつて(略)保持しなければならない(12条)」として守り続ける必要があるのである。

 


 ただ、「サンタクロースは実在しない」と言っても、結局多くの保護者たちの心の中には、サンタクロースの心が存在しているのである。それは、優しさだろうか、愛とでも言おうか。「存在しない」とも、言い切れないものである。


 同じく、「人権は存在しない」と言っても、真実に気づいて新たな認識を手に入れた実存主義的な価値相対主義者も、多くの場合、道徳的・倫理的な共生性の意志を持って「人権は存在する」という建前を守り続けるのである。それは、未だそれを知らないものに対する優しさだろうか、愛とでも言う心の作用だろうか。結局人権という概念も、「存在しない」とは言い切れないものなのである。

 


 しかし、人権という概念は、抗うことができないほどの侵害の恐怖を感じるまで、なかなかそれが「本来存在しないもの」であることに気づきにくい。堪えがたい絶望を経験し、どこかで自分を守る何らかの大きな存在を信じてしまう気持ちをことごとく潰され、頼るものがすべて失われるような経験がなければ、苦痛を前にしたときには、やはり何かを頼り信じるかのように、人権の存在を信じてしまいやすいからである。


 そのため、憲法改正草案をつくる者たちや、それに賛同する多数派の者たちも、その事実に気付いていないことがある。何者かによって守られていることにも気づいていない者には、事実を実感する機会がないままに生かされているのである。時に真実は恐ろしい事実を突きつけるが、それを知らないままに憲法改正を試みることは危険なことである。恐ろしい事実をも十分に取り扱うことができなくては、国民自身が自己加害改憲をしてしまう可能性があるからである。

 日本国憲法はそのような危険な事態を予期しているからこそ、「硬性憲法」という改正が難しい憲法として生み出されたのである。


 97条を削除しようとする者たちは、恐らく、未だにサンタクロースを信じるかのように、人権の存在を信じている者たちなのではないだろうか。サンタクロースという存在は、実は保護者たちの優しさというか、努力というか、愛というか、そういう形のないものである。人権についても、97条の「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」などという、それらを示唆した言葉を残した方が、真実を知った時にその言葉の意味を読み解いて「そういうことか!」と確信を持つことができるため有益ではないだろうか。12条の「不断の努力」という文言も同じ意味で重要な文言であると考える。


 11条だけを人権の根拠条文としようとする者は、サンタクロースの存在を信じているだけであり、未だそれが真実を知っている先人たちの愛だということに気づいていないように見えるのである。

 

人権観の多様性




<人権の根拠の学説についての似たようなイメージのもの>



〇 学説1「仏は仏壇にいる。」

 ⇒ 憲法の文言自体に人権の根拠がある。(法実証主義)


 (97条・10~40条の文言そのもの)
 



〇 学説2「仏は仏壇の向こう側の遠い世界にいる。」
 ⇒ 人は生まれながらに人権がある。人は憲法以前にもともとそういう性質を持っているのだ。(自然法)


 (97条・11条 侵すことのできない永久の権利)
 (97条 信託されたもの)

 (11条 与へられる)

 (11条 享有を妨げられない)


 現行憲法には、何か向こう側の世界から私たちに対して「与へられ」、「信託された」かのような表現が見られる。
 他にも、「侵すことのできない永久の権利」という完全な理想世界の概念を想起させる表現を用いている。


 

〇 学説3「仏はそこにはいない。仏は私たちの心の中にいる。」
 ⇒ 人権はそこにはない。人権は私たちの心の中にある。


 (97条 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果)

 (97条・11条 侵すことのできない永久の権利として

 (12条 不断の努力によつて 保持しなければならない)


 〔人権保障への意志 道徳的・倫理的な共生性の思いやりなど〕


 憲法とは、すべての人を平等に守ろうとする、愛ともいうべき「道徳的・倫理的な共生性の思いやりの意志」を集約し、心の中で観念してつくり出した本来存在しないはずの『人権』という概念を、まだそれを知らない人に対して「存在する」と言い続けることで、この社会のすべての人々の自由や安全を守り通せ、と訴えるものに過ぎないという立場。


 > 憲法学者「木村草太」の、「国家権力がしでかした失敗への反省から作られた『
張り紙』のようなものだ」という表現に近い


「憲法ってなんですか?」に対する、木村草太の答え 2016.9.25


 > 憲法学者「長谷部恭男」の、「『良識に立ち戻れ』と呼びかける文章」という表現に近い


 現行憲法は、基本的にはこの立場であると考えられる。この訴えかけが前文や97条、12条の文言に表れており、それを基に憲法体系が組みあがっていると考えられるからである。


 確かに、法を現実の紛争において具体的に適用する場面では、学説1の法実証主義的な思考で解釈が行われることになるし、憲法中には学説2のような読み手に対して人権の性質が完全な世界からやって来たものであるかのようなイメージを抱かせる表現も見られる。しかし、それでも敢えて学説3に見られるような表現を用いている点は、最終的にはこれらの意図を理解している者に対して、人権という概念を人間社会の中で適切に運用し続けていくことを訴えかけていくこととしているからであると考えられるのである。 



◇ 上記は『仏』で表現したが、『神』でも同じようなものである。いくつか似たものを書き出してみよう。


〇 仏は寺にいる。

〇 仏は寺の向こう側の世界にいる。

〇 仏は心の中にいる。


〇 仏は経典にいる。

〇 仏は経典の意味の向こう側にいる。

〇 仏は心の中にいる。


〇 神は神社(神棚)にいる。

〇 神は神社(神棚)の向こう側の世界にいる。

〇 神は心の中にいる。


〇 神は教会にいる。

〇 神は教会の神秘的な空間の向こう側にいる。

〇 神は心の中にいる。

 

〇 神は聖書にいる。

〇 神は聖書の意味の向こう側にいる。

〇 神は心の中にいる。



 他にも、『企業製品』のブランドストーリーの演出などでも類似した構造がある。


 たとえば、

〇 製品そのものの実用的なメカニズムの美しさを絶対視する形状のもの。

〇 あたかも製品の向こう側に素晴らしい世界が広がっているかのような光景をイメージさせるもの。

〇 消費者心理と企業に勤める製品のクリエイター(作り手)の心理との対話を重視しているもの。

などである。


 憲法に含まれた『人権』というものの本質についても、一つの学説に凝り固まった視点で見るのではなく、多様な人権観念のあり様を柔軟に捉えられるよう理解を深めた方が有益であろう。

 

普遍性の建前という補助輪

 

 仏教の「自力」と「他力」の関係や、人権概念の「価値絶対主義」と「価値相対主義」の関係を、自転車で表現してみよう。


〇 他力 ⇒ 補助輪あり
〇 自力 ⇒ 補助輪なし

〇 古典的認識の価値絶対主義の自然法の人権観(侵すことのできない永久の権利) ⇒ 補助輪あり

〇 実存主義的な価値相対主義の道徳的・倫理的な意志による人権概念の創造 ⇒ 補助輪なし


 補助輪があっても、なくても、行き着くところは同じであるし、本質的には同じことをしているのである。それぞれの段階で、こけたり、転んだり、事故にならないことが大切なのである。大きな視野で見ると、そこに本来的な優劣は存在していないのである。


 ただ、段階を登った時に、補助輪を外せるようにしておいた方が、より本質的な理解に近づき、自由な行動が許容されるために有利であろう。その方が、自転車そのものへの魅力が失われないと考えられるのである。


 同じように、人権という概念についても、段階を登った時に、実存主義的な価値相対主義の認識を有せるようにしておいた方が、より本質的な理解に近づき、自由な思考が許容されるために有利であろう。その方が、法そのものへの魅力が失われないと考えられるのである。


 キリスト教などのいくらかの一神教においては、もともと三輪車タイプのような、補助輪が外せない仕組みになっている宗教も存在している。(行き着くところは同じですけれども)


 その認識と同じように、外国の憲法においては、価値絶対主義的な人権観となっており、価値相対主義の人権観を許容していない仕組みの憲法も存在しているようである。

 ただ、日本国憲法においては、段階に応じて補助輪を取り外せるタイプであり、価値絶対主義の認識から価値相対主義の認識に至ってもなお、その認識を許容する寛容さや自由さを有しているのである。この自由さは、やはり本来的な思想良心の自由という人権を保障するためにも有利なものである。これは、認識の包括性が高い分だけ多くの立場の人を引き付ける魅力が存在し、法の効力を生み出すための憲法の求心力を維持するためにも都合がいいのである。


 人権観を一段高い位置から理解するためには、この違いを見抜いておくべきだろう。




 これについて、参考として、憲法学者「長谷部恭男」の憲法審査会での発言を読み解いてみよう。


 ここで出てくる「こうした理念にのっとって国政が運営されている国」と、「そうでない国」の違いは、価値相対主義憲法と価値絶対主義憲法の違いに重なる部分である。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 近代立憲主義の内容とされる基本的人権の保障、そして民主的な政治運営は、時に普遍的な理念、普遍的な価値だと言われることがあります


 ここで、普遍的というのが、世界の全ての国が大昔から現在に至るまで、全てこの近代立憲主義の理念に沿って運営されてきた、そういう意味であれば、これは正しい言い方ではございません。実際には、現在でさえ、こうした理念にのっとって国政が運営されているとは言いがたい国は少なからずございます。また、日本も、第二次世界大戦の終結に至るまでは、この近代立憲主義に基づく国家とは言いがたい国でありました。


 さらに、民主主義について申しますと、十九世紀に至るまでは、民主主義はマイナスのシンボルではあっても、プラスのイメージで捉えられることはまずなかったと言ってよろしいでありましょう。それでも、現在では、基本的人権の保障や民主的な政治運営は普遍的に受け入れられるべきものとされております


 ただ、問題は、憲法典の中に基本的人権を保障する条項、民主的な政治制度を定める条項が含まれているか否か、それには限られておりませんこれらの条項の前提となる認識、つまり、この世には、人としての正しい生き方、あるいは世界の意味や宇宙の意味について、相互に両立し得ない多様な立場があるということを認め、異なる立場に立つ人々を公平に扱う用意があるかそれこそが、実は普遍的な理念に忠実であるか否かを決していると言うことができます。


 憲法を保障するという言葉もいろいろな意味で使われることがございますが、現在の日本で申しますと、価値観や世界観、これは人によってさまざまである、しかし、そうした違いにもかかわらず、お互いの立場に寛容な、人間らしい暮らしのできる公平な社会生活を営もうとする、そうした近代立憲主義の理念を守るということ、そして憲法に書き込まれた日本固有の理念や制度を守り続ける、それが憲法を保障することのまずは出発点だということになるでありましょう。


 ただ、成文の憲法は持っていても、先ほど私が申し上げました、世界観あるいは価値観は世の中多様なのである、それはそれぞれの人個人として選び、自由にそれを、自分の人生を生きていく、そういう考え方をとっている国と、とっていない国があります。

 とっていない国もそれなりに憲法はございまして、その憲法に基づいて政治権力が行使されているわけでございますけれども、ただ、そういった国は、先ほど私が説明した意味での立憲主義の建前はとっていないということになるだろうと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
参考人 長谷部恭男(早稲田大学法学学術院教授) 第189回国会 憲法審査会 第3号 平成27年6月4日


 「近代立憲主義の建前」をとっている国は、価値相対主義の姿勢に裏打ちされた憲法観の国である。


 反対に、「近代立憲主義の建前」をとっていない国は、価値絶対主義で打ち出された憲法の国である。一般に、一神教的な世界認識から導き出された神による人権観をとっている憲法は、こちらであると思われる。


 ただ、「神」というものが一体何を意味しているのかということに対する理解を突き詰めていけば、最終的には実存主義の認識を持つ者が他者を導くために象徴的に示した意志の観念に行き着くことが多い。そこまで突き詰めると、もはや価値絶対主義の憲法であるのか、価値相対主義の憲法であるのかというレベルで区別できない領域に到達する。ここまで分析しているのであれば、宗派などの境界線は関係なくなってくるため、「神」を基とした人権観を、一段低い認識であると言い切ってしまうこともできなくなる。


 この違いは、所詮、「二輪車」か「三輪車」かの違いであり、好き嫌いの問題ではないかと思えてくる。二輪車の方が高度で自由度が高いことは確かだが、練習しないと転んでしまうデメリットも確かに存在しているのである。


 ここで、日本国憲法の仕組みであるが、日本国憲法は、価値相対主義憲法であり二輪車である。しかし、「侵すことのできない永久の権利」などとその普遍性・永久性・絶対性があるかのように表現している部分は、補助輪を付けてくれているのである。これは、初心者(価値絶対主義者)も憲法の人権を扱う際に転ばないようにしてくれているのである。よって、初心者にも三輪車(価値絶対主義憲法)と同様の乗り心地を実現している。


 しかし、それが補助輪であることに気が付いた者は、補助輪が外され、補助輪なしの中でしばらく足掻き、本当は怖い乗り物だったんだと思いながら練習する必要があるのである。つまり、人権という概念自体が相対的な価値観の中の一つであり、絶対的なものではないという本質を十分に捉えた者は、それでもなお人々の自由や安全を守るため、価値相対主義の立場から、人権という概念の普遍性・永久性・絶対性の建前を「不断の努力によつて(略)保持(12条)」する必要があるのである。


 つまり、補助輪とは、価値相対主義の認識の者が、価値絶対主義の認識の者を導くためにつくった優しさの現れた機能なのである。


 自分の自転車に補助輪が付いていることに気づかずに乗っている者もいる。ただ、本来の自転車の姿を理解せずしては、自転車の改造(憲法改正)は失敗に終わるだろう。



 えっ?「一輪車」はどうかって?それは、前文の「人類普遍の原理」や「政治道徳の法則は、普遍的なもの」というものに近いのではないだろうか。これを「自然法」と言う場合もあるかもしれない。もはや、憲法がなくても、同じ目的地にたどり着けるほどの理解がある状態といえるだろう。


 憲法の条文さえ、それを示したガイドに過ぎず、本来的には人の心の中にある自由や安全を求める意志の観念である。その意志の観念にある法の在り様を運用できるならば、条文というガイドに頼らずとも、法の秩序はそこにあるのである。その法認識を運用することができるならば、それは「一輪車に乗っている状態」とも表現できるのではないだろうか。


 憲法の源流にあるものを深く理解する高いレベルの憲法学者は、この一輪車に乗ることができるだけの理解を有している。もちろん、日本国憲法の人権概念の本質部分をつくった憲法制定権力者は、一輪車に乗ることができる。だからこそ、二輪車(価値相対主義の憲法の条文)を生み出すことができたわけである。


 ただ、時々、憲法学者の中でも、「これは一輪車では通用しないぞ」と言えるような主張をする者が見られる。法学者の中でも、外国の憲法を主体に研究している人は「三輪車(価値絶対主義)」の人権観で議論を進めようとしている者や、「二輪車(価値相対主義)」の理解に留まっており「一輪車」という源流の姿まで遡っても通用するだけの理解を有していない人もいる。


 憲法改正を考える場合は、この「一輪車」の認識を乗り回せるだけの理解が必要となるだろう。



まとめ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
〇 一輪車

「人類普遍の原理」、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」「公正と信義」「政治道徳の法則は、普遍的なもの」、自然法、道徳的・倫理的な共生性の意志

〇 二輪車(補助輪なし)

価値相対主義憲法、『日本国憲法』、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果(97条)」、「不断の努力で保持しなければならない(12条の趣旨)」、「侵すことのできない永久の権利として(11条、97条)」

〇 二輪車(補助輪あり)

価値相対主義憲法、『日本国憲法』、人権概念の普遍性・永久性の建前、「享有を妨げられない(11条)」、「与へられる(11条)」「侵すことのできない永久の権利(11条、97条)」


〇 三輪車

価値絶対主義憲法、一神教のいう神からの人権観

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 もう一度、「長谷部恭男」の他の表現を見ておく。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
近代以降の立憲主義それ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。近代立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とする。それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。むしろ、人としての正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれに決まっているという前提をとっていた。正しい価値観・世界観が決まっている以上、公と私を区別する必要もなければ、信仰の自由や思想の自由を認める必要もない。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.69)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆2.「立憲主義」の定義 ◇1.各論者による説明 長谷部恭男 (下線・太字は筆者)

人権観と類似した構造のもの


 下記は、人権観とよく似た構造である。

 図の上部に書かれている者は、社会全体の支配構造のメカニズムを理解しているが、必ずしも支配者として君臨している者というわけではない。権威そのものをつくり出す源を理解している者であり、その者が直接権威を与えたり、人々を支配したりする組織に所属しているとは限らない。




 価値絶対主義の認識は、権威が彼岸的な遠いところにある完全な世界(イデアなど)に存在していると考えがちである。価値相対主義の認識を持つ者は、それを利用して経営上でサービスを提供したり、人々の心を救ったり、時には大衆を政治利用したりしていることが多い。



人権は憲法以前のもの


〇 人権は憲法の条文によって与えられるものではない。人権は、憲法以前のものである。憲法の条文は人権保障を実現しようとはしているが、人権の存在根拠それ自体を守ってはいないのである。人権の存在根拠は、私たち自身の意志によって守り通さなくてはならないものなのである。


〇 人に対する理不尽な侵害を前に、人権の性質を表した「侵すことのできない永久の権利」などという言葉は無力である。この言葉に効力を持たせ、その実態を現実に確かなものとして生み出すためには、「不断の努力」が必要となるのである。


〇 人権という概念は、"ない"ものを"ある"と言っているだけのものでしかない。この「人権」という合意は、「不断の努力」によって人々に合意され続けるように注意深く努めて守り抜かなくてはならないのである。この人権概念の創造は、現在進行形である。これに気づいた者は、「不断の努力によつて」「保持し」続けなければならないのである。


〇 現行憲法は人権概念について、「侵すことのできない永久の権利として」と表現している。これは本来的に「非普遍的価値」でしかないものを「普遍的価値」であるかのようにする建前を表現したものである。その建前は、「人類の自由獲得の努力の成果」によって保たれているものであり、今後も「不断の努力によって保持しなければならない。」ものなのである。

 人権を普遍的価値であると信じ切っている者は、それが非普遍的価値を普遍的価値であるかのような建前を維持している実存主義的な価値相対主義の認識を持つ者の努力に守られて生きているのである。認識段階としては実存主義的な価値相対主義の方が高い位置にある。現行憲法は、この高い位置から見た認識基盤によってつくられたものである。



〇 法の効力をつくる

〇 正当性の必要性

〇 人権概念に集約

〇 多数決に勝るもの

〇 価値絶対主義と価値相対主義

〇 価値相対主義の寛容性

〇 法の求心力(効力の源)

〇 自然権という認識

〇 ないものをあるという

〇 存在と価値と正当性をつくる

〇 実存主義的な間接伝達の訴えかけ

〇 実存主義的な価値相対主義での人権観を維持する決意

〇 人権保障への意志

〇 不断の努力

法の実現


古典的認識の価値絶対主義者(人類の幼少期などの心理的発達段階から見ると、ほぼすべての人類がこの認識をベースとしている)
 ↓
実存主義的な価値相対主義者の発生(絶望を通った少数派)
 ↓
人権概念の不存在の確信
 ↓
人権概念を人々の意識の中に創造
 ↓
人々の意識の中に人権概念の存在と価値と正当性の認識を運用

(価値絶対主義者には自然法や法実証主義として認識される)
 ↓
人権保障を実現するために法の効力を生み出す必要性の発生
 ↓
人々が権威を認めて従おうとする分かりやすいものが必要

(特に価値絶対主義者の中にも法秩序の正当性のあり方を運用しやすいように、実定化されたガイドラインが必要となる)
 ↓
憲法制定権力による人権を永久不可侵の最高価値とした憲法秩序を生み出す決意

(憲法前文に反映された意志の観念)
 ↓
憲法制定権力の中でも、実存主義的な価値相対主義者が憲法典の文言での人権概念の本質部分を創造
 ↓
憲法中で、人権を保障するための仕組みとして統治機関が設置されることを規定
 ↓
憲法の統治規定の中でも、権力と権威を分離し、権力のコントロールには国民主権を、権威には象徴天皇制を採用する
 ↓
憲法の人権保障実現への意志の観念に共感した一定数の者が、その法に権威を認めて従おうとする
権力のコントロールのための国民主権や象徴天皇制という権威などに魅力を感じ、一定数の者が法に権威を認めて従おうとする

(法に権威を認める動機は、人によって様々である)
 ↓
法に効力が生まれ、社会の中で通用する実力となる
 ↓
憲法の人権保障の理念に共感しているからこそ国の統治機関に集まっているはずである公務員等には、憲法尊重擁護義務が課せられている
 ↓
公務員等は、憲法尊重擁護義務を負うことによって、法に対して権威を認めて従おうとする気持ちを社会に積極的に普及し、人々の支持によって初めて成り立つ性質である法の効力を維持し、その結果として人々の人権保障を実現することに貢献する
 ↓
人々の人権保障が実現されれていく